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たかな ともこ

医師から専業主婦、ボランティア組織地区代表。チャレンジし続ける今日この頃。2児の母。

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たかな ともこの人生のストーリー

肩書きなんて要らない?

肩書き と 偉さ 肩書きってなに? 肩書きは狭義では「地位」「職名」「役職名」  つまり社会の中でのエラさだ。 肩書き、というとエライひと 社長、とか、教師、とか、管理責任者というところを思い浮かべるが 実は社員、パート、アルバイト、学生、こども  なんかも広義の肩書きだ。 よく「地位も名声も要らない」という言葉を聞く。 でもこれは「肩書きが要らない」とは 本質的に意味が違う 最初に面倒くさいこと

前に進み出る女性への応援詩

とある有名リサーチ 先日友人がTEDの映像を勧めていて そのなかで触れられていたことが タイムリーに私に響きました。 数年前にも一度聞いたことがあって ブログでこっそり紹介していた話だったんですが ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2002年 ニューヨークシティにあるコロンビア大学での実験。 (コロンビア大学は米国アイビーリーグのひとつ) その名門大学のビジネススクールで 学生を2グ

人生設計なんてあるようでどこにもなかった。(2)

どんな仕事も最初は大変だけど こちらでは 主婦のことを full-time momとも言います。 私にとってある意味有り難かったのは 生活に慣れるのに一生懸命なうちに こども二人を授かったことでした こればかりは私が選べることではないし とにかく「やっていくしかない」という ある意味切羽詰まった状態で 「仕事」を考えるヒマはなかったのです。 この時 初めて社会の中の自分の位置づけを 改めて見直せまし

人生設計なんてあるようでどこにもなかった。(1)

最初に方向転換の決断 海外に住む。 (いやいや、リゾートに行く訳でも行けた訳でもないんですが) そんなもの、わたしの「人生設計」にはありませんでした。 というより、今のダンナさんと結婚するという選択肢は 結構 急にでてきて、 結婚というコミットメントをしたとたんに 私の人生は急展開をし始めました。 今ダンナさんの仕事でアメリカにいる訳ですが (ありがちですがダンナさんも医者です) 結婚を考え始めた頃

非常識、自信完全喪失、そして新しいチャレンジ発見。

「社会」の常識 二度目で戻ったアメリカ それも土地勘のあるところというのは ある意味かなりリラックスして生活を始められました。 もちろん、学校システムとか 義務になっている就学前の予防接種とか 正直わからないことだらけでしたが。 日本でも一般常識といわれるものを あまり持たない(必要とされない、あるいはやや違う一般常識の中で) 生活をしていた自覚はありましたが それこそ「無知」がスタート地点で当たり

不動産投資をやると決めた(1)

それでもやりたかった 天下のロバート・キヨサキのスクールです もうあちらの自負もあるけど アメリカでどっかの学校にいくより高い?かも というもの 離婚されると思いました 笑 でも今度こそ諦めたくなかったのです 運命なんてないと思ってますが この時ばかりは「やれと言われてる」と 思い込んで正当化しました。 その時点でアメリカの永住権は取れ (ダンナさんの付属物で、ですけどね) この家族の中で私がやった

不動産投資をやると決めた(2)知らないなら学ぶしかない

起業ということ、チームをつくるということ、リーダーということ まず間違いなく受けるであろう反論は 「そんな他の専門知識までどうして必要なんだ」 「そんなこと知らずとも 不動産投資は出来る」 でしょうね。 でもロバート、キム(彼の奥さん)の信念だったようです 「起業する」という心構えと リーダーになる、ということ そして何より信頼出来る「チーム」構築 結論からいえば もの凄いトレーニングだったと思いま

不動産投資をやると決めた(3)会社を興す

ロバート・キヨサキのすごさ 私自身がロバートに直に会ったのは いえ、正確には「見た」のは たった一度です。 (自信がなかったので 写真を撮ってください、も言えなかった) でも彼がパートナーと造り上げた教育ビジネスは きちんと彼の本当に教えたかったことを 伝え続けていたんだと思います。 彼のこころを伝え続けるビジネス それは凄い事だと思いますし 自分の言葉でも伝わるところに限界はあるのに 全体を通して

不動産投資をやると決めた(4)Whyを探し始める

話は大分戻りますが 不動産投資(Real Estate Investment, REI)をやるぞ!と決めたとき 日本であの地震と津波が起こりました。 あれは私にとっても勿論大きくて 今の自分をうごかす原点になりました。 何かするのに資金が必要になる だからREIで資金を手に入れる でもそれは 熾烈なREIの世界で上位一握りになることでもありました。 やっているひとがいるなら出来るはず でも分かってい

「会ったら人生が変わる」パワーをもったひとたち

出会うこと 話がJT(タバコじゃないよ、人名ね)に及んだので 私の人生を大きく変えたひとの話をしたいと思います。 きっと読んでくれている人の中には 自分は何をすべき人間なんだろうとか もっと手前で 何をしたらいいか分からないとか そいういうひとも多いと思うからです。 私が今の私で居られるのは 「世界で一番自信のない人コンテスト」があったら 絶対出場してやろうと思ったくらい  自分を認められなかったの

