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前沢 しんじ

人生を渡っていく最強最高の友が言葉です。人生に起きる色々なことを「どう考えるか」、「何を選んで生きていくか」が自分の人生を決めます。メルマガではそんな考え方のヒントをお届けしています。エッセイスト前沢しんじが、よりよく生きるヒントをあなたに・・・

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前沢 しんじの人生のストーリー

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話

第 1 章〔平成編〕 八十二才。おもろいばばあ   まいくばあ。外人さんじゃないれっきとした日本のばばあ。実は僕の母だ。 昔飼っていた犬(ダックスフント)の名前がマイクで、その頃からうちの子供たちがまいくばあちゃんと呼び始めて、それがまいくばあに変わり結局ニックネームになった。 牛の背中といわれるほどの(自分で言っているのだが)たくましい背中、製材所で長い間働いて得た勲章、曲がった指(小材を縛る時に

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第2回)

『まだ轢かれたことない』   我が家の前は車の通行量が多い上に狭い。さらにカーブになっていて、走りぬけていく時にスピードを落とさない車が多い。うちはカーブの内側にあるが外側にある向かいの家には何回も車が飛び込んだほどだ。 まいくばあが我が家に来て帰るときは見通しの良い向こう側から自転車に乗るのだが、その際、道路横断が危険なので僕が母の自転車を誘導する。 しかしヤツにとっては人に世話をかけるのが面倒く

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第3回)

『他人の車に乗る』   勘違いの王道を行くまいくばあは、僕が大学生の頃下宿に遊びに来て、違う学生の部屋で湯を沸かしお菓子を用意して僕を待ったことがあった。※次章『気がつけよ!』に収録。 行くべきところはここだと考えて決める前に、本能的に自分の行くべき場所が頭の   3 の中に設定されるのだろうか。(惜しむらくはその本能が「まちがった本能」であることだが)   さて、ヤツはよく「他人の車」に乗る。それ

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第4回)

『着たきりスズメ』   僕はほとんど着たきりスズメというやつで、夏はTシャツと半ズボンが三枚ずつ、冬はフリースの長袖Tシャツとダウンジャケットと防寒ズボンが三枚ずつ。それを毎日着替えるだけ。たんすなどない。プラスチックの衣装ケースひとつに入る。仕事する時も、寝る時もほとんど変わりはない。寝るときはパジャマのズボンだけ履き替えて上はフリースのまま。朝起きてズボンだけを着替え、上はダウンジャケットをはお

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第5回)

『裸』 まいくばあが風呂に入っていたら電話が鳴った。娘からだった。 びしょぬれで出てそのまま三十分話して、 母「わし今風呂へ入っとったんじゃ」 娘「あんた裸のまま長話ししてた?」 母「いや、パンツだけは履いたよ」 娘「びしょぬれのまま?」 母「そのうちかわく」 どんだけ元気なんだ。それにしても風邪ひかんなあ。                                         『片づけた

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第6回)

『まいくワールド』                                妻は以前実家の両親の介護や、別々に住む四人の子供たちの手伝いなどで家を留守にすることが多かった。そういう時に頼りになるのがまいくばあ。 猫の世話とか掃除、洗濯などに来てもらう。来るとまず特製のエプロンを身につける。エプロンにはポケットがいくつもあって、その中にはマイタオルやら、ミニモップやら、猫にやる水のボトルやら、な

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第7回)

『へそ臭い』 まいくばあは孫にもひ孫にも人気がある。 別段、孫だからといって猫かわいがりをすることなどまったくないのだが、初孫である僕の長女ユウちゃんとは腐れ縁のようで、その不良時代からいつも一緒にいるような関係だった。今では長女もすっかり悪行?から足を洗って、すてきな旦那様と二人の可愛い女の子を持つお母さんとなって京都で暮らしています。 さて、長女が高校を中退してまいくばあとホテルの清掃係の仕事を

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第8回)

『わしゃ、いらん』 まいくばあは外でお茶することを嫌う。 友人の家に用事で行く。(用事がなければまず行くことはない) 「前沢さん、コーヒー入れるわ」 「わしゃ、いらんで」 月に1回仲間同士の寄り合いがある。(団体行動は苦手だが仕方なしに行く) 「それじゃ皆さんお茶にしましょう」                   「わしゃ、いらんよ」 我が家に用事で来る(用事がなければまず来ることはない) 妻が、「

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第9回)

