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小川 詩織

1976年岩手県生まれ
・3歳~18歳まで両親に虐待を受ける
・2000年 虐待の記憶を取り戻す
・01年 虐待の後遺症で失聴
・03年 挙式がきっかけでPTSDになる
品川手話サークルに連載した失聴経験が注目され「耳のことで悩まないで」~中途失聴・難聴者のガイドブック~に寄稿

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小川 詩織の人生のストーリー

失聴経験 1診断結果

※ これは両親から虐待を受けた記憶をはっきりと取り戻す(PTSDになる)以前に書いた文章です。 「えっ?今、何て言ったの?」 私の思考回路はショートした。 「劣性遺伝による中度の感音性難聴です。」 約1か月かかった検査の結果が、私の内側でリフレインした。 「ちょっと、こっちにおいで。」 医者はそう言って椅子から立ち上がり、私の頭部の断面図を貼った壁のスイッチをONにする。 立ち上がり見た画像は、私の

2016年現在、中途失聴者になり15年目です。私の人生経験がどなたかの参考になれれば幸いに思います。

失聴経験 2私は母親と同じじゃない

  私は人間ができていない。その日、母親のことを心から恨んだ。 遺伝したことに対してもそうだし、母親の後退的な生き方も全て嫌で嫌でたまらなかった。 私は父、母、妹、自分の4人家族だ。母親が聞こえなくなったのも成人してからだった。 私が子供の頃の記憶なんて楽しい想い出なんかない。 母親は私が家にいる間中、現実を受け入れられない弱い人間だった。毎日のように 「お母さんは聞こえないのに、どうしてみんな分か

追記で虐待について書いております。虐待を受け生き延びた体験をプラスの意味で活かしたいと思っております。

失聴経験 3初めての補聴器

前日「劣性遺伝」と言われたばかりで、頭が混乱したまま私は病院を訪れた。 扉を開けた内側の机の上には、何やら訳の分からない機械と一緒に補聴器がいくつか置かれていた。 私の聴力は左耳55dB ・右耳60dB (聞こえの単位は「デシベル」と言います。) 大体同じくらい悪いのだけれど、右の方が左よりも悪い。 「補聴器はどちらの耳に付けますか?」 と言う質問に対し、その時は正直言ってよく分からなかった。前日そ

書いた当時と現在の状況が変わっているので、今日はいつもお世話になっている補聴器屋さんにお話を伺ってきました。

失聴経験 4耳の状態 ①「聞こえない」って何?

「聞こえない」定義について 聞こえの程度を表す単位は前述したようにdB(デシベル)と言う。 現在、日本の聴覚障害基準では下記のように定義している。 0~25dB   健聴(普通に聞こえる) 25~40dB  軽度難聴 40~70dB  中度難聴 70~90dB  高度難聴 90dB以上  重度難聴(ろう)  ※両耳の聴力が70dB以上が聴覚障害者となる。 「デシベル」って何だろう? 聴力を表すデシベ

手話ができなくても聞こえない人と簡単にコミュニケーションを取れる方法を書きましたので、ご活用下さい。

失聴経験 4耳の状態 ②耳の症状

難聴について 「難聴の原因」 難聴になる原因は様々なものがある。 例えば中耳炎の悪化、事故の後遺症、突発性難聴、騒音性難聴、メニエール病、老齢による聴力の低下など。 私の場合は遺伝性難聴となる。(※当時の解釈はそうでしたが後に虐待の後遺症と言われます。) 「難聴の種類」 難聴のタイプは主に3つある。 ①伝音性難聴  外耳から中耳にかけての仕組みに原因があり「音の損失」と言われ、医学的治療が可能な難聴

「突発性難聴」をご存知でしょうか?48時間以内に適切な処置をする耳鼻科に行けばほぼ完治します。ご自分だけでなくご家族・ご友人・職場の同僚がそうなった時にぜひアドバイスしてあげて下さい。

失聴経験 4耳の状態 ③耳鳴り

ここで詳しく述べておきたいのが耳鳴りである 耳鳴りは疲れた時に多くの人が経験したことがあると思う。それゆえに一般的な耳鳴りとそうでない耳鳴りの区別が難しいと思う。 私の場合、初めて耳鳴りに気づいたのは今から5年前である。当時は疲れた時だけ鳴るはずの耳鳴りが、数時間継続したり数日続いた程度だった。何度か病院へ行き検査をしても原因が分からず、聴力も問題がないと言われた。 アレルギー反応を4つ(スギ・ヨモ

