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笹嶋 政昭

笹嶋 政昭の人生のストーリー

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笹嶋 政昭の人生のストーリー

9.11の時のこと

 9.11同時多発テロに出くわした時のこと。これを境に私の人生も変わり、アメリカの運命も変わった。  同時多発テロ発生前日、私は自分が経営に関わっていたアメリカ企業の仕事で、台湾政府関係者を連れて自分の会社の研究所のあるイーストハートフォードに。夜はボストンに移動し、ボストン郊外のブルックラインの中華料理店にて接待。何しろ大型案件第一号。同時にアジア統括本部を台湾もしくはシンガポールに設置という話の

忘れっぽくなった私としてはこういう出来事が記録しておきたくなりました。いわゆる死に損ない話の類です。

転職で袖が擦りあったボスたち

はじめに  私は今まで7回の転職を経験しています。大学院を24歳で出て、55歳の今まで約30年の会社人生ですから、4~5年に一回会社を変わっていることになります。実際は、10年近くいた会社が2社、いわゆるスピンオフ的な転職が2回ありますから、それほどコロコロ変わっているわけではありません。いつもバイオ業界の診断や分析の世界にいたようですし、今もいますし、これからも居続けるはずです。基本的には技術ベー

今までの上司たちへの感謝の気持ちです。面白い出会いは人生を豊かにすると思います。

イスラエルに行った時のこと

 入国時は国賓待遇、出国時は一般旅行者待遇。この差は大きすぎます。  もう4年近く前の話です。自営時代に知り合った元経済公使で、現在の政府の局長さんの人と知り合ったことがきっかけでイスラエルとご縁が出来ました。  最初、イスラエルのハイテク産業の導出先探索のお手伝いみたいなことをやっていたのですが、そのうちにお手伝いを超えるお付き合いに。もちろん怪しい付き合いじゃないです。  自営から会社勤めになっ

イスラエルは面白いよ。でも好き嫌いもクッキリハッキリだと思います。

勤め人生活を終えて

今日、勤め人生活が終わった。たぶん勤め人に戻ることもないでしょう。 途中、3年ほどの自営業生活を除けば、ほぼ勤め人だった30年弱の「会社人生」も今日で終わりです。これからは悠々自適な生活ではなく、「自分のノウハウやちょっとした生活の知恵みたいなものをベースに、自分を育んでくれた社会への還元のため」の人生としたいと思います。なにより「自分が役に立つ場面でしっかりと結果を残す」ということが肝要だと思って

ようやく自分の「面白い」を生み出す時が来た。

人生の最後に行きたい、人生を決めた場所

自分がこの世に生まれ落ちて、両親の育てられ、友達と遊び、勉強する機会を得て、やがて就職。転職なども経験しつつ、結婚。気がつけば50も半ばを過ぎて、そろそろ人生第2幕。 最近はGoogle Mapのような武器もあり、自分の生まれた場所、育った場所にバーチャル旅行ができる。最近もそんなことをやってみたのだが、年月の流れは、自分の心の中のふるさとをどこかに押しやってしまったようだ。最新の武器は、自分が年老

まだ元気だと思いつつ、気がつけば結構な年齢です。そんなことを感じた時に、「最後にここは行っておきたい」という場所が浮かんできました。

今頃分かってきた忠告の意味

 今から10年以上も前のこと。今のようなコンサルタント仕事を始めたばかりの頃。その後、私は途中でサラリーマン経営者になって、また昨年、コンサルタントとして戻ってきた。  その昔(10年前)のこと、ある経営者支援団体に加入して、いろんなタイプの同業者にお目にかかったのだが、その時に自分よりも少し年上の同業者に忠告を受けた。その時にはさっぱり理解できなかったのだが、10年以上経った最近、その言葉の意味が

社外コンサルタントのひとりごと

目は口ほどに物を言い・・・

 なぜだか分からないが、今朝目覚めた時に、「いろんな目にお目にかかった」ものだとふと感じた。同時に目は、すなわち意志であり、将来の姿であり、心の窓だとつくづく思う。
  人間が受ける印象は「目」だけと言っても言い過ぎではない。多少、髪が薄くとも、背丈が大きいか小さいかなど、そのようなことは大した話ではない。多少造作がおかしくても、それは個性であり、見方によっては愛嬌にもなる場合だってある。
  造作

目はすべてを表すほど怖いものでもあり、愛らしいものでもある。

口説き文句

 誰の人生にも幾度かの節目がある。その節目には言葉が付き物だ。それこそが口説き文句。  自慢じゃないが、女性に口説かれたことはただの一度もない。よくよく女性に人気もなく、縁もなかったようだ。しかし、男性には幾度か口説かれたことがある。もちろん仕事上のことだが。  人生には節目というものがあって、後に考えれば人生の転換点なのだが、その時に心を動かされた言葉は人生の口説き文句。  私の場合は、会社を変わ

