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水元 英登

『LIFETIME BUSINESS(生涯の事業)』という基本理念を掲げ、ライフスタイルから提案し、顧客との生涯共栄するビジネススタイルを実践中。
キヅキノアシスト株式会社代表取締役。

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水元 英登の人生のストーリー

転職市場の仄暗い溝に落ちた私が人を雇う側になるまでの話

あなたは、ここまで打ちのめされたことがありますか・・・? 2009年7月・・・代々木駅のプラットホーム。 中央線各駅停車から山手線渋谷方面へ乗り換える。普段は耳に触る、目の前を行く電車のゴーという轟音も耳に入ってこない。ふと気づくと、手には文庫本。いまだかつて、これほどダメージを受けたことがあっただろうか・・・ ハッキリ言いましょう。今の私と当時の私は、まったくの別人です。 あれから4年。設立後1年

私が変わるきっかけとなった大きな分岐点の話です。

2013年最後の日に語るべきこと。人はその時になるまで気づかない。

後悔というものは、し始めたらきりがない。 それは父の最後の日・・・ その日私はいつもよりも4時間も早く目が覚めた。 このことがその後、私を苦しめることになる。 この写真は、年末帰省中に見つけた写真を再撮影した物。若き日の父と。 -父を最後に見た日の朝- 平日の朝というものは、大概バタバタしているもの。 両親と離れる日 その日も結局は出かけるころにせわしなくなってきた。 私はひとりっこで、両親の関心を

全力で生きる。明日に余力を残さない。

30までに自分が何者かも決められなかった甘ちゃんが仕事で○○を得てサラリーマンを卒業した話

私 ○○を得られない仕事をしちゃダメだぞ! こんにちは。 私は水元と申します。 自宅でPCと向き合ったり、たまに事務所へ郵便物を取りに行ったり、 おもしろそうな人がいたらお会いしたり、 そんな仕事をしています。 今では 会社経営をしている私 も、2009年、30歳になってもなお 自分が何者であるか決められずにいました。 30歳までには自分が何者であるかを決めろ この30歳と言う一応の区切りを意識して

しどろもどろで頼りない大人たちが、“自分プレゼン”でデキる奴に生まれ変わった話

私は起業5年目の 水元 といいます。 このお話は、私が開催したセミナーの一幕で起こった出来事ついて書きます。 私からみなさんに伝えたいことは、 人は変われる。それも一瞬で。 ということです。 そして、あなたがこの話をちゃんと噛み締めてくれたなら、あなたも変われると確信しています。 私はここ最近、起業を目指すビジネスパーソン個人を支援する事業を展開しています。今回のセミナーは、そんなこれから大きなチャ

【くれくれ体質なクズだった私が「180°変わって」会社を興した話】はじめての海外オーストラリアで過ごした1年

オーストラリアには、 “なにか” がある・・・ はじめまして、 水元英登 (みずもと・ひでと)と申します。 私が大学生の頃のこと。誰にも相談することなく オーストラリアに1年行こう と決意します。 これは、 生まれて初めて の海外渡航となります。 私に多く事を与えてくれた “たったひとつのきっかけ” の話です。 あなたはオーストラリアについて どれくらいご存知ですか? オーストラリアは日本から南へ、

結構書いてて恥ずかしいエピソードでした。

構想2分、2週間でkindle1位の書籍ができた話

水元 電子書籍を出版してみようと思います。 大物メンター いいですね。 水元 じゃあ、2週間で出します ^0^ 大物メンター マジすか 著書の表紙です。kindleで入手できます。 kindleへ飛ぶ iPhoneでご覧の方はワンプッシュでiBooksへ iPhoneでご覧の方はこちら リリース初日に、「ビジネス・経済」「社会・政治」 2部門で第1位 に支持されました iBooksは「ビジネス/マネ

読んでよかったストーリー

真田 孔明
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3

憧れの南国アーリーリタイアしてみたら暴飲暴食で激太りしただけだった件(笑)

2010年12月31日、約12年近く勤務していた会社を退社。それまでメーカーの海外駐在員として滞在していた中国広東省、広州市を家族と共に離れ。マレーシアのリタイアメントビザ、MM2H(マレーシア・マイ・セカンド・ホーム)を取得。 脱サラ後の生活として憧れていた、南国のセミリタイアメント生活を送っていた。 ▼「財テク」功を奏し「アーリーリタイアメント」 メーカー勤務時代、コッソリ自分で行っていた、アジ
和佐 大輔
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■「う○こ」が「みそ」に変わった、とんでもない話(下品なタイトルですいません)

