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3.11。あの日から3年が経とうとしています。

私たちは何か変わったのでしょうか?変わろうとしたでしょうか?

メディアでは教えてくれなかった現実。あの日も変わらず普通に過ごすはずだった、一人一人の物語。


繋がらない携帯。日本の中心で


あの日、私は東京都心にいた。
ちょうど高いビルの前を通りすぎて、陸橋の上に差し掛かったとき。
ドクンッ
と、自分のまわりの世界の心臓が、波打ったような揺れを感じた。
一瞬何が起きたかわからなかったが、立て続けに大きな揺れがドクンドクンと
起き、「地震だ」と気づいた。


繋がらない携帯。動かない電車。溢れかえる帰宅難民。

震源地から遠く離れた都心で、何が起きているのかも分からないまま、必死に帰りを待っている人の元へ向かうある女性の記憶。


何も分からないという恐怖。海を越えたはるか遠く異国の地で

しもむら さきさん


あの日のことは、今でもよく覚えています。
5時間目の技術の時間に、机についていると先生が私に向かって手招きをしました。
なんだろうと思いながら呼ばれるままに向かうと、先生がPCを指差します。
Youtubeか何かを開いていたようですが、一面真っ赤に染まったそれが、一体なんの動画かすぐには分かりませんでした。
「大変なことになっているね」と先生が言い、初めて私は気がつきました。
動画には、日本語のテロップがついていました。そして見えるM8.0という文字。
画面の赤は、地震によって起きた火災の炎の色でした。


3.11当時、はるか遠くのスペインの地でいつも通りの日常を過ごしていた女性。

海外にいる以上、日本の情報というものは自分に届くまでにかなりの時間がかかるという。「地震が起こった」という日本にればまず全国の人が数分で知るであろうことすら、数時間立つまで気づくことすらできない。


ベッドから出た私は、その時日本で多くの人が地震の恐怖に耐えていただなんて欠片も考えずに朝ご飯を食べていました。
色々なところが火災に見舞われている中で、私は普通に学校に登校し、授業を受けていました。
たくさんの人が苦しみながら水に飲まれていた間、私は何も知らずにノートに落書きをしていました。
地震が起こったということが分かった時なによりも怖かったこと、それは「日本でとんでもないことが起きていた時に、知らなかったとはいえ自分はへらへらと笑っていた」ということです。


何も分からないという恐怖。

国という「大きな故郷」の意味を考えさせてくれる3.11の記憶。


被災地の現状とこれから

「被災地は復興したの?」岩手県大槌町で各戸訪問を続けるボランティアに聞いてみました。

Takada Chikashiさん



Sさん (アメリカ・ピッツバーグ出身)
復興は何割程度進んでいるのですか?
鳩岡 順一
直感的な印象ですが、1割だと感じています。仮設住宅を回っていると、「復興しているの?」という声を住民からよく聞きます。地元でも復興していないという声があります。


被災地から遠く離れた地域に住みながらも被災地に思いを寄せるかたがたと、現在も被災地で活動をされているボランティアとの間で昨年9月、Skypeを使い実際に交わされた会話の様子を中心に、震災発生から3年が経過しようとしている今、被災地の現状とこれからを考えるストーリー


自立という言葉をよく聞きますが、在宅避難者仮設住宅入居者みなし仮設入居者を問わず、被災地にはいまだ自立できる環境が整っていません。住宅を補修し住めるようになったとしても、復興住宅に移ったとしても、当然心の傷が癒えることはありません。


復興とは何なのか?自立とは?

当たり前だった日常を失った人たちをつなぐ未来の形。



今だから言える想い

フクシマで生まれて〜今だから言える、あの時のこと〜

二瓶 彩菜さん



2011年3月11日を境に私の地元・福島は、のどかな田舎町というイメージから一転、「被災地」となりました。


考えることをやめたあの日、辛いと言えなくなったあの日から3年

苦しさを声に出して苦しいと言えるように。今なお吐き出せない人たちが、想っていることを言えるように。



STORYS.JPに残る3.11の記憶。そのストーリー

『3.11。あの日からもうすぐ3年。風化させてはいけない、私たちの記憶。』に関連したストーリーを書いてみませんか?

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