「恋したひとは車いす」出版第7弾著者インタビュー STORYS.JP

STORYS.JP出版第7弾

STORYS.JP書籍化第7弾、「恋したひとは車いす」が、徳間書店より発売されました。 ライター養成学校に通っていた著者が、たまたま取材対象に選んだ「車いすテニス」。 テニスコートで出会ったひとりの男性に感じたのは、初対面にも関わらず「結婚の予感」でした。

思い描いていた理想と違ったのは、彼が「車いす」だったこと。

車いすの彼と共に歩んだ、結婚、出産、子育てという道のりのほか、スポーツとしての「車いすテニス」の魅力や、バリアフリーの現状、ライターとしてのキャリアなど、恋に悩んでいる方はもちろん、仕事や子育てに悩む女性にも、是非読んで頂きたいドキュメンタリー作品となっています。

本インタビューでは、車いすの旦那さんと2人の子供たちとの現在の暮らしぶりや、ライターという仕事についてのこと、そして、いま、多くの女性が直面する不妊治療を中心に、本書の著者である酒井朋子さんにお話を伺いました。

著者インタビュー

著者の酒井朋子さん

今でも毎日何百人もの人が読んでくださる驚きと、完成本を見て泣いてくれた両親

━━━ STORYS.JPに投稿して頂いて、すぐ読者の方から多くの反響がありましたが、どのように感じられましたか?

酒井:

最初はプロローグだけ書いたんです。
読んでくださった方は「このあとどうなるの?」っていう興味が湧いたみたいで、 「つかんだな!」という感じでした(笑)。最初にプロローグを書いたのが、読み物として良かったのかな、と思います。
夫の経歴については、「この人の人生は面白い」とずっと感じていましたから、多くの人にも知ってもらいたいと思っていました。
今でも毎日何百人という人が読んでくださっているので、それにはびっくりしてます。

━━━ 書籍化が決定したとき、旦那さんやご家族はどんな反応をされてました?

酒井:

夫は「へえ、そうなんだ。いいんじゃない?印税が入れば、俺、仕事辞められるかな」って言ってました。
実は、夫には内緒でストーリーをアップしていたのですが、そのことについて全く気にしないので、この人すごいなって思いました。
両親には、昨年の9月に初めて編集の方とお会いした後に書籍化の話を伝えました。 完成した本を送ったら、届いた本を見て泣いてしまったようです。すっごく喜んでくれたみたいで、それがうれしかったです。
父からはその日の夜に「読んだよ、泣いちゃった」とメールが来たんですけど、 母からはなかなか感想が来なかったんです。
そんなに読むのに時間かかるかな? と思っていたら、次の日に「2回も読んじゃった!」とメールが来ました。

━━━ 印税(笑)...皆さん寛大というか、喜んでくださってたんですね。

運命を感じた初めての出会い、反対されながらも始まった結婚生活

━━━ 本書では旦那様との出会いに関して、「この人と結婚するんだろうな」と思った明確な理由があったわけではなく、そう直感した、という風に書かれていますが、今振り返ってみてどう思いますか?

酒井:

なんであんなに惹かれたのか、今でもよく分からないです。話してみて、「この人だなぁ」と思いました。
向こうも「結婚」っていう文字ではないけど、「伴侶」というか、「パートナー」というか、そういった何らかの付き合いや、縁はあるだろうなとは思っていたみたいですね。
もうダメかも、と思う日もありました。
付き合って1年くらいは私もまだライター専門学校の学生だったから気持ちに余裕もあったんですけど、 2年目に入ってからが結構大変でした。当時はまだ実家に住んでいて、両親からは反対されていたし、テニス雑誌の編集の仕事が決まったころで。
向こうは「30歳目前で、仕事もしてるのになんでそんなに親の目を気にするの?」と疑問だったみたいでした。でもこっちはそう言われても困る。親も大事だし、彼も大事だし、どっちも大事。それを分かってほしいけど、うまく表現できなくて食い違うこともありました。仕事のことにエネルギーを使ってしまって、彼に対しても、両親に対しても、あのころは解決する気力がなかったのかな、と思います。
実家を出てひとり暮らしをするようになって、相手の生活パターンや行動パターンなどが分かるようになってからは、関係も安定したように思います。

━━━ そうだったんですね。本書では旦那さんがコラムを書いてくださってますが、その中に酒井さんが「ずぼら」だという話も出てきますね。

酒井:

はい(笑) 。基本的に面倒くさがり屋です。その代わり相手にも求めないです。お互いに、あまり相手に注文をつけるようなことは言わないかもしれないです。気になることがあると、夫は自分で動くので、それを見て私も動くという感じでしょうか。

━━━ 一緒に生活をしていく上では、とてもいい関係ですよね。ケンカすることも少ないですか?

