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古屋 憲章

日本語教師。
メールマガジン『週刊「日本語教育」批評』を発行中。
登録:http://www.mag2.com/m/0001573661.html
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古屋 憲章の人生のストーリー

日本語教師は職業か

1.「日本語教師は職業か」という問い  日本語教師は職業ではない。生き方だ。  私の恩師である細川英雄(注1)先生のことばである。日本語教師とは、生計を維持するために従事する仕事ではなく、ことばにより他者と関わりながら生きていくという構えであるというような意味であろう。けだし、名言である。  さて、このことばには、「一般的には、日本語教師は生計を維持するために従事する仕事だと思われているけど、実は・

私の日本語教師人生を主に職業という観点から書きました。日本語教師の方、または日本語教師志望者の方にとって、少しでも参考になれば、うれしいです。

追悼文

 この文章は、あえて、構成等を考えず、思いつくままに書きたいと思います。  いまだにNさんが亡くなったことが実感できません。しかし、Nさんのことを思い出す機会が、以前より増えたように思います。「あのとき、あんなこと言ってたな」とか「こういうとき、なんて言うだろう」とか。  そして、人が死ぬということについて、以前より考えるようになりました。本当に不思議な感じがするのです。あの日、5/18の朝、いや、

大学のゼミの先輩であるNさんへの追悼文です。仲間で作成した追悼集に収録するために、書いた文章です。

日本語教育に「スパーーーンと入る」はない

 昔、といっても今から10年ほど前、まだまだ駆け出しの日本語教師だった頃、私はある日本語学校で非常勤講師をしていた。  その学校では、月2回、土曜日に講師の勉強会(という名の半強制参加の研修会)が行われていた。勉強会は、概ね次のような手順で進められていた。 1)教務主任の先生から参加者にテキストに掲載されている文型や機能語が割り振られる。 2)参加者は割り振られた文型や機能語の導入を準備する。 3)

駆け出しの日本語教師だった頃の印象的なエピソードです。

前から日本語教師らしさに欠けると思とったけど・・・

 先日、仲間と雑談をしていたころ、「日本語教師の専門性」は何かという話になった。そして、例えば、多くの日本語教師は、半ば無意識的に次の事項が日本語教師の専門性であると考えているのではないかという話になった。 1)学習者の日本語レベルに合わせ、語彙や文型をコントロールして表現することができる。 2)学習者が表現に使用する日本語の語彙や文型からある種のレベル判定ができる。 私の実感としても、1)2)のよ

「日本語教師らしさ」とは?

日本語教育の罪深さ

 先日(2013年2月)、劇団風琴工房<  http://windyharp.org/playguide.html  >による演劇「国語の時間」<  http://windyharp.org/kokugo/  >を観た。  「国語の時間」は、一九四〇年代、大日本帝国の統治下にあった京城の小学校を舞台に、朝鮮人でありながら、日本語を「国語」として教える教師たちの群像劇である。(「国語の時間」公式サイト

アンドロイド・人間・日本語教育・コラボレーション

  第5回「日本語教育とコンピュータ」国際会議(2012Castel-J) で行われた 「アンドロイドと日本語教育」 (2012年8月20日)に参加した。  実は、「アンドロイドと日本語教育」には、単に「ロボットが好き」という興味本位で参加した。( 『PLUTO』  を愛読していたので)しかし、その際に聴いたロボット研究者の石黒浩先生のお話は『PLUTO』以上に刺激的であった。  石黒先生は、人と関

教育実践とテクノロジー

1.eポートフォリオ編  先日(2012年12月15日)、 日本教育工学会研究会 に参加した。今回の研究会のテーマは、「eポートフォリオの活用と普及」であった。そのため、教育分野におけるeポートフォリオの活用に関し、多くの発表があった。中でも、eポートフォリオを用いた教育実践の報告は、私にとって、非常に興味深く、また、参考になる点も多かった。しかし、一方で自身の教育観を実現するための手段としてeポー

自律学習への違和感

 自律学習に関し、考えてみたい。なお、ここに記述する内容は、私が自身の経験から得た実感であり、明確な根拠があって述べているわけではないことをあらかじめお断りしておく。  私は約3年前から「 わせだ日本語サポート 」という実践に携わっている。「わせだ日本語サポート」は、早稲田大学に在籍する留学生の自律的な日本語学習のサポートすることを目的に開設された。具体的には、週2回/1回3.5時間(※1)サポート

なぜ日本語教師は貧しいのか

 先日(2013/11/10)、下記の勉強会が行われた。 「つながろうねっト主催 第8回日本語教育勉強会」 ・テーマ:『なぜ日本語教師は貧しいのか―私たちにできることは何か ・話題提供者:神吉宇一氏(長崎外国語大学) ・ 動画&PPT ・ facebookイベントページ  上記の勉強会では、神吉氏から「なぜ日本語教師は貧しいのか」というテーマに関し、概ね次のような話題が提供された。 資本主義経済の下