言葉は武器なり。

歳をとるということ

気がつけばもうじき57歳。自分が歳を食っていると同時に国も歳を食っている。それがよく分かるようになった。 生まれた時代は鍋底景気といわれた不景気な時。同世代は人口が少なく、小学校に入った時は空き教室だらけ。とは言え、まだ日本は活力に溢れていて、「頑張れば報われる」社会だったことは確かだった。 会社入社2年目で、それまで当たり前だったベースアップがなくなった。第二次オイルショックの影響だ。そしてバブル

歳をとるということは自分だけの問題ではない。

読んでよかったストーリー

ミヤザワ マツリ
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【第3話】勉強はしない。頭が勝手に覚えてしまう。

頭が勝手に覚えてしまう。 勉強は好きでもない、嫌いでもない。 好きとか嫌いとかいう以前に、勉強というのがなんなのかわからなかった。 私が小学生だった90年代。 本格的な情報化社会に入り、身の回りの情報の量というのはものすごく多かったと思う。しかも当時は身の回りに良質なコンテンツがたくさんあった。ワクワクして素敵なものがいっぱい。 そんでもって、私はぼけーっとしてるんですが、自分の意識しているところじ
Suzuki Takuya
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本当にあった海外留学すると必ずあると言われる逆カルチャーショック

     高校まで割りかし不良社会にいて、最初のキャリアはとび職。その後にIT企業で法人営業をしていたのだがバカ過ぎてやばいと思い大学に行くことを決め家族の支援もあり留学し最近卒業した。 ▼大学に入学するまでの経緯: 【本編】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと。」の話 http://storys.j
阿部 真人
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なぜ若者が働かないのか?介護施設で働いてわかったこと

3K、低賃金、いじめ以外に若者が来ない理由を体感して検証してみた 私は製造業の人手対策が専門だ。今回「何故介護業界が人不足なのか?」検証のため某施設にドライバー件お手伝いとしてアルバイトを2ヶ月間してみた。私は介護の資格がないので無資格可能業務から入らざるを得ない。そのためドライバーからの視点でこの業界を見てみようと思ったのだ。 ドライバーは朝夕勤務のみ。朝は利用者のお迎え、夕方は送り出しで余った時
阿部 真人
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50歳での就職活動。71通の無残な履歴書返送を経てようやく3ヶ月目に内定通知をゲット!

中高年での就職活動は厳しかった わたし、年齢50歳。結婚している。2年前に上海から引き上げ、職なし、住居なしの状態から会社まで立ち上げた。 しかしその会社は取引先やパートナーからことごとく裏切られ、売掛も100万円を超え回収不可能。会社存続も怪しく、就職してとりあえずまともな給与を得たいと就職活動を始めた。 今年(2015年)8月、就職活動を決意した。 まず人材会社に登録を始めようとした。いくつかメ
香取 正博
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中卒・元自営業が6000人規模の上場企業で働いてみて思ったこと ~顔のない上司~

憧れのビジネスパーソン 私は中学生の頃、 サラリーマン なんかぜってーなりたくねぇとなぜかすでに決心していた。 七三分けでスーツを着て満員電車に揺られながら、毎日同じことの繰り返しをするのが嫌だったという単純なイメージでそう決めていた。 しかし6年ほど自営業として働いているうちに、 いつの日かスーツを着た大企業のビジネスパーソンに憧れるようになった。 髪型もスッキリさせ、細身のスーツをビシッときめ、
キョウダイ セブン
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第六十二章 文系と理系

第六十二章 「文系と理系」   2000年以上前に生きていたギリシャのピタゴラスの考えた定理を私たちは理解できる。論理的に考えることができる人なら分かる。サイエンスとはそういうものだ。しかし、ピタゴラスがどうして定理を見つけるに至ったかは誰にも分からない。彼の才能、生き方、当時の環境などは再現不可能だ。   受験でも、どの問題集を使うか、誰の指導を受けるか、何時間くらい勉強をするのか。そういう計測可
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こんな東京でほんとにいいの?

2020年 東京でオリンピックが開催される。 ぼくは 岡山からきて2年くらいたつけれども 平気でマナー違反する者 非常識人間が多数見受け られるようなきがします。 まず道路にたばこがありすぎ これは まだまだ歩きたばこをするかたが 多いからだとおもいます。 それぞれの区でまたは市町村で 条例違反の表示があるにも関わらず 平気で吸い 捨てて 道を汚す だいたい 朝が多いので 通学してる子供たちも 見て
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あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで! こんにちは! 個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口といいます。 僕は今の仕事をはじめてまだ稼げなかったとき、2011年9月~2012年4月まで、 大阪・あいりん地区のドヤ街で暮らしていたことがあります。 (詳しい経緯は「 鬱病で半年間寝たきりだった僕が、PC1台で世界を飛び回るようになった話。 」で書いてます)
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