現在耳鳴りでお困りの方に、少しでも参考になれたら幸いです。

失聴経験 4耳の状態 ④薬

中途失聴のショックから一時的に心のバランスを崩したり、うつ病など心の病気になられる方は多くいます。 現在、耳の為に処方されている薬は ・メチコバール錠 1日3食後に服用。ビタミンB12欠乏症による病気を予防する薬。 ・アデホスコーワ腸溶剤 1日3食後に服用。血流を良くしたり、目や耳の機能障害を改善する薬。 ・ メイラックス錠 1日1回夕食後に服用と書いてあるが、寝る30分前位に服用すると眠りやすい。

当時服用していた薬と薬からの脱却を書きました。また聞こえなくなって辛い思いをしている方がいましたらぜひ最後の方の文章をご覧下さい。

失聴経験 5補聴器 ①異物感

まず補聴器を耳に装着する異物感が、始めの頃は嫌だった。 試験勉強や水泳の時に耳栓を使ったことがある人は分かるかも知れないが、耳穴をピッタリ塞ぐと食事をしている自分の咀嚼音・食べ物を飲み込む音の全てが自分の中に響く。(音楽を聞く時のヘッドホンは耳穴をピッタリ塞がないので、これでは説明不足である。) そして長時間つけていると耳の中の汗で耳がかゆくなる。慣れない頃は耳の穴の入り口に何回かデキモノができた。

信頼のおける補聴器メーカー名を開示しております。ご自身が聞こえなくなった時・身近な方が聞こえなくなった時にご参考になさって下さい。

失聴経験 5補聴器 ②音の世界

いかに高性能の補聴器であっても、未だに人間の耳を越えることはできない。 検査期間中に読んだ本の中に「補聴器は万能ではなく、一つの電化製品と考えた方がいい。」と書いてあったので、私は補聴器に対して初めからあまり期待していなかった。 人間の耳はどのような状況でも、無意識に聞きたい音とそうでない音を選択し自分に必要な音を聞き分けることができる。 しかし補聴器の場合、スイッチを入れた瞬間、私は音の洪水の中に

補聴器はあくまでも「聞こえを補う機械です。」そして当時の私のように聞こえる方に貸してはいけません!

失聴経験 5補聴器 ③購入について言いたい!

※約15年の内に色々と状況が変化しましたが、当時の文章を忠実に再現しております。 メガネの販売店は至る所にあるのに、なぜ補聴器の販売店はそうではないのだろう。補聴器の電池はメガネ販売店の中に付属品のように肩身が狭そうに扱われてる気がする。メガネはメーカーもたくさんあってファッション性も追求されているのに、補聴器は肌色の野暮ダサなものがほとんどである。 もっとカラーバリエーションを増やしてユーザーが毎

障害を補うために必要な物はとても高額です。当時に比べたら世の中の流れは良くなっていると思います。もっと身近に誰もが使えるようになれたらいいですね。

失聴経験 6私を支えてくれたこと

当時私の周りにいてくれた方々に改めて感謝申し上げます。 ① 夢 私は詩を書いている。こんなことを堂々と言える立場ではないが、詩を書いている。最近やっと人に少しずつ人に言えるようになった。今まで自分の中では30歳になるまでは自分自身で書き溜め、外には出さずに努力しようと思っていた。 2年前、ある方の助言がきっかけで公募に応募するようになった。そして2回の受賞歴がある。(と言ってもどちらも下の賞ですが、

「聞こえない」と「見えない」あなたはどちらが大変だと思いますか?

失聴経験 7「差別」聞こえない側からの拒絶と品川手話サークルとの出会い

※当時は団体名を明記しておりましたが、現在は関わらせて頂いておりますので実名を伏せて記述します。 検査期間中にがむしゃらに調べた資料の中に某聴覚障害者団体に関する記述を発見し、検査結果が判明してからすぐにそこに問い合わせをした。聴力が現状維持できるのは後どの位かも分からないし、低下が進行するのであれば一体どれだけの時間が私の中に残されているのか予測がつかない。 私は一刻も早く手話を身につけ現実の受け

