人生が変わったキッカケ

人生が変わったキッカケ

皆さんは、『これは人生を変えるキッカケだったな』というストーリーはお持ちでしょうか? STORYS.JPには沢山の『人生が変わったキッカケのストーリー』が投稿されています。 1人1人の個性的な人生のストーリーを、少し覗いてみませんか?

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人生が変わったキッカケのタグが付いたストーリー一覧 2916件

フェイスターン⑤

  見られた。鬼の角。見られた。   わたしはうわごとのように呟きながらトイレに駆け込む。   どうしよう。ばれた。わたしが鬼だってばれてしまった。阿部に。一番好きな人に。もうおしまいだ。この恋も、友情も、学校生活も、全部おしまいだ。だってわたしは鬼なんだ。人間じゃない。人間じゃないものは排除されるんだ。どうしたらいいの。わからない。どうしていいのかわたしにはわからない。ワカラナイ。消えてしまいたい
吉村 誠
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スペインに留学すると言ってとある離島に1年間住んだ話 到着直後

突然のぼっち  留学先が決定した1週間後… 既に僕は成田空港を旅立ってマドリードについていました。 現地スタッフ あなた、明日の出発は朝の5時だから気をつけてね!(この時既に夜の8時) 僕 え、え、え…?(英語なのでなんとなくしかわからない) 編集  とりあえず、朝の5時にマドリードの宿泊先を出ないと行けないということらしい。だから寝ること無く朝5時に指定の場所に集合した。 そして、他の現地スタッフ
ito sho
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コンピューターの未来

[コンピューターの未来] コンピューターに関するまじめな話。 我が家はは7歳の時に父を交通事故で亡くして以来母子家庭だ。 当時から今でも母子家庭での育児というものは制度的にも、 社会環境的にもなかなか難しいものだと思う。 幸いにも母は名の知れた会社に就職ができ、 残業等で帰りは遅かったり、 賃金的にはそう多くは無かったと思えるが、 普通に小中学校に通うことはできる程度には安定して生活していた。 子供
超飯塚 俊英
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フェイスターン ④

  それからしばらく経った日の朝、お母さんがダイニングテーブルに二枚の紙を置いた。 「これ、阿部くんと行ってきたら?」とお母さんが言った。プロレスのチケットだった。 「お父さんがね、今やってるタッグリーグでいいところまで行ってるのよ。それ、最終戦のだから優勝するとこ見られるかもよ」 「いいよ別に。阿部はともかく、わたしプロレス興味ないし」 「いいじゃない、興味なくても。結局あれから何も進展ないんでし
吉村 誠
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フクシマで生まれて〜今だから言える、あの時のこと〜

2011年3月11日を境に私の地元・福島は、のどかな田舎町というイメージから一転、「被災地」となりました。 いっぺんに家族や友人を失うかもしれないという恐怖、大切な人達が苦しんでいるのに何もできないもどかしさ。 新幹線に乗ればすぐ会いに行ける距離だと思っていたのに、会いに行くことさえできない。 「福島に住んでいる人の方がずっと辛いのに、自分が辛い顔をしてちゃ駄目だ。」 「東京の人には話すだけ無駄だ。
二瓶 彩菜
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声優、上京、挫折、起業、廃業、そして今・・・

私は大きくなってからヲタクになったタイプでした。 オレはヲタクになる! 小学生の頃はドラマばかりみていたマセガキだったのです。 それが中学を出る頃に、友達の影響で天空戦記シュラトにハマり、 漫画では孔雀王などの、ちょっとアッチ系のものからハマりこみました。 ヲタク道の師匠との出合い 高校に入ってから出合った友人がこれまた凄い筋金入りで、 私にアニソンを仕込んだ伝道師であったりもします。 彼は今、モン
清田 豊
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スペインに留学へ行くと言ってとある離島に1年間住んだ話 プロローグ

サッカーをやりたいんじゃー!  中学時代、自由奔放なサッカークラブにいた僕は、高校のサッカー部に入った途端に何とも言えない理不尽な扱いに耐えかねてしまった。 サッカーの実力よりも学校の成績。 関係無いじゃん!って思っていたけれど、それでもバカにされ、共用の荷物は誰も持って行かないから結局僕が持って帰る。そしてそれを誰も見てみないふりをする。 そんなところが嫌で嫌で仕方がなかった時、たまたま親がくれた
ito sho
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高校進学を言葉がさっぱりわからない国でしてみたら思ってたよりも遥かに波乱万丈な3年間になった話【その0:プロローグ】

