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鈴木 賀葉(かよ)

鈴木 賀葉の人生のストーリー

1972年4月13日生まれ名古屋出身
20歳で人生の転機となるエステティシャンという職業に就く。エステサロン勤務やエステスクール勤務を経て38歳で独立開業。
リフトアップエステサロン、エステスクールを事業とする株式会社ここそらの代表。

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鈴木 賀葉(かよ)の人生のストーリー

エステティシャンになったら同級生から「エステティシャンって誰でもなれるだ!」と言われた私が同じ友人に尊敬された話

友人の法子は私に会うなり言いました。 法子 「佐藤君がさー、賀葉(かよ)がエステティシャンになった、って聞いて『エステティシャンって誰でもなれるんだな』って言ってたよ、アハハハハ」 私はこの言葉を聞いて毎晩悔しくて眠れませんでした。 私 「絶対この仕事で見返してやる!」 そう決意したのを覚えています。 しかし、こう言われても仕方ない理由が私にはありました。 高校の時、毎日寝坊で遅刻し成績はいつも最悪

「楽しくない」なんて簡単に言わないで。楽しくなるまで続けると何かが見える・・そんな話

顧客ゼロから予約待ちのお店になった話

お客さまA 「いつも予約がいっぱいですごいですね!」 お客さまB 「賀葉さんのお店は予約出来ないから押さえておいた方がいいよ!」 そんな風に最近は言われるようになりました。 しかし、はじめはお客様ゼロ。 開店して2か月後(2011.3)に関東大震災。 東京が地元でもない私に人脈は無し。 私が【予約待ちのお店】が作れた経緯を今日はお話しします。 。:*:★。:*:★━━━━━━━━━━━━━━━━━━

経営する上でも最も大切な事に気付いた時に「予約待ち」になっていた話

転職ばかりで働く事が嫌いでサボる事ばかり考えていた私が仕事が楽しくて仕方なくなった話①

私 「仕事なんて面倒くせーなー」 私 ずっと学生がいいなー 私 アルバイトが楽しいからこのままがいいなー なぜアルバイトが楽しかったか、というと それは、 さぼれたから。 18歳の時、チェーン店の居酒屋のアルバイトをはじめました。 タイムカードを打ってから、裏口のスタッフルームで小一時間はしゃべり 遊びすぎの寝不足で’立ったまた寝て’接客してました。(ほんとうにすいませんでした!) 賄い(ご飯)は食

何をやっても上手くいかなかったのに、何もかもが上手くいくようになった話

遅刻や約束を破ってばかりで人から信頼されていなかった私が、信頼される様になった話

24歳の時、私はとあるエステティックサロンの店長だった。 成績はいつもトップ。 【売上さえあげればいいんでしょ】 そんな気持ちで 毎日遅刻 し、重役出勤。 ある日スタッフと喧嘩になりました。 スタッフの顔には【あんたの言うことなんか聞きたくない!】 そんな風に書いてありました。 私 「私の言う事が聞けないならやめてもらってもいいよ。」 当時トップで天狗だった私はこんな嫌な事を口走る女でした。 お察し

自分の時間と相手の時間を大切にするとものすごく世界が変わる話

満員電車で女子高生に怒鳴っていた私が誰にも怒らなくなった話

私 「ちょっと!背中のカバン下ろしなさいよ!」 女子高生 「・・・・(チッうるせーな)」 私 「満員電車で背中にかけられると迷惑なのよ!!!!(激怒・大声)」 女子高生 「・・・・・・」 ”何が正しいか正しくないか、という事が大切だ” と勘違いしていたあの頃。 私は毎朝イライラして電車に乗っていました。 今回のSTORYは、 人間関係が上手くいかず、毎日イライラしていた私が、 捉え方を変えたら人生が

捉え方一つで幸せになれる話

転職ばかりで働く事が嫌いでサボる事ばかり考えていた私が仕事が楽しくて仕方なくなった話②

学生の時に働いたアルバイトでは遊びの延長でした。 19歳で何となくOLになり、嫌になっては辞め、転職してまた3か月で転職。 とにかく何しても続かない 当時の私のイメージは自分でもそう感じていました。 続かない原因は「目先の結果を求めていること」 当時の私は気づいていませんでした。 このストーリーの前篇①はこちら 転職を繰り返し、エステティックサロンに就職した私は、 初めて入ったフェイシャルのお客さま