当時明記してしまった団体とは今は良好な関係で関わらせて頂いております。

失聴経験 8三年振りの帰省 ①計画

※岩手県大船渡市周辺の方言(ケセン語)を会話に用いております。 聞こえなくなって検査の結果が分かった時、私は実家に電話をかけた。母は電話の声を聞き取れないので父が出ると 「聞ごえなぐなっだっで言っでも電話でぎるべっちゃ。嘘ついでんでねぇが?ほじょうぎ(補聴器)がひづよう(必要)だっで言っで、金目当でじゃねぇべな?」と罵られた。 (私の場合、補聴器をつけて相手にゆっくりと大きい声で話してもらえば大体会

ばあちゃんのことが大好きだからこそ虐待のことは言えませんでした。実は今もやっぱり言えません…

失聴経験 8三年振りの帰省 ②さようなら過去

二度と足を踏み入れるつもりのない場所に私は再び訪れた。 茶の間に母と妹がいて二人とも面食らった顔をしていた。(妹のことはその夜本家に呼んで一緒に夕飯を食べるつもりだった。)私は仕方なく 「ばあちゃんが帰れって言ったから来た。」と口を開いた。母は 「何やっでんだべ。あんだぁ。」と驚いていた。 予定では両親に知られずに東京へ戻るつもりだった。私は仕方なく本当のことを話した。母はその夜は実家に帰って来いと

この日を最期に決して地元には帰らないつもりでした。2011年3月11日に地元が津波の被災地になるまでは。

失聴経験 9分からない真実 ①再検査と医者の見解

手話を勉強して出会った方に「語音明瞭度検査」(※後述)も受けた方が良いと言われ、9月下旬に「東京都心身障害者福祉センター」へ検査に行った。 難聴になってから気がついたことは沢山あるが、その中で切実に感じるのは普通の人と同等に物事ができないのに、法的な障害者ではないゆえに社会的なサポートが何一つ受けられないことだ。 何しろ手話を断られたことが衝撃的で、私はその日複雑な心境でセンターを訪れた。聴覚障害者

「語音明瞭度検査」をご存知でしょうか?知っていて損はしないと思います。ぜひ、クイズにもチャレンジしてみて下さいね。

失聴経験 9分からない真実 ②相談室

聞こえなくなってから検査期間中に色々な物を読み漁った。その中で見つけた1998年の「NHKみんなの手話 上」に「日本の聴覚障害者は35.8万人であるが、アメリカなど福祉先進国の基準25dBを適用すると600万人になる。」と書かれていた。 この数値の違いに愕然とした。どうにかして聴覚障害者基準を見直したいと思った。何の社会保障もされず聞こえない苦しみを自分で抱えている人が600万人もいる社会は変える必

現行の日本の法律では35.8万人の聴覚障害者は福祉先進国の基準では600万人になると推測されております。

失聴経験 10東京都立大塚ろう学校

東京都の公開講座で8月下旬から12月中旬までの計7回、都立大塚ろう学校の手話講習会を受講した。聞こえなくなってからすぐにこう言う現場に飛び込んだことは良かったと思う。大塚ろう学校では手話の実技とろう学校の教育内容や様子について勉強できた。私が難聴なのを配慮してもらい、席は毎回先生の隣に座らせてもらった。 始めの頃はろう学校の子供達の様子をビデオで見るだけで涙が出そうになった。ろう学校の子供たちは聞こ

当時とは大分状況が良い意味で変化しております。

失聴経験 11悲劇 1か月退社と振り出し

接客業を辞めてから約2か月後に私は介護の仕事を見つけた。今までずっと接客業をしてきてが、聞こえなくなったので接客は無理だと思っていた。私は日商簿記2級等の資格を持っていたが何しろ電話対応ができないので事務の仕事は断られてばかりだった。 求人広告を見て面接や履歴書送付のアポイントまで漕ぎ着ける会社は稀で、大抵電話の段階で断られる。働きたい会社に電話をするだけでも緊張するのに出始めから「私は難聴です。」

失聴の原因を虐待の後遺症と書いている理由と何歳から虐待を受けていたのか未だに分からないことを最後の方に書いております。

失聴経験 12デシベルダウン

福祉センターの相談員を通じて「全日本難聴者・中途失聴者団体連合会」青年部長さんとお会いした。現在日本の聴覚障害基準を福祉先進国並みにしようと言う活動を「デシベルダウン」を考えている人が京都にいるらしく、それが上手く機能するば東京でもサポートするらしい。 青年部長さんには沢山のことを教わった。聞こえない世界はとても複雑で色々な考えの人がいるらしい。(つまり健常者の世界と何ら変わりはないと言うことだ。)

