STORYS.JP

村上 奈美

ブログ:事務員のひとりごと 
http://www.pc-mario.com/mariojim-blog/

アビリティスクール・マリオネット
http://www.pc-mario.com

LIGライター
http://liginc.co.jp/author/murakami
3人の子持ちでございます。
うわあ子だくさん
文字読んだり書いたりしてないと心が枯れる

ストーリーをリクエストする

村上 奈美の人生のストーリー

会社の2代目になるまでのちゃらんぽらんな日々とそのツケ

父親の会社に入るなんてそんなつもりは、全然なかった。 私の父は一流貿易船舶会社で航海士をしていたが、86年に船内でAppleⅡに出会い、パソコンの面白さにハマり、その3年後に退職して当時はまだ珍しかったパソコンスクールを立ちあげた。 先見の明アリアリである。自慢の父である。 父親が「社長」という響きは子供ごころながらにちょっと自慢で、友達に「社長令嬢」と言われるのもまんざらではなかった。 母親は別で

書いてみた。内容はちょっと重いから、いつものブログとは違うと思っておいて頂けると助かります。

あの日お母さんからおばあちゃんを奪った海なんか大嫌いだ

私のおばあちゃんは海で死んだ 1歳半で海に落ちた私を助けて死んだ だから海なんて大嫌いだ おばあちゃんを返して、おばあちゃんを大好きだったお母さんに、おばあちゃんを返して 母ー厚子 母は昭和28年に高知県の貧乏な漁師町に3姉妹の真ん中として産まれた そこは本当に貧乏なところで、西原理恵子先生の「ぼくんち」を読んだことがある人はあそこだと思ってもらってもいい。 戦後、カラーテレビが発売されるなど高度経

更に重い。軽い文書はブログで

お父さんは白血病、私は出張先で痔瘻になって死にかけたけど今はふたりとも元気です〜発症編〜

いつだって病気は突然やってくる それは確か3年前くらいの事だった。毎年12月の健康診断で、父の結果が異常な数値を示した。そして再検査の結果、白血病との診断が下りる 父も、母も、私もにわかには信じられず。「白血病」というドラマや映画でしか聞いたことのないその言葉を持て余していた。 父の病気ーヘアリーセル白血病 普通の白血病ではないらしい、日本人にはわずか6%くらいしか発症しない欧米型の白血病。 年に2

もうなんか色々ふっきれてきました。

お父さんは白血病、私は出張先で痔瘻になって死にかけたけど今はふたりとも元気です〜手術・入院編〜

前回までのあらすじ 会社と家庭の都合により、痔瘻ステージ4(死の直前)にもかかわらず完治を拒み応急処置で家に帰ろうとしました 応急処置 さてこれから応急処置の手術です。ということで医者から説明を受けます(瀕死です) 医者 どちらにせよ、今体内にある膿を取り出さないといけないので、切開はします 村上 どんと来いです。いつ帰れますか? 医者 明日には…でも切開してますからね、しかもその部分を塞いてしまう

無事に終わりました。

もう会わない、もう会えない、だけど淋しい、だから淋しい

私は非常に面倒な女で、気性は荒いし、口調もきついし、勘違いは多いし、話は好きだし、かまってほしいし、自己顕示欲の塊のような人間です。 でも嫌われたくないから、必死にそんな自分をセーブして(セーブしてもこの有体ですが)日々を過ごしています。 こんな性格ですので、振り回される人はたまったもんじゃない 私とずーっと一緒にいる人は、本当に大変だろうな、今朝も「あんたみてると本当に(自分勝手で)イライラする」

ぐらぐら

母親の事が嫌いだったけれど、自分が親になって知ったたくさんのことと、これから親になるあなたへ

「絶対あんな親になんかなるもんか」 10代の時、毎日泣きながら部屋でそう思っていた。絶対に、お母さんみたいな親にはならないって。 認めて欲しかった。頑張ってるねって、偉いねって言って欲しかった。 それだけでよかった お母さんと、3歳の私 厳しい母親だった。親戚や近所の人たちは皆そう言う。私は一人っ子で、生まれてすぐの事故もあってか母は懸命に私を育ててくれた。 食べ物は制限され、時間は決められ、容赦な

私は母でできている

読んでよかったストーリー

Himeno Sanae
8047
29

キャバ嬢の本性4つ

これだけは最初に知っておいて欲しい。 ボーイ おいブス!今日客呼べねーしドリンク取れねーし 店に何しに来てんだよ! キャバ嬢AYA あぁ!?金稼ぎに来てんだよ! 今から場内とってきてやるよ! まず、 キャバクラ嬢はやれそうでやれない。 最終手段にもカラダは使わない 。 キャバクラ嬢はカラダを使わなければ生き残れない、は嘘である。 カラダを使うと生き残れない、が真理である。 つぎに、 あなたが女の子に
高原 千晴
702
5

