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樋口 あかり

洋画の吹き替えを中心に活動しているフリーランス声優・樋口あかりです。
①公式ホームページ→http://akarihiguchi.com/
②樋口あかりが提供する声優志望者のためのマンツーマンレッスン「テクニカルボイス・ラボ」→http://ash-voicelabo.com/

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樋口 あかりの人生のストーリー

コミュニケーション下手な私が演劇部を立ち上げるまで・1

私は、中学・高校時代と、2回に渡り演劇部を立ち上げた。 高校卒業後は有志で劇団を作り、自主公演を2回ほどやった。 今思えば、昔の私の辞書には「コミュニケーション」という文字がなかった。 にも関わらず、こんなことが実現できたのは何故なのか。 自分で振り返りながら、その理由を探ってみようと思う。 なーんてどこぞのドキュメンタリー番組のような冒頭w 幼少期の私は泣いてばかりいる子だったと、 母は今でもよく

初めて通った声優養成所/老舗のスパルタ教育・その1(全5回)

私が声優になる為に上京してきたのは、今から約15年前。 数ある養成所の中から自分が選んだのは、 知る人ぞ知る、「鉄腕アトム」のお茶の水博士の声をアテていた声優・勝田久(かつたひさし)氏が経営する養成所・「勝田声優学院」だった。 私がここを選んだ理由は、基礎からしっかりみっちり教えてもらえること、そして、実際に現場に出て活躍している役者が多数輩出されているという、確かな実績があったからだ。 実際ここの

初めて通った声優養成所/老舗のスパルタ教育・その2(全5回)

勝田声優学院は、1年目/基礎科・2年目/研究科というふうに分かれている。 基礎科の授業は勝田学院長が担当するのだが、 その補佐のような形で、元卒業生の若い先生(男性)が、 授業の一部を受け持っていた。 こ の 先 生 が 。 と に か く 厳 し か っ た 。 当時まだ30代前半くらいの若い先生だったのだが、 生徒に対して容赦がなく、本気でぶつかってくるのである。 ダメな者には面と向かって「ダメ

コミュニケーション下手な私が演劇部を立ち上げるまで・2

「 ど う せ 無 理 」 幼い頃からこの思考が ずーーーーっと頭の中を占拠していた。 しかし、それに反発しようとする自分も出てくるようになった。 「 い や 、私 は で き る 」 このふたつ(2人)がいつもせめぎ合い、私の脳内はいつも賑やかだった。 それとは逆に、人間関係の方は寂れていった。 そして小学校5年生になった私は、 いつしかいじめられるようになっていた。 (原因ははっきりとは分からな

初めて通った声優養成所/老舗のスパルタ教育・その3(全5回)

もちろん、勝田学院長も厳しかった。 生徒のほとんどは、大学生やフリーター、社会人になりたての20代前半の若者ばかりだったのだが(中には高校生もいた)、そんな中に一人か二人くらい、社会人経験を十分に積んだ、20代後半のサラリーマンなんかもいた。 そのサラリーマンは、夢を捨てきれず一念発起。 時間と金を作って仕事の合間を縫い、この学院に飛び込んできたのだが、お世辞にも芸が達者とは言えなかった。 滑舌の酷

初めて通った声優養成所/老舗のスパルタ教育・その4(全5回)

学院に入って初めての夏休みが終わり、 クラスの人数は入学当初の3分の2に減っていた。 授業が厳しいという理由もさることながら、 やはりしばらく間が空いてしまうと、 ついなまけ癖が出てしまい、毎日やっていた滑舌も、 バイトや勉強が忙しいという理由から徐々にサボり始め、 やがて学院に行くこと自体が嫌になるのである。 もちろん、中には本当にプライベートが忙しくなってしまい(例えば親が病気になってしまった等

初めて通った声優養成所/老舗のスパルタ教育(最終回)

勝田声優学院では、いわゆる「アテレコ」の実習というものはほとんどない。 声優とはいっても「声の俳優」である。 だから、まずは芝居ができないことにはどうにもならない。 ということから、授業のほとんどは身体を使った舞台芝居の勉強に当てられる。 この点でも脱落者が出る。 養成所に入れば、マイク前で声優の気分が味わえると期待してやってきた生徒たちだ。 「自分は声優になりたいのであって、舞台役者になりたいわけ

2度目に通った声優養成所/新世界編(第1回)

前回からだいぶ間が空いてしまいましたm(_ _)m さて、お待ちかねの新世界編です。 何故「新世界」と銘打ったかというと。 最初に通った声優養成所「勝田声優学院」とは、ほぼ真逆の教育方針だったなぁと思ったからです。 勝田声優学院の次に私が選んだのは、 「俳協ボイスアクターズスタジオ」でした。 サザエさんのフネさんの声を担当している「麻生美代子」さんや、 銀河鉄道999の「メーテル」を担当した「池田昌

2度目に通った声優養成所/新世界編(第2回)

