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藤本 恭子

お絵描きと読書を愛するグラフィックデザイナーです。双極性Ⅱ型障害と気長に共生中。お絵描きを愛する人、Macユーザー、同じ病気で悩んでいる方など、肩が凝らない交流が出来るといいなあ、と願っております (^_^;)

文字は右手、絵は左手で描くクロスドミナンス。

Bipolar type 2 disorder.
Cross dominance.

日々の日記はブログ「つれづれ日記」でどうぞ。わりと正直な日記を書いています。
http://haruusagi-kyo.hateblo.jp

ツイッターアカウントは
@haruusagi_kyo  です。

ギャラリーサイト「星宿海 渡時船」http://www.h2.dion.ne.jp/~albireo/

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藤本 恭子の人生のストーリー

双極性2型障害者ですが、両親を介護しているうちに気付いたら、30年以上悩んでいたパニック発作を克服してました・1

もしかしたら、誰かの役に立つかもしれませんので、書いてみようかなあ、と思いました。もともと12年書き続けていたブログ記事の中からの書き直しになります。それゆえに歳月の記録はわりと正確だと思います。 まあ、ぼちぼちとおつきあいいただければ幸いです(^^) 私が介護していた(している)両親のこと。 父は2006年1月~2009年10月まで、在宅で介護 脳梗塞から左半身不随 嚥下障害のため胃ろう使用。 要

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心身の療養をしていた10代後半~20代前半 「パニック障害」 っていうのは「障害」という名前であってもホントに障害認定されないのは、治りやすい病気だってことですよね。まあ、いささかの時間はかかっても。私も治るまでに30年くらいかかりました。 弟はまだそこまでに至りません。初期の段階でこじらせた経過があって、初期治療の素早さと的確さは本当に大事だなあ、と思っております。 高校生の夏以降、そうですね、2

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「あっ」と思った時がチャンス到来だった 個人的な実感ですが、精神障害というものが改善に向かうきっかけになるために、ある種の 「気付き」 というのはとても大きくで重要な役割を果たしているような気がします。 「気付き」たとえば、悩み事があって、解決策を求めてずっと考え続けていて、考えあぐねて、一旦休止、風呂にでも入ろう、とした、その瞬間、突然閃くもの。 創作をしている人間はわかりやすいのですが、漫画のス

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個人差と創造性との関係もあります うちの場合、弟も同じ病気で療養を続けています。状態は私よりも悪く、パニック障害をこじらせて、いまだにその影響から抜け出せずにいます。子供もいたんですが、10年以上前に病気が良くなる気配がないから、と離婚して、子供たちは他府県の母方の実家で成人しました。 昨年あたりの弟はセルフネグレクトに近い感じなので、結局は私が母と弟の面倒をみていた感じですね。やっと少し前から、精

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思い癖を変えてみよう 私は心理学の専門家でも、怪しい宗教の教祖でもありませんが、このごろいろんなことに気付きつつあります。よくお邪魔するブログとか掲示板とか、そういう場所で気付くことが多いです。 それは 「思い癖というのはなかなか厄介なものだ」 ということですね。 人間は普通に生きていても、本意じゃなくても失敗をします。仕事の失敗かもしれないし、人間関係の失敗かもしれません。 わかりやすいからつい例

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病気は人生全体を考えるチャンス それにしても私もパニック障害で、一人でバスにも電車にも乗れない時期が相当長かったんですよ。うん…。本当に30年近く。 それが今では平気です。…っていうか、そもそも自分の身体の状態なんて気にしていませんですね。他のことばかり考えているので、自分の身体に神経が向かないというか、そういう感じ。 さらに去年の夏、母が入院した時は私自身がダウンしていて、辛いけど動かないといけな

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病気を友とする生き方があってもいい(パニック障害からの学び) 他人を励ますと、逆に自分が落ち込む傾向にあると気付いた鬱期の私です (ーー;) まあ、きっとそれも仕様がないんだろうけど、あー、もしかしたら余計なお世話だったかなあ…と思うとあとで落ち込む次第…。仕方がないよね。黙って通り過ぎるのが出来ないんだから…。 精神疾患でも治る病気について、たとえばパニック障害やうつ病や、そういう類の病気について

