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Takai Rei

生保を受ける母子家庭のど貧乏生活→奨学金のみで高校・専門学校卒業→精神科看護師4年半→24で母を看取り天涯孤独→住所不定無職の旅人→住所不定無職のまま結婚→そのまま旅人続行計2年50カ国→日本で一番忙しい病院の看護師しながら大学・大学院修了→大学教員

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Takai Reiの人生のストーリー

住所不定無職の旅人なのに結婚することが出来た話①

ふと気が付いたら自分はカオサンの2段ベッドでぼんやり天井を見上げていた。 母が自宅で看取り、息子としての責任は果たしたので、なんだかもう日本にいる理由もないことに気が付き、以前から計画していた放浪の旅にでることにしたのだ。 自身の荷物も殆ど処分し、段ボール5個だけ友人の実家に預け、ずた袋1つでタイ・バンコクに降り立っていた。 バックパックすらも持っていないため、バックパッカーですらない。 年金や健康

住所不定無職、所在地不明、収入0円でも結婚ってできるんだね。って話。

母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。

2003年8月30日。 2週間程前から俺は実家の函館に帰ってきている。 母の最期を看取るためだ。 俺は母子家庭で育ち、母はたった一人の家族だ。 母が死ねば家はなくなる。 つまり帰るホームがなくなるってことだ。 自分の安心できるホームがなくなる。 故郷函館は「帰る場所」ではなくなり、「遊びに行く場所」になる。 それ自体は自分が物心つくころから覚悟はしていた。 物心つくころにはすでに母は癌だったから。

人の死と向き合うことは自身の人生と向き合うことと同義。日記から振り返ってみた。

人生で必要なことは全て旅先で学んだ。 人はなぜ祈るのか?

祈り 昔ミャンマーを旅していた時の話。 首都ヤンゴンの中心にある寺、スーレ―パゴタに行った時、本当に沢山の人々がお参りに来ていた。 寺に入るには裸足になる必要があり、皆ぺたぺたと日差しで温まってる石畳を歩いていた。 本当にたくさんの老若男女が散歩がてらふらっとやってきては真摯にお祈りを捧げてる。 お祈りの仕方はきちんと正座して手を合わせ、床に額を付けまた祈る。 何回やるかとか人それぞれだし、立ったま

人はなぜ祈るのかミャンマーのお坊さんが教えてくれた。

精神科看護師として働いていた時の衝撃的事件簿①辛い時にこそ面白がろう!

[面白がる:辛い状況を乗り越えるためにする人間の高度な自我防衛行動。] 辛い状況であればあるほど面白がるのは大事です。 これは俺が精神科看護師として働いていたころの話。 今までむちゃくちゃな患者にぶち切れることは星の数ほどありました。 しかしある時からぶちきれそうになる時、心の反応に変化が出てきました。 先日ものすごく精神状態が悪く、救急隊員に四肢抑制されながら入院してきた患者さんが来ました。 その

普段良く知らない世界は海外に行かなくても沢山ある。身近な不思議世界を知ってもらいましょう。

精神科看護師として働いていた時の衝撃的事件簿②そいつのキャラで相手を笑わせられたらなんでもいいという話

精神科看護は一般科に比べ看護師一人一人の個性がとても患者の治療に大きな意味があります。 一言で言えば キャラ勝負な世界 です。 社会には色々な人間がいるように、病棟にも色々な人間がいて良いのです。 患者さんだけでなく自分自身がまずどれだけ自分らしさを出して行けるかは大事です。 優しい人、怒りっぽい人、調子の良い人、自信有り気な人、なさげな人、どじな人、頼りになる人、ならない人、てきぱき仕事する人、の

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母を自宅で看取り天涯孤独となった瞬間の話。②

プロローグ 2002年秋 突然親から電話があった。 そろそろ、死期が近いと。 母は再発を含め3回ガンになっていた。28歳から20年以上ガンと戦ってきたから、そろそろ生命力が削られてなくなりつつあるのが分かると。 徐々に検査で腫瘍マーカーの値が上がってはきてたけど、今月(2002年11月)になって先月の3倍になってたと。 今回はもうもたないと思うと電話があった。 最初なんの事だかはっきりと現実味が感じ

