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島田 隆一郎

私は、今日(2014/04/17)、一念発起して、チャレンジャーマインドを持ちました。


実は、アフィリエイトも挑戦中、ネットビジネスも挑戦中、陶芸も10年振りに挑戦中です。


陶芸の仕事は、家事手伝いというカタチで、18歳から28歳までやってきていました。


家を出て一人暮らししてから10年、今年の3/08に、私は実家に戻って参りました。


ネットは、2001年に『志麻流三朗のいたずらっ子リトルパーク』というホームページを立ち上げて、活動開始しました。


今は2014年。ホームページをこれまで沢山立ち上げてはそのままで終わらせてきました。


ここから、今日から、チャレンジャーとして頑張る姿勢を持ちます。


思えば、今まで、カッコつけすぎて、書いた文章の量が、自分の実績だ、みたいに考えていました。


陶芸、アフィリエイト、ネットビジネス、他様々な仕事を、


挑戦者マインドを強く打ち出して頑張りたいと思います。


フォロー、友達申請、気軽にアクセスしてください。宜しければ仲良くやっていきましょう(^ー^)


心機一転、新しい気持ちですべてのことに取り組んでいきたいと思いますo(*⌒―⌒*)o

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島田 隆一郎の人生のストーリー

17歳の時、騙されて精神病院に連れて行かれて拉致監禁された話

私は、大学受験を控えた高校三年生の時に、 ある精神病院に監禁されました。 ネットで調べてみたところ、そういう犯罪病院は多いそうです。 ヤクザにいたぶられ、 まともな食事や服も与えてもらえず、 違法投薬と違法手術をされていました。 髪をメチャクチャにバリカンで剃られ、 クスリを飲まないと殴られていました。

18歳から陶芸の仕事を始めて、営業、経理、運送、個展、陶芸教室教師を勤めて来た話

私は、18歳の夏から、仕事を始めました。 陶芸の仕事です。 最初は見習いからスタートしました。 まず、陶々堂(私の勤めていた会社です)で、基礎からみっちり学び、かつ即実践という仕事でした。 土練り3年ロクロ7年とよく言いますが、そのつもりで頑張りまして、 めきめき実力がついていきました。 客商売というものは大変な仕事で、クレームの嵐でしたね(笑) 吉子社長が、 「お客様を大事にして、お客様を怒らせた

母親のマッサージを10年以上し続けた話

母は、優しく厳しい仕事人です。 私は、自分の仕事をやり終えて、 疲れている母親をマッサージしていました。 短くて10分、長い時は1時間以上マッサージしていました。 母が辛い時は愚痴を聞いてあげながらマッサージ。 「りゅう、もうええんよ。お母さん、楽になったから」 よく言うのですが、さらにマッサージサービス。 私は、高校生の時に気功術通信教育を卒業していて、 また人間のカラダのツボについて詳しい男でし

17歳の時に、騙されて精神病院に連れて行かれて拉致監禁された話 #2

暗い話も何なので、精神病院での面白い話でも…… いっちゃいましょうか(笑) ぶっちゃけ、ヤーさんは怖かったスけど、 その初めて病院で出逢ったヤーさんが、 「ボウズ、大事なこと教えてやるわ」 と、紙に書いてくれたのはいいのですが……… …… 何もティッシュペーパーに書かなくてもいいでしょう!(笑) 「大事にせえよ、その言葉」と言うのですが…… ……… ………(^◇^;) どう保管すりゃいいねん!(笑)

18歳から陶芸の仕事を始めて、営業、経理、運送、個展、陶芸教室教師を勤めて来た話 #2

まず、お客様のおっしゃっていることが 理解出来ないことが沢山あり、悩みのタネでした。 社長は、 「お金を貰って仕事しとるんやから、真剣にせないかん! あんたは後片付けがなっとらん! 最初から最後まできっちり仕事をやるのがプロや! 甘えとったらいかん!」 と叱られていました。 後片付け、これが大切であると 気付くまでに意外と時間がかかりました。 そして、私は日々修業を続けていきました。 これは、ある小

母親のマッサージを10年以上し続けた話 #2

マッサージをする時に、コツがあります。 ツボ押しなので、「痛い」ことも…… だから、「ここ、痛くない?大丈夫?」と 聞いてあげるのです。 「ちょっと痛い」と言われたら、 その痛いところの周辺の、痛くないところを 優しく指圧してあげます。 そして、手のひらでそこを優しくローリングで圧して、 血の巡りを良くしてあげます。 それから痛いツボを、本当に優しく優しく押してあげればいいのです。

18歳から陶芸の仕事を始めて、営業、経理、運送、個展、陶芸教室教師を勤めて来た話 #3

学校の勉強は、仕事には役立たないことも多いですね。 私は、公立の高校を卒業していまして、 (高校三年の12月から、高校には行ってなかったのですが、 担任の先生が卒業の手続きをとってくださいました) いわゆる進学クラスの生徒でした。 偏差値は、高かったほうですね。 最高記録は、偏差値72。 しかし、学問は、陶芸の仕事では殆ど役立たなかったのです。 なので、基礎からみっちり修業していきました。 第一難関