『ひとりメシ』 まいくばあはみんなと一緒にめしを食うのは好きではない。その理由は「テーブルが高いから」というヘンなもの。背が低いからふつうのテーブルでは食べにくいんだと。 で、外食に誘ってもほとんど「わしゃ行かん」と言う。 そんなヤツがこの前、孫の婚家でめしを食った。大掃除の手伝いのあと数人で畳の上で車座になって弁当を囲んだという。 まいくばあ「みんなで食うとうまいもんじゃなあ」 孫「じゃ、ばあちゃ

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第10回)

『サンドイッチとキュウリもみ』 まいくばあがサンドイッチを持ってきた。 「トマトたくさん貰ってネ、わしゃ嫌いだし、早く片付けたいし全部サンドイッチにした」と、トマトとタマゴだけのサンドイッチを大量に。そしていつものセリフを吐く。 「うまなかったら(おいしくなかったら)ほったってくれ(処分してくれ)」 そんなに大量に、それも全部サンドイッチにしなくてもねェ。 まいくばあがキュウリもみをタッパーに入れて

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第11回)

『名前テキトー』 僕には四人の子供がいて唯一、二女だけが地元で暮らしている。まいくばあも近くに住んでいるので、たまに我が家で顔を合わす事がある。 まいくばあ「カズオさんは元気か?」 二女「カズオ?」 まいくばあ「ほれ、あんたの旦那さんよ」 二女「ばあちゃん違うよ。ミノルやで」 まいくばあ「そーか。カズオやと思った」 二女「なんでカズオやと思たん?」 まいくばあ「いや、そんなカオしとる」 ・・・・・

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第12回)

『葬式』 まいくばあはたいへん義理堅い。受けたご恩は決して忘れない。人に何かをしたり、あげたりするのは大好きなのだが自分がお世話になるのはどうも心地が悪いらしい。義理人間にとっては、それを果たすために見えない道を突っ走ることも多い。 ある葬式へ行った。地方新聞に訃報が出ていたらしく僕に電話してきた。 「あのね、○○さんが亡くなったらしい。名前調べてみたらうちの父ちゃんの葬式に来てくれていたようじゃ。

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第13回)

『まいくばあのメモ』 我が母まいくばあはメモ魔でもあります。しょっちゅう何やかやとメモする。メモの種類にわけてノートを作っているほどだ。置きっぱなしにしていたので覗いてみた。    ≪テレビを見た。レタスを食べると小顔になる?・・・バカ≫ 聞いてみた。「この、バカってなに?」 「小顔になんぞなるもんか。だからバカって書いといた」  ・・・じゃ、はじめからメモとかすんなよ。 『好きか嫌いか』 酷暑のみ

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第14回)

『残酷&ワイルド』 まいくばあが昔、大きなムカデに噛まれてそいつを捕まえた。 火箸でつかんで外に持っていって、なんやら「こいつめ!」とか言いながらブッチブッチとしている。 長女Yちゃんが「ばあちゃん、何してるん?」と聞いた。 まいくばあは答えた。「こいつめ、切り刻まんとダメなんじゃ」 見れば小さい包丁で切り刻んでいる。ムカデはとてもタフな生き物だが、さすがに切り刻まれれば万事休す。 害虫とはいえ、ま

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第15回)

『自分にきびしい』 いつまでも若いつもりでこき使っているけど、どうやらやつは八十二才という。僕の祖父、まいくばあの父親が亡くなった年になった。その晩年と比べると二十才近く若い気がする。最近は座って立つ時ひざが痛いらしく、そんな時は「ええかげんにせぇ!」と言って自分のひざをげんこで殴りつける。ポキッといって楽になるらしい。いったい何者なんだろこの人は。 『ビンボー上等』 母は七十五才ごろまでは現役でホ

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第16回)

『ご先祖を敬う』 二〇一三年の夏は酷暑だった。 僕「熱中症がはやってるらしいね。水飲まなあかんで。」 母「あんなもの飲めたもんじゃない。わしゃ水好かんのじゃ。いまの人はニュースに踊らされすぎじゃ。わしは昔からどんなに暑ぅても水なんぞ飲んだことないわ。」 そんなヤツですがさすがの猛暑には少々参ったらしい。なんせ炎天下でも自転車で墓の掃除に行くんだから。 母「わしね、今日珍しく頭が痛かった。こりゃはやり

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第17回)

