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稲葉 瞳

1987年東京生まれ。ロサンゼルス在住。
7歳からクラブを握り、以後どっぷりゴルフ人生を歩む。
高校はニューヨーク、大学は日本でいずれもゴルフ部所属、キャプテンを務める。
卒業後就職したものの、「やっぱりゴルフがしたい!」と思い、25歳にしてプロゴルファーへの修行の旅へ。
Golfestというゴルフ情報発信サイトで、Hittyという名前でライターもしています。

https://golfes.jp/tag/hitty/

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稲葉 瞳の人生のストーリー

会社員だった私が突然会社を辞めて、ただゴルフがしたい一心で渡米してプロゴルファーを目指した話 -① 宣言

さて突然ですが、ここに宣言します。 私 稲葉瞳は、2013年からアメリカで始めた プロゴルファーへの挑戦を、           来年も続けます!! …実は数週間前、「挑戦を終えます!」と書きかけていたのですが、この文章を書いているうちに色々なことがあり、気持ちが変わりました。(笑) 挑戦の最初のうちから、自分の体験をシェアしたいという思いがありましたが、今までずっと書けませんでした。 それは忙しい

会社員だった私が突然会社を辞めて、ただゴルフがしたい一心で渡米して プロゴルファーを目指してる話 ② 願い

ゴルフと聞いて、皆さんはどんなイメージを持つでしょうか。 「老若男女が一緒に楽しめる」 「ゴルフ場の緑に囲まれると現実逃避できる」 「ネットワークを広げる武器になる」 こういうのはポジティブですね。 一方で、 「お金持ちの娯楽」 「政治家や経営者が遊びでやってる」 「年寄りの接待」 (↑こんな感じ?笑) …残念ながらそんなネガティブな印象を持った人もいまだに多いと思います。 実はどれも正しくて、捉え

会社員だった私が突然会社を辞めて、ただゴルフがしたい一心で渡米してプロゴルファーを目指している話 ③ キッカケ

アメリカに来たかった理由 私がロサンゼルスを選んだ個人的な理由 ちなみに私がなぜカリフォルニアはロサンゼルスに留学したかというと、ご縁があったからに他なりません。 私が社会人として働いていた頃。私が勤めていたのはゴルフ産業とほぼ関係ない会社でした。 「ほぼ」というのは、その会社が日本の女子プロツアーの冠スポンサーで、トーナメントを持っていたからです。 ただ実際の業務とはほぼ無縁だったため、1年に一回

現在28歳でアメリカでプロゴルファーを目指している私が出来上がるまで。(大学時代 –リーグ戦)

レギュラー争いとリーグ戦 体育会ゴルフ部では 「個人競技を団体で戦う」 という経験をしました。 (以下 学生ゴルフ競技の具体的説明になるので、その分野に興味のない方は是非すっ飛ばしてください。 自分が本を読む時、こういうパートは面白くないので流し読みしてます) 部活動の主な目標は、年2回ある「関東大学対抗リーグ戦」で優勝する事でした。 リーグ戦は上位から6校ずつを区切ってA、B、Cブロックと分けられ

現在28歳でアメリカでプロゴルファーを目指している私が出来上がるまで(高校時代)

ニューヨーク校ゴルフ部 高校はニューヨークにある私立の日本人学校に進学しました。 親の仕事の都合で?と聞かれることが多いのですが、寮制の学校に1人で行きました。 16年間日本で育ち、親元を離れたこともなかったのに、 無鉄砲100% 。(笑) (これまたユニークで充実した高校生活を送ったのですが、それはまたゴルフと別に長くなるので、また違う話で。 また、学校の名誉の為に言っておきますが、私みたいな無鉄

現在28歳でアメリカでプロゴルファーを目指している私が出来上がるまで。(大学時代 –体育会入部)

