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Sato Masashi

「プログラミングだけやる」のがおなかいっぱいになり過ぎてサークルアラウンドという小さな会社を作ってしまいました。PGHouse豪徳寺から出て少しのんびりしています。次は日々作る人が集まるハウスを自分で作りたいです。夢と妄想だけで生きてゆける幸せな人種だと思います。

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Sato Masashiの人生のストーリー

大学院を卒業する時に就職活動しなかった人の話。

一攫千金カンパニー 「卒業したらデビューだな!」 友人Sはそう言った。何と一緒に起業すると言うのだ。なんだかとてもワクワクした。当時M1だったから23だったはずなので、もう13年前だ。2000年頃の話、と書くとずいぶん昔の話に思えてくる。 大学院に入学する当時「卒業したら会社には入らずに、何かしらソフトウェアで食べてゆきたい」と、漠然と思っていた。高校時代の友人Sにその相談をして、自分が作成していた

わらしべ長者的な起業の話。

はじめに わらしべ長者という昔話を知っていますか?転んで掴んだ藁一本をいろいろなモノと交換しながら、最後は豪邸と嫁さんを手に入れてしまう物語です。 僕はちょっと変わった社会への出方をしてしまったので( http://storys.jp/story/1048 )全体的にわらしべ長者的な生き方をしているとも言えるのですが、それは他の物語で補完しようと思うので、ここでは起業に繋がる話をしようと思います。

「客員研究員」という変わった肩書き。

はじめに 僕の社会人デビューは派遣社員からでした。それから暫くはいくつかの派遣先をこなして、そろそろまた自分の作りたいものに打ち込もうと思っていた頃のことです。 フレームワークのプロジェクト 僕が派遣社員として最後に参加したプロジェクトはあるフレームワークを作成するチームだった。それまでの現場もなぜかフレームワークを作る場所にいる事が多く、それなりに経験させてもらった。当時はStrutsが有名なフレ

イノベーション・マネジメントをディスカッション中心で学んだ時のこと。【1】

はじめに いろいろあって「正社員ってのはどんなかね?」と気になったから一年程やってみた後、元々の放浪気質から逃れられずに野に下った頃の話。2009年の年末くらい?多分。 キッカケはチラシ 僕は一度やってみたかったのが職業訓練というものだった。自分がまだ学生だった頃に、先に就職してた人の中に転職組が何人かでて「訓練とか結構面白い」なんて言っていたのを知っていたからだ。ただ、訓練するにしても普通の座学で

プログラミングを学び合うシェアハウスができるまで

はじめに 僕は今(2013年3月現在)、PGHouse豪徳寺というシェアハウスに住んでいます。この家に暮らす事になるまでを改めて書いてみようと思います。 きっかけはOSSカフェ 僕はフリーランスとして働いていた時期があるのですが、 ちょっと何かのイベントで(たぶんco-meetingさんの関係だと思う)、下北沢にあるOSSカフェに遊びに行ったときの事。 OSSカフェは所謂コワーキングスペースなのです

私を育てた仕事ではないプロジェクト達【1】〜時計アプリ〜

はじめに 僕は仕事としての報酬の無い自分主体のプロジェクトというのをよくやっていました。大小はいろいろあるし、完成したものもしなかったものも多数あります。ただ、それらの経験が僕の人生をずっと支え続けています。そんな自分の作品との足跡を残しておこうと思います。 ※画像はイメージです。 時計アプリ VB時代 僕が最初にプログラミングに触れたのは中学生の頃ですが、ちゃんと取り組み始めたのは大学3年くらい

「就職しない」と決めるまで

はじめに 「聞きたい」と付けてくれた人が多かったので書いてみます。これを付けてくれた人はこれから社会に出るような若い人達なのだろうか。そういう人の参考になれば幸いです。 それまでの歩み それまでの僕は比較的順調な人生を歩んでいたと思います。別に裕福ではない両親の元に生まれましたが、両親や姉との関係はとても良好でしたし、少し夜遊びが過ぎて日曜にも寝てばかりの父親以外には特に不満はありませんでした。 小