「どうしてみんなと同じでないといけないの?」ー私とアドラー心理学ー

今にして出会ったアドラー先生 遅ればせながら、昨年末に 「嫌われる勇気」 読ませていただきました。 昔、ユングにはそれなりの興味があって、いくらか齧ったことがあったんですが、フロイトにはなぜか関心が持てず、同時代の人であったアドラーさんに至っては、名前はもしかしたら聞いたことくらいはあったかもしれませんが、先日、ブログを読んでくださっている方々から、その内容が私が書く記事とよく共通点がある、というご

「一番好きなこと」を仕事に出来ない理由ー死なないために絵を描いているー

私はうつの最中でもデザイン関係の仕事はしますし、絵も描きます。それをやっているうちは「これが完成するまでは絶対に死なない」とか「無事に納品が出来るまでは死なない」というつもりで頑張れますしね。 すがるような気持ちでやっていますが、これを頑張れたら「死にたい」っていう誘惑には絶対に負けなくなるから…。そういうのがささやかな自信になるから、と思っています。絵を描くというのは 精神のバランスを取るためには

私が感じるあの世とこの世の近さについてーPray for Peace

オカルトな話ではありません (^_^;) 私はよく死者に向かって心の中で語りかける、ということをします。自分の家族はもちろんですが、生前親しくて知っている故人に対してもそうです。これは誰に言われたことでもなくて、子供の頃からずっとやっていることなので、常にこの世とあの世との距離の近さを感じているのですね。気が付いたらそうだったので、これが普通のことだと思っていました。今でもそれは続いています。 いろ

「ありがとうございます」は魔法の言葉ですね

母が入所している特養に行ってきました。 母も気分の波があるので、このあいだから希死念慮のようなものが出ていて、 「(自分で死ねないから)殺してもらう」 というようなことを漏らしておりました。特に自室で一人になると訴えることが多いようなので、なるべく食堂にいる時間を長めにお願いしていました。他の入所者の方とも交流が生まれますしね。 そういううつの気分って私にも伝染するんですよね。親子だし、同じ病気の遺

「世界双極性障害デー」私は私をありのままに肯定する

今日3月30日は 「世界双極性障害デー」 です。 ゴッホがこの病気であったとも言われていて、彼の誕生日であることから選ばれたそうです。 私自身が患者であって、患者の家族でもある という、めちゃくちゃど真ん中(どういう表現だか)な当事者でありますが、当事者としては認知も理解も広がるのは嬉しいです。誤解と偏見がなくなっていく過程としてはね。 でも、正直なところ、この病気の本当にしんどさっていうのは健康な

楽しそうな人生…私なりの「幸せのつかみ方」

一応、精神障害者でもある私は週に一度ずつ、訪問マッサージと精神科の訪問看護師さんとヘルパーさんのお世話になっています。 看護師さんにはメインに話相手や相談相手になっていただいています。自立支援の一環でもあります。 一昨日は精神科の訪問看護師さんが来られる日でした。いつもよりちょっと早かったかな? 血圧はまったく正常値に戻っていました。先週はバタバタ走ったのと、ばたばたと重いもの(トイレットペーパーと

人生数十年 病気じゃない時ってあんまりなかったと思う

昨夜、Facebookに流れてきた 「世界自閉症啓発デー」 にちなむ記事の中で、自閉症の子供から見える風景が映像化されていました。 http://irorio.jp/glycine/20160408/313573/ これを見た時に、こういう刺激の激しさは自分もかなり思い当たることがあると思いました。主に幼児期ですね。特にデパートなどは色も音も香りも光も、人の感情も刺激の洪水でしたので、多分、私は自閉

読んでよかったストーリー

建山 和徳
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14

躁鬱病で引きこもっていた男が発達障害の周知活動でビルを青く染めた話【前編】

10年間、封印してきた想い Web制作の事務所「ウェブレイス」を立ち上げて6年半、スタッフにも取引先にも友達にも、誰にも話していなかったことがある。 建山 障害者福祉で人の役に立ちたい つい2か月ほど前にひとつの出会いがあり、そのパートナーとともに障害者福祉の事業を立ち上げることになった。これは思いつきでもなんでもなく、10年前に決意し、ずっと封印してきた想いを形にするチャンスだった。しかし以前から
中島 薫
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私が女性消防士になったわけ。1

