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河野 陽炎

大阪郊外在住。農家をリノベーションした物件を自宅兼オフィスとする。フリーランス・コラムニストとして、終業時間の早さNo.1 自己研鑽にかける時間の長さNo.1 挫折からの復活率100%を目指す。

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河野 陽炎の人生のストーリー

乳腺外科で手術を受けた2年後に、ヨット乗りになり、ボートの免許とチェーンソーの資格を取った話

入院:2013年の夏 26歳のころから乳腺症を患っていた私は、2013年4月ごろ、かかりつけの外科の先生の指示で乳腺エコーを受けた。 「なにか腫瘍のようなものが映っている」 と技師さんからの指摘があったのは、全くの意外なできごとだった。 外科の先生の動きは素早く、すぐに乳腺専門医の診察を手配して下さり、入院・手術を行う方向に話が進む。私は20代前半に 耳鼻科の手術を受けた経験がある ため、身体にメス

身長167㎝、体重45キロ以下だったひ弱な私が、「その体重では無理・危険」と言われながらも、ヨット乗りになり、一級小型船舶操縦士の免許を取り、チェーンソーの資格を取って木を切ることができるようになり、ついでに他に2つの資格試験に合格するまで、かかった時間はわずか2年でした。

乳腺エコーに映し出された「腫瘍らしい何か」に語りかけながら、楽しく過ごした日々のこと

私は23歳のときから子宮内膜症や卵巣機能不全など様々な理由で、産婦人科外来に通い続けている。 だからこそ、お子さんを授かった妊婦さんが、幸せそうな顔でエコー画像を見つめている場面を、何度も目にして来た。 「今はエコーでしかあなたの姿を確認できないけれど、早くこの世に生まれてきて、その姿を見せてね」 と言っているんだろうなと想像していた。 見ず知らずの方のお腹にいる胎児たちのために「これから、幸せに生

私がライターになった理由……あの狭い部屋から出ないで生きていけると思っていた……

私がSOHO,在宅ワークという働き方を選んだ理由は、 ・1か月に5日~10日も通院していると正社員になるのは難しいから ・私は人と接することが下手なので、できれば誰とも会わずに生きていたかったから そして、ライターという職業を選んだ理由は、 ・もともとホームページ・ブログを書いていたことがきっかけ(後述する) ・文章を書くのが好きだから ・ライター業は初期投資がわずかで済むから 私は大学生・20歳前

私が尊敬する偉人たち……瀧廉太郎、サリバン先生、中村久子さん、ダミアン神父……

私は「荒城の月」という歌曲が、ものすごく好きだ。 土井晩翠の書いた難しい言葉が連なってできた歌詞だけでは、なかなか「心の中に場景がありありと浮かぶ」ということはないが、瀧廉太郎のメロディーが加わった途端に、栄枯盛衰の歴史と、それをただ見守ってきた土地や植物の姿が浮かんでくるのが、すごく不思議だ。 瀧廉太郎が作曲した歌曲を好んで歌ったのは、音楽理論など分からず直感で「好き、きらい」を判断する人々だった

謝罪する勇気……同級生のお母さんが、クラス全員の前で謝罪した話……

私の教科書がなくなった!  私が小学校2年のとき、学校で机の中に入れていた音楽の教科書が見当たらなくなった。初めは「家に忘れてきたの?」と思ったが、自宅を探してもない。同級生にも聞いてみたけれど、おぼえがないという答えばかり。  担任の先生に申し出て、改めて教科書を購入することになった。しかし、現在のことは分からないが、その当時、教科書は特定の取次店を通してしか買えず、届くのは1か月先になることもザ

あれから30年が経った今でも、私に「謝罪する勇気」を与えてくれている、同級生のお母さんの話。

初めて「自営業です」と名乗った日

私はフリーライターなので、事業を始めるにあたっての初期投資は、ほとんど要らなかった。だから、税務署に開業届と青色申告の届出を郵送で行ったのみで自営業生活をスタートした。 あまり流行に左右されない服を好み、のんびりとした性格で、実家の祖母とともに長い時間を過ごしていた私は、改めて「フリーライターです」と名乗るのが気恥ずかしく、なんとなく誰にも言わずにいた。 こんな私が、初めて自営業を名乗ることになった

