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大堀 元

はるはる。です。

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大堀 元の人生のストーリー

読んでよかったストーリー

Ryo Kikuchi
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12

高校をやめて六年間も部屋にいて何もしなかった話(前編)

このストーリーは読者に怒られるかもしれません まず始めに書いておかなければいけないことがあります。 ストーリーJPで書かれるのは 「こういう転機がやってきて、人生がこう変わりました!」 という話が多いです。 しかし、これから僕が書くのは、 「たくさん時間があったけど、何もしませんでした!」 という話です。 何も教訓はありませんし、読み終わって得るものはありません。 あなたが僕の両親なら「この野郎!!
ほー りぃ
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10

僕の名前も忘れ、100万人に1人の難病を患った妻と僕の物語

  「全生活史健忘(解離性症候群)」 これが妻に告げられた病名である。 ------------------- 発症以前の出生以来すべての自分に関する記憶が思い出せない(逆向性・全健忘)状態。自分の名前さえもわからず、「ここはどこ?私は誰?」という一般的に記憶喪失と呼ばれる状態である。「記憶喪失」と同視されている。障害されるのは主に自分に関する記憶であり、社会的なエピソードは覚えていることもある。
菱沼 真
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大学生が22歳の時にたった3か月で500万円貯めて憧れのドイツ製最高級車BMW M3を買った話

これは友人JUNの語であり、JUNの言葉を僕(Makoto)が文字に起こしたものです。 【Makotoとの出会いは、3年ぶり。そして、運命はmixiから始まった】 きっかけはmixiだった。 大学3年21歳の秋に、当時友人間で流行っていたmixiにて高校の同級生と3年ぶりに偶然、再会した。 彼は高校時代部活が一緒だったMakotoである。 正直自分とはタイプが違うと思っていたが、当時の軟式テニス部を
Nishimoto Makoto
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学年ビリから2番目だった中学生を、クラス3位まで上げた時の話⑥

前は、中学卒業で家庭教師の契約期間が終わったところまで書いた。 今回はその続きを書く。 ちなみに、先週末に彼と3年ぶりに会ってきたのだが その話は、次回に書きたいと思う。 もう一度家庭教師してください! 先にネタばらしをすると、彼から来たメールにはこう書かれていた。 勉強なんてなんのためにやるんですかね? と言っていた彼が、自分から、また能動的にお願いしてきたのだ。 ボクは、本当に嬉しかった。 何よ
寺澤 浩一
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17年前にタイムトリップ。社員7名だった楽天の三木谷会長は当時、何を語っていたのか。(その1)

1990年代終わり頃に書いたベンチャー経営者へのインタビュー記事、 ガンホーの孫泰蔵会長 に続いて、もうお一人ご紹介します。楽天の三木谷会長です。 三木谷会長へのインタビューは、1997年7月と1998年3月の2回にわたって行われました。今から17〜18年前のことです。三木谷さんが楽天の前身である(株)エム・ディー・エムを設立したのが1997年2月ですから、その数ヵ月後のことになります。当時の社員は
Nakata Yuya
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この世に女神っつーのが本当にいた話

はじめて書いてみます     アレは忘れもしない10年前の高校3年生の夏~冬にかけての 人生最大の、ひとりの女の子を追っかけ続けた話であり   そして   その結果、10年後の「今」どうなったか?と言う話です   当時、僕は大学付属の私立高校に通っていて成績は中の中くらい そのまま大学に上がれるかビミョーなところでしたので高校3年生春から塾に通っていた。 んで高校3年生の前期、英語を頑張った結果とり
佐藤 健太郎
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ベンチャーの光と影

新しい拠点であるGMOオフィスの一角には、一人また一人と新しい仲間達が増えていった。これまでいた福岡ではロリポップやムームードメインの運営、東京ではJUGEMや新サービスの開発という2拠点体制となった。 ボクは広報と兼務してマーケティングのチームを率いた。ポータルサイトの運営に携わっていたという宮本さんとテキストサイトを運営している大学生の下田くんという二人が入社しチームメンバーとなった。このチーム
大隈 明子
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それは神がかり的な出会いから始まった~その8

着いてみると、そこはスゴイ場所でした。 多分、一般旅行者が入れる場所ではないです。 「こ・ここはっ!?」 「何?何?どうなっているの~~?」 「私たち、こんな所で食べていいんですかっ!?」 事情があって、場所も案内してくれた方々の 顔もお名前も出せないんです。 県のお偉いさん方しかいないところですね。 でも、雰囲気だけちょっと この方は、ドライバーの柳さんなので顔出しOK! 私たちがここに着いた時に
Sato Masashi
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最初のプロジェクトでフレームワーク作りながら仕事の大変さを学んだ話

JOIN 社会に出て派遣社員を始めた当初、はじめてまともなプロジェクトに入ったのがXMLを積極的に活用したフレームワークを作るという新規プロジェクトだった。StrutsのようなJavaのWEBアプリを作るのに、XSLTを使って自動生成のコードを吐き出して楽をするというもの。当時としてはかなり先進的な試みのプロジェクトだったと思う。この会社は1000人くらいの規模の会社で、SI(受託開発)をやっている
Sato Masashi
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4

【慶二郎】こんなんで勝てるわきゃーないよ

時系列はメチャメチャ。今日は日が日でもあるので少し重い事も含めて書く。 行軍 ビルマの森の中を歩く。木と草ばかりの森の中を。 慶二郎は機関銃を担当していて、分隊長という役割をもらっていた。大体10人くらいの猛者どもを部下にして、目的の場所まで延々と歩く。 「猛者ども」と彼はいつも自分の部下達をそう表現していて、自分が東京の下町で育ったもやしっ子的な見方をしていたようだった。実際サバイバル的な部分は猛

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