何をやっても上手くいかなかったのに、何もかもが上手くいくようになった話②

売上どん底になりお店を閉める覚悟をした私が繁盛店に盛り返した話~前編~

東京の片隅にある下町北千住。 マンションの一室を借りてエステサロンをはじめ早5年。 現在は数ヶ月先まで予約待ちで《予約のとれない人気サロン》とまで言われるようになりました。 しかし、私にも《どん底》という経営状態の時代がありました。 せっかく起こした株式会社を倒産させる覚悟を決め、一人で泣きました。 抱えた借金。沢山の怖い想像をしながら…。 今回のストーリーは、 ”そんなどん底時代”から這い上がり、

転職ばかりで働く事が嫌いでサボる事ばかり考えていた私が、仕事が楽しくて仕方なくなった話③最終話

私 東京だ・・・!! 新幹線が東京駅にさしかかった有楽町のあたりで私はビルを見上げました。 私 ここで私の実力を試すんだ!!! 親にも相談せず勝手に東京行きを決意し名古屋を飛びだしてきました。 ワクワクする気持ちを裏腹に、初めて地元を離れるドキドキ感。 そんな気持ちを今も思い出します。 この頃私は26歳になっていました。 このストーリーは3部作の最終話③です 転職ばかりで働く事が嫌いでサボる事ばかり

何をやっても上手くいかなかったのに、何もかもが上手くいくようになった話③

タクシー運転手に怒鳴っていた私がいつも穏やかで笑顔でいられるようになった話

私、鈴木賀葉(かよ)は[株式会社ここそら]で3つの事業をおこなっております ■エステティックサロン事業 coco/sora ■サロンオーナー向け事業 ココソラ ■飲食事業(準備中) 全ての事業において ”続いていく笑顔をつくる” という理念のもとに全スタッフが志事(仕事)をしていきます この理念にたどり着いたいきさつに、ひどい過去があるので^^; 今日はそれについてお話します. 代表である私、鈴木

テスト

私の会社 「株式会社ここそら」はエステサロンとスクールを運営している小さな会社です。 出だし好調だったお店も、 3年超えると雲行きが怪しくなりました。 毎月の支払いが約100万円。 最低限キャッシュが必要な額でした。 金融機関からの融資は500万円 その他、機器などの初期投資など合わせても1000万円以上の借金がありました。 融資してもらったお金がどんどん減り 銀行口座の残高が8万円になった事があり

読んでよかったストーリー

Kyoko Tsuruda
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第9話:インドへの旅立ち

人生の方向修正 大学院生の時に始めたヨガの奥深さに、私はのめり込んでいた。 同時に、コーチングの世界で、ビジネスの世界に進んでいた私は、少しずつ、自分の中に違和感を覚え始めていた。 世界を放浪していた時に感じていた、将来も、こんな風に自由に世界を飛び回ることや、自然の中で暮らしたいという思いが、いつの間にか段々忘れられていたことに、気がついた。 元々、自分が将来何をしたいのかを探しに行って、見つけた
Kyoko Tsuruda
38
2

第10話:インドで知ったヨガの本当の意味

インドに来て、ヨガというのは、もっともっと、自分が想像してより遥かに広大なものであるということを、初めて知った。 タミルナドゥや、ムンバイの哲学コース以外でも、他にたくさんのアシュラムのヨガコースや、ヨガ専門の大学でヨガインストラクターコースで学んでみた。 日本で一般に知られているヨガというのは、「アーサナ」と言われる、体操の部分だろう。 「ヨガを教えている」といえば必ず聞かれるのが 「痩せるヨガを
Kyoko Tsuruda
118

世界放浪、ヨガスタジオ経営後、インドで5年学んだことを教えたらチャリティーしながら世界で自由に遊ぶ、愛と楽しさいっぱいの幸せな生活を手に入れた夫婦の話

第1話:オーストラリアからの出発 「おまえ、これだけは他の人より知ってるとか、得意なこととか、大好きなことととか、何にもないの?」 バイト先のお兄さんが、夜空に浮かぶ星について、しばらくウンチクを語った後、そう言った。 「ほんとに、何にもないんだよな〜、私。得意なことも、好きなことも。将来何をしたいのかも」 1996年。大学2年生の時、私は、世界放浪の旅に出た。 海外をいろいろ見て回れば、自分のやり
村上 クミ
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14話 2人の子供は障がい。6年間不妊治療をしてやっと授かりましたが個性的な子供たち。さらに私の夫は…。私はエステティシャンの夢。波乱万丈な私の人生!「発達障がいのムスコが受験で学んだこと」

私のムスコ。 ムスコは、小6  広汎性発達障がい、支援学級に通っています。 主人と私、ムスコと話し合い、中学は私立を受験しようと決めました。 ムスコと同じような子供達が通う学校です。 結果は、残念ながら叶うことはできませんでした。 その事を、ムスコにどう伝えたら良いのか主人と話し合いました。 傷つかない様に、ごまかして言うのか。 それとも、ストレートに話すのか…。 すごく悩みました。 私はムスコがこ
村上 クミ
1608

