STORYS.JP

深浦 希峰

略歴:
12歳までのほとんどの期間を中南米(ボリビアの日本人移住地:8年,他チリ・グアテマラ・ホンジュラス等)で過ごす.
中学校進学を機に, 日本へ.
筑波大学入学後,アメリカ,パデュー大学航空宇宙工学科での交換留学を経て,来年社会人です.

ストーリーをリクエストする

深浦 希峰の人生のストーリー

読んでよかったストーリー

Shono Maho
4895
13

第4話(前編)アフリカへ行く彼から学んだ"生きる"こと【少し不思議な力を持った双子の姉妹が、600ドルとアメリカまでの片道切符だけを持って、"人生をかけた実験の旅"に出たおはなし】

その日は朝からなんだか変な日だった。 まずその日の始まりは何となく立ち寄った新宿の電気屋さんからだった。 その時は七月の終わり。東京の街はコンクリートからの照り返しでとても蒸し暑く、あまりの暑さから逃げるようにして近くの電気屋さんに入った。 店内はクーラーがきいていて、とても涼しい。暑かった身体も10分も経てばすぐ冷えてしまうくらい。だから汗がひいたらすぐに帰るつもりのはずだった。 パソコン買わない
Azuma Y
1476
15

(面接編のみ)就活中、運命は必ずしも実らないことを知った。けれど、幸運の掴み方を1つ知れた。

地味な奴が悪魔に見えてくる 就活のグループディスカッションを通して学んだことがある。 その人の全てを知るまで、その人を馬鹿にしてはいけないというものだ。 この記事は、自分のブログに転載いたしました。 下記リンクがその記事になります。 この記事は魂を込めて書いた記事なので、是非読んでみてください。 「Be Excited」 人が面白がってくれるコンテンツを発信していきたい。 記事はこちら
清瀬 史
1

(編集中です)ホットダンスはホットでござる。 part1

【これは、ホットダンス 私の留学は、4ヶ月間の語学留学と、5ヶ月間のモグリ留学。( 留学した理由はこちら。 ) その舞台はアメリカの中央北部、ネブラスカ州オマハ。 とうもろこしで有名なネブラスカ。日本でいうと、富山県みたいなところ。 真ん中なのに、地味で有名じゃない。ちなみに、私は富山出身。 でも、自然が豊かでいいとこなんです。 ネブラスカもそんなところ。 そしてオマハは、世界の大富豪ウォーレン・バ
清瀬 史
14

アメリカという国に日本人が行くべき理由 【part1】

大学4年の時、私は1年休学してアメリカに留学した。 (先にお伝えしますと、留学と言っても、親が子供たちにあててくれた教育費を使った留学、要は親のすねかじり留学だったので、何も大したことはありません。大学4年の私はガキンチョみたいでした。22歳でまだ子供のような私。それでもそんな私の意志と将来を想い、太平洋の向こうへと背中を押して送り出してくれた両親にはただ感謝です。) アメリカでの生活は、私の考え方
遠藤 譲
1716
11

アウトドア初心者が、アフリカで中古車を買ってテントを張りながら100日間旅をしてみた話<1>「プロローグ」

26才 だったボクは、南アフリカで中古の4輪駆動車を手に入れて彼女と二人きりで無計画の旅に出た。 100日 にわたった旅を振り返ってみれば、ナミブ砂漠を縦断し、カラハリ砂漠を横断し、大陸を大西洋からインド洋まで横断し、毎日テントを張りながら アフリカ9カ国 を走破した。 そのほとんどが未舗装の凸凹道であったが総走行距離は 2万1000キロ に上り、地球を半周したくらいの距離を運転したことになる。 こ
Takai Rei
442
6

人生で必要なことは全て旅先で学んだ。 人はなぜ祈るのか?

祈り 昔ミャンマーを旅していた時の話。 首都ヤンゴンの中心にある寺、スーレ―パゴタに行った時、本当に沢山の人々がお参りに来ていた。 寺に入るには裸足になる必要があり、皆ぺたぺたと日差しで温まってる石畳を歩いていた。 本当にたくさんの老若男女が散歩がてらふらっとやってきては真摯にお祈りを捧げてる。 お祈りの仕方はきちんと正座して手を合わせ、床に額を付けまた祈る。 何回やるかとか人それぞれだし、立ったま
Ken Zhao
533
16

ここが変だよ日本企業

全然おなじみではありませんが 日本語が通じないド田舎で生まれた猿が、気がついたら東京でニートになっていた話 を書いた中国人のkenと申します。 数カ月ぶりの更新のような気がするのですが、何事もなかったかのように、しれっと予め設定していたストーリーについて、更新します。 今回、本来のタイトルは「日本企業と中国企業の違い」というタイトルでしたが、どう考えても比べられるものではありませんでした。 なので、

書きかけのストーリー

深浦 希峰さんにもっと聞きたい話リクエストする

|