酒井:

う〜ん、ケンカというより、私が不機嫌になるくらいですね。
私はケンカとか面倒で逃げるタイプなので。たまに口論して険悪な雰囲気になっても、次の日の朝には夫のお弁当作ってるとか、そういう感じですね。

旦那さんのことについて語る酒井さん

シドニー五輪・スポーツ報道で感じた違和感が、ライター人生のスタートに

━━━ 最初に勤めてらしたところを辞めて、ライターの養成学校に行かれましたよね。そのあと就職して、編集職を経験された後、フリーになられた。そういったキャリア形成には、決め手があったのでしょうか。

酒井:

最初にライターの養成学校に行こうと思ったのは、お金が貯まったからというのがあります。
まず、1年仕事をしたら思った以上にお金が貯まったんですよ。
最初は、カウンセラーに興味があったので、勉強しようと思っていろいろ始めてみました。
それを3年くらい続けるうちに、迷いが生じて。そのまま勉強を続けることに疑問を持ち始めていたんです。
その頃、ちょうどシドニーオリンピックをやっていて、水泳の千葉すず選手がマスコミにたたかれていたんです。
そういう報道を見て、「それは違うんじゃないかな」って思っていました。
子供のころからスポーツが好きで、テレビで観戦したり、スポーツ報道についてよく見ていたんですけど、選手に対してマスコミがバッシングするということに違和感がありました。
マスコミの人たちが競技をするわけじゃないし、結果が出ようが出まいが、それを伝えるのが仕事だと思うんです。
負けていちばん悔しいのは選手本人なのに、それに対して「何位に終わった」という表現をする。「『終わった』って なんだよ!」とよく思っていました。
そういう思いがずっと頭の中にあって、そんなときにライター養成の学校にスポーツ科というのがあるのを新聞で見つけたんです。
大学生のころにマスコミを目指していたときは、「マスコミ=社会や政治の報道」というイメージが大きかったのですが、「そうか! スポーツっていうのがあったんだ!」と思いました。
そして、すぐに「私ここの学校に行きたい!」と思いました。 母には「仕事どうするの?」「今勉強しているものはどうするの?」と言われましたが。

━━━ ご両親はそう思いますよね(笑)。 大学生の頃に「スポーツ科」っていうのを見ても、そんなにピンとは来なかったでしょうし、タイミングというか、縁があったんでしょうね。

酒井:

あと自分のお金で行けるっていうのも大きかったです。 最初の職場は、最初は周りの人の手伝いしかできなかったのが、人が辞めて人数の減ってしまう部署に異動させられることが続いたんです。
それは「2〜3人分の仕事をこの人はできる」って思われてることなのかな? と、自信を持つようになっていきました。
最終的には経理の出納係になったんです。本社の女性の仕事で、そこがピークかなと思いました。
出納係は本社の現金を任される仕事ですから。この会社に居る限り、これ以上の仕事は回ってこないなと思いました。 仕事も4年続けて、続けてきた勉強にも疑問を持つようになって、そのときに「ライター養成学校」の「スポーツ科」というものに出会った。
そういうタイミングが重なったこともありました。
編集の仕事も4年やったんですが、同じようにここではこれ以上成長できないなと思って辞めた感じでしたね。

━━━ 仕事を辞めることは旦那さんには相談されてたんですか?

酒井:

ううん。特に相談はしなかったです。夫がマンション買うと言い出したのと、仕事を辞めようと思ったのがほぼ同時進行でした。
辞めるときは、まだ結婚は決まってなかったんですけど、寿退社と思われて退職しました。
そのあとすぐに結婚が決まったので、ほぼ寿退社ですけど。

聞き慣れた言葉「バリアフリー」は、案外まだ浸透していない

━━━ 日本は海外に比べてまだまだバリアフリーが進んでいないと本書にも書かれていますが、住居探しは大変でしたか?