「私の失敗」について話そう

私は現在、ライター業務の他に、 ●ライターになりたいという人 ●既に起業はしているけれど執筆業務にも取り組みたいという人 のご相談に応じる仕事もしている。 私がライター業についたのは、知り合いのライターが家庭の事情で休業せざるを得なくなり、ピンチヒッターを依頼されたことがきっかけ。それまでは、まったくの趣味でしか文章を書いたことがなかった私にとって、たとえば編集用語に関する知識、プロのライターとして

「ひとりで!」を卒業したとき

昔、介護をしていたとき、身体の起こし方か何かの介護上のことを、介護相談ができる掲示板で相談した。 ところが、ある人が 「あなたのような(病気の)人が、介護が終わってから仕事に就ける世の中じゃない。懐の広い男性を見つけるのが現実的だ」 といった書き込みをされた。 当時は、ショックで相談をすること自体が怖くなり、その掲示板を利用しなくなった。 それ以来、「自分ひとりでも生きていってみせるぞ!」と、すごく

「もうライターを続けられない」と思ったときが、新しいスタートだった

ライターを続けられない。もうダメだ。 そう思ったことがある。 執筆作業がいやだったのではなく、クライアントからの支払いが遅れ、生活費に困るような状態になったとき。 クライアントが資金繰りに困っているとか、何らかの事情があることを誠心誠意説明してくれた、ということがあったなら、おそらく私も納得できたのだけれど、 「忘れてました」 「支払日を勘違いしてました」 「支払いが遅れると伝えたつもりでした」 な

自分を「No.1、100%」認定できるまで

ライター、コラムニストとしてのつまずき を経験して、私は「経営者」としての自分をおざなりにしていたことに気づいた。雇われライターの感覚はいったん忘れ、経営者として「お客様の役に立つ文章・情報などを、お客様に向けて販売する」という商売の基本に立ち返ることにした。 私がNo.1になれることは? 「経営者として成功する」ための手段として ○○No.1 という肩書をつけてしまう という方法がある。No.1と

「誰かの相談に乗ること」から商いが始まる

私は身内の高齢者を介護していた。介護の知識を本やインターネットで得ていくうちに、 「介護とは、なんでもやってあげることではない。本人ができることまで、介護者が横取りしてしまうのは、自立や尊厳の妨げにしかならない。だから、本人がどうしてもできないことを手助けしつつ、本人の自立を促すことが重要」 だという、介護者のあるべきスタンスについて知った。 高齢者が何か行動を起こした時、いきなり手伝うのではなく、

「いい人と思われたいだけでしょ」

以前、様々な成り行きであるグループのリーダーをつとめることになった。 何度かメンバー同士の会合をもち、打ち解けてきたころのこと。 「成り行きとはいえ、こういうグループのリーダーを引き受けるのは、 いい人と思われたいのでは?  ほかにもボランティアをしているようだけど、いい子って思われたい人なんじゃないの?」 という言葉を投げかけられた。 私にとって、リーダーという立場は人生全体でもほとんど未経験で、

私の祖父は社長だった。

子どものころ「お店屋さんごっこ」で遊んでいたら、祖父は必ずお客さん役をしてくれた。 他の大人が家事に忙しかったからかもしれないが、今思えば 「お客さんが来ないと商売が成り立たない」 ということを誰よりも分かっていた祖父は、私たち子どもにも「お店屋さんの醍醐味」を味わわせてやりたかったのだと思う。 私の祖父は社長だった。 企業向けの大型エアコンや、冷蔵棚や冷凍棚、当時は知名度の低かったソーラー設備など

私は今も怖い夢を見るけど

私は睡眠障害があって、時々怖い夢を見て夜中に飛び起きてしまう。精神科の先生は 「怖い夢を見ないようにしようって思いすぎるのではなくて、怖い夢を見なかった日に、見なかったことを喜べるといいですね」 と言ってくれた。 こんな悩みは人に軽々しく話せることじゃないし、一緒に夜おそくまで過ごすような友達もいなかったので、誰にも打ち明ける機会はなかった。 こんな私にも、とても信頼できる人が現れて、「実は結構頻繁