俳協ボイスアクターズスタジオ(第21期)の入所試験。 私の記憶では、軽い自己紹介(1分間ほど)と、 渡された紙1枚(原稿?)を読んだように思います。 紙に書かれていたのは、セリフだったかナレーションだったか... 記憶が非常に曖昧なのですが、10〜15人ずつくらいをひとまとめにして、 端から順に一人づつ、事務的に番が回っていったように思います。 (なにせ10年ほど前の話なものでご容赦を/笑) ↑もし

2度目に通った声優養成所/新世界編(第3回)

なにやら新機能がたくさん追加されていますね(驚) 色々ありすぎて上手く使いこなせそうもないので、 とりあえず今までどおり、 文章のみでやっていこうかとおもいマウス...(´・ω・`)ショボーン さて!お待たせいたしました。 俳協ボイス・アクターズスタジオに入学してから半年後の査定までの間、 ひたすら「ごんぎつね」の朗読に明け暮れていた私たち。 他のクラスとの差をひしひしと感じながらも、 やれるだけ

2度目に通った声優養成所/新世界編(第4回)

またまた間が空いてしまいましたスミマセ...!(´Д⊂ヽ とりあえずここまでの流れは、 1:俳協ボイスアクターズスタジオの入学試験を受けて合格 2:約半年間の授業を経て、次の半年間の授業を受けるための切符を手に入れるべく、査定その①を受けて合格 でしたね。 さて、いよいよ査定その②です。 この査定②は、アクターズスタジオ内ではなく、俳協の事務所で行われました。 そう、声優・俳優・マネージャーさん達が

初めて通った声優養成所<外伝> 15年振りに学院長と再会したお話

2度目に通った声優養成所/新世界編(第6回)を待ってくださっている方々には申し訳ないのですが、記憶が薄れないうちに、先にこちらを書いてしまおうと思います。 長いです。 お暇な時に読んでくださいネ。 それは昨年の9月 キッカケは、意外にもさらりとやってきました。 今、同じ現場で吹き替えの仕事をしている同業の友達がいるんですが、 その友達が実は勝田出身(私よりも先輩)でして。 で、ある日突然、 友達 「

2度目に通った声優養成所/新世界編(第5回)

あまりにも記憶が曖昧なので。 つい先日、例の生き残り「N君」に会ってきました(笑) 当時の記憶を一緒に掘り返してもらうためです。 (N君とは今でも交流があり、たまーに飲んでいます) N君は昔とちっとも変わらず、 「鉄砲玉」って言葉が服着て歩いているようなヤツでした(笑) でもね、気持ちは熱いし、非常に素直な野郎なのです。 敵を作りやすいタイプではあるけれど、 一度信頼した相手にはとことん尽くす忠犬タ

2度目に通った声優養成所/新世界編(第6回)

ナレーションと朗読 大変長らくお待たせ致しました。 続きです。 俳協ボイスアクターズ、後半戦の授業内容は、 主にナレーション・朗読・アテレコ実習の三本柱といった感じでした。 時には、自己紹介や他己紹介、コミュニケーションゲームなども含まれたりしていました。 面白かったのは、自分の書いた作文を他人が読む、という授業でした。 作文の内容(課題)については敢えて伏せますが、 自分が書いたものを、他人がどの

2度目に通った声優養成所/新世界編(最終話:前編)「 そして現場へ . . . 」

またまた長らくお待たせいたしました。 ついに最終話(前編)です。 ごめんなさい、ちょっと長いかな?と思ったので、 前後編に分けました。 後編は間を空けずにすぐアップしますので、ご安心を( ´∀`) ボイスアクターズスタジオに入所してから早一年。 ついに最終審査の日がやってきました。 この審査の結果で全てが決まる! 私のこれまでの人生の全ては、 この日の為にあったといっても過言ではありません。 あ、ち

2度目に通った声優養成所/新世界編(最終話:後編)「そして現場へ. . .」

<知らない番号の正体> お待たせしました。 最終話の後編、ラストです。 最終審査の結果がいつまでたっても郵送されて来ず、 もうすっかり落ちたものと思い込んでどんよりしていた私のところに、 突然かかってきた知らない番号からの電話。 コール音が鳴り続ける中、しばらくその番号を凝視していましたが、 相手が誰(何)なのか一向に思い当たらない。 何かの勧誘か? それとも借金の取り立て?いや借金はしてないよ。

読んでよかったストーリー

村上 奈美
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母親の事が嫌いだったけれど、自分が親になって知ったたくさんのことと、これから親になるあなたへ

「絶対あんな親になんかなるもんか」 10代の時、毎日泣きながら部屋でそう思っていた。絶対に、お母さんみたいな親にはならないって。 認めて欲しかった。頑張ってるねって、偉いねって言って欲しかった。 それだけでよかった お母さんと、3歳の私 厳しい母親だった。親戚や近所の人たちは皆そう言う。私は一人っ子で、生まれてすぐの事故もあってか母は懸命に私を育ててくれた。 食べ物は制限され、時間は決められ、容赦な
香取 正博
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中卒・元自営業が6000人規模の上場企業で働いてみて思ったこと~顔のない上司~