母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。③

2003年8月12日 last  29 day あの電話で泣いた日からはや9か月が経ったある日。 さっきまで、仲間と来週行く夏フェスに参加する話でわいわいしてたのに。 さっきまで、仕事の同僚に愚痴聞いてもらい、心のもやもやがすっきりしてたのに。 夜21時に電話がきた。 母 「来週、もう死んでるかも・・・」 つい今しがたメールで、 来週休みがもらえたから実家に行くよ って打ったら、それすら間に合わない

精神科看護師として働いていた時の衝撃的事件簿③社会にはいろんな人が支え合いながら生きてるんだよって話。

[夜間救急当番:その日夜間帯に警察が市内で保護した人を市内の各精神科病院が受け入れる日] 夜間救急当番の日に保護され、精神科に運ばれてくる人は当然かなり錯乱してたり、混乱してたり、酔っ払ってたり、情緒不安定でリストカットした人等がくる。 当時私が働いていた病院でも月一回夜間救急当番の日が周ってくる。 その日の夜勤に当たると、夜中に外来に呼ばれたり、夜中に入院の準備をしなくてはならないのでとっても面倒

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精神科看護師として働いていた時の衝撃的事件簿④いやー、想像以上にこれはビビるよって話。

ある夜勤の日にあった過去最高にびびった話です。 夜中2時詰め所でぼんやりしていると、入院中の患者さんの一人が大慌てで詰め所に飛びこんできた。 「トイレでシーツがひっかかてる!がたがたと変な音がした!」 やばい!! すっげえ嫌な予感する・・・ 走ってトイレにかけつけると、一番奥のトイレの上の方にシーツを引っかけるように結んでいて、それがトイレの内側に入りこんでいる。 軽く頭真っ白になりながら急いで状況

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精神科看護師として働いていた時の衝撃的事件簿⑤人を嫌うときは必ず自分の心に問題があるって話。

[陰性感情:怒り・恐れ・焦り・後悔・不安・自信喪失・孤独感・嫌悪感などの負の感情] 精神科の看護は一般科より患者との 「関わり」 がメインにある。 点滴や注射薬などを確実に行くようにすること以上に、患者としっかり関わることが大事な仕事である。 なぜなら 人間の心は薬では癒されない。 「心ある関わり」で人間の心は初めて癒される から。 つまり精神科に求められるものは、医者のキュアではなく看護のケアその

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母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。④

2003年8月16日 last 25 day 最初で最後だろう母の髪を切った。 横と後ろだけだけど、長くてうっとしかった部分をカットした。 すげー褒めてくれてた。 喜んでもらえて嬉しい。 褒められて嬉しい。 小さい頃はよく切ってもらってたのに、反対になるとは。 それに一緒に花火も見れた。 ちょっとだけだけど。 これも思い出。 きっといつまでも思い出すんだろうな。 それに札幌から親戚のおばさんがやって

母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑤

2003年8月20日 last 21 day 今日で俺が函館に来てから1週間たった。 今日は親の体調がよかった。 下肢の浮腫も俺がきてから連日マッサージしてるせいか、だいぶ良くなってる感じ。 俺自身はちょっと疲れてきている。 祖母が来ていたけど、やっぱりじっとしてられない。 なんかしなきゃって焦ってる。 不安からくる焦りでそれが伝わるから、母も嫌な気分になる。 自分が悪いのか って。 なのでしばらく

母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑥

2003年8月24日 last 17 day 日中母も寝てたけど、俺もぐっすり寝てしまった。 俺自身もだいぶ疲労している。 今日の母は寝る時間が多かった。 日中風呂に入ったせいか。 色々試行錯誤して一人で入浴するが、入浴後の体力の消耗が激しい。 ものすごい脱力して、今日は浴槽から自力で出られなくなっていた。 マッサージしてからの方が足が動くので入りやすいとのことだったので、次回があればそうしたい。

母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑦

2003年8月28日 last 13 day 昨日から母はオムツをつけた。 もう自力ではトイレに立てないからだ。 見ていて悲しい。 元気であった姿を知ってるし、元々おしゃれに気を使う人だったのに、本人から、 「もう動けないからどうでもいいよ」 と投げやりに言ってきた。 もうそれぐらい倦怠感が強いようだ。 それでも母の希望もあり、祖母に下の世話をお願いしていたけど、朝方ベッドのシーツが汚染しており、交