第2章〔昭和編〕 昔からおもろいヤツだった まいくばあの人生は、「もらわれ子」から始まる。 生まれてすぐ養女に出されたのです。 幸い、あたらしい父母の元でとても大事にされたのです。 ヤツは養女に出されても自分の道まっしぐら。 成長して十九才で結婚したころからがこの第二章〔昭和編〕であります。 シンプルでたくましく、そして一心に突っ走る。 そのオープンな性格と行動はたぶん多くのひとびとに、 感動(ウソ

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第18回)

『パンパンの顔』 昭和四十年代、自動毛糸編み機が流行ったころのこと。 朝起きると母の顔がパンパンにふくらんでいる。腫れている。小学生の僕が、「どしたん?」と聞けば、「徹夜でセーター編んだ」 編み機は顔を下に向けて作業する。各色の糸を変えながら、手でジャージャーとハンドルを左右に動かして編んでいく機械だが、母は一晩中下を向いて一生懸命編んだよう  29 だった。 パンパンの顔で、「ほれ、あんたのや」と

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第19回)

『作文』 まいくばあは十九才で僕を生んだ。今でいうヤンママというやつか。 本人が「わしはあたまはペケじゃ」というほどだから頭脳明晰には遠いのだが、けっこうな教育ママ(ママ?いちばん似合わん言葉ですな)で、小学一、二年の頃は先生との毎日の通信を熱心に書いていた。「家ではこんなふうに過ごしています」、「こんな勉強をさせています」みたいな。 さらになぜかPTAの役員もしていて、和服を着て他校の視察などに行

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第20回)

『米とフンドシ』  昭和二十年代の終戦直後、およそ六十年くらい昔の話。 きょうびでは終戦ってなに?と聞かれそうですが、太平洋戦争(一九四一年~一九四五年・昭和十六年~二十年)が終わったころ、そんな古い時代のことであります。 当時米は配給制でありました。戦後の動乱期は米不足で、買うには米穀通帳という身分証明書になるようなものが必要なくらい貴重品だったのです。 さて、まいくばあがまだ十六、七の頃でしょう

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第21回)

『夜這い』 まいくばあが二十才の頃として、今から六十年くらい前の話です。 当時日本の農村には(全国かどうかは知りませぬが)、「夜這い」という風習がありました。※夜這い(よばい)とは、夜中に性交を目的に他人の寝ている場所を訪れる日本の風習(ウィキペディア)。 まいくばあが「やったやられた」のではなく、「聞いた」話らしい。ほんとですって! さて、ある男性(未婚)がお気に入りの女性(未婚)宅へ「夜討ち」を

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第22回)

『タクアンの小包み』 尾篭(びろう)なお話しにつき、まずはその旨おことわりを。 このお話は少しニオイもしますれば、ここで読むのをやめて次へ飛んでいただいてもいいかも、です。 時は昭和三十年代、僕が小学校へ入る前のころのお話。  夏でありました。田舎の家であります。暑さゆえ開け放って風を入れながらたたみの上で昼寝。母二十四才、僕五才のころ。二人で昼寝をしているわけでございます。 母は夢を見ていた。小包

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第23回)

『シンプルマザー』 こんな母親って? 僕が小学生になったとき、「おれ弁当いやや。ふた開けたとき臭いもん」と言ったら、 「わかった、毎日あんぱん持っていけ」 ばあちゃんが店をやっていいたので、そこから毎日あんぱんをもらって学校に通った。結局小学校六年間、中学校三年間、弁当はあんぱん。中学生になると昼は学校を抜け出して村の何でも屋みたいなところでチキンラーメンを作ってもらって食ったりしたが。 一年で二百

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第24回)

『神経質』 僕は神経質な子供だった。ちょっと腹が痛いだけで「母ちゃん、おれ盲腸かもしれん」 「・・・・」(無言) 頭がちょっと痛ければ「母ちゃん頭ガンガンする」 「・・・・」(無言) ある時足の小指が痛くなった。「母ちゃんおれ小指痛い。ガンかもしれん」(アホ?) ・・・・無視するかと思いきやひとこと言った。「神経じゃ」 あまりの心配しなさすぎに僕は言い放った。「ガンになったる!」 「なってみい!」

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第25回)

『骨折』 母親とはえらいもんだという話です。 僕の神経質ぶりをわざと無視し続けて、アソコ悪いココ悪いと言ってもことごとくさらっとかわした。そうすることが神経質な子に対しての一番の対処法と思ったのだろう。 いま思い返せば、僕が訴える病的症状は実際にすべて僕の神経質のなせるワザだったのだ。 さてそんな僕が小学校五、六年のころ、急に野球のボールが投げにくくなった。 投げたらひじが痛い。 それまでの体験から

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第26回)

