過去の想い出

過去の想い出

たまに、少し過去の想い出を振り返ってみたくなることはないでしょうか?STORYS.JPには、沢山の『過去の想い出』のストーリーが投稿されています。少しずつでいいので、5年前、10年前を振り返ってみましょう!多くの人があなたのストーリーを待っています。

このエントリーをはてなブックマークに追加

過去の想い出のタグが付いたストーリー一覧 2385件

企業舎弟とか自己破産とか出版とか

へー自分語り専用サービスですかすごいもの考えたな。 書く方も書くほうだけど。 少し前から、初就職の話からがいいのかな。 当時はバブル崩壊直後でええはい。 mixiとかでここまで濃い自分語りするのもどうかと思ってたけど、専用空間ならええやね。  では改めて。  当時の選択と行動に鑑み、今も昔も人というものは容易に変化はしないものだと、少なくとも私という人間はそうなのだと再認識する。  その会社、仮にY
大橋 弘之
19

「カミングアウト」

時間を持て余しているので、私の障害についてもう少し詳しく。 興味の無い方は、スルーで。 私は精神障害者だ。 障害名は「双極性障害(多分Ⅰ型)」と「社会不安障害(SAD)」 前者、後者ともに混合症状が多少ある。 双極性障害とは、 気分障害の一種で興奮状態や依存、自傷行為、不眠、人間関係の破壊などの躁状態と、抑うつ、希死念慮、不眠、自殺企図、自傷行為、思考能力の低下、判断力の低下、行動の低下などが規則的
sato hiroiki
43

「HIV検査」

結果は陰性。 正直、ホッとした。 今までの女性経歴や接触内容、風俗経験などを鑑みると非常によい結果なのかも知れない。(ちなみに淋病と毛ジラミは経験した。恥ずかしい) 正直に言うと、陽性だったときの心の準備はできていなかった。 極論、積極的に寿命を延ばすか消極的に天命を全うするかの選択だ。 私の前の順番の若い男性が、待合室で非常におびえていたのが印象的だった。 笑っちゃいけないのかも知れないが、まるで
sato hiroiki
18

「赤沼」

赤沼。 中野ダムの遥か上流にある、ダムの源流と言われているところだ。 私が高校生の時に、オフロードバイクで二度ほど行った事がある。 龍神様を祀った神道の一種で、ダムの下には神社もあり、お守りの類も売っていたはずだ。 信者の人たちは牛の刻参りという、七月七日の午前二時に合わせてお酒と卵を持ち、白装束で歩いてお参りするという。 といっても、相当な距離だ。 定かではないが、中野ダム湖面(上りきったところ)
sato hiroiki
12

「選択肢」

先日、地方新聞の記者と飲んできた。(複数人で) まだ25 歳のかわいい女の子だ。 結婚を考えている彼氏がいるらしい。 私は人のそういう話にあまり興味が無いので、あからさまに話しかけてきたときにだけ「うん、うん、」 とうなずいていただけだったが。 どうやら彼女は仕事に燃えているらしい。(まぁそういう年頃だろう) 出身地もこちらではなく、非常に転勤の多い部署とのこと。 一方、彼氏はこちらの人。あまり転勤
sato hiroiki
16

「曲がらない」

昔話ばかりで申し訳ないが… ある車を目黒通りから環八を通り、中原街道先まで運ぶ仕事だった。 たいした距離ではない。 その車は、雑誌にも紹介されたストリートドラッグ仕様の車で、68 年式のカマロ。 もともとはアメリカのどこかの州の沼か湖に沈んだ車で、それをフルレストア、フルチューン。 エンジンは350 ボアアップ(約6000㏄)、ハイコンプ、ローラーロッカー、270~280°カム、ホーリー大径キャブ、
sato hiroiki
28

「Γ-GTP」

10 月ころのことだったと思う。 骨髄バンクから大きめの封筒が届いた。 開封してみると、「HLAの型が一致した」とある。 骨髄バンクには10 年くらい前に献血のついでに登録した。 19 歳の時に友人を白血病で失っているというのも理由にあったが、そんなに深い意味は無く軽い気持ちだった。 どうやら私の白血球の型と同じ患者さんがどこかにいるらしい。 特に断る理由も無く、患者さんが助かればいいなと思い骨髄移
sato hiroiki
22

「私設警備員」

六本木のクラブで飲んでいた。 お気に入りのブラッディーマリーに、塩とタバスコをたっぷり入れて。 飲むと酔うのに、ピリリと醒める。 この感覚がたまらない。 薬も売っていたが、幸い違法薬物には手を出さなかった。 (処方薬には手を出したが…) 一緒にいた友人が、表通りにナンパしに行こうと誘ってきた。 ホイホイと付いていき、見事2 人の女性をゲット。(先に声をかけたのは私だ) 友人が女性に、「俺の店で飲もう
sato hiroiki
29