なぜ「この種の相談を受けるという事態」に縁ができてしまうのか分からないけれど……

私は 「ライターになりたいけれど、何から取り掛かったらよいか分からない」 という人のために、メールによるコンサルティングを行っている。 文章を書くのが好きだけれど、ライターという仕事の全体像がつかめていない人を対象にしていて、 ・編集者やWebディレクターからどうやって仕事をもらうのか ・人脈を作るにはどうしたらいいのか ・ネット集客はどうすればいいのか ・経理関係で必要な知識やソフトウェアは何か

私が本を出版するまでの流れ……企画の立て方と執筆の進め方について……

私はライターで、これまでは、あまり個性を出さない方がいいタイプの文章を、書いてきた。仕事で書く文章は、自分の個性を出すことより、クライアントや読者にとって役立つ内容を届けることが大事だと考えてきたから。 自分の個性を出したいときは、自分のブログやFacebookなどで表現してきたのだ。 その私が、あえて自分の名前で本を出そうと考えたのは、 ●ボランティアで運営してきたWebサイトが 10年の節目 を

本を出版してから起こった3つのこと

2017年1月、「 今日から病気も友達 」という本を出版した。 本というのは、出版したら自動的に売れるものではない。出版したことを人に伝えたり、プロモーションをおこなったりして、買ってもらえるように努力しなければならない。他の商品やサービスを売る場合と同じような努力が必要なのだけれど、なぜか本だけは「出すことがゴール」と考えている人が多いように思う。 さて、私の書いた本は、アマゾンで購入できるように

怒れる者よ、しばし歌うのを止めて……

2008年の終わりごろ、私は友人からひどくののしられて狼狽していた。彼女の結婚式に、私の身内の弔事が重なってしまい、出席できなくなったことがきっかけ。普段の彼女からは想像もできない態度に、ただ圧倒されてしまった。 2009年の春になり、ようやく気持ちが落ち着いてきたころ 「次に同じような事態が起こったとき、どうするのが正解なのか?」 の答えを探し始めた。 この年、 新型インフルエンザ (当時は豚イン

「邪魔だー、すっきりさせたい!」と思っているのに片付かないとき

片付いていない部屋にいると…… 私もそうだが、女性の多くの人はホルモンのバランスと精神状態の波が干渉しあっているから、 ・家事も仕事も元気いっぱいでこなせるとき ・仕事はこなすものの、他のことは放り投げて眠ってしまいたいとき などの差が出てくる、と思う。 片付いていない部屋を見ていると「私って今、精神状態が悪いんだなー」と思えたり、「片付けなくちゃだめじゃないか!」と自分を責めたりして、余計につらく

受験の思い出……学力を磨いたことが仇になったのか?……

私が浪人して大学受験に臨んだ年、ある私立大学のわりと珍しい学科に合格した。 でも、その学科に進学することはほとんどの人から反対された。 その理由が 「偏差値の高い他の大学に合格しているのに、その大学に行くのは賛成しかねる」 というものだった。 たとえば、経済的事情で「私学+下宿」はやめて欲しいとか、もっと言うなら国公立に行って欲しいとか、そういう事情を言われた方が、まだ納得できたのかもしれない。 で

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永井 俊一
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39歳独身経営者、中学生に負けたくなくて英語を勉強した結果、海外留学エージェントに昇格した話。

始まりは、セブ島留学での大失敗。 こんにちは。 「セブ島留学サポートセンター」を創業しました永井と申します。 私はセブ島留学エージェントとして2013年の10月10日に開業しました。 英語の勉強をする為の留学エージェントというと、皆さんから「英語ペラペラなんでしょ?」と言われますが、そんな事はありません。 全く話せませんでした。 そんな私が、何でセブ島留学エージェントになったのか? お話しさせて頂き
スティーブン 倉田
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地下芸人を辞めて会社員になって感じたこと

『どうもありがとうございました~』 多分、僕が芸人最後のステージで放ったセリフはこれだった気がする。 基本的にこの言葉で締める”挨拶終わり”という手法は、芸人界ではスタンダードな終わり方だ。 ”多分”とつけたのは、正直自分の最後のステージのことはあまり覚えていないからだ。 でも、ネタの締めをほぼ”挨拶終わり”にしていたので、きっと最後もそれだったと思う。 そんな過去を持つ僕は、陽の光を浴びることがな
平田 智夢
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おばあちゃんの太平洋戦争