細川英雄のインパクトと私、あるいは「時には起こせよムーヴメント」―『研究活動デザイン』(東京図書)の書評のような何か―

 日本語教育の世界に 実践研究フォーラム (以下、フォーラム)という集まりがある。フォーラムは、2004年に立ち上げられた。当時、委員長を務めていた 細川英雄 は立ち上げの経緯に関し、『 研究活動デザイン 』に詳しく記述している。その記述を読むと、現在のフォーラムで継承されている下記のコンセプトも、そして、現在、活発に議論されている実践研究という概念も、全て当時の委員会の議論の中から立ち上がってきた

日本語教師は何を見るか

専門性とは何か  専門性とは何だろうか。私は、専門性とは、素人には見えないような構造やプロセスが一瞬にして見えてしまうことではないかと考えている。  例えば、建築事務所を営んでいるある友人は、どんな家でもパッと見ただけで、基礎がどうなっていて、柱がどう立っているというようなその家の構造が見えるそうである。また、障がい者の介助を生業とするある友人は、介助の対象者と少し接するだけでその人がどのような障が

日本語教育実践の共有を阻むもの

 先日(2013年12月8日)、 第9回実践持ち寄り会 に参加した。私が 実践持ち寄り会 に参加したのは、第8回に続き、今回が2回目である。  前半のセッションでは、三名の発題者から実践の共有に関する報告を聞いたあと、次の二つの問いに関し、小グループで話し合った。 ・日本語教師は、実践を共有することでなにが得られるか。 ・実践を共有する方法としてどのようなことが考えられるか。 上記の問いに関し、話し

水曜日の先生

 日本国内の日本語教育機関では、毎日行われるクラスを2~3人の教師で担当するチームティーチングが行われることが多い。チームティーチングにおいては、月・水・金をA先生が、火・木をB先生がというように担当曜日と担当者を一学期間、固定して、クラスが運営される。これを学生は、曜日により異なる先生が来るというように認識している。  さて、これまでのクラス担当経験の中で学生が学期の終盤になっても、私の名前を覚え

私のライフストーリー論

 2013年1月30日、私は、早稲田大学で行われた 2012年度第2回質的調査法研究会 に参加した。今回の研究会では、「ライフストーリーを聞く・解釈する・記述する」というテーマで、社会学の分野で高名な研究者である 桜井厚 先生をお招きし、講演とディスカッションが行われた。  桜井先生による講演の中では、ライフストーリー・インタビューにおける対話的構築と語り手にとってのリアリティというお話が印象的であ

言語のクラスにおいて自己表現は必要か

1.私にとって「言語のクラス」とは何か  先日(2014/4/5)、「 言語教育と実践を考える会 」が主催する 第6回授業勉強会 に参加した。今回の勉強会のテーマは、「言語のクラスにおいて自己表現って必要?」であった。以下、私が勉強会での議論をとおし、「言語のクラスにおいて自己表現は必要か否か」という問いに関し、考えたことを記述してみたい。  「言語のクラスにおいて自己表現は必要か否か」を議論するた

読んでよかったストーリー

Matsui Takahiro
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7

団地脇の公園のベンチで泣いていたホームレスのおっさんの話

仕事帰りに通る団地脇の公園のベンチにホームレスらしい男性が腰かけていた。 歩道に背を向けて座る男性の後ろを通り過ぎたときに気付いたのだが、男性は小刻みに肩を震わせながら嗚咽を漏らし、薄汚れたジャンパーの裾で目元を拭っている。一度通り過ぎたのだが、気になってもう一度彼の後ろを何気ないふりをして通り過ぎてみたが、男性は相変わらず嗚咽を漏らしている。 自分でもほっておけばよいと思うのだが、やっぱり引き返し
澤村 信哉
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3

MKD物語 ~素人が大学を作ったら~

MKD物語1 「大学はできたのに…」  フィリピン、ミンダナオ島の中心都市、ダバオに「ミンダナオ国際大学」という日本語学科のある大学がある。今でこそフィリピンで最も日本語能力試験の合格率が高く、スピーチコンテストでの上位を総なめ、という「フィリピン一の日本語教育機関」になったが、最初からそうだったわけでは、もちろん、ない。   ミンダナオ国際大学は、日比ボランティア協会という、日本のお坊さんと葬儀屋
Abeshi Abelog
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うつ病で休職してるけど、Twitterで1000RT達成したらうつ本を出版するという目標を作り、それから1ヶ月たったけど200RTしかいかなくて、心が折れそうになりながら、しょくぱんゆるキャラとか、Twitterで知り合った方々に励まされ、出版するまで頑張る28歳(男)の話