原稿の本文は本日で最後です。現在私が思っていることと耳穴補聴器のペイントについても書いています。

おまけ その後の私と当時の原稿のタイトル

長い連載をご覧頂きまして 誠にありがとうございます 2012年6月6日に日本初となる補聴器のファッションショーに出場しました。 きっかけは失聴経験12に書いた補聴器屋さんが私のペイントした補聴器をお店のHPに掲載してくれて、それを主催者側が発見して声をかけてくれました。予定では前年に開催するはずでしたが東日本大震災の影響で延期になり、翌年の開催となりました。 私は地元が津波の被災地だったので、そのこ

最後に当時の原稿のタイトルを暴露しております。

虐待のことを語らずに私の失聴経験は終われない

06年と09年 私と同じ境遇=児童虐待を受けた子供時代を生き延びた子達が自らの命を断ちました。まだ19歳と20歳と言う若さで… 今まで失聴経験を読んで下さった皆様・これからこの文章と出会って下さる皆様へ「私の経験に出会ってくれて誠にありがとうございます。」 連載してきた文章は全編通して重苦しかった為、最後は近年の自分の写真メインにお伝えして軽いテイストで〆ようと思いつつ下書きをしていました。「いつか

同じ境遇を生き延びた後に亡くなってしまった彼女達と、日々目の当たりにする幼いまま失われてしまう全ての命のご冥福をお祈り申し上げます。
そして大人になった今も苦しんでいるあなたへ「慰謝料を請求する権利がある」とご存知でしょうか?

新月から48時間以内の祈り

叶えたい願いは… 世界が平和でありますように あらゆる差と違いを越えて 富・貧困・人種・性別・価値観・思考・宗教・国境 越えられないと言う思いさえも越えて あらゆる批判と差別を越えて 理想論を掲げる無様な自分自身を越えて 願わずにはいられません 願うことしかできないのです 全てに対し手を差し伸べることは不可能だと知っているからこそ 祈り願うしかないのです 理想の上澄みを掬っているのではなく 果てしな

昨日、地元の友達に送った荷物が届きました。自分のできることを自分なりにして行きたいです。

温度差

2016年4月。滞在時間4時間の帰省で感じたことや普段感じる被災地と他の地域の情報格差について 「仕方がない」 そう言ってしまえば何事もそう捕らえられるかも知れない。 被災地と他の地域の温度差 悪気なく「地元はもう何事もなく大丈夫なんでしょ」と言う人と、被災地出身の自分と、被災地で生活する人とのそれぞれの隔たり。 流された駅が未だに無いことを知らずに慌てふためくチケット売り場の人の知識と私の心の温度

これからも自分にできる範囲で地元を含めた被災地への支援を続けて行きたいと考えております。

出来ることを出来る範囲で

「阪神淡路大震災の恩返しをしたい」と東日本大震災の時に地元にボランティアに来て下さった方が沢山いたそうです。昨夜の熊本の大地震に対してできることは、それぞれの立場によって違うのだと思っております。 昨夜の熊本の地震は他人事には全然思えず様々なことを考えました。 千葉でも余震のあった時間にも起きていました。揺れを感じつつ被災地の方々の安全や復興のことを考えたりしていました。 まず自分が無力であることを

自分の出来ることを無理することなくお互いが思いやって助け合える状況が望ましいですね。

映画スポットライト世紀のスクープから考えたこと

私にとって永遠のテーマ 児童虐待をどうすれば無くせるか?(映画のネタバレあります。) そのヒントを得る為に2016年8月23(火)渋谷シネクイントに行って来ました。 簡単に内容を説明すると30年間カトリック教の神父が児童に対し性的虐待を繰り替えしていたことを地元の新聞社が日の目に晒す内容です。 日本とは違う社会背景と宗教観念が元になっていますが、そこから何かしら共通したヒントを得たいと思い観てきまし

「私の人生経験を世の中に活かしたい」と常に思っております。

10年振りの天国からのメッセージ

もし今も生きていれば、今年Mちゃんは29歳・Aちゃんは27歳になります。 2016年6月28日 下弦の月 就寝前にWaning Moonのハーブティーを飲んだ。 一昨日、引き出しを整理した時にパスワードが分からないまま数年放置しているメンバーズカードが出て来た。 頻繁には使用しないのだが、必要な時は困る。 年に1度も使わないこともあるけど。 IDやパスの紛失などの対応が電話連絡しかない。 補聴器をし

私達3人が叶えたい夢はもちろん「この世から児童虐待を無くすこと!!!」

障害を個性と捉えるなら、あなたはその個性を「治しなさい」と本人に言いますか?