酒井:

夫の条件は屋根のある車いす用駐車場のあるマンションで、私は1階で庭がついてて、南向きで日当りがいいというのが条件だったんです。
夫は日頃からマンションのチラシ見るのが好きで、たまたまいい物件がチラシに載っているのを見つけたんです。1階で南向きのところが空いてたので、ラッキーでした。
最近の新築のマンションには車いす用の駐車場を用意しているところは多いんですけど、だいたい野ざらしなんですよ。
車いすで乗り降りするのに、雨だと濡れてしまうんですけどね。実際に利用する人のことをイメージしてないな、と思うことはまだまだ多いです。

━━━ まだまだバリアフリーには遅れがあるんでしょうね。これからますます高齢化社会になっていきますし、もっと進んでほしいですね。

酒井:

夫が車いすになったばかりのころに比べれば、よくなったほうですけどね。
でも、夫はどこにでも出歩いちゃうタイプだから、車いすになってちょうどいいかもしれないっていうくらいなんです。
歩けてたら本当にどこか行っちゃってただろうなって。
本人もそう言ってます(笑)

━━━ (笑)本書からも、とてもアクティブで前向きな感じが伝わるので、車いすというハンディキャップがある方とのお話ということをついつい忘れてしまいます。

車いすの夫が子育てパパに。みんなのおかげで両立できた、仕事と育児

━━━ 子育ても工夫されていたんですよね、旦那さんにもできるおむつ替えの方法を考えたり。ただでさえ大変な育児を、どのようにして乗り越えられてきたんですか?

酒井:

夫は何にもできないと思ってたんですよ。だから全部自分でやらなきゃって思ってました。だけど、意外とできるんですよね。
おむつを替えるのもできないと思ってたんですけど、夫がソファに乗り移って、広げた足の間に子供を寝かせるんです。
そうすれば普通におむつ替えができるんですよね。
お風呂は最初から手伝ってくれてましたし。最初の1カ月、新生児のころは実家の流しで沐浴したんです。
夫は実家の台所で料理も作ってたし、お皿洗いもやっていたから、沐浴は普通にできるだろうと思ってました。

━━━ なるほど!ロンドンへパラリンピックの取材に行かれたのは、娘さんが1歳半のときだったんですよね。

酒井:

そう。その前の2008年の北京パラリンピックのときは息子を預けて1人で行ったんだけど、まだ1歳にもなってないときでした。よくそんな小さい子供を置いて行ったな、と思います。
2004年のアテネパラリンピックのときは、まだ結婚前で編集部にいたときですけど、そのときの職場の編集長にも、雑誌の校了にかかってしまうけど行かせてくださいってお願いしてたんです。
その前年(2003年)に国別対抗戦で日本の選手たちが優勝という実績を作ってくれていたから許可してくれたようなもので、それがなかったらアテネパラリンピックの取材も行かせてもらえなかったと思います。それもタイミングだったなと思います。
息子を両親に預けて北京パラリンピックに行ったときから、「次のロンドンどうするの? もしかしたら、ふたり目がいるかもよ」と、夫とも両親とも話はしていました。そしたら本当にふたり目が生まれてて。

━━━ 仕事と母親業のバランスのとり方は苦労されましたか?

酒井:

両立というより、今できること、今しかできないことは今やったほうがいいな、とは思います。そうじゃないことはいつでもいいから、と。
そういう感じかな。それを逃したら、もう絶対元には戻せないことだから、それならやっぱり行こう!って。
周りも「取材行くんでしょう?」みたいな感じでした。
だから、ロンドンパラリンピックのときも「行くならどうするのか」というのを、旦那と両親とみんなで考えた感じです。

━━━ 今働きながら子育てをされているっていう方には、すごい活力というか、励みになると思います。

酒井:

工夫すれば子供がいても、仕事ができないことはないと思います。
私は保育所に預けてフルタイムで仕事をしたいとは思わないタイプだったので、在宅でできたらいいなと思ってやってきました。
でも、在宅で仕事するのって、一見よさそうですけど、子供がいると寝たと思って仕事を始めたら泣きだしたりということもあって、案外難しかったりもします。

━━━ いまは子育てに専念されてるんですか?

酒井:

フリーになってからは、テニス関係の仕事をときどき手伝ったりするくらいで、ちらほらやってる感じです。
今後の仕事も成り行きに任せます。

最近の傾向として、ネットなんかを見てると、今ってもう出版社ありきじゃないと思うんです。
まずネットで話題になって、そこからじゃないと動かないっていうのをすごく感じています。 SNSとかで話題になって、やっとTVが動く。
夫は、私に「何か書けばいいのに」ってよく言っていたんです。「何か書いて、出版社に持っていけばいいのに」って。でも、ネットで話題にならないと、その先は難しいという印象を持ってたので、「今はそういう時代じゃないんだよねー」と思ってたんです。で、夫には黙ってSTORYS.JPさんに書いちゃったんですけどね (笑)。