不動産投資をやると決めた(5)とにかくやってみて分かったこと

会社を興してからやったこと ロバート・キヨサキの本に感化されたといえど 日本で不動産投資なんて全く持って  そのシステム自体が理解出来なかった私が (大体この狭い国で???) どうせ学ぶならゼロから、と始めた 米国不動産投資でした。 本質は難しくて面白かったけれど 結構早い時点で「私の興味範囲じゃない」と 気付きました。 それでもある程度進んで行くまで きちんとやろうと思ったので 一年半程 区切りが

Bridgeというチャレンジ

【実は1年くらい前に書き始めて そのままになってました。 1年経ったら面白いことがみえてきたので タイトルそのままに 現在の気持ちも加えて書こうかな・・・と思います。】 私はインターネットを駆使して人を繫ぐことは上手じゃない 【1年後の私は インターネットさまさま、で  たくさんの友達を作ったし ひとをつないでいるし  いまじゃ「ともこオンエア」なんていう  着地点の分からない自主TVみたいなモノも

この大きな「山」を動かす方法を

南東北と揶揄されるのに 地震のことは別とされていた (多賀城市キリンビール工場近くで 2011年7月撮影) 東北が被災地で 福島は原発事故後の放射線との戦い そんななかで 茨城に関する報道はほとんど海外に届いていなかった それでもひどかった。 私の大好きな地元は あちこち傷だらけで それでも一生懸命笑顔でいるような そんな街にみえた。 地震から3ヵ月たとうというのに 屋根に青いシートが目立つ。 崩れ

地球の裏側での3.11

はじめに これを ここに出してしまいましたが これはまだ 私の中では熟していない言葉たちです。 まだこのときの感情を言葉に置換できません。 だから(当分は)ただの事実の羅列です。 全く言葉として組み立てられない。 それでも これを書かないと 今の私に続かない 思った事を言葉にするのは簡単じゃないですね 2011年3月11日 私のエリアでは3月10日木曜の夜11時ごろだったと思う 最初はインターネット

「ごっこ」遊びは恋愛でも大切。(1)

ノウハウ恋愛術、への違和感。 巷に ノウハウを売るものが増えたのはいつからでしょう。 もちろん なかなかに上手なプロモーションをかけ 言葉も それが必要な理由も とても心に響くのだけれど えええ?っていうものがないわけじゃない、のです。 恋愛ノウハウというか。 女の子をおとす(?)ノウハウというか。 売れるんでしょうねぇ。 需要もあるでしょうねぇ。 それはわかります。  だけど 違和感がぬぐいきれな

「ごっこ」遊びは恋愛でも大切。(2)

【まとめ。ココまでのはなし】 恋愛ノウハウ=恋愛ごっこのエッセンスみたいなもの、って思ってる。 ごっこ遊びには 色々学びと 人生のなかの意味・役割がある。 ノウハウ=ごっこ遊び は そういう意味でもとても役立つ。 それは大事、基礎体力だから。 という、続きです。 「ごっこ」を現実に置き換えての・・・ ここまできて私のざわざわ、が やっと見えてきたんです。 「ノウハウ=欲しいモノを手に入れるやり方」

「ごっこ」遊びは恋愛でも大切。(3)

【まとめ。ココまでのはなし】 恋愛ノウハウ=恋愛ごっこのエッセンスみたいなもの、って思ってる。 それは大事、基礎体力だから。  ・  ・  ・  ・ でもね、私の経験から、だけど ラブラブ彼氏がいても「あれ?」って思っちゃうようなもの、 その男の人の「深さ」についてのはなし。 「じゃぁどんなものなら気持ちが動くの?」 一生懸命さ?  あ、そっちのほうがまだいいかな 母性本能っていうの?あ、こんなに一

「ごっこ」遊びは恋愛でも大切、なのはその先があるから。

【まとめ。ココまでのはなし】 恋愛ノウハウ=恋愛ごっこのエッセンスみたいなもの、って思ってる。 それは大事、基礎体力だから。 でも ラブラブ彼氏がいても あなたに「あれ?」って思っちゃうようなもの、 それって ノウハウの先にあるんだよ、って言う話。 ごっこ、で練習。実践は予測しない時に動き出す。 ノウハウで ある「通過地点」を経験する。 いいのだよ いいのだけど 残念だなっておもうんだ。 ノウハウは

読んでよかったストーリー

Morii Ryouji
262

高卒でライン工をしていた僕が上京して起業する話-No.1

「誰も他人に興味を示さない仕事」「全く頭を使わなくてよい仕事」 人間関係で悩んでいる人や、技術的な難しい仕事をしている人には、とても興味が惹かれる言葉だろう。 しかし、高校を出てすぐに工場のライン工として働くことになった僕は、この仕事がとてもとても大変なことを知った。 高校在学中は部活ばかりの毎日で、将来のことを何にも考えておらず、母親から「大学に行かせる金がない、すぐに働いて家に金を入れて」と言わ
木村 浩一
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瀬名秀明と野口英世に憧れて薬学部を目指した話

