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Mizuno Keiko

社会人になって初めてダイビングインストラクターになりたい夢を持つ。しかし、OLとの両立3年目にして会社が倒産。バブルと共に夢もはじける。いろんな会社で働くが、結局、旦那さんの会社で働くのが一番長い。

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Mizuno Keikoの人生のストーリー

もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。 戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。1話

はじめに 私の祖母は福島県双葉郡富岡のある村で暮らしていました。 小さい頃、体が弱かった私は、よくこの田舎に預けられていました。 夏には蛍、冬には満点の星、新鮮な食べ物、小高い丘から見えるのは福島の青い海でした。 自然の素晴らしさを教えてくれたのはこの田舎で、祖母は田舎暮らしの知識を教えてくれました。 そんな祖母が体験した  私 昔、日本ではこんなことがあった という事を、自分の息子にいつか知っても

もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。2話

祖母の名はチヨ。 大正二年八月に、福島県富岡にある庄屋の長女として生まれた。兄と妹の三兄妹であった。チヨは学問に熱心な桃割れ髪のいわゆるお嬢様であった。しかし、チヨの父は昔かたぎな人で「女に学問は必要ない。」といって一方的に学問への道を閉ざしてしまった。そして、親同士が決めた許婚と結婚をさせてしまった。 しかし、チヨが結婚した夫には結婚する以前から付き合いを続けている人がおり、挙式をあげたその日から

もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。 戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。3話

実直に任務を遂行する寅清は、軍曹になった。 一方、チヨは夫のいる満州へ向かう事を決意する。 周囲からは猛反対されたが、当時、満州にはたくさんの日本人が移住しており、日本語が通じると言われていた。この時二人にはまだ子供がおらず、自分ひとりだけの渡満であれば可能だとチヨは思ったのである。 昭和20年8月時点で満州に住む日本人は推定155万人といわれていました 昭和17年、黒龍江省に住んでいた日本の部落(

もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。4話

チヨは一刻も早くここから逃げ出さなければならなかった。 軍人の家族という事が知れたら、命の保証はないと思ったのである。また、生活を共にしてきた仲間の家でも、次々と男手を失っていた。残された女達は集まり、一致団結して大連に向かう事を決意する。 チヨは避難し始める前に、何度もグループのリーダー格から「子供は置いてゆけ」と言われた。自分が助かるかもわからない逃避行に子供を連れてゆく自信のない母親は知り合い

もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。5話

季節が冬に近づくにつれ、 難民達は外で休憩を取るのが難しくなっていった。 まともに食事を取ることも難しく、彼らはいつも飢えていた。チヨと二人の子供達も、みるみるうちに痩せていき、子供達は手足が細く、腹だけがぷっくりと出て目が妙に大きくギョロギョロしていた。 チヨは時折、小銭や食べ物を手に入れる為、立ち寄った村や町の中国人宅で小間使いをしていた。身重の体で一日中、外で洗濯仕事をさせられるのは辛かった。

もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。 戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。6話

チヨ達のグループは日に日に人数が減っていった。 あるの者は子を失い、ある者は日本に帰る事をあきらめ中国人の妾となった者もいた。病気になったり、発狂して自殺するものもいた。 そして、何より彼女達が最も恐れていたのがソ連兵だった。昼夜問わず避難先に押し入っては金目の物を略奪し、手当たり次第に女性達を物色しては連れ去っていった。そこで彼女達は一見して女性の容姿とわからぬように、髪を短く刈り上げ、顔に泥や墨

もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。 戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。7話

長春付近までやっとの思いで辿り着くと、ここで初めて鉄道を使った。 鉄道を使ったといっても、切符を購入して乗車したわけではなく、囲いのないトロッコに飛び乗っただけである。長春から吉林省までの移動の情景は唯一きよしが旧満州生活の中で記憶に残っているものである。 きよし 満鉄と呼ばれた鉄道のレールは太く、トロッコはものすごく速く感じた。振り落とされないように必死でしがみついていたが、風がものすごい勢いで顔

もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。 戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。8話

満州で終戦を迎えてから約2年、チヨと三人の子供達はやっとの思いで日本の土を踏む事ができた。 故郷の福島へ向かう列車では特別な配慮で無賃で乗車させてもらい、その代わり、通常の乗客口は通らせず、荷物の出し入れをする出入り口を使って乗車した。 チヨにとって窓から見える日本の光景は戦争の爪跡こそ数多く残ってはいるが、少しずつ人々が活気を取り戻しているように見えた。そして列車を乗り継ぎ、故郷の駅に降りた。 チ

もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。 戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。後書き

終わりに・・・ なんとか、終戦の日に書き終えることが出来てよかったです。途中でたくさんの人に、読んで良かったとか、リクエストのメッセージを頂いたりして、励みになりました。読んで頂いた皆様には、私の長く、つたない文章にお付き合い頂きありがとうございました。 この話は、叔母の話をもとに、時代背景を自分なりに調べて書いたものです。時系列などはもしかしたら前後があるかもしれませんが、そこは素人の文章としてお

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