━━━ 今はお子さんが小学校と幼稚園ですよね。赤ちゃんの頃に比べて、自我も芽生えてきて、好きに動けるようになってきてからというのは、子育てはどうですか? 悩みが増えたりとか。

酒井:

悩みが増えるというより、変わっていきますね。学校に行ったり幼稚園に行ったり、親からは見えない世界に行ってどうしてるかな? とか、そういう心配に変わっていきました。
なにもなかったらいいけど、悩みを抱えていたりしないだろうか、勉強は追いつけているかな、という不安も出てきますし。
今はまだ、自分の世界をこれからどうやって作っていくのかな、というところなので、いつか本人たちが「面白い」と思うものを見つけてくれたら嬉しいですね。

━━━ 旦那さんの方はお子さんが大きくなると、一緒に遊んだりとか、関わり方が大変になったりとかは?

酒井:

サッカーとか、そういう遊びを一緒にすることはできませんけど、特別不便なことはないですよ。公園で一緒にテニスをやったりもしますし、子供たちといろんな話をしてくれています。実のある会話をしているかどうかは謎ですけど。英語で話しかけたりすることも多いですし。

━━━ 本に出てくる、出産時に旦那さんが「カモン」と叫んだというエピソードには笑わせて頂きました(笑)。 お子さんは車いすのお父さんとどのように接していますか?

酒井:

うちの子たち、車いすの人を見ても、「車いすだ」って言わないんですよ。気にならないみたいです。当たり前のことで別に特別なことじゃないし、ハンディだと全然思ってないみたいです。
この前なんか、長男は「僕、大きくなったら車いすになる」って言ってましたからね。ずっと座ってられるから楽でいいって。「学校には階段があるのに、教室にはどうやって行くの?」と聞いたら、「先生たちに運んでもらう!」って、得意そうに言ってました。

意外に知らない不妊治療の現場。「もう1人・・」が言えない

命を授かる。そこに行きつくまでに苦労している方が実は大勢いる

━━━ お子さんは不妊治療で授かっておられますが、どういったところが大変でしたか?

酒井:

もっと簡単にできるものだと思ってましたね。
不妊治療とはいえ授かりものだから、「仕方ない」と思えるようになるまで時間がかかりました。
毎月病院に行って、ダメならまた翌月同じことをする、それがもう、溜息が出てしまって。時間も体力もお金もかかるし、痛みもありますしね。
初めて病院へ行ったとき、「不妊治療を受ける人がこんなにいるのか!」と本当に驚きました。すごく患者さんの数が多いんですよね。
特に有名な病院だったからかもしれませんが、それにしても問題にしなさすぎじゃないのか、と思いました。

━━━ 確かにあまり取り上げられていないですよね。

酒井:

「不妊治療をしてる」って言いにくいところもあるでしょ? 旦那さんのほうに問題あっても、協力的じゃないとか。本当はふたり目も欲しいんだけど言い出せないとか。旦那さんのほうは「もうひとりいるし、いいんじゃない?」と思うことも多いようですね。女性の、"もうひとり欲しい"という気持ちを分かってくれるかどうかっていうのはすごく大きいと思います。

━━━ ふたり目を出産すると決めたときは、「治療再開しようか」と話し合いで決まったんですか?

酒井:

いや、最初から私はふたりはほしいと言ってました。夫はもっと欲しいって言ってましたけど。

━━━ 費用って、どのくらいかかるものなんでしょうか。

酒井:

治療そのものは、病院によっても違うと思いますけど、1回の治療で何十万単位でかかると思ったほうがいいかもしれないです。
保険は利かないので。自治体によっては補助金が出ますけど、それも微々たるものですし。
うちは夫が車いすで脊髄損傷だから、最初から不妊治療を考えていたので、そこは割り切れていたんですけど、
普通は不妊治療に踏み切るのにはすごく抵抗があると思うんです。
子供ができないなら、できない夫婦としての人生を歩まなきゃいけないのかな、とか、無理して病院行ってまで欲しいと思っていいのか、とか。 だから病院へ行くまでに時間がかかってしまって、そこから治療をスタートするから、さらに結果が出にくいということもあると思います。
子供って、すぐに授かると思っていても、案外できなかったりということも多いようで
、そういうことで悩んでる人は、実はすごくたくさんいると思います。
不妊治療だけじゃなく、働く女性も葛藤を抱えているんじゃないかな。
子供はもちろん欲しいけど、でも仕事もしたい。働く女性って、結婚や出産のこととか、すごく悩みが多いと思います。

━━━ 本を通して、そういうところにも注目してくれる人が増えると嬉しいですね。

「同じ境遇の方の励みになるような本になってくれれば幸いです」

━━━ 読者の方になにかメッセージを頂けますか?