『顔ひろい』 まいくばあは製材所の職工を長いことやっていたので、家と製材所の往復だけの狭い世間と思いきや、なぜか色々な人と知り合いだった。職場の仲間は言うに及ばず各業界のかたがたと。 高校生の頃「おれ、ステレオ買いたい」 母「よし、Sっちゃん(電器屋さん)に来てもらってやる」 僕は音楽が好きで、ナショナルテクニクスという当時えらく高いステレオをSっちゃんの店で買ったのだ。母の顔でクレジット払いにして

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第27回)

『靴』 高校入学の準備のため、妹は母とふたりで靴を買いに行った。まいくばあは、娘のサイズより二センチくらい大きいのを買った。ガバガバだった。妹が「かあちゃん、大きすぎるよ、これ」と言えば母はこう答えた。「じきに足が大きいなる。ちょーどいい」 ・・・歩けたもんじゃねえよ。 しかし恐るべし、その裏にはある作戦が隠されていた。妹が大事に手入れしながら三年間履いたその靴は卒業と同時に母に譲られたが、なんとま

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第28回)

『オープンすぎるぜ!(二)泊まってけ、のりさん』 まるで元祖裸族が如く、まいくばあの家は昔からあけっぴろげで風呂のあとはパンツ一丁で家中歩くようなそんな家族なのだ。その中で育ってきた僕にとってそれは日常の光景だったが、客人が来るときくらいは、ふつうはねぇ・・・ が、僕が卒業後地元のスーパーの入社テストを受けてその結果を知らせに常務殿が来てくれた時も、さらに、結婚する前に妻を初めて家に連れてきた時だっ

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第29回)

『オープンすぎるぜ!(三)ブルーフィルム』 妻は結婚前からよく実家に遊びにきた。ワタクシ二十五才、妻十九歳の頃ですからそれはそれは大昔のこと。 まいくばあの友達は幅広く、雲から泥まで色々なお方がいらっしゃった。その中で「Sっちゃん」と呼ばれるなかなかの遊び人がおりました。本業はしっかり持っておられるのですが、飲む、打つ方じゃなくて残りの方がとてもお盛んでした。 昔のことでございます。アダルトビデオの

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第30回)

『弁当』 結婚する前、妻がまいくばあにこう言った。「毎朝弁当作るの大変で・・」 まいくばあは言った。「よっしゃ、わしが作ってやるよ」 それからというもの毎日毎日卵焼きだけ。ごはん&卵焼きオンリー! 一ヶ月で妻は音を上げた。「おかあさん、もういらん!」 「ほっぺたにそうじ機」 まいくばあはいつでも一生懸命ゆえに、孫と遊ぶときでも想定外のことをすることがある。 初孫である僕の長女Yちゃんが小さい頃、数時

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第31回)

『まいくばあの日記』 まいくばあは昔から断続的に何種類かの日記をつけている。あるものは日記というよりは金銭出納帳、いや小遣い帳か。家計簿的なものではなく金額とともに自分的感想を書き連ねてある。「二百円。橋で拾う。通りかかったやすしに百円やった」、「五百円○○さんに返す。ありがたかった」とか(五十年以上前の大昔のこと)。若い頃から書いていてたまに昔のものを見返すらしい。 先日我が家に来てそんな話になっ

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第32回)

『貧乏神』 この本では「お金がなくても老後は楽園だ」ということを言おうとしています。 それはわが母、まいくばあが体現しているからであります。                                        養女に出された先はお金に不自由しない家でしたが、若気の至りか十九才で結婚して、それも相方が二十二才で遊び人ではないが、とりたててしっかりした人物でもなかったゆえ、どうもそのころからあ

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第33回)

『まいくさんがくれたもの』 この章では、裸やら麻雀やらブルーフィルムやら、ヤツの独走ぶりを書いてきましたが、少しは良いことも書かなけりゃ、というかそれを書かなきゃただのアホ家族の話にすぎず、この本を書いた意味がありません。 さて、その天衣無縫ぶりはともかく、母は「自より他」の人です。自分のことはほっといてあらゆる人の幸せを願う。いつもそれだけを祈っています。 熱心な仏教徒で「自分はどうなってもいいで

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第34回)

『実母の祈り』この章のあとがきにかえて まいくばあが産まれてすぐ養女に出されたのは先に書いた通りだが、やはり実の母の我が子を差し出す苦しみは推して余りある。 実の父の弟、つまり叔父さんのところへ養女に出されたのだが同じ村の中。おさな子は成長する過程でもらわれ子であることを知るだろうが、母にしてみれば、ふだんから村の中で見かけるだけに胸が痛んだことだろう。 そのころからまいくばあは実父母のことを「本家

