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前島 貴子

挫折を繰り返し、3人の子育てをしながら7年かけて医学部に合格した主婦の頑張る女性への応援メッセージ

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前島 貴子の人生のストーリー

3人の子育てしながらの医学部受験

30代半ばにさしかかり、ようやく結婚した私はどうしても医師になりたくて結婚と同時に医学部受験を始めました。 当時薬店の仕事もしながら夜は小さな個人塾に行きながら、数学が大の苦手だった私は分数から数学をやり直しました。当時は国公立大学しか受験を考えておらず、センター試験の内容も全て一からやりました。 主人も受験し九州大学に入学したため福岡に移りそこでは初産では流産しましたが第一子が誕生しました。 しか

三児の母医学生

今思うと医学部を目指した時は、まるでエベレストを一番下から眺めている気持ちだった。あの頂上にいつか辿り着くぞと思った。 不思議と不安はなかったが、やり遂げるぞと思って意気揚々とした気持ちだった。 そのあとのものすごい苦労が待っているとはつゆ知らず。 医学部に合格した時のあの感動は今でも忘れない。 主人の勤める会社の社宅にいた私。もう30代の終わり何としてでも受かる気持ちでいたけど、年齢的に今年が最後

7年の浪人生活を経てとうとう医学部へ入学した私ですが、当時40歳、子供3歳と0歳を連れて北海道から愛知へ移り住みます。そのあとのことを少しまとめてみたいと思います。

借金を残して自死した父②

今回の内容は赤裸々な描写もありますので、気分が優れない場合もあります。ご了承下さい。 パパパパと叫びながら探しました。どこにもいなくて、はっと思いついて一階の厨房を見たらそこに大の字になっていました。 その前に私は万一のことを考えて救急車を呼んでいました。 父はど素人が見ても亡くなっている事がわかりました。しかし、私はどうにか助かるかもしれないと僅かな期待を込めてお願いしますといいましたが、 亡くな

借金を残して自死した父①

母との離婚後、再婚してまた離婚した父。 ある日突然亡くなった父、しかも借金を残して。 それは、ある日の昼過ぎ、当時薬店を経営していた私は配達に追われていました。配達途中薬店に帰ると店の前の酒屋さんの従業員さんが、 「お父さんのお店、一昨日から空いてないよ。なんかあったかな?」 胸騒ぎがして私は自転車を走らせ全力疾走で父が経営する飲食店に行きました。 途中何度も嫌な予感がして、 もし倒れていたら救急車

借金を残して自死した父③

警察からようやく解放された父の遺体を連れて実家へ向かいましたが、急な死だったため葬儀をしてくれるお寺さんがいませんでした。 ようやく葬儀を受け付けてくれるお寺さんを見つけたのが夜8時くらいでした。 宗派は曹洞宗でした。 夜突然訪ねていきましたがお坊さんは優しく受け入れてくれました。 本当に有難かったです。 その日の父の死からはじめてようやく座ってゆっくりお茶を飲みました。 父の遺体には沢山の刺し傷が

借金を残して自死した父④

葬儀の後、あちらこちら見知らぬ人から電話がかかってきました。それは、サラ金と言うヤクザな世界の方でした。 亡くなった事を新聞にも上げなかったのに、知人から連絡があり自死だったかと問われました。 そういう死に方は、おそらく世間ではまだゆるされないのだと痛感しました。 父が残したのは、様々な機関から多額の借金でした。 例え自死でも相手はそう簡単には許しません。 自死だからと言って借金を免れようとしても決

借金を残して自死した父⑤最終話

沢山の人にお金を貸して、金融会社から借金をしていた父、 父を頼りに来ていた人に会いにいきましたが、みんな知らぬ存ぜぬでお金を返すつもりも、 父が亡くなった事を悲しむ人もいませんでした。 何故父は亡くならなければいけなかったのか、 兄も私も 父の寂しさに寄り添えなかったのは事実です。 私が高2の時離婚、再婚してまた離婚した父を当時の私達兄弟は、煙たがっていました。  父は10歳くらいで実母を亡くし、そ

人生は前向きにしか生きれない。父の死から学んだこと。

父が自死と言われて、納得いかなかったけど自死でもそうじゃなくても、いいんだ。 要は父が亡くなったその理由には、 死にたいじゃなくて、 死ぬほど生きたかったんだとわかったんだ。 寂しさを紛らわすために様々なことをしたり、 愛を率直に示したり受け取れなくてもがいたり、 自分を責めたのだと思う。 そう、 だからこそ残された遺族は亡くなった責任をずっと持ち続けて生きていく。その生きたいを解ってあげれなかった

