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コマツ マヨ

ライターのコマツです。女性向けWebサイトでのコラム執筆を始め、自身の体験を生かしたスキンケアやライフスタイルの提案、某恋愛サイトで年間50件以上の恋愛相談も受けるなど幅広く活躍。
一方、企業サイトのライティングや社員への取材、プロフ作成などなど、書くお仕事ならなんでもやってます。
@komastu_mayo
facebook.com/komatsumayo
http://komatsum.hatenablog.com/

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コマツ マヨの人生のストーリー

母親から聞いた、ちょっと驚く不思議な話

久しぶりに母親に会って、いろいろ話をしたときのことだ。 親というのは、なぜあんなに子供の時の話を何度も何度も飽きずにするのだろう。 母親となればなおさら。私が生まれた時の話から幼稚園のときに好きだった男の子の話や小学校の時の恥ずかしい話など、今までの人生で何度も聞いた話を、また繰り返す。 自分が話したことを覚えていないのか?それとも、何度も言うほど大切な話なのか? これは、自分が親になって子供が話せ

この世で一番おいしいゼリーは、たらみのオレンジゼリーだと思う。

夏はゼリーがおいしい季節。ひんやり冷たくてツルンとしたのどごし。 普段甘いものを全く食べない私にとって、ゼリーは唯一の糖分補給源。 コンビニに行けばたくさんの種類のゼリーが置いてある。 スーパーに行けば、ワゴンに山積みのゼリーたちに会える。 でも、一番美味しいのは たらみのみかんゼリー だ。 一般的な「並」のゼリーたちは、まずゼリーがふにゃふにゃだ。 柔らかすぎる。 ツルンと喉の奥へ入らないといけな

元彼と「友だち」になれるのか?

当たり前のことだけど、生きていれば好きな人がいて、恋人が出来て、デートしてキスしてセックスをして・・・ごく当たり前の人並みの恋愛を経験するものだ。 新しい恋人ができるたびに「これだけ好きになれるのはこの人しかいない」と感じ、「世の中にこれほど幸せな思いをしている人がほかにいるだろうか」と感じ、自分たちは特別だと勘違いすることも、また恋愛のだいご味かもしれない。 13歳で初めて彼氏ができた。 付き合う

自分が自分でなくなる場所こそ、自分に必要な場所かもしれない。

日本の南にひっそりと浮かぶ小さな島。 何の縁もゆかりもない、その小さな島々はなぜか私に強い力や勇気、思いっきり深呼吸したくなるような穏やかで優しく、晴々した気持ちにさせてくれる。 初めて訪れたのはいつだったか。 一人で旅に出るなんて考えてもみなかったそれまでの私は、自分の行動力に驚いた。 ふと思い立ったその2週間後には、もう私はその小さな島の土を踏んでいた。 それまで何度も沖縄には訪れていたが、その

今も残る震災のつめ跡を、関西に住んでいた私が見た3日間のお話(2)

昼前頃に仙台空港に着き、初めて訪れた空港の様子に少し浮かれた。今まで訪れたことのなかった東北の”玄関口”ともいえる仙台空港。 至って普通の地方空港で、特に震災による影響は見られなかった。そりゃそうだ、震災後は早々に仙台空港は利用が可能だったし、震災から3年以上ももたっているのだ。普通に利用できないわけがない。 最近テレビで見る被災地は工事中の様子や仮設住宅の様子などばかりで、こういった一般の人々の日

今も残る震災のつめ跡を、関西に住んでいた私が見た3日間のお話

2013年12月。東北で起きたあの大きな震災がおきてから三年目の冬、私は仙台に向かって3日間の旅に出た。 旅好きを公言しておきながらも、実際この縦に長い日本の国の中で関西から上にはほとんど訪れたことがなく、年に数回の旅行も実家への帰郷も全て西や南の方角。敷いては、海外旅行すらタイやベトナムといった南の方角ばかりで、北や東といった言葉にはめっぽう疎い自分だ。 そんな自分が、今回訪れることにしたのは、今

パティシエでも職人でもないただのライターが、パティシエになりたい若者へ夢のある話を書いてみる①

パティシエになりたいと思ったら、あなたならどうする? 「キラキラと輝く宝石のようなケーキをこの手で作りたい。」 「世界に認められるような唯一無二のパティシエになりたい。」 パティシエを目指す人は、このような夢を抱いているだろうか。 私は小さな頃からずっとファッションデザイナーになりたかった。 だから、高校を卒業するときに選んだ道は「専門学校への進学」だった。 ファッションデザイナー という専門的でク

離婚は必ずしも子供にとってマイナスではない。離婚を考えている人へ、大人になった私が伝えられる「親の離婚を経験した子供の気持ち」

「子供のために離婚はしない」なんて大きなお世話だ 私の両親は、私が11歳の頃に離婚している。 正確には、10歳の頃に母親が家を出て行き、11歳の頃に離婚が成立した。 特に裁判や離婚調停などを行っていたわけではなく、何度も話し合いを持った(多分)結果、離婚する時期が1年後になったという流れだったと思う。 最初に「離婚するんだな」と気付いたのは、母親が「おばあちゃんの看病がある」といって実家に帰ったとき

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