薬学部を目指した理由 私は、栃木県足利市に生まれました。 足利市は全国数ある小京都のひとつで、 日本最古の大学「足利学校」や、鑁阿寺などがあり、 非常に趣のある、品のいい土地です。 そこで生まれて、中学・高校と過ごしました。 私が薬学部を志した理由は、 ・小児喘息で入院しているときに「野口英世」の伝記を読んだ ・中学時代の同じクラスに看護師、医師を目指す友人がいた ・「パラサイト・イブ 著:瀬名秀明
阪口 ユウキ
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異国の街に大好きな恋人を置いてきた。その悔しさを晴らすためだけに起業した話。

こんにちは! WEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口といいます。 僕は23歳のときに会社を辞め、24歳のときにWEBで起業しました。 25歳のときに出国をして、それから海外を転々としながら、WEBサイトを作ったり、コンサルティングなどをしています。 しかしそれは、 社会にどんな価値を与えようだとか、どんな貢献をしようだとか、そんな立派な理由があってはじめたものではありませんでした。 僕が起
松本 健太郎
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おばあちゃんと過ごした7000日と4000日、そしてこれから過ごす日々(4000日の巻)

危篤。おばあちゃんが倒れた。危篤なんよ。 その電話を貰ったのは2014年の冬、私が社会人7年目のときだった。 社内での会議を終え、フロアの自販機前でコーヒーを買おうとしている時だった。滅多に電話を掛けて来ないおじいちゃんからの電話だったので、どうせ前みたいに蟹を買ったら食べに来ないかという催促かと思い電話に出たら第一声が「危篤」。10年前のデジャヴだとだと思うと同時に、あのときのように取り乱すことが
松本 健太郎
348
6

おばあちゃんと過ごした7000日と4000日、そしてこれから過ごす日々(7000日の巻)

危篤。おばあちゃんが倒れた。危篤なんよ。 その電話を貰ったのは2003年の夏、私が大学1回生のときだった。 2限目の授業が終わり、生協へ行って昼飯を買おうと移動中だった。友達と話しながら移動していたからオカンからの電話に気付かず、3回目の着信でようやく出た第一声が「危篤」。10年も前なのに、その瞬間のことを今でもはっきりと覚えている。危篤という単語が直ぐに頭に浮かばず、既得という漢字が先に浮かんだぐ
高畑 哲平
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20年前にはわからなかったSOSの言葉

ふと仕事の関係で、中学生の頃のことを思い出す機会があった。ずっと記憶の奥底にしまってあって、二度と振り返ることなんかないんだろうなっていう記憶がいろいろとある。 それは悪い思い出だから思い返さないのではなく、はるか昔の記憶だから一部忘れていたりする情景の一つ。あのときの自分はよくわからなかったものも、30代も半ばに差し迫ると、ふいに答えが見えてくることがある。 この話は中学生の頃の話。中学1年の話か
大野 清香
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握手会を選ばなかったご当地キャラクター。生みの親として、今、語りたい。

握手会を選ばなかったご当地キャラクター。生みの親として今、語りたい。   2013年。  イラストレーターを始めて、5年。今年、私は、会社を設立したことをきっかけに、一人のキャラクターを産みました。 その名前は、あおでんさん。 防犯用の青い街灯を見て、産んだキャラクターです。  キャラクターの活動と言えば、着ぐるみがいて、握手会や撮影会のイベントに出るのがメインです。  そして、グッズの販売に発展
二瓶 彩菜
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フクシマで生まれて〜今だから言える、あの時のこと〜

2011年3月11日を境に私の地元・福島は、のどかな田舎町というイメージから一転、「被災地」となりました。 いっぺんに家族や友人を失うかもしれないという恐怖、大切な人達が苦しんでいるのに何もできないもどかしさ。 新幹線に乗ればすぐ会いに行ける距離だと思っていたのに、会いに行くことさえできない。 「福島に住んでいる人の方がずっと辛いのに、自分が辛い顔をしてちゃ駄目だ。」 「東京の人には話すだけ無駄だ。
Togashi Taki
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3.11 in London

時差 あの頃の私と日本との距離はだいたい地球4分の1周。 時差は9時間。日本が3月11日を迎え、翻弄されていた14:46頃、私の体内時計はまだ5:46。バービカン・センターでのマーケティングのインターン業務に備えて深い眠りの中でした。 朝は友人からのメールから始まりました。 「たき、家族大丈夫!?日本、大丈夫!?」 飛び起きて、テレビを見ても、インターネットでニュースを見ても、わけがわからない。10
大塚 雄介
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3.11の記憶。そしてこれから。

平凡な日常 あの日、私は東京の有楽町でお客様と商談をしていました。それまで何一つ特別な事のない日常でした。14時からお客様に自分の提案を説明し、今後のことを、ある程度予測出来る範囲で話していました。たぶん、今回の震災がなかったら、なにひとつない、普通の日常だったと思います。 説明も一通り終わり、具体的なサービスのデモに入った時でした、はじめの瞬間は、「お!大きい(地震)」位の感覚でした。しかし、次の

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