母親のマッサージを10年以上し続けた話 #3

マッサージの原点は、相手をリラックスさせて癒すことにあります。 母がよく、 「りゅういちろう、あんたも疲れとるのに、無理せんでええよ」 と私がマッサージしてる時に言っていました。 けど、 「俺は、若いから、大丈夫だよ、母さん」 と言いながらマッサージしてました。 私は、親しいひとを癒すのが大好きです。 母親の腰痛も、当時は回復させる程に ひたすらマッサージしてました。 そして、カラダの疲れたところに

17歳の時、騙されて精神病院に連れて行かれて拉致監禁された話 #3

さらにヤーさんの話で恐縮なのですが、 そのヤーさんは、私と同室でした。 ある日突然、部屋の床に手を伸ばし、 床を開けると、 ぎっしり食糧が詰まっていました。 ある意味、私には不思議だったので、 中をじっと覗き込んでいると、 「ジロジロ見るな!」と叱られました。 確か、缶詰が大量にあったと思います。 たまに、彼は仲間を呼んで 宴会をしていました。 タバコが大好きな方達が、 アソびに部屋に来ていました。

17歳の時、騙されて精神病院に連れて行かれて拉致監禁された話 #4

ある日、ミナトさん(仮名)が、 「俺は自殺する!」 と言い出した。 入院患者が、ミナトさんの飲もうとしている 毒薬を見て、仰天した。 健康食品の、飲むタイプのミロを入れたコップに、 角砂糖が20個以上入っていた。 「俺はこれを飲んで死んでやる!」 みんなが必死で止めていた。 …… ……… そんなので死ぬわけないだろ!と俺は思った。 やはり、死ななかった彼は、気持ち悪そうに嗚咽していた。

17歳の時、騙されて精神病院に連れて行かれて拉致監禁された話 #5

盗みをしたことによる罪悪感。 私は、入院中、罪を犯しました。 下川さんのふりかけを盗んで食べてしまったのです。 入院していると、当然食事は満足に食べられません。 食事がまず過ぎて、ヤクザは御飯を捨てていました。 ある日、空腹に耐えかねた私は、 下川さんの部屋に置いてあるふりかけが食べたくなりました。 そして、こっそり部屋に入って、 ふりかけの袋を3つ取りました。 これがまた食べると美味い! しかしそ

小学生の時、稼ぎまくっていた話 #2

私は、小学校の頃は金儲けが好きでした。 ……あ、今も好きかな(笑) まず、簡単に稼げていた戦法をお話します。 昔、徳島市には、流れるプールがありました。 マリンプールという、水が流れ続けていくプールです。 私は、仲間を連れて、そこで稼いでいました。 どうしていたかというと、 流れる水流と逆方向に潜水して泳ぎ、 落ちているお金を潜りながら拾い集めるというやり方です。 流れるプールなので、お客様はよく小

小学生の時、稼ぎまくっていた話

私は、徳島のT小学校に通っていたのですが、 実は荒稼ぎしていた小学生でした。 漫画を描いて売ったり、 宝探しゲームを作って儲けたり、 麻雀やトランプで稼いだり、 当たり屋をやって儲けたり、 流れるプールで稼いだり、 自動販売機で儲けたり、 ゲームを作って売ったり、 その他、様々なことをしてお金を得ていました。 これから、それらのことについて詳しく語っていこうと思います(⌒▽⌒)

小学校の時、稼ぎまくっていた話 #3

私は、小学校の頃から漫画を描くのが好きでした。 初めて描いた漫画は、「あほくん」という漫画で、 小学生らしい かなり雑で適当な漫画でしたね(苦笑) しかし、友達に見せてみると、「りゅう、面白いよ、これ」という反応。 当時読んでいたコロコロコミックに、漫画の描き方が掲載されていたので 参考にしながら、スキルアップしていきました。 そして親父のコピー機を借りてコピーをして、 友達に漫画を売り始めました。

小学校の時、稼ぎまくっていた話 #4

私が小学校6年生の時に、親友の誠ちゃんと漫画の共作を始めました。 誠ちゃんは一緒に漫才コンビを組んだり、 討論してきた心安い仲です。 誠ちゃんの申し出で、宇宙物語を書き始めました。 彼は、私より漫画の知識や一般常識があったので、 色々助けられながら共同制作していきました。 私の自宅で会議しながら描き進めたり、 学校の休み時間に描いたりしてました。 お昼休みなどは、制作中の私達に同級生が群がって、 制

読んでよかったストーリー

清瀬 史
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アメリカという国に日本人が行くべき理由 【part1】

大学4年の時、私は1年休学してアメリカに留学した。 (先にお伝えしますと、留学と言っても、親が子供たちにあててくれた教育費を使った留学、要は親のすねかじり留学だったので、何も大したことはありません。大学4年の私はガキンチョみたいでした。22歳でまだ子供のような私。それでもそんな私の意志と将来を想い、太平洋の向こうへと背中を押して送り出してくれた両親にはただ感謝です。) アメリカでの生活は、私の考え方
後藤 詩織
313