精神科看護師として働いていた時の衝撃的事件簿⑥その後眼鏡代は病院が負担してくれましたって話。

それは朝方の保護室で起こった。 その部屋には前日入院した統合失調症の急性期の患者さんが休んでいました。 [統合失調症の急性期:統合失調症の患者は周囲への安心感が希薄であるため、入院当初スタッフを信頼してないことが多い。 頭の中は妄想と幻覚で混乱してる上、不安感でいっぱい。 人間は不安感が強く周囲を信頼できない時、自分の身を守ろうと周囲に対して攻撃的になる] そんな状態の患者の側に行くのは看護師もいつ

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精神科看護師として働いていた時の衝撃的事件簿⑦仕事の時はバンダナ必須で、ぜったい外しませんという話。

すごい人を紹介します。 俺の職場の先輩、T沢さん。 同じ職場なので、もちろん看護師(男)です。 でも、 頭は金髪モヒカンで、両サイドには刺青も入ってます。 英語でデストロイと・・・ ※本人ではありませんが、まさしくこんな感じです。 その方ハードコアパンクバンドのボーカルをしていて 、頭に限らず全身にタトゥーが施されていてます。 けど背中と太ももだけは大事にとってあるそうです。 そんなんだから職場では

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精神科で働いていた時の衝撃的事件簿⑧一瞬説教なのか愛の告白なのかわからなくなってしまった自分は自意識過剰だったなぁと後で反省した話。

K松式男の見分け方 職場の同僚K松さん(35歳・独身女性)との夜勤はいつもとにかく面白い。 この方、患者と向き合う事を恐れない、とっても頼りになる先輩、人一倍涙もろく、人情家。 様々な病院で働いた経緯を持ち、訪問看護ステーションの所長までやったすごい人。 北海道に住んでみたいという動機だけで、高知からカバン一つでススキノに下宿しちゃったものすごい行動力。 いつもみんなを支え、叱咤激励してくれ、仲間と

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住所不定無職の旅人なのに結婚することが出来た話。②いきなりの究極の選択

合流 彼女は俺より2つ年上でしっかり者。 始め彼女は友人とタイとベトナムを旅行し、途中から友人と別れ一人旅となりベトナムのニャチャンとういう町でで俺と合流した。 一人旅を始めて半年が経った頃だった。 合流後はそのまま北上して中国を周り、チベットからネパールに抜けることとなった。 ストレスフルな毎日 今までの旅仲間は、短期間でお互い別々のルートとなったため、相手がどんな人物でも対してストレスにはならな

住所不定無職の旅人なのに結婚することが出来た話。③(完)ご両親の寛容さは偉大だ

一時帰国 1年ぶりに日本に帰ってきたが、友人からは早速 「ずいぶん早い帰還だな」 と冷やかされた。 しかし、そんなことよりまず彼女の両親へのご挨拶だ。 だが、着ていく服がない。 スーツなどは処分して持ち合わせておらず、今ある服は旅用のTシャツとぺらぺらの綿パンツだけだ。 靴もサンダルしかない。 一応黒でコーディネートしようと思い、黒い帽子に黒いTシャツ、黒い面パンツに黒のサンダルで決めてみた。 ご両

母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑧

2003年9月1日 last 9 day 今日ものすごく久しぶりに綺麗な朝焼けを見た。 本当に綺麗だった。 朝6時ごろ処置に起きてカーテン開けたら、ひんやりした空気が身を引き締め、雲は下に降りて、空は綺麗に紅く焼けていた。 朝日を見ながら空気を吸ったらとっても気持ちが良かった。 母と一緒に牛乳を飲んだら、 「うまーい、生き返るー。あ、でも生き返ったらだめか」 と笑っていた。 昔行ったヒマラヤを思い出

母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑨

2003年9月5日 last 5 day 今日ようやく訪問入浴サービスが来てくれた。 男女の若い介護士2名と訪問看護ステーションから所長も来てくれ、すごく頼もしかった。 すげーよな、あれ。 リビングの母のベッドの横にでかい浴槽を持ってきて、注水と排水をいっぺんにやって、みんなでわさわさ洗ってくれる。 母はもう自力での身動きも困難なので、お任せ状態だった。 すごいのは所長がちゃんとお湯の温度と入ってい

