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川崎 愛美

職業→フリーライター、カメラマン、モデル、絵描き、整体師、書家、野菜ソムリエ、MC、声優、作家

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川崎 愛美の人生のストーリー

読んでよかったストーリー

Riney James
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私が何故STORYS.JPを作ったか。

私の 父 は、旅人でした。 旅人と言っても、単なる旅行好きという意味ではなく、普通の人は中々経験しないような未知の出来事に積極的に飛び込んでいくという意味で、本当の意味での旅人でした。 父親は、私が幼い頃から世界中で遭遇した様々なストーリーを話してくれました。 大学時代にアメリカ中部からフロリダまでヒッチハイクをした話、アラスカまで車で友達とドライブして、アラスカの鉄道で働いた話…。 何度も何度も
樋口 あかり
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初めて通った声優養成所/老舗のスパルタ教育・その1(全5回)

私が声優になる為に上京してきたのは、今から約15年前。 数ある養成所の中から自分が選んだのは、 知る人ぞ知る、「鉄腕アトム」のお茶の水博士の声をアテていた声優・勝田久(かつたひさし)氏が経営する養成所・「勝田声優学院」だった。 私がここを選んだ理由は、基礎からしっかりみっちり教えてもらえること、そして、実際に現場に出て活躍している役者が多数輩出されているという、確かな実績があったからだ。 実際ここの
室田 泰文
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インドの強烈な異文化に直で触れて得られた学び vol.1 ~インド映画の『突然のミュージカル化』の素晴らしさが、現地で鑑賞することで初めて分かった!~ 

これは17年ほど前、自分が学生の頃にインドに行った時のお話です。今とはかなり環境は変わっていると思いますのでご了承願います。 初めてのインド 19歳の女の子との出会い 大学院の卒業旅行として、私は インドに一ヶ月一人旅 に出ることにした。 そして行きの飛行機で一人の女の子(Aちゃん、たしか19歳)に出会った。 彼女は私の隣の席で、明らかに一人旅だった。 「こんな若い女の子がインドに一人旅とは、なかな
Kato Yuki
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ひとり旅でフラフラしていたら、超偶然に、某有名旅雑誌のモデルに現地スカウトされてしまった話

「キミ、ひとり旅かい?」 「え?はい、そうですけど・・・?」 「『旅の手帖』という雑誌の記者なんだけど、実は今書いてる記事のテーマが『ひとり旅』でねえ。キミ、良かったら、記事のモデルになってくれないかい?」 「・・・・!?」 超偶然に、こんな事が起こったのは、こんないきさつだ。 2010年当時、私はとある事情で大学を休学し、東京に住んでいた。 ある日時間ができたので、ふと自由にきままに、どこか遠くへ
小林 佳徳
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社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話(1)

※諸説、色々あると思いますが、1平社員の目から見たお話として御覧ください。 ( 2014/8/20 宝島社より書籍化されました!ありがとうございます ) それはテレビの中の出来事ではなかった・・・ あれは、2006年1月。当時、六本木ヒルズの38Fにて、携帯サイト(今で言うガラケー)のWebディレクターをやっていたときだった。自分の年齢は33歳だった。 いつもどおりにお昼を食べ終わった15時くらいだ
中村 麻美
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【1】痛みと温度が同居した日 ~ブラウン管の向こうに~

わたしがはじめて観た映画 それはチャップリンの 『キッド』 だった。 無声映画だったけど 当時10歳だったわたしは ブラウン管の向こうに 新しい世界を見たような気がして 思わず涙したのを覚えている。 モノガタリに泣いたのか それとも別に理由があったのかはわからない。 それから 映画という世界に引き込まれていった。 両親が映画好きだったこともあって 身近にその世界を感じることができた。 『サウンドオブ
馬場 猪木
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~リストラの舞台裏~ 「私はこれで、部下を辞めさせました」 1

2008年秋。当時わたしは、部門のマネージャーという重責を担っていた。 部門に在籍しているのは、正社員・契約社員を含めて約200名。全社員で1500名以上の従業員を抱える企業だった。 30歳半ばであったわたしは、部下を40数名持つ管理職。 とはいっても、法律上の管理職ではなく、いわゆる名ばかり管理職であった。 出社義務があり、裁量といえば、自分の取りまとめるグループ内での自由だけ。 どこにでもいる
溝部 拓郎
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ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ 面接の時の話はこちら=> ピクシブに入るときの話 そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこととなった私は、初出勤の日を迎えた。 (↑ピクシブのユニークなオフィス) ほぼ何も分からず始まった開発 プログラミングスキルはほぼ無く、やることも決まっていなかった私は、早速開発の統括をしていたCTOの青木さんからの指示を仰いだ。 私 青木さん、何をすれば良いです
Sasaki Shin
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医者になれなきゃ死んだ方が良いと本気で思っていた高校時代のお話

◆落ちこぼれだった高校時代 高校時代、私はおちこぼれでした。どれくらいおちこぼれだったかと言うと、全国模試で数学の偏差値が38、おまけに足首を捻挫しているのがクセになっているので運動もまともにできない、彼女はいない、青春の思い出はゲーセンでのメダルゲームだけという素晴らしい灰色オレンジ・デイズを送っていたわけです。 とはいえ、最初から落ちこぼれだったわけではありません。高校受験をしていた時は第一志
沢城 アリサ
282
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76歳の父が18歳の娘に語った、生き甲斐、人生。

高校3年生になって進路に悩んでいた。どうしても芸術系の大学に行きたかったのだが、母が失業した。それからというもの働かずにずっと家にいる。よって高校の学費、大学の学費全てを自分で賄うこととなった。芸術系の大学は学費がとても高く、年間200万も払って進学しよう。とは到底思えなかった。何も勉強は大学でしなくてもいい。でもそんなことを言えばそもそも大学へ行く必要なんてあるのか? いろいろな思いが交錯していた

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