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寺澤 浩一

日々の仕事の中で考えたことを記します。

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寺澤 浩一の人生のストーリー

香港の学生たちの思いは無力なのか。 大学新聞部で出会った二人の書き手による香港の現在。

自分が無力であることを承知のうえで、どうしても気になっていることがある。中国共産党に反抗して立ち上がった台湾と香港の学生たちのことだ。世間の関心はイスラム国による人質事件に移ってはいるけれど・・・。 大学時代に僕は新聞部に所属していた。当時の学生運動の影響で、左翼系の色合いが濃い新聞だった。そこで様々な政治党派の活動家やノンセクト系の学生と出会い、デモにも参加した。そんな昔の記憶が、ニュースで流れる

香港の学生運動を伝える二人の書き手のこと。(2015年1月)

プロの声楽家・M君に会うと、いつも自問自答する。「お前は毎日、何かのトレーニングを自分に課しているか?」

4歳年下の従弟、M君の話を書いておこうと思う。 M君はプロの声楽家だ。国際基督教大学(ICU)を卒業した後、東京芸術大学の声楽科へ入学した。男性の声帯は20歳を過ぎるまで不安定だから、声楽のスタートとしては決して遅いことはないのだ、と言っていた。 芸大を卒業する時には各専攻の主席に与えられる安宅賞を受賞した。そして「ヨーロッパ言語とベルカント唱法」という修士論文を書いて6年間の芸大生活を終えた。その

ロシア聖歌との出会い、そして従弟のM君のこと。(2014年12月)

田中角栄が自民党幹事長の時代、離党する河野洋平に一言だけ助言した。「毎日必ず、みんなで一緒に飯を食え!」

これは政治の話というわけではありません。 田中角栄氏ほど毀誉褒貶のはげしい政治家はいないと思います。雪深い新潟で育ち、学歴は高等小学校のみ。それが39歳で郵政大臣として入閣し、その後内閣や党の重要ポストを歴任した後に、47歳の若さで自由民主党の幹事長となりました。 のちに金脈問題やロッキード事件、そして最後は病気で政治生命は絶たれます。政治家としての評価は分かれるのでしょうが、その豊かな人間性が多く

今はなき田中角栄の名言。(2014年12月)

「過激派」といわれた新左翼系セクトの友人が、突然アパートに泊まりにきた夜。

昼間の熱気がそのまま居座ったような、蒸し暑いある夏の日の深夜。 突然、アパートの通路に面した明り取りの窓が開く音が聞こえた。 「……えっ、誰?」 眠い目をこじ開けると、暗闇のなかに、通路の暗い蛍光灯に逆光で映し出された男の影が見えた。背丈よりも高いところにある窓によじ登り、男はすでに部屋の中に入ろうとしている。 「誰!」 もう一度、今度は少し大きな声で聞いた。 「Mだよ。悪いが今晩泊めてもらえないか

革命を本気で信じていた、ある友人の物語。(2014年6月)

17年前に語られていた楽天の成長プランと競争戦略。三木谷会長インタビュー。(その2)

楽天・三木谷会長のインタビュー記事、 その1 に続いて2回目をご紹介します。 2 回目のインタビューは、 1 回目から 7 ヵ月後の 1998 年 3 月に行われました。その間、「楽天市場」の出店者数は急速に増えていきました。当時は「インターネットで買い物するわけがないよ」という否定的な見解を語る人も多かったのですが、その間隙をついて事業を順調に伸ばしていったのです。   しかし三木谷さんは、まった

2回目は、三木谷さんの具体的な事業戦略論。今読んでも納得します。(2014年6月)

17年前にタイムトリップ。社員7名だった楽天の三木谷会長は当時、何を語っていたのか。(その1)

1990年代終わり頃に書いたベンチャー経営者へのインタビュー記事、 ガンホーの孫泰蔵会長 に続いて、もうお一人ご紹介します。楽天の三木谷会長です。 三木谷会長へのインタビューは、1997年7月と1998年3月の2回にわたって行われました。今から17〜18年前のことです。三木谷さんが楽天の前身である(株)エム・ディー・エムを設立したのが1997年2月ですから、その数ヵ月後のことになります。当時の社員は

今の楽天を、たぶん17年前から構想していた三木谷さんの話です。(2014年5月)

犬は永遠の一歳児。犬を大切にしよう。

小学生の時、ウチに犬が来た。 白い和犬の雑種で、「シロ」と名付けた。 はじめの頃は学校から一目散に帰り、いつも一緒に遊んでいた。 けれど、飼い方を知らなかった。 正しいエサの与え方も、散歩のさせ方も、しつけの仕方も、 何も知らなかった。 父は会社で、母はお店で忙しく、そして僕は友達との遊びに夢中で、 シロへの関心は薄れていった。 やがてシロは病気になり、とても可哀相な死に方をさせてしまった。 最後の

僕が一緒に過ごした、2匹の犬の話。(2014年5月)