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第35回)

第3章〔騒動編〕 おかしな三つの物語 世の中にマヌケな人間は多けれど、 まいくばあを筆頭とする前沢家の面々はじゅうぶんに その有資格者、いや有段者、いや師範代?かも知れませんぞ。 マヌケなヤツらのすることは当然のごとく間が抜けた顛末となるもの。 ここに書き出したる騒動三題は、 古き良き時代のニッポンを彷彿とさせて(させないか) 家族愛に満ちた(愛なのかな?)物語となっております。 人様から見れば「お

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第36回)

そこで考えた。「そーだ、名前が悪いんだ。名前を変えよう!」 自分のでなく、相方の名前を変えることを思いついた。思いつかれた方にすればとんだメイワクであります。 (今回ここから) 捜したのであります、姓名判断してくれるその道のプロを。人伝にたどり着いたのがバスで一時間と少しの小さな町。そこにとてもよく観る霊媒師的なおばあさんがいらっしゃる。今で言うすぴりちゅあるなお人。なんせひと昔を十年と数えればイツ

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第37回)

お礼を申し上げ、幾ばくかの謝礼を払って帰途につく頃にはまいくばあの心は晴ればれ。 「よしよし。明日から、いやたった今からあんたはシゲマサじゃ!」と相方に何度も繰り返すまいくばあ。相方のほうは反応に困ったような複雑な顔だったような気が・・ (本日ここから) さて、家に帰って母が行ったことは、まず手当り次第あらゆるものに新しい名前を書きつけ、縫い付けていくことでした。何もそこまでというくらい、シャツや下

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第38回)

『ブラジル騒動記』 「シゲマサ騒動」に続いてそのころ勃発したのが「ブラジル騒動」でございます。 相も変わらぬ夫の行動、つまりすぐ仕事をやめる、酒に逃げる、甲斐性がない、などの行いに業を煮やしたまいくばあが、次に取った手段は・・・ なんと「ブラジルへ移住しよう!」でございました。国を変えりゃ、この人は立派な人になる!と思ったのでしょう。大胆も大胆、なんせひとつのことを念じると突っ走るイノシシのようなも

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第39回)

相方の方は「こんどはぶらじるかよ」と冗談ではないぞという面持ち。今回は、名前を変えた、いや変えられたときのような「かかあが言うから」では済まされません。なんせ「日本を捨てる」のだから。 (今回ここから) 自由気まま、辛抱性のない人間にとてもそんな海外渡航などできるわけがない。どうしたものかなあこの一直線ヤロウを、と思ったかどうかは不明ですが、 「おれはやっぱり、ぶらじるはいやじゃぁ」と、この時は乗り

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第40回)

『耳島さま物語』 このお話しは先の騒動記とは異なり、詩情豊かな農村の「少年耳を病む」の一席。しかしやはりお馴染み三人組が動けばその道中はお間抜けの顛末となる。題を「耳島さま物語」と銘してお届けします。 はるか昔、僕が小学三年生のころの、十才手前でしょうか。まさしく「シゲマサ騒動」「ブラジル騒動」と時を同じくします。 考えてみればいつもまいくばあはパワフルでした。シゲマサ改名一直線→頓挫、ブラジル移住

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第41回)

そのつるっとした形状は川原にて何万年も磨かれ続けた銘石の風情。よし、これだと見つけてきた母親の愛情ってやつでございます。  (今回ここから) 母は老婆に言われたようにその石の中心に五寸くぎで丸くこするように穴を開けはじめた。木ではなく石ですから、それは固い。ハンパではない。厚さ一センチ以上ある石に穴を手彫りする。今では街なかで石を拾うなどできませんからその形や硬さなど想像できないでしょうな。しかし母

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第42回)

二~三時間はじゅうぶんに経過した頃でしょうか。それは神仏のお導きか、たしかに川のちょうど真ん中あたりに小ぶりの岩がある。祠こそなけれどなんだか神々しい雰囲気の岩であります。見ればなんと穴あきの石がいくつもお供えしてある。 うわさどおりの耳島様がそこに鎮座しておられたのです。 (前回ここまで) (今回ここから) 三人は歓喜勇躍。 「着いた着いた、これじゃこれじゃ!ここじゃったー!ここなのじゃー!」ひと

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第43回)