最初のプロジェクトでフレームワーク作りながら仕事の大変さを学んだ話

JOIN 社会に出て派遣社員を始めた当初、はじめてまともなプロジェクトに入ったのがXMLを積極的に活用したフレームワークを作るという新規プロジェクトだった。StrutsのようなJavaのWEBアプリを作るのに、XSLTを使って自動生成のコードを吐き出して楽をするというもの。当時としてはかなり先進的な試みのプロジェクトだったと思う。この会社は1000人くらいの規模の会社で、SI(受託開発)をやっている

【慶二郎】祖父の話を残そうと思う

プロローグ 休み時間に電話が震えた。 着信は「英雄」 父親だ。鼓動が少しだけ速くなった。 父親は僕にはめったに電話をかけてこない。 その彼がかけてくるという事は、間違いなく緊急の要件だ。 大抵は人の生き死にが関わっている。 小さく深呼吸して電話に出た。 「もしもし」 「まさしか?」 「あぁ。どうした?」 「うーん、爺さんなんだけどな…」 妙な間があった。鼓動が一拍強くなった。 「今回はもうダメなんだ

【慶二郎】軍隊と酒の話

はじめに 祖父の慶二郎の昔話を孫が残す為に書いています。最初のエントリは ここ 。 最初に聞かれた質問が明暗 軍隊に入って最初の頃に、整列させられて上官から順番に質問される事があるそうです。 上官 貴様、名前は何だ! 慶二郎 鈴木慶二郎であります! 上官 貴様酒は飲むのか!? 慶二郎 大 好 き であります!! 上官 よしわかった!飲んでよし! 編集 この質問は整列した人全員に順番にやるものらしい

イノベーション・マネジメントをディスカッション中心で学んだ時のこと。【2】

時間は限られている。10分で結果を出せ。 前回の続き。 本格的な授業が始まると、大きく分けて二種類の講座があった。一つはプレゼンテーションやファシリテーションのようなスキルをアップする為の講座。これらは個々のスキルを上げる目的で、講師それぞれのやり方で指導してくれる。この講師も皆一癖二癖ある人達で面白かった。学校のようなコマ割ではなくて、一日を一つの講座でミッチリやる。3日くらいかけて学ぶ講座も多い

イノベーション・マネジメントをディスカッション中心で学んだ時のこと。【3】

リーダー指名とお題 最初の頃のある日のミーティングで、N先生から「リーダーを選出する」という話をされた。どうやって決めるのかと思ったら先生が直指名すると。しかも僕だと。おいおい。あんまり目立つのは好きじゃないし、まとめるのも苦手なんだよ。 とは言え言われてしまったものは仕方ないので、しぶしぶ引き受ける事になった。最初の飲み会への段取りをしてしまったのと、飲み会の帰り、先生と同じ方向だったからイロイ

イノベーション・マネジメントをディスカッション中心で学んだ時のこと。【4】

そもそも どうしてリーダー的なものが必要とされていたのか、先生が作ろうとしたのか、という事がある。これは直接聞いた訳では無いので推測だけれど、「それまでの訓練で人々がなかなか良い空気感を維持し続けるのが難しかった」ということがあるのでは無いかと思っている。 最初の頃にも書いたけれど、一日中意見を戦わせるという状態はかなり人にストレスを与えてしまう。価値観もそれまでの職歴も違う人が集まっているので、「

イノベーション・マネジメントをディスカッション中心で学んだ時のこと。【5】

新たなお題 前期は全員で一つの結果を出す事をお題にされていたが、後期はそれぞれの小さなチームでお題に答える形になった。 志の持ち方 情熱の維持 現場観察や記録 意思決定について などなど、複数のお題から選んでチームを作り、発表を目指す。 チーム編成 結果以下のような形で3チームできた。 志の持ち方チーム 現場観察&悩みコミュニケーションチーム 意思決定チーム 僕は志の持ち方のお題に取り組む事にした

【慶二郎】こんなんで勝てるわきゃーないよ

時系列はメチャメチャ。今日は日が日でもあるので少し重い事も含めて書く。 行軍 ビルマの森の中を歩く。木と草ばかりの森の中を。 慶二郎は機関銃を担当していて、分隊長という役割をもらっていた。大体10人くらいの猛者どもを部下にして、目的の場所まで延々と歩く。 「猛者ども」と彼はいつも自分の部下達をそう表現していて、自分が東京の下町で育ったもやしっ子的な見方をしていたようだった。実際サバイバル的な部分は猛