世間や周りはなんだかんだ言うけれど、わたしは休学して良かったよ

法政大学国際文化学部3年生を休学しています。 年明けに書いた 「休学中の大学生が、縁もゆかりもない地方都市でバーテンダーをしてみた話」 を含めもっと俯瞰して、今回はわたしの休学の話を書きます。 本当であれば休学の話って、ぴったり1年間の終わった復学のタイミング(4月)に書くべきなのですが。 ちょうど去年の誕生日(2月5日)からわたしの休学デイズは動き始めていたなあ...と思い返し、先日1年経ったの
高畑 哲平
207
5

20年前にはわからなかったSOSの言葉

ふと仕事の関係で、中学生の頃のことを思い出す機会があった。ずっと記憶の奥底にしまってあって、二度と振り返ることなんかないんだろうなっていう記憶がいろいろとある。 それは悪い思い出だから思い返さないのではなく、はるか昔の記憶だから一部忘れていたりする情景の一つ。あのときの自分はよくわからなかったものも、30代も半ばに差し迫ると、ふいに答えが見えてくることがある。 この話は中学生の頃の話。中学1年の話か
Kuchiki Seiichiro
172
2

後輩に胸ぐらをつかまれ罵倒された僕が3年後に東日本で3位になった話

努力しないことへの言い訳はとても簡単だ。頑張れない理由なんていくらでもある。でも、本当に諦めたくないものを手に入れたいなら、その方法はひとつだけだと僕は思う。 編集 負けたくなかった 。悪魔に魂を差し出してもいいと思った。どうせ僕など死んだら地獄行きだ、構うことなんてとくにない。 ウソだ。そんなにかっこいいもんじゃない。追いつめられた僕の脳裏には、これまで自分が大切にできなかったすべてのことが走馬
遠藤 美弥子
103
12

一瞬の安易な思いつきから始まった、能天気な私が沖縄に移住したキッカケ

生きていると「もう限界だ」と感じる瞬間がある。私の場合、今までの人生でそれが3回あった。 「人間、やれば必ずできる!」そう思い続けてやってきた上での挫折。一度経験すると「絶対的にもう無理!」という自分の限界がわかるようになってきて、そこが私の引き際だと思っている。 沖縄に住む前、私はツアーコンダクター(某旅行会社の専属添乗員。略してツアコン。)として各地を渡り歩いていて、それはまさに天職としか言いよ
菱沼 真
823
34

人生で大切なことは全て小学校の校長室で学んだ

僕は小学生の頃、いわゆる「いじめ」で不登校になっていた時期がある。 「死にたい」 そう真剣に思っていたこともあった。 その窮地を救ってくれたのは、小学校の校長先生だった。 そして保健室登校ならぬ、「校長室登校」を経験した。 こんな話、人前でしたことなんてなかったが、当時の自分の素直な気持ちと、校長先生への感謝の言葉としてSTORYSに書きたい。 不登校 小学6年の時だ。 僕は不登校に陥っていた。 不
Kuchiki Seiichiro
422
20

良心は元カノの声をしていた

Photo by  Luis Hernandez はじめまして。医学生兼ライターの朽木( @amanojerk )です。 僕は医学部の学生をしながら、プロのライターとして活動しています。が、このように自己紹介をすると、「どうして」と聞かれることも多くあります。 話すと長いしふだんはいちいち説明などしないのですが、今回はせっかくなので、「なぜ僕が医学生兼ライターとして仕事をはじめたのか」をお話しします
Sayuri Sugawara
2395
35

メジャーアーティストを辞めました。メジャーデビューから、インディーズデビューをもくろむ話。

はじめまして。 菅原紗由理といいます。 私は2009年、19歳のときに FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT から、歌手としてメジャーデビューし、活動してきました。 そんな私ですが、2013年11月某日、 メジャーアーティストを辞めました。 幼い頃から、ずっとずっと夢だった憧れの舞台を飛び降りて、まっさらな「インディーズ」の状態から、すべてをスタートさせます。 メジャーアーティス
Kuchiki Seiichiro
230
1

自分では上手くやれていると思うすべての人たちへ

こんにちは。医学生兼ライターの朽木( @amanojerk )です。 ライターとしてのお仕事の傍ら、医学生として、外来や病棟で触れる医療の様々についてお話ししています。 今回は「幸福な老後」について。 ※個人情報への配慮 この記事は具体的な患者さんを話題にするものではありません。個人を特定できる情報は秘匿されており、患者さんの属性はフィクションです。ご了承ください。 どう生まれるかは選べない。どう死
小森 雅
4626
9

就活失敗して内定がもらえなかったからMBAにいったらスゴイことになった話

プロフィール 小森雅(こもりみやび)。1988年生まれで神奈川県出身。日本大学、商学部卒。大学3年から4年にかけて就活をするも全滅し、逃げ道として一橋大学大学院のMBAに進む。そこで大量の情報をインプットし、毎日優秀な人と議論し、課題をこなすことで実力を身につけ、2度目の就活では一流企業から複数内定を獲得することに成功。 はじめての就職活動 志望動機なんかねーよ 大学3年、後期の授業が始まり、10月

書きかけのストーリー

村上 奈美さんにもっと聞きたい話リクエストする

|