逆境の中でも夢を諦めたくない女性へ

3人の子育てをしながら医学部受験を成し遂けた、私の原点を書きます。 小学校の頃から両親が仕事で忙しく一人で過ごすことが多かったです。 勉強が大の苦手で、小学校のころから最下位ばかり。 親の離婚もあり苦労を重ねてきました。 20代で臨床心理士的な役割で、摂食障害の方の セルフミーティングに参加していたとき、 患者さんと医師の間に挟まれ、精神的にも追い込まれたことがありました。 その頃、父を病気で亡くし

3人の子育てしながらの医学部受験③

S大学の入試課にようやく到着して願書を手に入れるも、そこには健康診断書が必要だった。妊娠8ヶ月、X線を撮ってくれる病院を探して東京を放浪する。 健康診断書、健康なら何にも言われないけど、どう見ても妊婦。しかも子供連れているおばさん。 妊娠している場合、胎児のX線による影響を避けられません。 お願いします。どうしてもS大学の願書に必要なんです。 どうしても必要なら仕方ありませんね。 いくつもの病院を回

3人の子育てしながらの医学部受験②

3人の子育てしながらの医学部受験②長女2歳、妊娠8ヶ月だった。 どうしても医学部に行って医者になる。 私の願いと裏腹に私の学力は追いつかずいつも医学部の受験生とは箸にも棒にもかからない成績だった。 でも私は受け続けた。どうしても受かって医者になるんだ。だたそれを願って歩いていた。 国公立の医学部への暗黙の条件は、センター試験が8−9割以上は取らないければいけない。だから試験勉強を必死にやっていたけど

医学部受験を始めた時から合格するまでの軌跡。長女2歳、妊娠8ヶ月

3人の子育てしながらの医学部受験④

国公立大学の医学部受験から私立一本にしてもなかなか合格できなかった私。二人目の子供を出産後、授乳しながら勉強、育児家事をした。そんな中でも着実に試験は近づいてきた。 S大学受験を終え失敗に終わった翌月からまた受験勉強を再開。 予備校行くことは無理だったので自宅でひたすら問題を解くことに専念した。 長男がまだ0歳、長女が2歳だった。 オムツ替え、長女のご飯、長男の授乳、数時間どころか数分単位で集中が途

被害者でありながらも、受刑者に助けらたこと。

私は高校3年の時、ある被害に合いました。その出来事を思い出そうとしても、どうしても確信に触れるところで記憶がぱたっと止まって思い出せません。そんな私が2人の殺人を犯して服役中の受刑者に助けられています。 その受刑者との出会いはある一冊の本、それを紹介してくれた人は美容業界では有名な方でした。 女子高生サヤカが学んだ「1万人に1人」の勉強法  です。 無期懲役囚、美達大和のブックレビュー その中身は高

読んでよかったストーリー

井筒 厚子
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普通の主婦の普通じゃなかった半生 15 (実話自伝)登校拒否〜身障者〜鬱病からダイバーへ

母へ。 最終章。 私の「普通の主婦の普通じゃなかった半生。」 これでもか!これでもか!と自分を試されているような波瀾万丈な人生でしたが、引きこもりだった私が普通に結婚し、家を持つことができ、心身ともに落ち着いてきて、膝も完治してないとはいえ歩けなくなることは無くなり、夫や母とも良好な親子関係を築けて、友達にも恵まれ、鬱病もパニック発作が出なくなり、一人前のダイバーになれ、すべてが順風満帆になっていっ
Nakamura ichika
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憎しみをもって生まれる赤ちゃんはいない~憎しみの根源は深い悲しみ~

世間を憎んで生きる人がいます。  それは犯罪者だったり、いじめにあった人だったり、親から否定されて育っていたりー。  私は、両親はピーターパンのような父親、自分しかみえていない母親、かわいい息子のどうしようもないところを責任とらせず全部代理でやる過保護な祖母、博愛の優しすぎる祖父、病弱で何してもできなくて祖父母に何をしなくても守られた私に、その私にコンプレックスを抱き、選ばれるために成績優秀で、なん
佐籐 香菜
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あなたは毎日一緒に過ごす家族の遺体を、明日突然見ることが出来ますか? 人は生を受けた瞬間から死ぬことが決まっています。 今日か、明日か、5年後か10年後か。 やがて来る死はどんな人にも平等で、さまざまな理由で人は死にます。 毎日何処かで誰かの家族が死んでいる今日。 あなたは明日突然家族が遺体になったら、どうしますか? 事故が起きたのは1999年の7月19日。 北海道の短い夏のちょうど真ん中。 よく晴
清瀬 史
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はじめての下北暮らし