『○○のアニィ』この章のあとがきにかえて この本は我が母まいくばあの自由に生きるさまを通じて、人生は「おカネはなくても老後は楽園」になるということと、「愉快に生きるコツ」を知っていただければと思って書いたものです。 本章「騒動編」は母・父そして僕のおマヌケ三人組がくり広げるドタバタ劇を活写しましたが、父については「悪いヒトではないがナマケモノでパッとしない人」という感想を抱かれるかも知れません。いや

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第44回)

第4章 〔語録編〕  つい言ったぁー 前章のドタバタの口直しに(ならないか)ばかばかしい語録をお届けします。 まいくばあは別段「おもろいこと言ってやろ」と思っているわけじゃありません。つい言ったー、まさにTwitter、ことばが笑いと驚きを与えてくれます。 上質な品性を感じさせてくれる巧まざるユーモアとは似ても似つかず、こちらは動物的本能的なにおいが噴出しております。 それではヤツの言動の一端をごら

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第45回)

『まいくばあ語録』(2) ■「寿司食いに行くか」と誘えば、                       「背が低いからテーブルが苦しい。よそで食べてもうまない(うまくない)。行かん」   ・・・そんな理由かい! ■温泉に誘えば「あんな暑苦しいもの好かん」  旅行どうだ?と誘えば「テレビであちこち見る」   ・・・でも一理ある。  ■電話をかけてきた。「あれ、声が小さいぞ。もしもーし」と言って怒ってい

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第46回)

『まいくばあ語録』(3) ■「今度隣の○○さん所へ《大工》が入るらしいよ」(実はバイク) 隣の家の若主人が、「前沢さん、こんどバイク来るんで(買ったので)ちょっとうるさいかも知れません。すみませんけど」とあいさつしてくれた。それを大工と聞いた。  ・・・たぶんそりゃハーレーだ。びっくりするかもね。              ■まいくばあは最近足が痛い。病院が遠いのでうちの奥さんに車に乗せてもらった。

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第47回)

第5章〔家族編〕 まいくばあの遺伝子を継ぐものたち この章では、まいくばあの強烈な遺伝子を受け継ぐ面々の、少々浮世ばなれしているかも、という話をお送りします。われわれみたいな間抜けな人間でも無事に暮らしているのですから、この国ではそれなりに一生懸命やっていれば結構生きていけます。 家族の中でも、初孫である長女Yちゃんは特にその遺伝子を色濃く受け継いでおり、骨格、性格、行動、生き方、考え方、そしてその

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第48回)

『まいくばあの遺伝子を継ぐものたち(一) ヘンなやつら』 平成二十三年九月四日、和歌山県南部大水害。 当日朝六時ごろ市内放送で「熊野川堤防から水が越え始めました。至急二階か、高いところへ避難してください」と避難指示が何回もくり返して流された。 前夜のうちに僕の家より海抜が高いまいくばあの家に避難していたのだが、放送を聞いて至急車で市内の一番高い丘に逃げたのだ。                    

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第49回)

『まいくばあの遺伝子を継ぐものたち(二) 笑いがやってくる』 不謹慎極まりなく顰蹙を買うこと間違いない話につき、次へ飛んでいただいてもかまいませぬ。失礼を承知で、書かずにはおれませぬ。 うちの家系は笑い上戸です。少しでもおかしなことがあると、たとえ法事に参列していても誰かがクスクスとする。するともう止まらない。 みんな肩が震えてくる。泣いているのでなく笑いをこらえている。まったく非常識極まりない連中

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第50回)

記念の連載第50回! 『まいくばあの遺伝子を継ぐものたち(三) 方向音痴』 僕はひどい方向音痴で、いつでもどこへ行っても迷う。 奈良公園に歩きに行った時には公園を出て帰るつもりが、山へ山へと入っていって危うく遭難するところだった。妻に助けてもらったが、「公園で遭難」というウソみたいなことが僕ならじゅうぶんありうる。(妻はどうせ迷うだろうとにやにやしながら見ていたらしい) これは母親ゆずりの強烈な遺伝

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第51回)

『まいくばあの遺伝子を継ぐものたち(四) へれらいろ』 僕は眠っているとき電話で起こされてもすぐ百パーセントの状態で話すことができる。というより寝ているのを悟られるのがいやなんだ。 四十代のころ取引先の担当者に「おれ二十四時間仕事してるからいつでも電話していいで」と言ったことがある。当時は実際に一日三時間くらいしか寝なくて、ほとんど毎日朝まで仕事をして午前中に仮眠的に寝るような生活だった。 ある日、

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