まだまだ障害を個性と捉えてもらえる環境ではありませんが、自分なりに感じ考えていることを書いてみようと思います。 私は今年で障害を持って15年目になります。両耳が同じ位聞こえない聴覚障害者です。 聴覚の障害には手術などで治せる障害と治せない障害があり、私は後者で聴力は回復しないと医者に言われています。 障害の受容は早い方でした。聞こえなくなったと同時に検査の結果が確定する前から様々なことを調べて一刻も

ちょっと立ち止まって考えてもらえると、とてもありがたいです。

写真家 長谷川美祈さんの「児童虐待可視化プロジェクト取材・撮影」を受けました

STORYS.JPさんで書いた文章がきっかけとなり、児童虐待可視化プロジェクトのご縁を頂きました。 2016年7月14日(木) 私が書いたSTORYS.JPの文章を読んだ 写真家 長谷川美祈様 から1通のメールが届いた。 児童虐待事件の調査を行い、実際の現場や虐待の当事者(加害者・被害者両者に)を取材し、写真を介して児童虐待の可視化を目的とした活動をされている。 メールの内容から美祈様の真摯さが伝わ

作品が完成するのが、とても楽しみです。

児童虐待のPTSDを克服した経験をあなたに

11月は児童虐待防止月間です。来年2017年の11月にはSTORYS.JPさんからご縁を頂きました写真家長谷川美祈さんの児童虐待可視化プロジェクトの写真展が予定されています。 改めまして記事を書いてみるようにアドバイスして下さった「もんまけんいちろうさん」と、このようなご縁を頂くきっかけを与えて下さったSTORYS.JPさんにお礼申し上げます。 今回は私の児童虐待の「PTSDの克服」についてお伝えし

どなたかのご参考になれば幸いです。

河合隼雄さんが好き過ぎてシンクロしまくったら箱庭体験までしてしまい、自分の○○をガッツリと見せられた話

2016年10月、本屋で見つけた最相葉月さんの「セラピスト」を読んだ。心理学者の「河合隼雄さん」のことが書かれていて、とても懐かしくて嬉かった。 20年程前に学生だった時、河合隼雄さんの本を1冊だけ読んだことがある。不登校の親子のカウンセリング現場でボランティアをしていた頃だった。それ以来の再会はとても感慨深かった。 「セラピスト」を読み終えた後日、偶然入ったカフェの本棚に河合隼雄さんと南伸坊さんの

箱庭体験、とても面白かったです♡

 文部科学省選定ドラマ「愛を乞うひと」を観て感じたこと

児童虐待当事者の一人として感じ考えたこと まず「愛を乞うひと」は作家下田治美さんの小説で1998年に映画化された作品だ。当時は見たいと思わなかったので小説も映画も見ていない。事前に多少ネットで内容をリサーチしたが、今回のテレビドラマしか知らないことをご了承頂きたい。 簡単なあらすじは、幼少期から凄惨な虐待を実の母親から繰り返し受けていた女性が、自分の過去と対峙し過去の自分自身と母親像を受け入れる話だ

児童虐待に関心のない方もぜひドラマをご覧下さい。今現在もこの社会の中で確実に起きている事実です。

南総里見八犬伝から……のヒントを得る

児童虐待は「実は〇〇芸」だった!! ・2016年12/24 相方と勝浦担々麺を食べに行った帰りに何となく「この辺に昔行った記憶のあるお城があったはず。」と思ったらしく、偶然の成り行きで久留里城(雨城)を見に行った。その時に南総里見八犬伝の舞台となったお城だと初めて知った。 ・2017年1/13 普段見ない時間帯にテレビを何となくつけた。薬師丸ひろ子さん主演の里見八犬伝が放送されていた。補聴器をつけて

約30年振りに再会した南総里見八犬伝が私に教えてくれたこととは?