20歳。みんな、何してた? 私は医学部に行くために二浪して、でも全然目標に届かなくて、毎日行かなきゃいけない予備校からも逃げ出して、スタバでラテを飲むのが唯一の癒しだった。 ほんと、親にお金出してもらってるのに勉強はうまくいかないし頑張れないし、運動しないからデブだし肌は荒れまくり。成人式で振袖着ても、ただの白塗りの鯉のぼりみたいで情けなかったなぁ。 でも、そんな私が3年後に消防士になっちゃうんです
Tommy 1031
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霊視で前世は〇〇な人と言われ、ネットで探してみたら実在しててギョっとした話

もし、あなたの前世がわかると誰かに言われたら、あなたはどう思うだろうか。 大抵の人は知りたい、と思うのではないだろうか。 本当かどうか、もちろん確かめようはないけど、でもちょっと聞いてみたい、って。 そんな軽い気持ちで聞いた自分の前世と言われた人物が、まさか Wikiに載ってる なんて、誰も予想できなかったに違いない(笑)。 そしてまさか、前世の魂と共鳴する体験をすることになるなんて、思ってもみなか
Tommy 1031
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高校時代、デザイナーになる人生を選ぶことになった母の一言

高校3年も目前、将来どうしようかな、と考えていた。 漠然と、人の役に立ちたいから 福祉関係の短大 に行こうかな、と思っていた。 その頃は、中学から続けていたテニス部で、毎日練習に明け暮れていた。 高校は、真ん中より少し下レベルの学校。その中で「進学クラス」に属していた。 なぜか各部活のキャプテン、副キャプテンが全員いたクラスで、 例に漏れず、私もテニス部のキャプテンだった。 趣味は読書と漫画とロック
Tommy 1031
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ご老人を元気づけたいと、老人福祉施設でボランティアをしたら、逆に自分の方が元気を貰った話

あれはロンドンに行く少し前、24歳のとき。 デザイナーになりたくてなったけど、私は少しだけ疲れていた。 毎日パソコンと向き合う生活、忙しすぎる毎日、理想と現実・・・。 会社を辞めて、ロンドンに人生の休憩をしに行くことにした。 出発の少し前、有給休暇中。 残された日本での時間で、遊びまくることも出来たけど、 それよりも何か有意義なことがしたい、身体を動かして、人と触れ合って、 人の役に立つことがしたい
ごとう ひでと
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血が繋がっていない”お父さん”への感謝とそこから学んだこと、そして伝えたいこと

僕が生まれる前、僕の血の繋がってる父親は母親に非常に過激なDVをしていた。 その結果、両親は離婚することになったのだが、なんと僕が生まれてすぐに、僕の父親は僕を誘拐してしまったのだ。 母は警察や弁護士に助けを求め、なんとか僕を父親から取り返した母は、父親は僕に会えないという条件を突きつけられることになった。 僕は父親の顔も知らなければ、名前も何もかもを知らない。 母はシングルマザーとなった。しかもバ
上谷 隆宏
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pixiv作った時の話

イラストコミュニケーションサービスpixivを作るまでの話をします。 画像は公開した当時のpixiv プロローグ 今は殆ど無いですが作った当時は取材などでよく 「どうして作ろうと思ったんですか?」などと聞かれました。 基本引き篭もりで家から出たくない人なのでうまく答えらず、 代わりに片桐が答えたりしてました。 閑話休題。 イラスト描くことが趣味です。 最近漫画を描いたりもします。 好きなジャンルは百
Handa Naoto
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「お腹の子は、無脳児でした。」~葛藤と感動に包まれた5日間の記録~

「大事な話があるから、 電話に出られるようにしておいてね。」と、 妻のはなちゃんからLINEが入った。 昼休み。丁度、店内でチキンクリスプの包み紙を開けるところだった。 「そうかあ、本当にだめだったのか。」と心の中で深くため息をついた。 確かに、はなちゃんは病院に行く前から気にしていた。 「もうちょっとお腹大きくなってもいいころなのに。 ちゃんと育っているか心配。」 1か月くらい前から、何度かそう話

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