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石郷 碧

石郷 碧の人生のストーリー

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石郷 碧の人生のストーリー

息子が20万人に一人と言われる難病と闘った話。たった9か月間の3人家族だった。

あの時の私は幼すぎてすべて甘かった。息子にこんな思いをさせずに済んだかもしれない。 私が妊娠したのは22歳の時。 妊娠した時はどうしようと悩んだけど、相手も喜んでくれたし、親も喜んでくれた。 でも、そのとき親が改まった表情で「話がある」と言われた。 その話とは兄と甥っ子のこと。 兄は2歳になったとき亡くなった。姉の子どもの甥っ子も1歳過ぎて2歳手前で亡くなった。 そのとき、「もしかしたら病気が遺伝し

気にしすぎる性格のせいで過呼吸になり、人混みが怖くなった私がいくつかのことを意識的にやっていたことで楽観的な性格になれた話。

私の家族は色々あった。 普通に生活していたら全く経験しなくて良いことばかりのことを小学生の時から経験してた。 そのおかげか、思春期に楽しかった思い出はすべてそれらの出来事で塗りつぶされ、楽しいことなんてひとつもなかった。 今でも思い出すのは辛かったことばっか。 小学生のころ。あることがきっかけで、気にしすぎる性格の私はますます周りの目を、相手の目の奥に感じる何かを察し、行動するを覚えるようになった。

あの日々で息子が教えてくれたこと

私には今二人の娘がいる。 でも、私には娘達の上にもう1人息子がいた。 息子は生まれて遺伝性の難病、メンケス病による合併症で9ヶ月手前で突然亡くなった。 その時はわからなかったたくさんのこと。息子はあの時私にたくさんの事を残していってくれた。それを書こうと思う。 息子を妊娠して出産前に臍帯血検査をした。 (へその緒から胎児の血液を取りメンケスの保因者かの検査) 案の定保因者。それからの出産までの道のり

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