「宮下公園」

人間をまたいだことがある。 正確には、もうそれは人間ではなかったが。 当時、平社員とはいえそれなりの大企業に勤めて中堅どころとなっていた私は、新入社員の教育担当も任され担当クライアントも増え、多忙を極めていた。 流行の細身のスーツに身を包み、大きなカバンをぶら下げて渋谷を闊歩していた。 ちょうど宮下公園下のガードにさしかかったころ、なにやら5~6 人の人だかりができている。 その時、内ポケットの携帯
sato hiroiki
16

「ハジキ」

昔、バイク便の仕事をしたことがある。 呼んだらすぐに来てくれて、都心の渋滞をすり抜け、すぐに配達してくれるというものだ。 バイクに積めれば何でも運ぶ。 おおかたはテレビ局の製作部門や広告代理店、大手出版社などの仕事が多い。 なかには芸能人から直接依頼がある場合もあり、素の姿を見ることも多々あった。 その日は夜12 時ころから雨が降り出してきて、もう仕事をあがって家にかえろうかな、と思っていた時。 「
sato hiroiki
22

「チンピラ」

若いころ。 並行屋で働いていた時、土建屋のチンピラドラ息子が子分を2~3 人連れて車を買いに来た。 「おい兄ちゃん、この車テレビに出ていたやつだろ?」 はい、そうです。 「現金で払うからさ、わかるよね」 はい、少々お待ちください。 … 現金一括ですと、550 万ジャストでお出しできます。登録、納車その他諸費用込みです。 しかし、こちらのお車は撮影用の特殊なお車でして、いわゆる違法改造車になります。
sato hiroiki
22

「トナカイ」

今日、生まれてはじめて着ぐるみを着た。 37 歳のおやじが、ドンキホーテで購入したトナカイの着ぐるみを着て接客している。 子供よりも大人にウケた。 もともと私には体験してみたい仕事が二つあって、そのうちのひとつがウサギの着ぐるみを着て街 頭でポケットティッシュを配るというものだった。 まぁ、ひとつの夢が叶ったわけで…。 あら…ちょっとおなかの調子が… トイレは幸い空いていたが、入ってからがこりゃ大変
sato hiroiki
18

「キャノンボール」

「キャノンボール」という映画をご存知だろうか。 アメリカの東海岸から西海岸まで、誰が一番早くゴールできるか車でレースする映画だ。 もちろん警察も登場する。 実際にやったことがある。 当時勤めていた並行屋とそのグループ、修理屋、板金屋などが主催して客を集めた。 計画はこうだ。 首都高横浜大黒パーキングに20:00 集合、21:00 スタートで一度、第三京浜川崎インター下のローソンでレシートをもらう。
sato hiroiki
25

20歳で250キロで負けた

「コルベットZR-1」 私が20 歳の頃乗ってた車だ。 ノーマルで300 キロ出る。 あの当時、ゼロヨンも12 秒だ。 ヤナセのような正規ディーラーで買うと、1340 万円。 私は外車屋だったので、並行で600万円くらいで仕入れた。 鋼のフレームのフロントミッドに、V8 5.7 リッター 4 カム32 バルブ オールアルミ製エンジンを積み、ボディはFRP だ。 2 シーターで、タイヤサイズはフロント
sato hiroiki
70

本腰入れて早稲田(&慶應大学)目指して浪人生活送った18歳の時の話。

今の仕事のルーツ・きっかけになっているのかなと今では感じる出来事だったが、 高校時代、集英社の編集者の方のご厚意で  当時アイドル兼女優兼歌手として人気絶頂だった 広末涼子 と日本武道館の楽屋で会わせて頂いたことをきっかけに、   大学受験の的を早稲田に絞ったのは高校1年の終わり頃だった。 わせだ。。ワセダ。。。WASEDA。。。 何処にある大学かもわからなかった当時。 けれど行く事だけは決めた。
蒼山 隆之
628

たまに、少し過去の想い出を振り返ってみたくなることはないでしょうか?STORYS.JPには、沢山の『過去の想い出』のストーリーが投稿されています。少しずつでいいので、5年前、10年前を振り返ってみましょう!多くの人があなたのストーリーを待っています。

過去の想い出 書きかけのストーリー

詳しく聞きたい!
詳しく聞きたい!
詳しく聞きたい!
詳しく聞きたい!
詳しく聞きたい!
詳しく聞きたい!
詳しく聞きたい!
詳しく聞きたい!
詳しく聞きたい!
詳しく聞きたい!
詳しく聞きたい!
詳しく聞きたい!
詳しく聞きたい!
詳しく聞きたい!
詳しく聞きたい!