帰国 さて、ニューヨークの高校から日本の大学へ進学した私。 覚えていらっしゃるでしょうか。アメリカは9月入学6月卒業、日本は4月入学6月卒業です。 つまり 2006年6月に高校卒業した私は、2007年の4月まで待たなければならないんですね。 19歳。受験勉強も仕事もない。 人生で最も輝くべきモラトリアム期。 夢の10ヶ月! で、私は何をしたかというと、 約半分を キャディのアルバイト に費やしました

現在28歳でアメリカでプロゴルファーを目指している私ができあがるまで。 (大学時代 –体育会下級生)

初めての合宿 ※これまでのお話:海外の高校を卒業して帰国し、鼻息も荒く入部した体育会ゴルフ部。ビビっていたものの、そこは頑張るお嬢様達の花園だった。 最初は、女子の先輩達の中に混ざってゴルフをするのがとにかく新鮮でした。 まず、飛距離で置いていかれることがない。 ラウンド中、恋愛話やら最近の映画やらの談話がある。 「ナイスショットでーす!」「ナイスパットでーす!」と黄色い声が飛ぶ。 でも、一番困った

会社員だった私が突然会社を辞めて、ただゴルフがしたい一心で渡米してプロゴルファーを目指した話 ④ 婚約破棄(笑)

実は2年間の予定だった 2013年1月の渡米当時、お付き合いしていた彼氏がいました。彼とは高校の同級生でしたが、私が社会人、彼が医学生5年生の頃に付き合い始めました。 もともとお互いの性格を知っていると思っていて、気兼ねのない付き合いを始めたつもりでした。 15歳で初めて会った時の私達と、23歳になって成長した私達では、付き合ってからこんなんだったっけ、と相違点に気づくことも沢山ありました。 それで

(前略)ただゴルフがしたい一心で渡米してプロゴルファーを目指した話 ⑤ 最初の1ヶ月

脱 週一ゴルファー さて縁あって会社の先輩の後輩、Oさんを紹介してもらいました。 更にその師匠のYさんを紹介してもらいます。 Y師匠は日本人で、ロサンゼルスに居住歴計10年以上。 自身も脱サラ後、プロゴルファーを目指して渡米。ツアープロは断念したものの、ティーチングプロになって、世界で戦えるツアープロを育てたいというアツイ人でした。 最初の1ヶ月は、そのY師匠のご家族(奥様と男の子2人)の家にホーム

ニューヨーク高校の寮暮らし

初めての2人部屋は、色んなことを共有する場だった 15年間日本生まれ、日本育ちだったけど、思い立って海外の学校に進学することにした。 高校はマンハッタンから1時間くらい離れた郊外の、ニューヨーク。 9月の入学式を前に、8月2週目の入寮日。 名簿順に2人ずつ割り振られた小さな部屋。シャワー・トイレ・洗濯機は1フロアで共有。 ドキドキしながら係りのお姉さんに案内してもらうと、まだ私のルームメイトは着いて

(前略)ただゴルフがしたい一心で渡米してプロゴルファーを目指した話⑥ 3年半でコーチを5人変えて気付いた事

結論から先に言うと、コーチは一人に絞ったほうがいいです。 私はゴルフをかれこれ21年(!)やってるわけですが、今のレベルに来るまで紆余曲折、遠回りしてきたと思います。 7歳からクラブを握った私ですが、ずっと一人のコーチに教わっていたわけではなく、いろんな人に教わって育ち、18歳くらいの時にベストスコアはまだ82だったのを覚えています。 日本では3回以上レッスンをとったことがあるのは5人くらいかな。一

ゴルフ部時代のメンタルトレーニング

「時間」と「規模」の尺度を変える 時間の尺度は、長い目で見て、「今はこういう時期なんだ」とか、「辛いことも長くは続かない」とか考えたり、短期的に今この瞬間に集中したりする思考法。 規模の尺度は、「宇宙から見たら私の悩みなんてゴミみたいにちっぽけだ」と思ったり、逆に「このチームの中では自分が一番だ」と思ったりする思考法。 これはゴルフ部時代のメンタルトレーニングのグループディスカッション中に出た発言だ

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