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Waseno Yukira

Waseno Yukiraの人生のストーリー

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Waseno Yukiraの人生のストーリー

ラクな生き方は「絶望」と「孤独」と「意外な人」が教えてくれた ① 絶望

私はメンヘラと精神科医が大っ嫌いだった。主な理由はふたつ。 1.幼馴染が精神科に通っているにも関わらず、何年も回復の兆しは無く ほぼニート、たまにフリーターのような状態が続いているのを知っていたから。 2.兄が鬱になり、通っていた精神科で出会った人の誘いでカルトにのめり込み、 親族中をかきまわした挙句、死んでしまったから。 精神科への風当たりが冷たいのも手伝って、精神を病んだらアウト。精神科医なんか

メンヘラ目線の「いい精神科医」

私は今まで「ドクターショッピング」を繰り返し、10人の精神科医のお世話になった経験があります。 その経験から、私目線の「いい精神科医」を紹介します。 ◎落ち着いて会話ができる これは、時間的な面でも雰囲気的な面でも一番重要なことだと思います。 1時間待って3分診察なんて、正直論外です。 「精神」というと堅苦しいので言い換えて、「心」という目に見えないものを 治療してもらうわけです。 外科だったら目で

初めて会った時は怯えていたガイジンサンがエネルギー源になっているような気がしている

私はSTORYSに出会ってまだ2ヶ月程なのですが、 このストーリーは記念すべき私の10個目のストーリーです。 が、 今まで書いたもの以上に、自分自身でもハッキリしない話です。 想いを言葉にすることで力に変えたいような、そんな気分で文字を並べます。 STORYS.JP関係者の皆様、素敵な場を乱用してすみません。 私はいろいろなことがあって、心と体がぶっ壊れました。 (詳細が気になるという奇特な方は他の

入院生活を送った「メンヘラ」に効いた食事

まず、私のことを少しだけ。 私はいわゆる「 メンヘラ 」です。 この2年弱の間に、A病院で2か月半、B病院で2か月ちょっと、C病院で2週間ほど、入院もしました。 今も治療は続けていますが、だいぶ回復してきたなぁというところです。 では、本題に移ります。 目を閉じて想像してみてください。ひとつのまんまるい「かき揚げ」を。 …はい。ありがとうございます。あなた、今、目を閉じていませんね。 そりゃそうです

私が体験した「認知療法」

※私はただのメンヘラです。何も専門的な知識はありません。   心が疲れているな、弱ってるな、という方は、ぜひ医師や心理士等、専門家にお話しすることを   おすすめします。   ついでに、最近よく眠れないなぁ、食欲落ちたなぁ、疲れやすいなぁ・・という方、   『軽度のうちに』一度医療機関に相談することをおすすめします。     本当に困ってからだと回復にものすごく時間がかかるからです 。(役に立たない

ラクな生き方は「絶望」と「孤独」と「意外な人」が教えてくれた ③ 意外な人

あくまでも私の経験でしかないけれど、心は病んでしまうと感情の波が激しくなる。 波打つ頻度は多くなり、波そのものも大きくなるような感じ。 急性期はまるでジェットコースターのよう。 些細なことでも深く落ちこみ、ちょっとずつちょっとずつ時間をかけて明るい気持ちが 出てきたかと思ったらまたストーンと落ちこむ。 それが少しずつ落ち込む深さが浅くなって、小さなことでは落ち込みにくくなっていく。 私が「意外な人」

ラクな生き方は「絶望」と「孤独」と「意外な人」が教えてくれた ② 孤独

メンヘラ生活は、時間を追うごとに孤独感を強めていった。 外に出るとしたら病院やスーパーへ行くくらい。ほぼ家にこもっているような生活。 はじめの頃は心配して、電話をくれた友達と話すことができた。 何時間も泣きながら話したこともあった。 しかし、そのうちに電話をするのが辛くなった。というか、話をすることが辛くなった。 でも、メールはできた。 内容によっては読んで数日考えてから返信することもあったけれど。

アレを捨ててコレを持ったら生きやすくなった

○捨てたアレ 「こだわりの逸品」なんて売り出されている商品があるように、 良いイメージの多かった「こだわり」。 時には自分を苦しめるものでもあるんだと思うようになった。 例えば 毎日学校に行かなきゃ。 生活のために嫌でも働かなきゃ。 家族は仲良くないと。 一日三食ちゃんと食べよう こういうことにこだわって苦しんでいる人は、過去の私だけではないと思う。 こだわっているという意識が無くても、無意識のうち

「恋」 じゃなくて「依存」だったのかなー。

中学3年の時、初めて「彼氏」ができてから、私は結構「恋多き…」っていうタイプだった。 でも振り返ると「依存多き…」の間違いな気がする。 当時は、相手のことが好きで好きで一緒にいたいって思ってた。 「大切にされてる感」があったからだと思う。 裏返せば「大切にされてる感」が無くなると、相手のことを大切に思えなくなりがちだった。 私がしていたのは「恋」じゃなくて「絶対的な味方探し」だったんだと思う。 幼い

子どもは家畜ではありません

私は両親を恨んでいた。ずっと。 今は恨んでいない。 恨むことすら無駄だと思う、半ば投げやりな気持ちもあったけれど あの人たちは自分の子どもの心を育てることすらできない 残念な、可哀想な人だったんだなと思うようになったから。 親に見捨てられたんだと思っている時は苦しかった。 悲しかったし辛かった。 いつかは分かり合える日が来るんじゃないかと心のどこかで期待して、もがいている時は 今がそうではないという

「メンヘラ」がやりがちだけど避けた方がラクになれると思う3つのこと

心を病むって辛いですよね。 もちろん体を病むことも辛いし、心身が健康でも仕事だけが忙しい毎日を送ってらっしゃる方も 辛いですよね。 そんな皆さん。おつかれさまです。 体の辛さだけだったら、食べて寝ることが一番ラクになりやすいと思います。 もちろん病気で治療が必要な方は医療の力を十分に活用したらいいと思います。 一方、心の辛さはこれをしたらラクになりやすいというのははっきりとは言えません。 ただ、傾向

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電車に轢かれて脚を丸ごと一本切断したサラリーマンが、半年後義足で職場復帰した話

脚一本程度で人生は終わらない これが今の自分の姿。 左脚は丸ごと一本義足です。 股関節離断という症状で 「股義足(こぎそく)」 と言われる義足を履いています。 充実した生活を送っていた中、電車に轢かれ脚を失ったのは6年前。それから半年後、職場復帰するまでの体験を綴らせて頂きます。 生死の境目、片脚を失った人生のどん底からどうやって自分が立ち上がったのか。 その体験が読まれた方の何かのきっかけになれば
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第8話 人生を変えた1つの質問【少し不思議な力を持った双子の姉妹が、600ドルとアメリカまでの片道切符だけを持って、"人生をかけた実験の旅"に出たおはなし】

ー前兆に従ってゆきなさい かけ足で山手線の原宿駅の改札をぬけると、 原宿のシンボルのような、大きなGAPの建物が見えた。 平日の昼間だというのに原宿の街は OLさんや早足のサラリーマン、学生たちで忙しそうだ。 うぅ....寒い。 急にブルっと震えが来る。 春になったばかりの東京は、日差しは暖かいけれどまだ風が冷たい。 えっと......なにしにきたんだっけ。 勢いで家を飛び出してここまで来てしまった
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