パズドラで急成長するガンホーの孫泰蔵会長が、東大受験に2回失敗した時に、兄・孫正義ソフトバンク会長から教わったこと。

だいぶ昔の話になりますが、1990年代終わり頃の数年間、僕はある大手証券会社のベンチャー企業支援事業のお手伝いをしていたことがあります。具体的には、全国の中堅・中小企業の経営者や起業家向けに月刊情報誌を編集・制作する仕事でした。その中で、当時注目され始めていたベンチャー起業家に毎月1人ずつお会いし、インタビュー記事を書いていました。 ガンホーの孫泰蔵会長(当時はインディゴ代表取締役)にお会いしたのも

重要なことは「割り算型計画」と「スピード感」。(2014年5月)

宇多田ヒカル以外は、みんな会いたいんだ。

会いたくて会いたくて震えるのが西野カナ。 会いたくて会えないから私だけを見てほしいのが加藤ミリヤ。 会いたくて会いたくて眠れないのが松田聖子。 会いにきて会いニージューなのがゴーバンズ。 会いたくて会いたくて再びあなたに会える夢をみてしまったのが柴田淳。 会いたくて会えなくて長すぎる夜に光を探してるがGLAY。 会いたいから会えない夜にはあなたを思うほどUh UhするのもGLAY。 会いたくて会えな

ある女性のLINEから転載。その編集能力に脱帽!(2014年5月)

吃音に苦しむ、若いK君の未来のために。「恐怖突入」というキーワード。

ひょんな縁で、22歳の大学生・K君と知り合いました。彼は重症の吃音(きつおん=どもり)で、それをたいへん悩んでいました。僕にとって吃音は決して他人ごとではなく、中学3年からの10年あまりの間、悩みに悩み抜いたもっとも重大な問題でした。 K君のこれからの長い人生のために、そして自分自身が経験したことが誰かの役に立つように、この雑文を記します。かなりの長文で、ちょっとしたカミングアウトになりますが、ご容

吃音という発語障がいについて聞いてほしい(2014年4月)

印刷機を売るために、地下鉄を作る営業マンの話。

以前、三菱重工の印刷機事業の営業マン・Tさんのフルアテンドで、台湾と香港の印刷所視察の旅行に招待されたことがあります。東京の印刷会社2社の社長と一緒に、1週間ほどの日程で、十数社の印刷所を見学しました。印刷機は1台数億円するので、3人を招待しても十分元はは取れるのでしょう。 当時30代だった僕は、務めていた会社(UPU)の子会社の社長をやっていて、その2社の印刷会社に大量の印刷物を発注していた関係で

営業シナリオを、大きく広げようという話(2013年7月)

「いとしのエリー」誕生秘話。

2013年6月25日は、サザン35周年。所属事務所のアミューズの偉い人から昔聞いた話を記しておこうと思います。記憶違いがあったら、ごめんなさい。 ……桑田君のことは、青山学院の頃から知っていたよ。新宿ロフトに出ていた時も、よく聞きにいった。当時はコミックバンドと間違われることもあってね。でもとてつもなく尖っていた。 デビュー曲の「勝手にシンドバッド」は、彼らの尖った個性が前面に出ていた。だからブレイ

サザンの事務所の大先輩から昔聞いた話(2013年6月)

作業中に声を出してはいけない工務店の話。

少し前のこと、松江の飲み屋で、24歳の若者に会った。15歳で鳶になり、いろんな悪戯もしたようだが、今は工務店を経営するイッパシの社長だ。 面白い話だった。彼の会社では、どんなにベテランの鳶でも、ヘルメットに初心者マークを貼るのだという。プロの職人の自信やプライドは、えてして油断に繋がりやすく、命を落とすことになるからだ。初心者マークは、いわば鳶の初心を忘れないための決意の表れなのだろう。 もう1つ。

地方都市の若い社長の、へぇ〜という話(2013年6月)

就職活動中の皆さんへ。人事部採用担当者を唸らせる「志望動機」の固め方。

最近、ほんとうに久しぶりに人材採用のテーマで相談を受けました。もう15年以上その世界からは遠ざかっていますが、昔取った杵柄を思い出すために、ちょっとしたノートを書いてみます。少し長文ですが、お付き合いいだけると幸いです。 今年の2月27日、日本経済新聞社の就職人気企業ランキング(総合)で、上位10社を金融・保険が独占したと報じられていました。 https://job.nikkei.co.jp/201

あなたは何故、銀行や商社を希望するのか?(2013年5月)

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読んでよかったストーリー

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ママのネットワークが困る人を助ける~流山市なこっこの出逢い~

以前住んでいた地域でのママ友の関係性を一言で表現するならビジネスライクの人が多かった。(もちろん全員ではない。)   ここ流山に越してきて、とにかく右も左もわからないような状況で、せっかく仲良くなった保育園や公園のママ友たちとも物理的に距離ができてしまって、不安でいっぱいのときに なこっこのイベントで主催の田中由実さんと出逢い、一番驚いているのは親身になってくれるということと、温かい人柄のスタッフさ
Androsace Camaejasme
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日本一の高校を卒業した18歳が単身陸路ヨーロッパを目指しシルクロードを踏破する話

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大塚 雄介
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