写真家長谷川美祈さんの【Internal Notebook】がドイツのカッセルダミーアワードのショートリストに選考されました

作品は今後Istanbul,Moskcow,Madrid,Dublin,Aarhus,and Lodzなど世界各国で展示されます。 2017年4月18日 今年のカッセルダミーアワードのショートリストの発表がありました。 http://fotobookfestival.org/kassel-dummy-award-2017/ 世界各国からの応募総数約300冊の中から今年は49冊の作品が選出されました。

写真という手段で児童虐待を可視化する取組みは日本で初めてとなります。海外を渡り歩いてきた作品が今年11月に写真展で多くの方の目に触れることを被写体の一人として心から願っております。

2014年9月 帰省 妹の顔が分からない

ナビで探し辿り着いた先には確かに仮設住宅があったが、住民の氏名一覧が掲載されている場所がうち所だけが空欄だった。仮設住宅脇にあった案内所で手紙を見せて確認した。確かにそこに住んでいると言う。 「もう逃げ道は残されていない。」ある作家の作品に書かれていた絞首刑の死への階段を1歩ずつ登るような足取りの重さと息苦しさを感じた。 夫の後を恐る恐る歩こうとすると「自分が先に歩け」と言いながら背中を押された。ま

いるはずがないと思っていた妹が、そこにいました。

2014年9月 帰省 序章

虐待を受けた当事者が過去と向き合い自分自身を許していく過程です。児童虐待に対する理解やどなたかの人生の参考になれば幸いに思います。 2011年の東日本大震災被災地となる以前も時々、東北方面に行くことはあった。学生の時に住んでいた青森県や岩手県内陸部にはよく行っていた。 時々帰りに沿岸を通り遠目に高田松原を眺めては 「いつか高田松原にも行きたい」と思いつつ…それを叶える前に高田松原は津波により美しい景

児童虐待を受けた者の生きづらさを表現していきます。

2014年9月 帰省 ばあちゃんとの再会

妹の病院が終わったらまた会う約束を夫がして、ばあちゃんの家に向かった。玄関から入ったらいいのか縁側から行けばいいのかを迷っていると夫が「こっちから行け。」と縁側を指差した。 ガラス越しにすぐ視界に入ったばあちゃんは、真っ直ぐ立ち上がりこちらに歩いてきた。 そして戸を開けた瞬間に、私はばあちゃんに抱きついて大きな声を上げて泣いていた。 この感情をどんな言葉で表したらいいのだろう?その瞬間は何も考えるこ

ばあちゃんのことを語る上で「もはや言葉なんて必要ないのかも知れない」

2014年9月 帰省 そして対峙すべき者

「病院が終わったら電話する」と夫に言った妹から連絡がこないので、私達は再び仮設住宅に戻った。 玄関の鍵は開いていたが妹の姿はなかった。 「3人でご飯でも食べようって言ったんだけど、もう約束忘れてたりして。」 「それ、あるかも。メールだってしたかと思えばすぐ音信不通になるし。『地元なんか二度と帰らない』って言ってたのに、ここで親と一緒に暮らしてるし。全然予測がつかないもん。」 とりあえず家の中で少し待

この日持ち帰ったアルバムが2016年夏に写真家長谷川美祈さんの取材・撮影を受けた時に役に立ちます。

2014年9月 帰省 果たして許すとは何か?

千葉に戻って来てからもずば抜けて気分が優れるとか、明らかに自分が変容したと感じることはなかった。一部の知人からは「よく頑張ったね」とか「今までとは別人になってるよね」と言われても自分の中では全く腑に落ちていなかった。むしろ過去の記憶を回想しているようだった。そしてこんな中途半端さがとても情けなかった。 「今回、私は何を得たのか?」不完全燃焼感が拭いきれない。 補聴器ファッションショーの時に着たワンピ

うちの母親はベビーシッターをした経験があります。多くの方が信じられないことでしょう。…ちょうど19歳で自ら命を絶ったMちゃんが好きだった彼岸花の美しい時期でした。

2015年12月 ばあちゃんの入院

2015年は10月に帰省した 今回初めてばあちゃんの死のイメージが自分の中に入って来た。 今までは「絶対先に死んで、ばあちゃんのことをじいちゃんと一緒に迎えに来る!」とずっと思っていた。 私が小さい時から狭心症のばあちゃんに 「10年でもの20年でもいいから私の寿命を分けて下さい」とお願いしてきたから大丈夫だと思っていた。 「ばあちゃんとはずっと永遠に一緒にいられる」と思っていたので、初めてイメージ

夢のお告げと体感を信じて帰省した先に待っていた出来事とは?

