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増田 真樹

イマジニア。TechWave編集長。

1990年 執筆活動およびネットメディアクリエイターとして活動開始。独立系R&D企業にて、ネットワーク関連ハード&ソフトのマーケティング部責任者として活動。シリコンバレーに頻繁に通い、ベンチャー起業等と提携し国内販売網を開拓する。独自企画の製品をプロデュース、世界大手ソフト企業などとも協業を展開する。個人の活動においてネットメディアを活用したアート活動が評価され世界的写真家Rick Smolanによる作品集「CyberSpace in 24hours」の数少ない日本人被写体として採用される。
1996年独立後、アスキー、日経BP、インプレス、毎日コミュニケーション、ソフトバンク、日経新聞など多数のIT関連雑誌で執筆活動を再開。週刊アスキー特集「○○の全て」シリーズを確立するなどITテクノロジー啓蒙の分野で一定の成果を挙げる。1998年に米国シリコンバレーで個人向け証券情報サービスベンチャーの立ち上げに参画。サービスローンチ後帰国。
ネットエイジでコンテンツディレクターとして複数のスタートアップに関与、関心空間(取締役)でビジネス領域の拡大、ソニーのブログ等ネットメディア立ち上げ(アドバイザー)、リニューアルプロジェクトとしてNILEPORT、@cosmeなどに関与。その他、多数のブログサービスやSNSのサイトで立ち上げに関与、一定の成果をうむ。坂本龍一さん等が参加するcodeのブログなどの運営なども。
現在、複数のメディア系ベンチャー企業にアドバイザー・開発ディレクターとして関与。大手携帯キャリア公式ニュースポータルサイト編集デスク。ブログメディアとしてKotaku Japan、metamix.com、元時事通信編集委員 湯川鶴章氏のTechWaveに参画。2013年に編集長に就任。独自視点の新興メディアとして事業開発などを手がける。


変化し続ける高エネルギー生命体

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増田 真樹の人生のストーリー

リメンバー

2日前の3月9日、新幹線で東京に向うため、栃木県宇都宮市を発った直後のことでした。巨大な雲がちょうど東北東、つまり福島太平洋側から覆いかぶさったのを不審に思っていました。あまりこの季節にあるような形状ではなく、異様な威圧感を感じ、おもわずデジカメのシャッターを切りました。 その日は、東京・大崎 Naverまとめの取材。LINEの発想が生まれる直前のことです。5年前にネットエイジで同種のサービスを立ち

救援者とPrayer

宇都宮市の上空には311以降、ほぼ毎日自衛隊のヘリコプターが現地に向いました。ちょうと自分のいるあたりの真上を通過するんです。毎日、アズにゃんを抱き「お願いします」とエールを送っていました。 本当ならメディア等にも出ないくらいひどい状況にある人を、すぐに助けにいきたかった。しかし、父でもあり、母でもある自分には、そのリスクを負うことはできませんでした。切ないけど、そのヘリの向かう先で、短い一生を終え

支援の形

復興に必要なのは継続支援です。その時だけの募金じゃないし、そもそも募金は誰がどのようにつかうかわからないのが嫌でした。 大好きな日本酒の酒蔵にかろうじて連絡が取れた時、「樽は全滅、けど残ってる」「現金がなくてアウト」ということでした。募金に燃える人もいましたが、彼らの所にキャッシュは絶対にとどかないのです。 だから、震災から1か月半後「被災地の日本酒をのみまくる会」を開催しました。全員が代引で現地の

大切なこと

沢山の命が失われているなかで つよく感じたことは 絆でした とはいえ、 仲良し同士でべったり楽しく という話ではありません たった7歳でこの世を去った小学生が 将来、勉強して、恋をして、 大人になって未来を創造したであろうことを 途切れさせてはいけない 決して切れることのない人との関係 忘れることのない人との思い出 それを絆というんです 絆を感じた私達は これを次の世代への絆としていかなくてはならな

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書きかけのストーリー

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