わかってくれる人は必ずいる。だから、諦めないで。逃げてもそこは道だから。

ずっと逃げたかった。 小学校の頃からずっと。 ただ、周りに逃げてる子はいないし、どうやって逃げたらいいのか分からなかった。 馴染めない自分、いい子じゃない自分は《悪》だと思ってた。 だから、そんな自分は押し殺したというより殺した。 いじめられたって、親や姉の言う『お前にも原因がある』って言葉に違和感とショックを受けながら、必死に学校に通った。 誰も信用しない。自分のことは自分でしか守れない。誰も助け
後藤 詩織
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未定

ネットの世界へ 2009年、当時確か中学校3年生。 うちにノートパソコンがきた。 父親が仕事で使うためだと買ってきたが、結局わたしのおもちゃとなり、後に私の引きこもりDAYSの必須アイテムとなるのだ。 精神疾患わずっ//// 中3の文化祭が終わった私は、学校へ行かなくなった。心配した親は私を児童精神科へ。…治らない(笑) 1週間食べなくてもハイテンション。いかれてた(笑) このことについてはまた後
高梨 陽一郎
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24歳フリーターが借金9億円を13年で返済し、ハワイに住む夢をある方法で3年早く叶えた実話

「お父さん、もう助からないんだって・・・」 社会人3年目、横浜スタジアムでのシーズン最後の試合の後、スタンドに応援に駆けつけた母から言われた強烈な一言だった。 「え!?助からないってどういうこと?」 編集 「ガンで余命3ヶ月なんだって・・・」 「・・・」 編集 その日から俺と家族の人生が一変する。 ************************************ 1974年3月1日。3月に
寺田 幸弘
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亡くなった父が孫に会いに来る、ちょっとお茶目な怖くない話 その3

息子が3歳になったばかりの頃のことです。 父がまた遊びに来ました。 やはり、妻が夜中に目を覚ますと、父が息子に話しかけていたそうです。  京都の北山に 美味しいクロワッサン を売っている店があるから、今度パパに連れてってもらいなっ 京都を離れて20年 。 美味しいクロワッサン ?   私はそんな店を知りません。 しばらく、その事を忘れていましたが、何ヶ月か経って、実家に電話したついでに妹に聞いてみま
寺田 幸弘
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亡くなった父が孫に会いに来る、ちょっとお茶目な怖くない話 その2

息子が2歳になった頃 のことです。 やはり夜中に夜泣きをしました。 妻が目を覚ますと、泣いている息子の横に父。 妻は霊感など無いのですが、なぜか父の姿が見えるのです。 不思議と怖いとは感じないと言っています。  父は、泣いている息子の小さな手に、何かを一つずつ載せています。 息子は、それを不器用に口に入れます。 やがて涙も止まり、その何かを一生懸命、繰り返し口に運んでいます。 暗がりの中、目を凝らし
寺田 幸弘
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2

亡くなった父が孫に会いに来る、ちょっとお茶目な怖くない話 その1

こんな私にも父がいました。 遊び好きでライブ歌手もやっていた父。 彼が他界したのは、もう10年以上前の話です。 ライブでも時々歌っていた アメージング・グレース の曲で、出棺されて行きました。仏教徒なのに(笑) 父に孫を一目見せてあげたかったと、今も後悔しています。 7年前に息子が生まれた時、父が生きていれば一番喜んだろうなと思います。 ところが。。。 息子が生まれて数ヶ月。 父がこっそりと家に遊び
和田 晃一良
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プログラマは社会の底辺がなる職業だと思っていたら、プログラマになっていた話

中高生の頃、プログラマはブラックだと思っていました。 小学生のとき、部屋にPCが置かれPC中毒となる 僕が小学5年生のとき、家にWindows 98のPCが導入されました。 その頃の私にとって、PCというのは、物凄く面白いもので、夢の機械のように思えました。 最初はマインスイーパやソリティアを遊ぶだけでしたが、日々PCをさわるごとに、どんどんできることが広がり、更にインターネットが使えるようになる
和田 晃一良
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7

Storys.jp

CEOのJamesRiney, エンジニアのTakuroと一緒にStorys.jpというサービスを開発しています。 また、和田さん、アンリさんから投資を貰い、毎週ミーティングをしつつ、日々ブラッシュアップしています。 3人のチームで僕はCTOとして頑張ってます!応援してください! http://storys.jp
Sakurai Shota
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外国人の彼女を作ろうとした話

2009年の4月、僕は童貞だった。 当時、一年間の北京留学から帰ってきて、僕は大学を3年から復学することにした。 友達は皆大学4年に進級し、就活に勤しんで大学に来ることも少なくなっていた。 僕が留学前に設立した草野球サークル(8人しか集まらず結局キャッチボールしか出来なかった。)も事実上消滅していた。 僕は彼女どころか友達すらいなかったのだ。 そんな友達の居ない窮屈な学生生活を打開しようと、僕は語学

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