   上京して、3年がたった。 渋谷での仕事が終わって10時すぎ、雑踏を抜けて井の頭線に乗る。 ずっといい町だなあと思っていた、下北沢で降りて、 おんぼろの一軒家に帰る。最近越してきたシェアハウス、日本人は僕しかいない。 停電を気にして真っ暗なリビングと、あまり片付けられてない台所。 やれやれと思いながらまあいいかと、夜遅いご飯をさっと作って、食った食ったと階段を上がり部屋に入る。 リュックを下ろし
Unabara 海原  Taiko たい子
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苦しい時期の乗り越え方?

以前に、 私が先生になり、退職し、 そして復帰の道の途中にいる理由 1 の中で、学校を辞めたいけど、先生に 「逃げるな」 と言われて、辞めずに卒業した、 という事を書いた。 これは私のその時の状況でそれが適切だったのであり、それを必ずしも勧めているわけではない。万人に当てはまるわけではない。 私は不登校を勧めるわけでも反対する、でもない。それらを支援する人たちとも関わらせてもらい、自分にできる事をや
Murao Masaki
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4

最終話:11歳で母を自殺で亡くした若者が生きることを諦めなかった『からあげ』の話。

からあげが2個 そのような僕が生きることを諦めなかったのは、理由がある。 僕は中学校に入ってクラスの委員や部活動でリーダーを務めるようになった。前向きな気持ちがあったからではない。周りに心配をかけてはいけない、自分がしっかりしなければいけない、その気持ちだけが体を動かしていた。 放課後は、夜遅くまで友達と遊ぶようになった。部活動が終わって帰宅すると、自転車に乗ってバスケットボールのコートがある公園へ
寒川 友貴
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11

ちくわに母を殺されたハタチの大学生の話

大好物 僕(寒川友貴)の好きな食べ物はおでん、特に味がしっかり浸み込んだ、ちくわが大好きだった。 あの日が来るまでは…。 突然すぎる別れ … 2016年12月27日夜、僕はJR東京駅の新幹線ホームにいた。 大学が冬休みに入り、実家のある神戸に帰省するためだ。 のぞみに乗る前、駅で晩メシとお土産の東京ばな奈を買い、予定よりも1日早く今から帰ることを伝えようと母に電話した。 なぜか母のケータイにも家電に
Dokai Chiaki
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1

国境を越えて求められる看護人材

※医療系とは全く異なる出身畑からの投稿になりますが、何かのお役立てれば幸いです。 私は、いわゆる開発コンサルタントをしています。 もともとは、公務員・金融・システム・ITがバックグランドですが、現在はご縁があり医療・福祉関係に携わっています。 (チームで取り組むプロジェクトなので、その一部を担当しています。) 私自身にとってみれば、医療機関は非日常の世界です。 風邪すらひかないので病院に行くことも
永田 寛哲
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センター試験で学んだ大事な教訓

2年前にはてなダイアリーで書いた文章の転載です。 ◆ 中高一貫校に通っていた僕は、在学中まったく勉強をしなかった。大抵のクラスメートは、入学後すぐに塾に通い始めるか、少なくとも学校の授業は真面目に受けていた。しかし僕は「次の受験まで6年もあるじゃん」と思って、とりあえず中学3年間は遊んでもいいと判断し、ひたすら遊び倒していた。これは、中学受験を本格的に始めたのが小学5年の夏休み明けからで、それでも合
江草 乗
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いつも信号無視をするおかあさんへ

  オレは通勤の時、国道25号線を通る。寺田町の駅のところで大阪環状線のガードをくぐり、少し進んだところの大きな交差点を玉造筋に右折する。ガード下から前方の青信号が見えていても、交差点に入るあたりで信号は右折矢印信号に変わっている。そうなると直進車(ときどき信号が変わった直後も強引に直進しようとするクルマがあるから、注意しないといけないのだが)も停止しているのだが、そこで強引にオレの目の前を横切って

書きかけのストーリー

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