母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑩

2003年9月9日(火)~9月10日(水)1時30分 last 1 day ~ 0 徹夜で母の傍にいて、疲れきったままソファーでうとうとしていたら明け方夢を見た。 夢には元気な頃の母の姿と現在の無残な姿の母が出てきた。 そして、今でもはっきり覚えている。 「もう自由にしていいんだよ。あなたの人生も、夢も・・・私は苦痛から解放されます」 と言っていた。 あれは夢だったのか? 一瞬だけ、母の意識がある

母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑪ その後

2003年9月10日 1時30分~  After time 息を引き取った瞬間今まで堪えていた涙が一気に溢れた。 声を上げて泣いた。 自分でもびっくりするぐらいすぐに泣けた。 この瞬間の感情は一言で容易に表現できる。 「絶望」 祖母が起きてきたので一緒に 「ご苦労様、お疲れさん」 と声をかけあいながら母の体を拭いた。 祖母も急に元気がなくなっていた。 訪問看護ステーションには連絡だけして、担当医には

母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑫ 別れ、そして支え

2003年9月11日 parting and support   友人2人が深夜に帰った後、お通夜にも関わらず俺は一人になってしまった。 ゆっくり母と2人で最後を過ごしたかったという気持ちもあるが、俺は伝えたいことは生きてる時に伝えたと思う。 しばらく母の顔を見ていたら、寂しさがこみ上げ、函館にいる古い友人の一人に電話をした。 するとそいつは次の日仕事があるのにも関わらず、急いで家に駆けつけてくれ、

母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑬ エピローグ 前編

エピローグ・1(2003年9月12日~20日) 「陽の光や風となりて」 あれからもう何日たっただろう。 あまりにもあっという間であり、あまりにも長い1週間だった。 沢山の仕事があって、ばたばたしてる内に時が過ぎていった。 沢山のドラマがあったが、忙しさの中で忘れていってしまう。 本当に色々あった。 沢山の人に会った。 人のつながりをきちんと整理するというのは、こんなにも多くの人と出会わなくてはならな

母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑭ エピローグ 完結編

エピローグ・4(2003年9月12日~20日) とても大切なこと 家を引き払う日、それまで沢山の物や家具があったのがうそのように部屋はがらんとしてた。 とてもシンプルで広かった。 もうここに戻ることはないのかと思いながら、家に対して 「今までお世話になりました。ありがとうございました」 って気持ちになった。 深々とお辞儀をして、玄関から出た。 本当に俺も母もずいぶん世話になった。 本当に今までありが

人生で必要なことは全て旅先から学んだ。 お金

お金 旅をしていると 「お金ってなんなんだろう?」 と考える時がよくある。 日本での1ドルはジュース1本。 貧民国にとって1ドルは1週間の食費になる。 ミャンマーで忘れられないエピソードが2つあった。 キンプンという村のゲストハウスで働いていた青年。 彼は22歳で大学の2年生だったが、去年病気になってしまい学費が払えず休学していると言う。 学校の学費は年間100ドル。 1万円だ。 日本なら飲んで騒い

お金って不思議。お金って難しい。旅先ではいつも感じること。

精神科看護師として働いていた時の衝撃的事件簿⑨あの先輩看護師と患者さんとの関係性だったからできたことでもあるけど、俺は怖くて出来ないなって話。

当時働いていた病院は築23年だったので時々 「ここは野戦病院か?」 と思う事件が起きる。 ある日曜日、勤務に行ったら事務から 「改修工事のため全館昼から2時間停電します」 といきなり放送が入った。 「おいおい聞いてねーぞ!」 と思いつつも、お昼過ぎに処置室で患者の足浴してる最中突然停電して真っ暗になった。 「病院でしかもオートロックの保護室とかもあるのに、停電って大丈夫かよ!」 ってびびりました。

