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おかげさまで、「5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が今伝えたい5つのこと。」が本になりました。ありがとうございます。現在は、「脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話」を投稿しています。

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m mの人生のストーリー

5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事・前篇

 学生時代から、自分の周りや雑誌、ネットなどで、「中絶」の話を見たり聞いたりするたびに、不快な気持ちになっていた。  同じ女性として、軽蔑さえしていた。  まさか自分が 当事者 になるなんて、思いもよらなかった……。  この話は、 胎盤が1つにつながった三つ子 を自然妊娠し、 NICUが足りない こと等を理由に複数の病院から受入を拒否され、最終的に中絶を選んだ私が、その経緯、その後自分の身に起こった

5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事・後篇

※ このストーリーは「5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事・前篇」の続きになります。 前篇はこちら… http://storys.jp/story/7157 【後篇の全文字数:約11,000字】 15.2007年9月6日 16.6週間の休暇 17.職場復帰 18.腎臓の病気を発症 19.夫の浮気 20.入院の夜 21.心が離れた理由、そして離婚 22.再婚と出産

今の夫にSTORY.JPを読まれた話(後日談)

※この話は、「5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事」の後日談になります。 http://storys.jp/story/7157  …前篇 http://storys.jp/story/7220  …後篇  STORY.JPに自分のストーリーを投稿した週の、日曜日の朝。  息子はリビングで、さっそくお気に入りのプラレールで遊んでいる。  食器乾燥機から乾いたお皿

クラスでハブられ、恋愛依存、就活全敗コミュ障の私が、国の「IT講習会」のおかげで就職できた話

キモイと呼ばれハブられた中学時代 一人でお弁当を食べていた高校時代 恋愛ごっこの短大時代 自分の人生を否定された面接 失恋 IT講習会との出会い やりたいことを見つけたフリーター時代 現在、そしてストーリーを書いたきっかけ おまけ キモイと呼ばれハブられた中学時代  1995年。  楽しみにしていた「技術・家庭科」のコンピュータの授業で、私の 「ハミ子」 (仲間はずれ) は決定的なものとなった。  

1年半前にSTORYS.JPに投稿したストーリーが書籍になった話

2014年2月に「5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事」を投稿した者です。 お読みくださった皆様、「読んでよかった」を押してくださった皆様、コメントを寄せてくださった皆様、本当にありがとうございました。 3つ子や私達家族を思いやる言葉をくださった方、辛い体験を話してくださった方、ママとして奮闘されている方など、ひとつひとつ心に留めております。 今年に入り、メタモ

脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(1)

はじめに  父が倒れたとき、私は藁にもすがる思いで、同じような症例を「Yahoo!知恵袋」等で検索し、その後どうなったのかを調べました。  目覚めるの?  意識は回復するの?  家には帰れるの?  もちろん、人それぞれだという事は百も承知です。  しかし、それでも、少しだけ救われたのも事実です。  父の発症から1年。  このストーリーが、誰かの希望になるかもしれない。そう願って綴ります。 2014年

脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(2)

この話は、こちらの続きになります。 脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(1)  結局、手術が終わったのは、既に24時を回っていた。  父は病室に入り、私達家族は執刀医より別室で話を聞いた。  くも膜下出血や脳梗塞は知っていたが、 脳出血 というのは、自分にとって初めて聞いた言葉、聞き慣れない言葉だった。 (後から、以前は 「脳溢血」 という表現が一般的だったと知り、

脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(3)

※ この話は、こちらの続きになります。 (1)   (2)  私達姉妹3人は、今後の相談用にLINEでグループを作り、それでやりとりすることになった。  まずは10月中に、来月以降の 父の携帯の料金引落しを止める 必要があるので、あいと母で行ってもらった。  携帯電話会社に事情を説明すると快く応じてくれた。5年間まで利用停止できるそうだ。  ただし、解約については、自力で解約できない旨を証明する、病

脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(4)

 ※ この話は、こちらの続きになります。 (1) (2) (3)  11月4日(火)に父の麻酔を止めた。  医師の話では、麻酔をやめれば目が覚める「可能性がある」とのことだった。  仕事帰りに病院を訪れた私は、父の姿に思わず息を呑んだ。  目は、確かに開いている。  しかし、その黒目がぎりぎり一方向に偏ったまま、微動だにしない。  私が顔を近づけようが、手をかざそうが、無反応。  そして、まばたきを

【労災を断念】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(5)