高校時代は「何か作りたい」位しか言えなかった。今は「自社製品で人の集まることを応援したい」と言える。

高校「なにがしたいの?」 進路相談室。僕の前にはT2先生。一対一。T2は高3の時の担任だ。数学教師でいつも眉間にしわを寄せていた人だった。進路希望のプリントに自分の事を書いた。 …と言うより、あまり書けなかった。T2の視線がプリントに落ち、時計の秒針の音だけが響く。暫しのにらめっこのあと、T2が口を開いた。 T2 ふーん。佐藤はなにがしたいの? 僕 なにか作ることはやってみたいですが、何を作りたいの

StartupWeekendTokyoに参加した時の事

はじめに 「54時間で起業する」という触れ込みのStartupWeekend。その 東京イベント に、 起業当初 一技術者として参加した時の事を思い起こそうと思う。多分2012年でいいのかな?記憶力だけをたよりにやっているので僕の記憶の誇張や間違いを多分に含んでいる可能性がある。イベントの雰囲気を知るキッカケになれば幸い。 きっかけ ちょうど起業したばかりの5月。そういったイベントがあるとどこかで見

【慶次郎】婚約と別れ。二度目の戦場。

はじめに 祖父の慶二郎の昔話を孫が残す為に書いています。最初のエントリは ここ 。 二度目の招集 既に一度戦場を経験して帰ってきた慶次郎に、二度目の召集令状が届いた。ちょうど婚約をしたばかりで、結婚式の準備なども進んでいた状況であったが、行かないわけにはいかないので集まることになる。 慶次郎は佐倉(多分千葉県佐倉市だと思う)で編成されて次の戦場へ向かうことになった。どういう言われか知らないが、佐倉の

読んでよかったストーリー

石井 勝也
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海外で起業を目指してみたものの、、、、

簡単な自己紹介。 僕、昨年11月に楽天を退職。 楽天には、7.5年在籍した。入社したのは2005年。楽天が、プロ野球チームを作った年。僕は、営業で新人賞を取り、楽天市場の仙台拠点の立ち上げメンバーに選ばれた。 営業で新人賞を取ったとはいえ、まだ新卒1年目。部署は、自分1人。何をどうして良いかわからなかった。地方拠点で、どう営業しても良いかわからないまま、結果を残せず、東京に戻された。 営業から企画に
水本 敦則
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絶対に破れない約束

僕には、絶対に破れない約束があります。 約束の内容は、あまり具体的ではなく、明確なゴールが合わるわけでもないので、他の人からはあまりわからないのですが、自分にとってはめちゃくちゃ大事なことなのです。 では、その約束は何かについて書く前に少し前提となるお話を書いておきます。 今から9年前のことです。僕は自分の人生がどうにかなってしまうのではないかと思って、毎日を過ごしていました。 その3年前に京都の美
鈴木 まなみ
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TechWave改めTheWaveと出会って体験したいろんなこと

私がTechWaveコミュ二ティ改め、TheWaveコミュ二ティからもらったものはたくさんある。 ■発信することの大切さと、人とつながることの大切さ  一番感謝している体験は、「発信することの大切さ、人と繋がることの大切さ」の体験だと思っている。それで自分の人生がかわったといっても過言ではない。  編集長の湯川さんは「チャンスは人がもってくる」とよく言っている。そして、発信することで自分のやりたいこ
松本 かずえ
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Startup Weekend との出会い

その日、2011年5月21日は、夕方から、四谷の麹町スクワールで開かれていた高校の同窓会に出席していた。私が卒業した高校は広島にあるのだが、卒業生の多くは東京に在住している。春と秋の年2回東京で開催される定例の同窓会には、その年に大学に入学したての18歳から車いすで駆けつける92歳までと幅広い年代が100名以上出席するのが常であるらしい。らしい、というのは、私はその同窓会の常連ではなかったのだが、た
Nose Hiroyo
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忘れられない授業の話(1)

概要 小4の時に起こった授業の一場面の話です。 自分が正しいと思ったとき、その自信を保つことの難しさと、重要さ、そして「正しい」事以外に人間はどんなものに動かされるのかという事に気付かされた印象的な場面でした。 小4、国語の授業、定年間近の先生。 忘れもしないその授業は国語の授業でした。 担任の先生は定年間近の女性の先生。 (実際には年齢不詳で、そんなお年とは誰も想像していなかったのですが。) 説明

書きかけのストーリー

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