■はじめに はじめまして!おはようございます、こんにちわ、こんばんは!あべし(@honjituno)です!あっ、@honjitunoは、ぼくのツイッターのIDです(ぜひ探してみて下さい、しょくぱんのアイコンのあべしが見つかるはずです)!長い長いタイトルのお話に目をとめて下さりありがとうございます。 えっと、何からお話しようかな・・・。ところでみなさんはどんなきっかけで、このお話に興味を持たれたのでし
Matsui Takahiro
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この世のすべてのものが「空」であるならば,「苦」もまた実体のない「空」であるはずだろう,という話

仏教の根本教理は「苦(一切皆苦)」と「空(諸行無常・諸法無我)」であることは既に触れた。 が,この世のすべてのものが「空」であるならば,「苦」もまた実体のない「空」であるはずだろうと素朴に思う。しかし,この素朴な理屈を身体感覚でもって納得できる人間はめったにいない。もしいるとすれば,それは既に涅槃寂静の境地に達していると言えるだろうし。 だから,仏教とは生きていく上で私たちにの前に立ちはだかる「苦」
Matsui Takahiro
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東京ではみんなが「トレンディドラマ」の俳優のような話し方をすると知って驚いた頃の話

「やっぱり,こっちとくらべてさ,東京は寒いんだよね。ほんとに温かい地元がありがたいよ。ところでお前,今日何か用事あるの?」 東京から戻った兄は「テレビに出ている人たちの言葉」を話した。 正直に白状すれば,4つ上の兄が18で東京に行くまでテレビドラマで話されている言葉が標準語?であるということがわからなかった。もちろん,自分が話している地方の言葉が標準語ではないということは知っていたし,大阪弁や東北弁
Matsui Takahiro
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個人の自我が集団の中に埋没しているという状態は,当事者感覚としてはそれほど悪いものではないのかもしれないという話

職業柄,日本に派遣される予定の介護士さんと接する機会がしばしばある。 日本に派遣される介護士さんに限らず,海外で働こうと決心する人たちの動機はほとんどの場合,国に残していく家族に送金するためである。もちろん,先進国で働き高い技能を身につけたいとか,広い世界で自分の可能性を試したいとかそういった動機がないこともないとは思うが,とにかく第一の目的は家族への送金である。 このような人たちの中には,一家の中
Matsui Takahiro
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長崎浦上の隠れキリシタンの話

遠藤周作であったか,坂口安吾であったか忘れたがこんな文章があった。 長崎浦上の隠れキリシタンの話である。 長崎奉行所による隠れキリシタンへの弾圧は島原の乱以後,寛政から幕末まで大規模なものでは4回あったとされ,それぞれ浦上一番崩れから四番崩れと呼ばれている。特に三番崩れと四番崩れの際の弾圧は苛烈を極め,その中でも信仰を捨てず獄死や刑死したものが少なからずいた中で,棄教を選択するものも多数出たという。
中村 鷹
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無名教師の冒険 宇宙飛行とラグビー編

 宇宙飛行といっても、それほど大げさな話じゃない。ラグビーとそんなに関わりがあるわけでもない。しかし、それでも共通したモノは確かにある。 宇宙への第一歩  この写真は、1961年4月12日午前9:07(モスクワ時間)、ユーリ・ガガーリンが乗った「ボストーク1号」の打ち上げ前に、バイコヌール基地(今はカザフスタン)にて撮影された。  約10分後の午前9:18、地球周回軌道に入ったボストーク1号は、約9
Matsui Takahiro
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仏教は突き詰めれば宗教ではないかもしれないという話

仏教は突き詰めれば,宗教ではないという考え方がある。 確かに,仏教では人が歩む「道」については説くが,神による啓示や救済についてを説くことはない。そもそも仏教にはブッダ(悟りを開いた者)はいても神はいない。神という存在を自分の身体の外,世界のどこかに実在すると考え,神の恩寵と罰を説くセム的一神教(ユダヤ教,キリスト教,イスラム教)と仏教との根本的な違いはここにある。 考えてみれば当然である。一切が「
中村 鷹
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自由を求めて 民衆を導く女神編

 民衆を導く女神…といっても、そんなに大げさな話じゃない。それでも、確かに自由と女神は切り離せない。あちこちに像もあるし。 民衆を導く女神  この絵は、1830年のフランス7月革命を主題とした、ドラクロワの作品(Eugène Delacroix. 1830. La Liberté guidant le peuple. Paris. Musée du Louvre.)。絵に興味がなくとも、どこかで見た

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