※ この話は、こちらの続きになります。 (1) (2) (3) (4)  入院から、もうすぐ1ヶ月。  まだ脳が腫れているとのことで、父の脳の骨はまだ外れたままだったが、少しずつ変化が見られてきた。 ・手を握ると、握り返すようになった。  この反応には、わざわざ親戚一同が遠方から訪れ、みんなで大騒ぎした。 ・左腕を曲げようとすると、突っ張るようになった ・顔の上でふっと息を吹きかけると、目を閉じるよ

【支えになった本】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(6)

※ この話は、こちらの続きになります。(1) (2) (3) (4) (5) 支えになった本  妹二人とのLINEからは、 「今、私の手をぎゅーって握ったよ! 看護師さんもびっくりしてたよ!」 「動画見せた。ちょっと身体がぴくって動いた気がする!」  などと、しょっちゅう連絡が入った。  そのやりとりでわかったのが、父が倒れるまでもらっていた給料のことだった。あいが母に聞いたのだ。  手取りで14万

【胃ろう】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(7)

胃ろう ※ この話は、こちらの続きになります。 (1) (2) (3) (4) (5) (6)  12月。私は転院先となる、療養型病院を探していた。  痰は相変わらず常時出ている状態。家に帰るという選択肢は取れそうもない。  近場の療養型病院はどこもいっぱいで、多床室はベッドの空きを待たなければいけない。  特養(特別養護老人ホーム)に長く勤務していた真ん中の妹のあいは、老健(老人健康保険施設)はど

【在宅復帰への道】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(8)

※ この話は、こちらの続きになります。 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)  年が明け、2015年になった。  胃ろうをしたことで、父の全身にあった水ぶくれがみるみるうちになくなり、肌が綺麗になっていった。栄養を水分で入れていたので、水分過多だった、ということだろうか。  また、嚥下訓練も順調に進んでいき、とろみのついたお茶を飲めるようになった。  胃ろうにしてよかったと思った。

【母の反発】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(9)

※ この話は、こちらの続きになります。 (1) (2) (3) (4) (5) (6)   (7 )   (8)  2月。  倒れてから3ヶ月経過し、ソーシャルワーカーの勧めもあり、障害者手帳を申請した。1級だった。  また、会社との話し合いで、両親が2015年1月末で退職になった。  保険は国民健康保険の切り替えではなく、任意継続を選択した。  ここで国民健康保険に変えてしまうと、 多数該当(入院

【父のリハビリ】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(10)

※ この話は、こちらの続きになります。 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)     もしこれが1戸建ての2階であれば、階段昇降機を付けるという選択肢もある。  しかし木造ならまだしも、鉄筋コンクリートに穴を空けるだけで何百万とかかりそうだ。  更に、マンションの共用部分になるので現実的ではない。  管理組合に掛け合ったが取り付けられなかった 事例 も見つかった。

【家族の決断】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(11)

※ この話は、こちらの続きになります。 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)  父を家に連れて帰りたいということについて、妹であるあいとあきへの相談が遅れたのには理由があった。  ひとつは、これというショートステイと訪問看護事業所が見つかっていないこと。  もうひとつは、母が私に、「あいは、介護は大変だから私にさせたくないってさ」と言っていたことだ。  あ

【家探し】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(12)

※ この話は、こちらの続きになります。 (11) ※ 最初からご覧になる場合はこちらからお願いします。 (1)  新しい家探しが始まった。  しかし、これも色々問題があった。  まずは、今住んでいるマンションが売れるのか、ということ。  実家のマンションは、残念ながら駅近ではない。一番近い駅からも、徒歩で30分かかる。  バスを使えば10分だが、利便性は落ちるだろう。  じゃあ車で移動しよう、という

【新しい家へ】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(13)

※ この話は、こちらの続きになります。( 12 ) ※ 最初からご覧になる場合はこちらからお願いします。( 1 )  5月に入り、母の気に入った家が見つかった。  母の姉の家と同じ町内にあり、リフォーム済み。そして小さな裏庭があった。  母がその裏庭をとても気に入ったのだ。これで思う存分ガーデニングが楽しめる、と。  私からすれば、その裏庭を前に持ってきて、駐車スペースにしてほしかったという思いはあ

脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(14)

※ この話は、こちらの続きになります。( 13 ) ※ 最初からご覧になる場合はこちらからお願いします。( 1 )  新しい家が決まり、母は2015年6月、S市内に転居した。  転入届を出し、障害者手帳と介護保険証の手続きも終えた。  ただ、一つ失敗した。  それは、世帯主の選択だ。  元々住んでいた家は、父が世帯主だった。  だが、引越先では、元気で動ける母を世帯主にしてしまった。  父が倒れ、障

【完結】脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話(15)

