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齋藤 淳平

齋藤 淳平の人生のストーリー

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齋藤 淳平の人生のストーリー

偏差値37の工業高校でビリだったボクが、社会人を3年やりながら夜は予備校で勉強し、学費を250万貯めて国立大学に合格した話

18歳からの受験。会社が終わると、ボクは小学生と一緒にbe動詞を勉強していた。 某ギャルの受験記が反響をうけているので、GWの時間を使って、ボクも受験記を世に発信しようと思って書いた。 どこから書こうか。まず、大学受験は2009年のお話であることを断っておこう。それでは、2004年に卒業をした中学時代から書こう。ボクの家は母子家庭で、アニキはニートで、ボクは反抗期だった。最悪な状況だった。だけども、

偏差値37の工業高校でビリだったボクが、社会人を3年やりながら夜は予備校で勉強し、学費を250万貯めて国立大学に合格した話 その②

18歳の夏。大手予備校の夏期講習を受講して衝撃を受ける。 3年社会人として働いた後、大学に進学した話を周囲にすると、必ず聞かれることがある。「何がキミをそうさせたのか?」と。無論、「夢」であったからだ。付け加えると、社会人として零細企業に勤めているから小バカにされることが多かったから、バカにしてきた連中を見返したいという気持ちがあったのは事実である。 さて、ボクは塾に通いはじめてから猛勉強に猛勉強を

偏差値37の工業高校でビリだったボクが、社会人を3年やりながら夜は予備校で勉強し、学費を250万貯めて国立大学に合格した話 その③

最後の10代。「受験」に全身全霊の思いの丈をぶつける。 当時のボクの日記を読むと、高校の推薦枠を使って、有名私大に進学した人を羨む記述が散見される。「あの時、ああやっていれば」と。しかし、こう続く。「頑張り時に頑張った人が報われて当然なんだ。ボクは、今の会社に入って受験を目指すことで気づくことができたんだ。むしろ、応援してくれる人を見つけることができて幸せだ。」と。 いよいよ、大学受験も半年後にせま

偏差値37の工業高校でビリだったボクが、社会人を3年やりながら夜は予備校で勉強し、学費を250万貯めて国立大学に合格した話 その④

大団円!ボクの受験記! ボクの受験を応援してくれた本がある。福沢諭吉先生の「学問のススメ」である。本書の冒頭にボクが感銘を受けた言葉が載っている。どんな内容かを書く。「天は人の上に人をつくらず、人は生まれながら平等であると言われている。しかし、現実には大きな差がある。それはなぜか。その理由は、学んだか学ばなかったかによるものである。」 ボクは将来のことなんか、ハッキリ言ってわからない。だけど、1浪2

偏差値37の工業高校でビリだったボクが、社会人を3年やりながら夜は予備校で勉強し、学費を250万貯めて国立大学に合格した話 エピローグ

大学進学後も冒険と挑戦の連続! 無事大学に進学したあとの話を書きます。 ボクこと齋藤は、在学中に海外に交換留学したり、部活に入って大会に出たり、活動的な日々を送りました。そして、学生結婚を経て、2014年に大学を卒業し、現在は都内で働いています。(大学院に進学するか悩みました。) 実は、この度、第一子を授かりました。たくさんの挑戦が続きますが、次は育児にチャレンジしてより一層、成長していきたいと思い

日本中のお母さんを家事から解放したいので、松下政経塾に応募し、2次試験まで残った話。

私は「日本中のお母さんを家事から解放してあげたい」という夢をもっております。 こう言い放ち、松下政経塾の門を叩きました。今日は、松下政経塾の入塾試験のお話です。  そもそも、松下政経塾とは、日本の将来を引っ張るリーダ育成機関です。この塾の卒塾生は野田元首相などがおり、優秀な人材を輩出しています。設立者は松下幸之助で、1979年(昭和54年)に設立されました。 では、なぜ私が松下政経塾に応募したのかを

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