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坪田 信貴

坪田 信貴の人生のストーリー

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坪田 信貴の人生のストーリー

読んでよかったストーリー

中村 麻美
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女優デビューから20年の今、生まれ変わった

今 この時だから伝えたいことがある。 わたしは15歳で幼少の頃から夢だった女優デビューを果たし、そして今年でちょうど20年を迎えます。現在は一児の母であり、そして潜在意識開発のセラピストとしても活動をしています。なぜ女優からセラピストに活動をシフトしたのか。それは、現在10歳になる娘が生まれたことがキッカケでした。幼かった娘はわたしがある時、舞台のお稽古から帰るとこう言った。 「ママじゃない・・・ア
太原 大助
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赤字美容室を買収[月100万円の赤字]→[月100万円の黒字]の軌跡

赤字店舗にも関わらずスタッフの給与を大幅にアップした。また休日も増やした。 店舗運営を始めてすぐに着手したことは現場で働いてくれているスタッフの給与UPだ。 求人採用にはとても多くの労力とコストがかかる。 それであれば既存のスタッフにできるだけ長く働いてもらえるようにするのが得策だと判断した。 赤字店舗にも関わらず、人件費が増えることには少しの抵抗があったが売上で挽回すればいいと思い決断した。 また
直哉 岡村
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これをやると大学生活を失敗する話(住まいの決定編)

大学生活はビジネスホテルでスタート 大学の入学式の日。ビジネスホテルの朝食バイキングを満腹まで食べ、ホテルの部屋で着替え、大学に出発。初日ということで友人もまだいないので式が終わった後は足早に帰る。もちろんビジネスホテルに。なんて寂しい、無機質な大学生活のスタートなんだ!!! こんな大学生活の発端… そもそも、志望校をN大学に決めたのはセンター試験が終わって4日後くらいだった。オープンキャンパスなど
Yokoyama Tatsuya
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4月のある晴れた夕方に100パーセントのヤンキーにカツアゲされることについて

4月のある晴れた夕方、ゲームセンターの駐車場で僕は100パーセントのヤンキーにカラまれる。 たいしてイカツい男でもない。当然素敵な服だって着ていない。 髪型だってリーゼントだった。 歳だっておそらく十代だろう。とにかく、声をかけられるずっと前から僕にはわかっていた。 あれはまだ、僕がカレッジを卒業して就職もせず地元にも帰らず、フラフラしていた頃の話。確か24歳のとき。 1979年生まれでロストジェネ
佐藤 裕介
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「正しいこと」の凶暴性

「ちゃんとすること」の、悪い意味での強力さを、近頃よく感じています。 ちゃんとすることで組織は硬直化し、反骨精神のないつまらない企業に変容していくのです。 # このエントリを公開するキッカケになった当社 HR Manager のインタビュー記事:  http://compass.campus-web.jp/archive/538/ ◆ 体調不良になるインターン たとえば、当社の新卒採用向けインターン
溝部 拓郎
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ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ 面接の時の話はこちら=> ピクシブに入るときの話 そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこととなった私は、初出勤の日を迎えた。 (↑ピクシブのユニークなオフィス) ほぼ何も分からず始まった開発 プログラミングスキルはほぼ無く、やることも決まっていなかった私は、早速開発の統括をしていたCTOの青木さんからの指示を仰いだ。 私 青木さん、何をすれば良いです
遠藤 大次郎
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【筋肉は世界の共通言語】元高校球児が、10年かけ筋肉バカドットコムというサイトを作るまでの話。<1回目>

挨拶 はじめまして、遠藤大次郎と申します。 今この文章を書いている僕の年齢は30歳です。 現在「筋肉バカドットコム」というサイトを運営していますが、 そこに至るまでの道のりをお話しできればと思っています。 この話しをするために人生の節目となった約10年前へとさかのぼります。 何回かに分けて書いていきますので宜しくお願い致します。 プロ野球選手を目指していた 20歳になる少し前、19歳の時にアメリカの
福岡 ともたけ
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東大生が61万円で学んだ本物のお金の学び

つまらない大学から逃げ出した私が見つけた居場所は競馬場だった もう20年ほど前のお話。 当時、東大に通っていた私が 大学の勉強なんか完全にそっちのけで 時間の全てを捧げるくらいの勢いで どっぷりとはまっていた世界がありました。 それが、競馬です。 ただ、単純にギャンブルが好きというよりはむしろ 競馬という世界を構成する歴史、文化、物語などの世界観に すっかり魅せられてしまった、というのが正直なところ
Takai Rei
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母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。

2003年8月30日。 2週間程前から俺は実家の函館に帰ってきている。 母の最期を看取るためだ。 俺は母子家庭で育ち、母はたった一人の家族だ。 母が死ねば家はなくなる。 つまり帰るホームがなくなるってことだ。 自分の安心できるホームがなくなる。 故郷函館は「帰る場所」ではなくなり、「遊びに行く場所」になる。 それ自体は自分が物心つくころから覚悟はしていた。 物心つくころにはすでに母は癌だったから。
nakamura yota
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【第1ステージ】無名の大学生が「スポンサーを集めて自転車で西ヨーロッパを一周する」という夢を実現した話

「日本は、本当に地図通りに存在しているのだろうか」 地図帳を眺めるのが好きだったぼくは、中学生の頃から漠然とこんな疑問を抱いていた。 「日本は、本当に地図通りに存在しているのだろうか。地図通りに、道はつながっているのだろうか」 大学生になっても、その疑問はずっと頭の片隅にあった。こんな疑問はバカげているし、多分、日本は地図通りになっている。けど、自分の目で確かめてみたいと思った。2009年の夏、ぼく

書きかけのストーリー

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