普段良く知らない世界は海外に行かなくても沢山ある。身近な不思議世界を知ってもらいましょう。

精神科看護師として働いていた時の衝撃的事件簿⑩上手に気持ちをコントロールするって難しいよねって話。

ストレスコーピング:精神的な緊張や負担に対してうまく付き合うための対処行動のこと。心のケアをする精神科籠師は自身のストレスに対して上手に緩和させないとすぐに仕事を辞めるハメになる。患者さんにとってはこれがとっても苦手なので、その人らしい対処行動を獲得できるよう一緒に模索することが必要。 ある夜勤の日。 次年度から大学院に行くという秀才のT先輩がとある看護雑誌を持って来ていた。 K松 どれどれ、ほーこ

普段良く知らない世界は海外に行かなくても沢山ある。身近な不思議世界を知ってもらいましょう。

人生で必要なことは全て旅先から学んだ。 孤独を抱いて寝る時

旅に出ると不思議とみんな社交的になる。 特に一人旅をしている者はとても社交的だ。 同じ安宿で出会った旅行者同士すぐに 「やあ!どっからきたの?どこ周った?一緒にご飯食べよう!」 となる。 男女、国籍関係なく、すぐに仲良くなる。 不思議だった。 日本に居たらすれ違う人と一緒にご飯を食べようなんてすぐには声を掛けない。 むしろ、怪しまれる。 なぜだろう? と旅に出る度に考えていた。 うすうすわかっていた

本当に寂しいって感じる気持ちは誰にだってあるはずですよね。

住所不定無職の旅人から大学教員になった話。

旅に出発した時に持っていった本は2冊だけだった。 旅人となって日本を出発する時最初に持参したのは、 高橋歩の「LOVE AND FREE」とパウロ・コエーリョの「アルケミスト」 の2冊だった。 どちらも自分が旅人になろうと思ったきっかけの本だ。 「LOVE AND FREE」  は高橋歩が夫婦で世界中を1年8ヶ月旅していく中で感じたことを表現しているのだが、言葉がストレートで力があって、芯に響いてく

旅の延長で今がある。まだまだ人生の途中ですよって話。

精神科看護師として働いていた時の衝撃的事件簿⑪経験は巡り巡って次の世代へと繋がっていく話。

ちょっと前に右も左もわからず働き始めたと思ったら、もう4年半も働いてたある日。 スタッフの出入りの激しい病棟で、ふと気付くと主任の次に古い看護師になってしまっていた。 おいおい、大丈夫なのか?!この病棟??? なので毎年入る後輩にもいつのまにかでかい顔して 先輩面 をかましてる今日この頃。 新卒だけでなく、毎年様々な経歴を持った人が既卒で入ってくるので、本当に楽しい。 しかし、その年入った後輩の一人

人生で必要なことは全て旅先で学んだ。 出会いと好奇心

旅のはじまる瞬間 「旅」が始まる瞬間はいつだろう? 異国の空港から一歩出た瞬間? いやいや、もっと前だ。 成田空港から国際線が離陸した瞬間? いやいや、もっと前だ。 自宅からバックパックを担いで外に出た瞬間? いやいや、もっと前だ。 エアーチケットを旅行代理店で購入した瞬間? いやいや、もっと前だ。 たぶん、いつだって、何気なく手に取った旅行ガイドやテレビで流れる不思議な景色を見て、 「おっ!行って

人生に必要なことは全て旅先で学んだ:あなたの心にヒーローを

3Fまで吹き抜けの円柱形の建物の真ん中に四角いリングがある。 そこで大男が4名肉弾戦を繰り広げている。 大人も子供も皆、熱狂的な声援と掛け声を送っている。 「俺のヒーローは誰だっただろう?」 そんなことをメキシコシティーでルチャリブレを観ながら俺はつぶやいた。 ルチャリブレは空中殺法が多いメキシコスタイルのプロレスだ。 日本でもプロレスを観たことがない自分にとって、旅の間にぜひ行ってみたかったものの

精神科看護師として働いていた時の衝撃的事件簿 人を嫌うときは必ず自分の心に問題があるって話。

[陰性感情:怒り・恐れ・焦り・後悔・不安・自信喪失・孤独感・嫌悪感などの負の感情] 精神科の看護師は一般病棟より患者との 「関わり」 がメインにある。 点滴や注射薬などを確実に行くようにすること以上に、患者としっかり関わることが大事な仕事である。 なぜなら、 人間の心は薬では癒されない。 「心ある関わり」で人間の心は初めて癒されるから。 つまり精神科に求められるものは、医者の「キュア」ではなく看護の