1話 2人の子供は障がい。6年間不妊治療をしてやっと授かりましたが個性的な子供たち。さらに私の夫は…。私はエステティシャンの夢。波乱万丈な私の人生!<結婚してから不妊治療>

私は結婚をすると、めでたいことに子供ができると思っていました。 月日がたっても、うんともすんとも言わず・・。 なかなかできないので、病院に行きました。 先生が「不妊治療をはじめますか?」と。 そこで、初めて不妊という言葉を知ったのです。 かなりショックでした。 でも楽観的な私は、不妊治療をすればすぐにできると思ったのです。 まずは、タイミング治療から。 できない・・。 その後、検査。 結果、私は排卵
村上 クミ
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2話 2人の子供は障がい。6年間不妊治療をしてやっと授かりましたが個性的な子供たち。さらに私の夫は…。私はエステティシャンの夢。波乱万丈な私の人生!<不妊治療~妊娠!>

<その1>つづき 主人の転勤を機に体外受精の治療をしようと思った矢先…。 * 私には、2つ上の姉がいます。 (姉は、私が結婚してから3年後に結婚をしました。) ちょうど、体外受精をするにあたり検査をしている時に、 母から電話が「お姉ちゃんに、子供ができたみたい」と。 それを聞いた私は、心から祝福できませんでした。 なんでお姉ちゃんは結婚をしてすぐに子供がてきるのだろう… なんで私は、こんなに頑張って
村上 クミ
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3話 2人の子供は障がい。6年間不妊治療をしてやっと授かりましたが個性的な子供たち。さらに私の夫は…。私はエステティシャンの夢。波乱万丈な私の人生!<妊娠~出産>

<その2>つづき 実家の近くに引越しをしました。 妊婦生活の中は順調で、ありがたいことにつわりはありませんでした。 そして… 予定日を一週間がすぎても、陣痛は来ませんでした。 先生が「そろそろお薬で陣痛をこさせましょう」という事で、お薬を飲みました。 その夜に陣痛らしきものが… すぐに主人とタクシーで病院へ。 陣痛がはじまってから、13時間後にムスコが誕生しました。 健康で元気な男の子。 でも…他の
村上 クミ
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4話 2人の子供は障がい。6年間不妊治療をしてやっと授かりましたが個性的な子供たち。さらに私の夫は…。私はエステティシャンの夢。波乱万丈な私の人生!<ムスコ誕生~1歳半!>

ムスコは健康でしたが… よく泣いていました。 10ヶ月になった時、産科で同じ病室だったママと会った事があり、ムスコはずっと泣いてました。 主人の父、母が遊びに来てくれても泣く。 外でも、急に泣く。 大変でした。 そして言葉が遅く2歳過ぎまで、でていませんでした。 なので、伝えたくても伝わらないという事なのか、泣いてばかりでした。 2度ほど、知らないおじさんやおばさんに、 うるさいと怒られた事がありま
村上 クミ
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5話 2人の子供は障がい。6年間不妊治療をしてやっと授かりましたが個性的な子供たち。さらに私の夫は…。私はエステティシャンの夢。波乱万丈な私の人生!<2回目の不妊治療~ムスメ誕生>

手のかかるムスコが落ち着いてきたので、2人目を考え不妊治療をしようと病院に行きました。 やはり排卵をしていないため、排卵誘発剤の投与とタイミング治療の始まり。 長期戦を覚悟をしていましたが、すぐに妊娠しました! 驚きとすごく嬉しかったです。 ありがたいことに、妊娠中はつわりもなく快適でした。 ムスコも、元気で成長しています。 平和な日々。 予定日に近づくにつれ、毎週病院に行きました。 すると、子宮が
村上 クミ
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6話 2人の子供は障がい。6年間不妊治療をしてやっと授かりましたが個性的な子供たち。さらに私の夫は…。私はエステティシャンの夢。波乱万丈な私の人生!<ムスメ誕生後~母のガン発覚>

ムスメが4ヶ月くらいになった時に、私の母が…。 私は、母が大好きでした。 優しい母。 なんでも話せる母。 お茶目な母。 子供たちが大きくなったら、母といろんな所に遊びに行きたいと思っていました。 それが… 市の健診の結果で、肺に影があると。 すぐに、病院に行きました。 ステージ4の肺がん。 手術もできないらしい。 このままだと3ヶ月もたないと言われました。 毎年、市の健診を受けていたのに。 この時、

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