2016年4月4日 滞在リミット4時間で地元警察のお世話になる

この時の経験のおかげで自分の心の偏りに否が応でも気づかされました。自分自身を見直す大きなきっかけとなりました。そして、この経験のおかげで写真家長谷川美祈さんに出会える人生のチャンスに繋がったと思っております。 2016年4月3日 仙台で用事があり終わった時間からでは地元までの交通手段がないため私はその日は仙台に宿泊した。 2016年4月4日 朝一の長距離バスを利用して地元の盛駅に着いたのはお昼時間近

地元の警察の方には大変ご迷惑をおかけしました。「誠に申し訳ございませんでした。」

「許すこと」についての再考察

その後1年あらゆることから「許すとは何か?」について考察し続けた 地元警察にお世話になった時期を前後して私にとって信じられないような許せないことに遭遇していた。自分の常識や理屈からは理解できないことが起こったが、その対象を非難したりすることでは何の解決にも繋がらないことは実感していた。 心理学に関心のある人にとって当たり前の概念となるが「許せない」ことは、実はその対象となる出来事や人物に対してではな

「亡くなったAちゃんが私に教えてくれたこととは…」児童虐待に興味のある方もない方にも読んで頂ければ、ありがたいです。

「児童虐待」は時代の変遷と共に淘汰される可能性を秘めている

世界保健機関の報告で「全ての大人の〇人に1人は子供の頃、体に虐待を受けた経験を持つこと」を、あなたは知っていましたか? 2017年2月1日 友達と東日本橋にある「わなびばKICHEN333」でランチをした時、くじ引きで当選した景品が可愛いお手玉だった。それを見た瞬間に「ばあちゃんにプレゼントしたい!」と思った。 2017年 春 「ばあちゃんに会いたい!」 仮にドラえもんの「どこでもドア」でばあちゃん

2017年6月現在の結論です。ぜひ最後までお読みください。

写真家長谷川美祈さんの【Internal Notebook】がイタリアのダミーブックコンペで特別賞を受賞しました

11月に東京で開催いたします児童虐待可視化プロジェクト写真展は来月か再来月には詳細をご案内できますので、ぜひ期待してお待ちください。 2017年8月1日  写真家長谷川美祈さんより連絡を受けました。 美祈さんがフェイスブックに書かれた文章内容のコピーと転載・写真の転載許可を得ておりますのでここにシェアさせてください。 ※以下、長谷川美祈さんの文章です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

もんまけんいちろうさん、STORYS.JPさん、本当にありがとうございます!

お世話になっている方に〇〇と言われたことに対する考察。やっぱり私の考えが辿り着く先には〇〇に対する〇〇がある

宗教観念のない私が繰り広げる独断と偏見の世界 先月下旬のことだった。いつもお世話になっている大好きな方から心の内を打ち明けられた。 尊敬する方 「まるでゴルゴタの丘に向かうイエス・キリストみたい。早くあなたから重い十字架や楔を外してあげたい。」 自分 「ゴルゴタの丘?イエス・キリスト?…って神様だよね?…神様みたい?…私が???」 イエス・キリストについて無知過ぎてどう受け止めて良いのか分からなかっ

〇〇が多過ぎますが、最後までお付き合いください

読んでよかったストーリー

小川 詩織
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お世話になっている方に〇〇と言われたことに対する考察。やっぱり私の考えが辿り着く先には〇〇に対する〇〇がある

宗教観念のない私が繰り広げる独断と偏見の世界 先月下旬のことだった。いつもお世話になっている大好きな方から心の内を打ち明けられた。 尊敬する方 「まるでゴルゴタの丘に向かうイエス・キリストみたい。早くあなたから重い十字架や楔を外してあげたい。」 自分 「ゴルゴタの丘?イエス・キリスト?…って神様だよね?…神様みたい?…私が???」 イエス・キリストについて無知過ぎてどう受け止めて良いのか分からなかっ
清瀬 史
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世界を変えるということは

(2年ほど前に書き途中だったストーリーがあったので、最後まで書いて投稿してみたいと思う) 世界を変えたい 大学生のわたしの頭には、四六時中その言葉があった。 ハミガキする時、キャンパスを歩く時、食堂にいる時、いつも頭の片隅にその気持ちがあった。面倒くさいほどの意識高い系だった。 「おれは世界を変えたい!」暇さえあればfacebookに投稿していた。自己満足な話をたれ流し、気を利かせた人たちにイイネを
小川 詩織
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写真家長谷川美祈さんの【Internal Notebook】がイタリアのダミーブックコンペで特別賞を受賞しました