2009年末、当時中学3年生。 受験シーズンも真っ只中に差し掛かったというとき、私は父の母国であるスペインに旅立つことを決意しました。 理由は語学力がうんぬん~とかグローバルがにゃにゃにゃ~と言いたいところですが、ぶっちゃけてしまうと 「高校受験がめんどうくさかったから」 。完全に不純な理由です。 一見冗談としか思えないこの決意、なんと翌年4月6日に まじで実行されてしまい 、数週間後に実際私はスペ
しもむら さき
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僕が骨髄提供した時の話 〜その後 2005年11月追記〜

[ その後 2005年11月追記 ] 以前にも書きましたが、 ドナーと患者は2度まで文通することができます。  1度目は退院の日に届いており、2度目が患者さん側と接触する 最後のチャンスです。  先日、その2度目にして、最後のお手紙が届きました。  僕の提供相手は、幼い男の子だったため、 お母さんからのものです。  息子さんは、残念ながら天国に旅立ってしまったのだそうです。  移植自体は成功したもの
橋本 謙太郎
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いじめられっ子だった私がコミュニケーション能力を高めた方法

いつも何故か一人ぼっちになってしまう・・・そんな子供でした。 どれだけ頑張ってもいつも何故か空回り 無視され、置いてきぼりにされ、責任を押し付けられ 友達と居てもいつも孤独感と隣り合わせ そんな青春時代を過ごした私が今では人づきあいが上手だと人から羨ましがられるようになりました。 そこで如何に上手に人とコミュニケーションを取れるようになったのかを綴ろうと思います。 私と良く似た経験をお持ちの人、今現
ueta yukako
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フェイスターン ③

 そのことを話すと、お母さんはとても喜んでくれた。ろくに友達もいなかったあんたに、親友と好きな人が一度に現れるなんて、と。   でもわたしは手放しで喜ぶことはできなかった。なぜってもちろんこの頭の角のせいだ。   親しくなればなるほど、そして好きになればなるほど、この角が邪魔をするのだ。 「この角、見せなくていいのか? そんな帽子かぶってて本当のお前って言えるのか? わたしのなかの鬼にそういわれてる
吉村 誠
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いいものを感じ取るには 絶対的な場数と経験量が必要なんだなと実感した話

ある人のブログに、いたく同意、からの話。  普通の商学部卒、美術の素養なんてまるでないわたしが デザインに携わって7年、8年が経つ。  アート作品を見ても現代も中世も、絵画も彫刻も陶器も、 見始めて最初の数年はまるでわかんなかった。 とくにインスタレーションは苦手で、全然ムリ。 そもそも見るための素地がないんだもん。無学もいいところ。 何見て何感じたらいいのかさっぱり。さっぱり。さっぱりわかんない。
サンペイ カナ
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フェイスターン ②

  その日、塾から帰る途中の夜道で、ほろ酔い加減のサラリーマン二人組に声をかけられた。 「ねえ、お嬢ちゃん。いまからおじさんたちとカラオケでも行かない?」 「行かない」とわたしは言った。気持ち悪い。こんなのは相手にしちゃいけない。  でも彼らはしつこく食い下がってくる。 「そんなこと言わずにさ。一時間だけでいいから」 「行かないって言ってるじゃん。気持ち悪いな。どっか行ってよ」  わたしはつい感情的
吉村 誠
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インドで入院した話

・カルカッタにて謎の吐き気と下痢に襲われ、病院に行ったらそのまま入院することに ・どんな治療を受けたかは覚えていない ・食欲ないのに 3食すべてカレー だった ・ぜんぜん食がすすんでないのに、「おかわりいるか?」と聞いてくる ・マラリアかもしれない、日本に帰ると薬がないから死ぬぞ、といってなかなか退院させてくれなかった ・ 死んでもいいから帰ります 、という念書にサインして退院させてもらった
堤 修一
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登山をキッカケに人生前向きに!就活失敗女子が、カンボジアで起業するまで

就職活動と、苦悩の日々 わたしの大学生活は、大部分で言えばキラキラ充実していたと思う。 それが一転したのは、就職活動を迎えてからだった。 何がしたいのか、何をすべきか、わからない。 その頃の私は「社会に出る」ということが何を意味するのか、全くイメージできていなかった。 わからないなりに、同期の見よう見まねで頑張ったが、採用に結びつけられない。 どんどん自分が嫌いになってくる。 ついには、心の底から好
森山 真祐子
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皆さんは、『これは人生を変えるキッカケだったな』というストーリーはお持ちでしょうか? STORYS.JPには沢山の『人生が変わったキッカケのストーリー』が投稿されています。 1人1人の個性的な人生のストーリーを、少し覗いてみませんか?

人生が変わったキッカケ 書きかけのストーリー

詳しく聞きたい!
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