【はじめに】 日本が1945年8月14日ポツダム宣言を受諾してから69年。 1941年12月8日から続いた約4年に及んだ戦争が終わった。 日本がアメリカをはじめとする連合国と肉弾戦を行い、沖縄決戦、広島・長崎の原爆投下、関東・関西大空襲など日本が焦土と化した。日本が出した犠牲者数約350万人(推定)。 この犠牲者の1人にぼくの曾々祖母のトメばあちゃんも含まれる。 【学童集団疎開】 うちのおばあちゃん
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【第1話】 田舎の魚屋がゴールデンタイムの番組に出たらとんでもない事になった話

いつできるのかって聞いてるんだよ! はるばる遠くから来てんだから何とかしろよ! そんな怒号が僕やスタッフに容赦なく向けられる。 意味がわからない。なんでこんなことを言われなきゃいけないのか。 僕が何か悪いことしたか?そりゃしたこともあるけど、いや、怒鳴られる覚えも多少あるけれども、や、でも君のことは少なくとも知らないし。 なんでことになったんだろう。 ことの始まりは2ヶ月前にさかのぼるのであった。
河野 陽炎
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怒れる者よ、しばし歌うのを止めて……

2008年の終わりごろ、私は友人からひどくののしられて狼狽していた。彼女の結婚式に、私の身内の弔事が重なってしまい、出席できなくなったことがきっかけ。普段の彼女からは想像もできない態度に、ただ圧倒されてしまった。 2009年の春になり、ようやく気持ちが落ち着いてきたころ 「次に同じような事態が起こったとき、どうするのが正解なのか?」 の答えを探し始めた。 この年、 新型インフルエンザ (当時は豚イン
河野 陽炎
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私が本を出版するまでの流れ……企画の立て方と執筆の進め方について……

私はライターで、これまでは、あまり個性を出さない方がいいタイプの文章を、書いてきた。仕事で書く文章は、自分の個性を出すことより、クライアントや読者にとって役立つ内容を届けることが大事だと考えてきたから。 自分の個性を出したいときは、自分のブログやFacebookなどで表現してきたのだ。 その私が、あえて自分の名前で本を出そうと考えたのは、 ●ボランティアで運営してきたWebサイトが 10年の節目 を
STORYS 編集部
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ストーリーを人力でお届けする『デリスト!』はじめました!

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河野 陽炎
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私は今も怖い夢を見るけど

私は睡眠障害があって、時々怖い夢を見て夜中に飛び起きてしまう。精神科の先生は 「怖い夢を見ないようにしようって思いすぎるのではなくて、怖い夢を見なかった日に、見なかったことを喜べるといいですね」 と言ってくれた。 こんな悩みは人に軽々しく話せることじゃないし、一緒に夜おそくまで過ごすような友達もいなかったので、誰にも打ち明ける機会はなかった。 こんな私にも、とても信頼できる人が現れて、「実は結構頻繁
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子どものころ「お店屋さんごっこ」で遊んでいたら、祖父は必ずお客さん役をしてくれた。 他の大人が家事に忙しかったからかもしれないが、今思えば 「お客さんが来ないと商売が成り立たない」 ということを誰よりも分かっていた祖父は、私たち子どもにも「お店屋さんの醍醐味」を味わわせてやりたかったのだと思う。 私の祖父は社長だった。 企業向けの大型エアコンや、冷蔵棚や冷凍棚、当時は知名度の低かったソーラー設備など
金子 健太
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20か月で4800万円を自己投資し、精神・金銭ともに貧乏になって初めて気づいた。起業していく上で大切なたった一つのコト。

2014年9月から2015年12月。 自分の夢の為に、 4800万円を自己投資 した。 結果。 精神・金銭ともに貧乏になっただけ で、何一つ前に進まなかった。 大きく失敗した理由は ・時間とお金を自由に使えるようにする為の活動 ・人脈を作る為の活動 この二つの事に力を注いだからだ。 お金と時間に余裕があって、人脈を持つ人は成功する起業家だと思う人が多いだろう。 僕もその一人だった。 この認識が大きな

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