11月に東京で開催いたします児童虐待可視化プロジェクト写真展は来月か再来月には詳細をご案内できますので、ぜひ期待してお待ちください。 2017年8月1日  写真家長谷川美祈さんより連絡を受けました。 美祈さんがフェイスブックに書かれた文章内容のコピーと転載・写真の転載許可を得ておりますのでここにシェアさせてください。 ※以下、長谷川美祈さんの文章です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
小川 詩織
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「児童虐待」は時代の変遷と共に淘汰される可能性を秘めている

世界保健機関の報告で「全ての大人の〇人に1人は子供の頃、体に虐待を受けた経験を持つこと」を、あなたは知っていましたか? 2017年2月1日 友達と東日本橋にある「わなびばKICHEN333」でランチをした時、くじ引きで当選した景品が可愛いお手玉だった。それを見た瞬間に「ばあちゃんにプレゼントしたい!」と思った。 2017年 春 「ばあちゃんに会いたい!」 仮にドラえもんの「どこでもドア」でばあちゃん
小川 詩織
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「許すこと」についての再考察

その後1年あらゆることから「許すとは何か?」について考察し続けた 地元警察にお世話になった時期を前後して私にとって信じられないような許せないことに遭遇していた。自分の常識や理屈からは理解できないことが起こったが、その対象を非難したりすることでは何の解決にも繋がらないことは実感していた。 心理学に関心のある人にとって当たり前の概念となるが「許せない」ことは、実はその対象となる出来事や人物に対してではな
小川 詩織
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2016年4月4日 滞在リミット4時間で地元警察のお世話になる

この時の経験のおかげで自分の心の偏りに否が応でも気づかされました。自分自身を見直す大きなきっかけとなりました。そして、この経験のおかげで写真家長谷川美祈さんに出会える人生のチャンスに繋がったと思っております。 2016年4月3日 仙台で用事があり終わった時間からでは地元までの交通手段がないため私はその日は仙台に宿泊した。 2016年4月4日 朝一の長距離バスを利用して地元の盛駅に着いたのはお昼時間近
小川 詩織
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2015年12月 ばあちゃんの入院

2015年は10月に帰省した 今回初めてばあちゃんの死のイメージが自分の中に入って来た。 今までは「絶対先に死んで、ばあちゃんのことをじいちゃんと一緒に迎えに来る!」とずっと思っていた。 私が小さい時から狭心症のばあちゃんに 「10年でもの20年でもいいから私の寿命を分けて下さい」とお願いしてきたから大丈夫だと思っていた。 「ばあちゃんとはずっと永遠に一緒にいられる」と思っていたので、初めてイメージ
小川 詩織
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2014年9月 帰省 果たして許すとは何か?

千葉に戻って来てからもずば抜けて気分が優れるとか、明らかに自分が変容したと感じることはなかった。一部の知人からは「よく頑張ったね」とか「今までとは別人になってるよね」と言われても自分の中では全く腑に落ちていなかった。むしろ過去の記憶を回想しているようだった。そしてこんな中途半端さがとても情けなかった。 「今回、私は何を得たのか?」不完全燃焼感が拭いきれない。 補聴器ファッションショーの時に着たワンピ
小川 詩織
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2014年9月 帰省 そして対峙すべき者

「病院が終わったら電話する」と夫に言った妹から連絡がこないので、私達は再び仮設住宅に戻った。 玄関の鍵は開いていたが妹の姿はなかった。 「3人でご飯でも食べようって言ったんだけど、もう約束忘れてたりして。」 「それ、あるかも。メールだってしたかと思えばすぐ音信不通になるし。『地元なんか二度と帰らない』って言ってたのに、ここで親と一緒に暮らしてるし。全然予測がつかないもん。」 とりあえず家の中で少し待
小川 詩織
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2014年9月 帰省 ばあちゃんとの再会

妹の病院が終わったらまた会う約束を夫がして、ばあちゃんの家に向かった。玄関から入ったらいいのか縁側から行けばいいのかを迷っていると夫が「こっちから行け。」と縁側を指差した。 ガラス越しにすぐ視界に入ったばあちゃんは、真っ直ぐ立ち上がりこちらに歩いてきた。 そして戸を開けた瞬間に、私はばあちゃんに抱きついて大きな声を上げて泣いていた。 この感情をどんな言葉で表したらいいのだろう?その瞬間は何も考えるこ

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