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駒崎 クララ

駒崎 クララの人生のストーリー

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駒崎 クララの人生のストーリー

CAだった頃

高校生の時 CAは、お客様を守る 保安要員として乗務することを知った。 すばらしい仕事だと思った。 それから、CAになろうと決めていた。 CAの採用募集は、 各航空会社ごとに、 それぞれのタイミングで発表される。 全く採用の無い年もある。 私がCAになるために 就活した年は、 当たり年で、 たくさんの航空会社が採用募集を出した。 その中で健康診断まで行った会社があった。 (最終面接の後、健康診断のあ

洗濯バサミと釣り糸と針だけで魚をたくさん釣る方法

ヨットでの航海中 船長の父から必要最低限のモノしか 所有することを認めてもらえなかった。 ある日、港で拾った糸と針。 きっと釣りをしに来た人が  糸が切れたので捨てていったもの。 釣竿は持っていなかった。 ヨットに帰り、 洗濯バサミにまきつけた。 餌は朝食の残り、食パン。 食パンを口で少し湿らせ こねて針につける。 驚くほど釣れた。 それまでは、 石の裏にいる 海老や小魚を手で捕まえていたけど その

コンチ貝はとても重いということ

海面から5メートルくらい下にある コンチ貝。 コンチ貝を初めて見つけた時は、 食べれると思わなかった。 一つを潜ってとった。 重かった。 抱えて父親に持って帰った。 同じように航海している 船のクルーに 食べ方を聞いて、 食べた。 とっても美味しい。 次の日、 あまりのおいしさに 父と一緒に前日のスポットまで 探しにいく。 父と一緒に潜って とる。 父が両脇にかかえて、 先に浮き上がっていった。 私

読んでよかったストーリー

ito sho
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スペインに留学すると言ってとある離島に1年間住んだ話 到着直後

突然のぼっち  留学先が決定した1週間後… 既に僕は成田空港を旅立ってマドリードについていました。 現地スタッフ あなた、明日の出発は朝の5時だから気をつけてね!(この時既に夜の8時) 僕 え、え、え…?(英語なのでなんとなくしかわからない) 編集  とりあえず、朝の5時にマドリードの宿泊先を出ないと行けないということらしい。だから寝ること無く朝5時に指定の場所に集合した。 そして、他の現地スタッフ
Sato Masashi
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【慶二郎】祖父の話を残そうと思う

プロローグ 休み時間に電話が震えた。 着信は「英雄」 父親だ。鼓動が少しだけ速くなった。 父親は僕にはめったに電話をかけてこない。 その彼がかけてくるという事は、間違いなく緊急の要件だ。 大抵は人の生き死にが関わっている。 小さく深呼吸して電話に出た。 「もしもし」 「まさしか?」 「あぁ。どうした?」 「うーん、爺さんなんだけどな…」 妙な間があった。鼓動が一拍強くなった。 「今回はもうダメなんだ
迫平 直幸
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サラリーマンという夢 ~パパは、そんなワクワクしながら会社に行っていないよ・・・~

「大人になったらオレも、パパの様に会社に行く!」 それはそれはワクワクした感じで話していて、側で聞いていた妻は笑みを浮かべて聞いていました。 私はというと、やっぱり息子がそう思ってくれているのはうれしい。 反面、息子のワクワクしている感じと、私が実感していていた“会社で働く”というイメージとのギャップに困惑しました。   パパは、そんなワクワクしながら会社に行っていないよ・・・   会社で働く=サラ
笠井 レオ
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僕が外国人に間違えられたエピソード7つ

【序章】僕は決して、スペイン人ではない 僕、笠井レオ(本名・写真右)は生まれつき、出逢った人ほぼ全員に 外国人と間違えられる という才能を持っています。よく間違えられる国々は、スペイン、ブラジル、アメリカ、アルゼンチン、ペルーです。こちらの国々の皆様、ご迷惑おかけして申し訳ありません。 ちなみに、よく言われる一言は 「日本語上手いね!」 です。 今日、このstorys.jpで発表させていただきます。
小玉 直人
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人生の大先輩から学んだこと

まだ高校生で人生経験の少ない私に かけることがあるかな?・・・ そう思ってたおとといの出来事です。 私は札幌駅前の書店で英語の本を見ていました。 地元の本屋さんでいつもと同じ買い物。 なんらいつもと変わりません。 しかしこの後に起こる出来事が、 私に深く感銘を与えました。 あるおじいさん、60くらいでしょうか白髪交じりの 短髪の方でした。 その方は私に 「英語の文を訳していただけませんか」 と丁寧に
池上 隼人
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”大切な人”の左側・・・

にいるのが落ち着きます。 私の母は左側の耳しか聞こえません。 しかも人の半分以下の聴力でしか聞き取れないのです。 子供の頃はそんな母の左側にいつも回って 話を聞いてもらった記憶があります。 いつしかそれが癖になり、知らず知らずのうちに 右側にいると落ち着かないようになってしまいました。 僕が左側にしかこないなーと思った方、 それはそういう事かもしれません。
Mitarai Chiharu
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ミサイルと戦車を目の前で見て感じたこと

1991年1月の朝 10歳の私は、パキスタンの首都イスラマバードにいました。 夏場は40度を超える暑い日もあるパキスタンですが、 1月はとても寒く、その日も少し身震いする寒さでした。 リビングに行くと両親が食い入るようにTVを見ています。 「戦争が、はじまっちまった。」 それまで日本で平穏無事に過ごしていた私にとって、 “戦争”というのは遠い昔の話で、自分には何の関係も ないことだと思っていました。
藤井 拓也
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サバンナのど真ん中で家族そろって遭難

子供の頃、一家でケニアに旅行に行った時のこと。 当時の私と弟は、どうしても野生のライオンを直に見たい、という思いがあってそのケニア旅行をとても楽しみにしていた。そのためなら、現地に向かうための、とんでもなくアクロバティックな飛行をするセスナ機にも、ゲロ袋を握りしめながら必死に耐えもした。 さて、一度サバンナに行ったことのある人ならわかると思うが、あそこにはコンビニも自動販売機もないのである(当然!)

書きかけのストーリー

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