※ この話は、こちらの続きになります。( 14 ) ※ 最初からご覧になる場合はこちらからお願いします。( 1 )  家に帰る準備は整った。  退院日が決まり、退院カンファレンスを行った。  病院チームは、主治医である院長、看護師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、管理栄養士が出席。  在宅チームは、ケアマネである夫、家族から母と私。  また、遠方にもかかわらず、訪問看護師と、福祉用具専門員の方も

せめて最後にお風呂に入れたい……亡くなった父を湯灌で見送った話【1話完結】

発症後~回復までのストーリーはこちらになります。 http://storys.jp/story/19106 (15回に分けているので必ずしも先に目を通す必要はありませんが、後からでも読んでいただけると嬉しいです。)  9月のシルバーウイークにバーベキューを決行した日から、約70日後の12月2日。  父は、この世を去った。  本当に、あっという間だった。  つい2ヶ月とちょっと前には、一緒にバーベキュ

読んでよかったストーリー

建山 和徳
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躁鬱病で引きこもっていた男が障害者福祉の事業を立ち上げるまで

10年間、封印してきた想い Web制作の事務所「ウェブレイス」を立ち上げて6年半、スタッフにも取引先にも友達にも、誰にも話していなかったことがある。 建山 障害者福祉で人の役に立ちたい つい2か月ほど前にひとつの出会いがあり、そのパートナーとともに障害者福祉の事業を立ち上げることになった。これは思いつきでもなんでもなく、10年前に決意し、ずっと封印してきた想いを形にするチャンスだった。しかし以前から
寳槻 泰伸
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強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話

学校よりもクリエイティブな1日にできるなら無理に行かなくても良い。 その後、本当に学校に行かなくなり 大検制度を使って京大に放り込まれた3兄弟は 変わった教育方針の父親の元で育ちました。 一般的な家庭なら 「早く起きろ!さっさと学校に行け!」 と育てるところでしょうが3兄弟の家庭(ホーツキ家)はその真逆。 学校に頼って勉強するのではなく、自分で勉強を組み立てろというのがその主旨でした。 小学生の僕(
Umeki Yuhei
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スタートアップに関わる理由

なんか5個くらい「詳しく聞きたい」がきたので書いてみましょうかw The Interviewsでも良さそうなくらいな気がしますが。 一言でいうと面白いからですが、僕は0⇒1フェーズや1⇒10のフェーズが好きなタイプの人間で、100⇒100の仕事は好きではありません。なので0⇒10フェーズのスタートアップが好きなんです。 学生時代に何社かベンチャー企業でアルバイトをしていて、大学2年の時に設立3ヶ月程
溝部 拓郎
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ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ 面接の時の話はこちら=> ピクシブに入るときの話 そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこととなった私は、初出勤の日を迎えた。 (↑ピクシブのユニークなオフィス) ほぼ何も分からず始まった開発 プログラミングスキルはほぼ無く、やることも決まっていなかった私は、早速開発の統括をしていたCTOの青木さんからの指示を仰いだ。 私 青木さん、何をすれば良いです
家入 一真
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paperboy&co.創業記 VOL.3: 東京進出、そして変化。混乱。

福岡時代、僕はペパボはいわゆる”ベンチャー企業”では無いと思っていたし、スタッフにもそう言い聞かせていた。ITベンチャーで連想される、ヒルズ族といった様なギラギラとしたキーワードが嫌いだったというのもあるし、そもそもペパボ自体は起業した月から、ロリポップで順調に売り上げが伸びて経営は安定していたから、がつがつとする必要が無かった。家族経営スタイル。これが福岡時代のペパボだった。 GMOグループにジョ
家入 一真
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paperboy&co.創業記 VOL.2: バイアウト後の東京進出

会社、個人それぞれの銀行口座に数億円が振り込まれた。 僕らはGMOインターネットグループにジョインした。 25歳の春だった。 個人、法人共に立場が激変した。まずペパボ。 それまで有限会社だったのを株式会社化した。福岡のままでも良いよ、と熊谷さんには言われてたけど、元々東京への移転を健太郎(くわがた)と話していたので、本社を渋谷セルリアンタワーに移転した。東京は福岡と違ってとても刺激的だった。良い意味
家入 一真
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paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで

12年前、22歳の時に福岡の片田舎で、 ペパボ ことpaperboy&co.を立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてなかった。家で仕事が出来て、仕事をしながら子育て出来ればそれでいいやと思ってた。当時サラリーマンをしてたんだけど、中学2年から引きこもり、対人恐怖症気味だった僕には、定時出社や同僚とのコミュニケーションが苦痛でしようが無かった。サラリーマンを辞めたいが為の起業。どちら

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