キリストは水をワインに、石をパンに変えることが出来たそうですが、流石に「う○こ」を「みそ」に変えたことはありません。 想像してみてください。 もしも、「みそ」の代わりに「う○こ」を使ったとしたら? う○こ汁 ク○煮込みうどん サバのク○煮 合わせう○こ etc... 「カレー味のう○こ」と「う○こ味のカレー」どっちを食べる? という、究極の二択よりも遥かにおぞましいものが思い浮かぶと思います。 汚い
水元 英登
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【くれくれ体質なクズだった私が「180°変わって」会社を興した話】はじめての海外オーストラリアで過ごした1年

オーストラリアには、 “なにか” がある・・・ はじめまして、 水元英登 (みずもと・ひでと)と申します。 私が大学生の頃のこと。誰にも相談することなく オーストラリアに1年行こう と決意します。 これは、 生まれて初めて の海外渡航となります。 私に多く事を与えてくれた “たったひとつのきっかけ” の話です。 あなたはオーストラリアについて どれくらいご存知ですか? オーストラリアは日本から南へ、
蓬莱 レン
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”たった2つの感情”で引きこもりのキモオタ童貞が、日本でトップの難関大学、東京大学に合格。さらにカワイイ彼女まで作ることができた話

それは、僕がまだ中学2年の時のことです。 僕は教室で、いつも通り友人とたわいもない会話を楽しんでいました。 すると突然、大きな声が聞こえてきたのです。 『キモい!!』 僕は、声のした方向へ顔を向けました。 すると、一人の女子が、僕を睨みつけていたのです! そして、気がつきました。 放たれた 『キモイ』 の言葉は まぎれもなく僕のことを指しているんだと!! 正直、戸惑いました。 大勢のクラスメイトの前
真田 孔明
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華僑大富豪の懐に入ることができた最初のキッカケは「素直さ」を持っていたことだった

実は、今まで周りにヒタ隠しにして来たことがある。僕は周りの誰にも言って来なかったが、とある「秘術」を使って、現役サラリーマンとしての業務。さらには、アフター5のビジネスの世界で活動して来た。 だから僕は、現役サラリーマンとしても普通の日本人では成し得なかったレベルで華僑に入り込み、華僑の本場のフィールドの中で大きな結果を叩き出すことができたし。 アフター5(ファイブ)の1日2時間程度の活動の中でも、
寳槻 泰伸
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強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話

学校よりもクリエイティブな1日にできるなら無理に行かなくても良い。 その後、本当に学校に行かなくなり 大検制度を使って京大に放り込まれた3兄弟は 変わった教育方針の父親の元で育ちました。 一般的な家庭なら 「早く起きろ!さっさと学校に行け!」 と育てるところでしょうが3兄弟の家庭(ホーツキ家)はその真逆。 学校に頼って勉強するのではなく、自分で勉強を組み立てろというのがその主旨でした。 小学生の僕(
荒木 賢二郎
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10万円払って、堀江貴文さんとお寿司を食べるTERIYAKIイベントに参加した話

グルメアプリTERIYAKI主催イベントの話になります  iPhoneアプリ   Androidアプリ みなさんは堀江貴文さんをご存知でしょうか? 以前はホリエモンと呼ばれ、ITバブルの寵児としてヒルズ族の象徴だったあの堀江貴文さんのことです。近鉄バッファーローズ買収提案からのプロ野球参入争い(結局楽天が参入)、広島6区での衆議院議員選挙出馬、ニッポン放送株買い集めからのフジテレビとの提携。 …から
阪口 ユウキ
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あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで! こんにちは! 個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口といいます。 僕は今の仕事をはじめてまだ稼げなかったとき、2011年9月~2012年4月まで、 大阪・あいりん地区のドヤ街で暮らしていたことがあります。 (詳しい経緯は「 鬱病で半年間寝たきりだった僕が、PC1台で世界を飛び回るようになった話。 」で書いてます)
麻丘 亜希
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海外ノマドな姉が、引きこもり4年目の弟を芥川賞作家にしようとする話

私は現在、起業4年目です。 自分でデザインしたエプロンを、ネットショップで販売しています。 ショップ運営の他には起業支援、時間と場所にとらわれない働き方を目指す「海外ノマド倶楽部」のディレクター(運営)をしています。 基本はどこでも仕事が出来るので、国内外を問わず気分や気候に合わせてふらっと出かけています。 午前中は仕事、午後は観光。 30歳、まさに 独身貴族です。 そんな私には、引きこもりの弟がい
阪口 ユウキ
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異国の街に大好きな恋人を置いてきた。その悔しさを晴らすためだけに起業した話。

こんにちは! WEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口といいます。 僕は23歳のときに会社を辞め、24歳のときにWEBで起業しました。 25歳のときに出国をして、それから海外を転々としながら、WEBサイトを作ったり、コンサルティングなどをしています。 しかしそれは、 社会にどんな価値を与えようだとか、どんな貢献をしようだとか、そんな立派な理由があってはじめたものではありませんでした。 僕が起

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