酒井:

STORYS.JPでコメントをくださった方の中には、つい最近主人が脊髄損傷になったんです、とか、 そういう方も結構いらっしゃったんです。 落ち込んでいたんだけど、励みになったという感想をくださった方もいました。
実際に脊髄損傷などで体が不自由になってしまって、今まさに絶望に負けそうになっている人たちやそのご家族に、今が最低の状態で、これから上がっていこうと思ってもらえるきっかけになればうれしいです。
同じ境遇の方の励みになるような本になってくれれば幸いです。
あと、私は車いすテニスというものに出会って、自分なりの「道」というものが見つけられたように思います。
20代、30代のころは、何が正解か分からないで進んできましたけど、今になってようやく形が見えてきたように思います。
そういうものが、みなさんにもきっとあるんじゃないかと思います。

━━━ ありがとうございました。

著者の酒井朋子さん

━━━ 最後に余談なのですが、徳間書店さんとのエピソードをお伺いしてもよろしいですか? あとがきに「思い入れのある特別な出版社さん」と記述があったので、どういった思い入れがあるかな、と。

酒井:

小学生のときに映画館で見た『風の谷のナウシカ』に衝撃を受けて、以来「ナウシカ」が大好きだったんです。
それより前に『未来少年コナン』をリアルタイムで見ていて、大好きでしたし、「ナウシカ」を知ってから『ルパン三世 カリオストロの城』も見て、全部宮崎駿監督だったんだと知って、すごい人だと思っていました。
宮崎駿監督の関連の書籍といえば徳間書店さんだったので、子供心に「徳間書店に入りたい!」と思っていました。
本当に憧れだったんです。
大学卒業時に就職活動をしたとき、いろいろな出版社を受けましたが全滅でした。
今にして思えば、そのころ出版社に就職したって、どんな部署に配属されるか分からなかったし、就職できなくてかえってよかったなと、今は思っています。
書籍化の話が来たとき、自費出版程度のお話だと思ったんですけど、まさかの徳間書店さんで。こんなふうに繋がるとは思わなくて、すごくびっくりしました。そして、ものすごくうれしかったです!

━━━ いろんな縁がこの本を作り上げたんですね。
本日は長い時間、どうもありがとうございました。

作品情報

恋したひとは車いす

著者:酒井 朋子

出版社:徳間書店

定価:本体1,400円+税

ISBN-10: 4198639647

ISBN-13:978-4198639648

徳間書店の書誌紹介ページ
恋したひとは車いす
Amazon.co.jpで購入する

著者プロフィール

酒井 朋子(さかい ともこ)

1973年 愛知県名古屋市出身
大学卒業後、会社員となり事務職を経験するが、スポーツメディアに関わりたいという思いから、退職してライター・編集者の道を志す。
ライター養成学校時代の2001年に車いすテニスに出合い、2002年にテニス専門誌の編集スタッフとなって以降、車いすテニスを積極的に取材。
2006年、独立しフリーランスのスポーツライターとして活動開始。
2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドンと、各パラリンピックで車いすテニスを取材。
子育てでほぼ休業中のときに、STORYS.JPに自身の体験を書いたことが本書のきっかけとなった。

原作のストーリーを読みにいく

これまで出版されたSTORYS.JP発の書籍

学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話

著者:坪田信貴

発売日:2013年12月27日

原作のストーリーを読みにいく

うつ病で半年間寝たきりだった僕が、PC一台で世界を自由に飛び回るようになった話

著者:阪口裕樹

発売日:2014年4月18日

原作のストーリーを読みにいく

社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話

著者:小林 佳徳

発売日:2014年8月20日

原作のストーリーを読みにいく

強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話

著者:宝槻 泰伸

発売日:2014年8月23日

原作のストーリーを読みにいく

Fラン大学生が英語を猛勉強して日本のトップ商社に入る話

著者:間部 理仁

発売日:2014年12月12日

原作のストーリーを読みにいく

EARTH GYPSY(あーす・じぷしー)

著者:Maho & Naho

発売日:2015年4月25日

原作のストーリーを読みにいく
自分もストーリーを書いてみる <メディアの方へ  お問い合わせはこちらから>