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若くて美しいことは、 自然のいたずら。 年をとっても美しいことは芸術です。   - エレノア・ルーズベルト -(1884~1962) 米国のファーストレディ、人権活動家 もうすぐ9時だ。 娘様はもう寝る時間。 わたし むすめさまーー 寝る時間だよー 歯磨きしよう。 娘様 はーーーい シャカシャカシャカ。 よし、私も化粧でも落とすか。 隣で一生懸命に歯を磨く娘様を見守りながら、今日も私の顔を覆う魔法の
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第14話 1本の木と奇妙な夜 【少し不思議な力を持った双子の姉妹が、600ドルとアメリカまでの片道切符だけを持って、"人生をかけた実験の旅"に出たおはなし】

1本の木と奇妙な夜 前回の記事はこちらへ⇒ 第13話ルカとの出会い 書籍「あーす・じぷしー」先行予約 開始しました^^ ______________________ マチュピチュ村へ。 ルカ マチュピチュって、行ったあと不思議なことが起こるんだって。 旅人の中で言われてるんだよ。知ってる? まほ えっ…?なんって? 電車は渓谷の間をガタガタと揺れながら走る。 マチュピチュへ行く専用の電車だった。 急
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第12話 マチュピチュの予言【少し不思議な力を持った双子の姉妹が、600ドルとアメリカまでの片道切符だけを持って、"人生をかけた実験の旅"に出たおはなし】

始まりの一日。 ”     何の為に生まれて 何をして生きるのか    答えられないなんて そんなのは嫌だ!                        ” ノートの表紙に書き込んだ、やっと見つけた旅の「目的」。 インティとライミもこちらを見ていた。 ー地球上のすべての人にはその人を待っている宝物があるんだ。 アルケミストの大好きな一節とどこか似ている気がする。 そして目が覚めると、旅がガラリと変
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やくざを泣かせた5歳の息子の話

こころ を すまして みてごらん はな は はな として うつくしく あなた は あなた として うつくしい ただ それだけのこと が いとおしい あれは暑い夏の日のお昼過ぎ・・・ いつものように、2歳の娘を連れて息子の幼稚園へお迎えに行った帰り道。 「アイスクリーム、食べようか?」 暑かったので、三人で駅前のベンチに腰掛けて、アイスクリームを食べることにした。 そんな日常の一場面。 もし、あのやく
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第11話 人生を変えた旅ペルーⅡ【少し不思議な力を持った双子の姉妹が、600ドルとアメリカまでの片道切符だけを持って、"人生をかけた実験の旅"に出たおはなし】

前回の話→ 第10話 人生を変えた旅ペルーⅠ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 第4章 リョニーさんとの日々 朝、目が覚める。 窓のブラインドから朝日が差し込んでいた。 いつもと違う部屋の空気、 布団の匂い。 ーあれ?ここどこだ? 一瞬どこにいるのか分からなかった。ぐるりと部屋を見渡す。 ーそうだ、ペルーだ。私は今ペルーにいるんだ。 だんだんと意識がハッキリしてくる。 昨夜リョニーさ
Takai Rei
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母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。

2003年8月30日。 2週間程前から俺は実家の函館に帰ってきている。 母の最期を看取るためだ。 俺は母子家庭で育ち、母はたった一人の家族だ。 母が死ねば家はなくなる。 つまり帰るホームがなくなるってことだ。 自分の安心できるホームがなくなる。 故郷函館は「帰る場所」ではなくなり、「遊びに行く場所」になる。 それ自体は自分が物心つくころから覚悟はしていた。 物心つくころにはすでに母は癌だったから。
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住所不定無職の旅人から大学教員になった話。

旅に出発した時に持っていった本は2冊だけだった。 旅人となって日本を出発する時最初に持参したのは、 高橋歩の「LOVE AND FREE」とパウロ・コエーリョの「アルケミスト」 の2冊だった。 どちらも自分が旅人になろうと思ったきっかけの本だ。 「LOVE AND FREE」  は高橋歩が夫婦で世界中を1年8ヶ月旅していく中で感じたことを表現しているのだが、言葉がストレートで力があって、芯に響いてく

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