憧れのビジネスパーソン 私は中学生の頃、 サラリーマン なんかぜってーなりたくねぇとなぜかすでに決心していた。 七三分けでスーツを着て満員電車に揺られながら、毎日同じことの繰り返しをするのが嫌だったという単純なイメージでそう決めていた。 しかし6年ほど自営業として働いているうちに、 いつの日かスーツを着た大企業のビジネスパーソンに憧れるようになった。 髪型もスッキリさせ、細身のスーツをビシッときめ、
高畑 哲平
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中央線車中での見知らぬ老人とのひととき

幼い頃から、祖父母に育てられたと言っても過言ではないほど、おじいちゃんおばあちゃん子だった。 その影響なのか、電車のなかで頻繁にご老人に声をかけられる。道に迷った外国人は絶対に話しかけてこないし、困っている若者も誰も声をかけてこない。にも関わらず、何故か年配者には人気があるらしい。 今日も中央線のなかで隣に座った82歳のご老人に話しかけられ、中野あたりから四ッ谷までの道のりを共に過ごした。 3月10
えぬ さん
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世間知らずな僕が、ヒッピーに情景を抱いて海外で暮らす内に、冷却され、日本に帰るまでの話。

世間知らずで打たれ弱い僕が、ヒッピーに情景を抱いて海外で260日を過ごす内に、冷却され、日本に帰るまでの話です。閉塞感を感じて勢いよく日本を飛び出してみたけれど、どこに行っても息苦しさは解消されない。探し続けても、底無しの自由なんてものはない。代わりに発見したのは、自分を大きく見せようとする虚栄心へのシラケと、安定を求める揺るぎようの無い人間の自分でした。 一、 田舎の小学校からそのまま地元の公立中
Fujii Momoko
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性別聞かれて困ることがありますか?

男性か女性か、それが問題。 肉体については半陰陽者などの一部の例外を除くと、男性(♂)と女性(♀)に二分されるんでしょう。となるとわたしは遺伝子学的には♂です。だけど、心の問題となるとそんな簡単な話ではないのです。役所の提出物だったりアンケートだったりさまざまな場面で性別の記入を求められる場面はすごく多いのですが、その時にすごく戸惑ってしまうのです。 ♂のような♀のような・・・。自分の中ではよくわか
阿部 真人
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ハローワークへ行ったら掲載求人の半分以上がブラックだった!

これほどまで多い労基法違反企業、ハローワークの方で取り締まれないのか?! 2015年4月ハローワークへ行った。3月まで働いた仕事が雇止め食らったからだ。 久々のハローワークである。あのリーマンショックの頃は壊滅的に仕事がなかった。あれから6年経過した。ブラック企業の浄化も始まり、違法労働企業の取締が進んだ。さぞ少しは良くなったことだろう。 ちなみに私は人事畑の専門だ。求人票を見れば合法か、違法かすぐ
H Satomi
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長い線路の終点で

アウシュビッツ(オシフィエンチム)訪問記 *日記など全く書かない私がよほどインパクトがあったのか当時のパソコンにメモしていたものをほぼそのまま転載します。(訂正・加筆あり) *当時の私はスペインに留学中の為、英語とスペイン語が話せます。 *文章中に出てくる会話文は英語でメモしていた文章を意訳した者です。読み辛いかもしれません。 *以上の事を理解していただける方はどうぞ 2011年5月27日 晴天 ワ
Izumi Unimam
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JSスクールカーストの実情とは?

我が家の次女ちゃっかりはJSガールである。友達は多いほうだし皆と仲良くやっているようなので、まぁ快適なJSライフを送っているようだ。 そんなちゃっかりの周りにかなりヘビーなスクールカーストのようなものがずっしりと根付いているらしいことを私は知らなかった。 先日の授業参観日のとき、わりと親しいお母さんが近づいてきて言ったのだ。 『ねぇ、ちゃっかりちゃんから何か聞いてない?』 『え?いや、特に何も聞いて
Ken Zhao
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日本語が通じないド田舎で生まれた猿が、気がついたら東京でニートになっていた話 最後

2012年7月。 上海浦東空港の到着ゲートを括ると、笑顔でこちらに手を降る父と母の姿がいた。 二年前。もうおさらばだと思いながら、逃げるようにして出た日本に戻り、僕はサラリーマンをしていた。 今回は有給休暇をとって両親が住む上海に会いにきた。 両親と一緒に車に乗り、家とは少し違う方向に向かって走った。 父が運転し、僕が助手席に座る。母は後ろの席に座り、水筒を取り出し、家で作ってきたであろう珈琲とお菓
佐俣 アンリ
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若い人と話すときに僕が陥っていた3つの固定観念

今年で30歳になります。 最近自分が陥っていた固定観念をやっと理解できてきたので、そのことについて書きたいと思います。 反省点は三つに集約されます。 ----- ・人は自分自身のキャリアを否定できない ・リクルートは下積み的経験を尊ぶ傾向にある ・スタートアップ(特にto C)では未経験の若者であることが強みになる ----- 僕は大企業であるリクルートに大卒で入社し、2年半みっちりしごいていただい

書きかけのストーリー

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