「メン」 に関する検索結果

純情ホスト② ダメホスト編

繋ぎでBに在籍していたスーパーおじさん軍団がBを去る頃には、徐々に新しく新人が入ってきていた。 SY社長がおじさん軍団がいる間に、気合を入れて従業員の募集や補充をしていたからであろう。 ふと気づけば、Bのホストはいつの間にか14名程になっていた。 その時期の新人達も、やはり5人中1人が3ヶ月後なんとか残っていたという様な感じに変わりはなかった。 その時期に入店した中で、2~3名を除けば、 ギリギリ顔
健二 井出
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「出会い系」を使ってた時の話しでもしようか。

私はグラフィックデザイナーであり、二児の父でもある。父になるには、当然のことながら、妻がいてこそ。「おいおい、散々、 過去のストーリー で女性に恵まれないってことを駄弁っておきながら、しっかりと結婚してんじゃねぇか?」 ……ふふ。なめるな。私の妻。どこで出会ったか教えようか? ストレートに、 「出会い系」 だ。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
永井 弘人
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2017年11月3日~26日 写真家 長谷川美祈さんの【Internal Notebook】写真展を開催いたします

会場はReminders Photography Stronghold Gallery 東京都墨田区東向島2-38-5(東武スカイツリーライン曳舟駅より徒歩6分・京成曳舟駅より徒歩5分)となります。 以下、フェイスブックのイベントページに公開されている内容を転載いたします。 フェイスブックのアカウントをお持ちの方はイベントページをご覧ください。 ※English text comes below ※
小川 詩織
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パニック障害の音楽家/Part-1:生まれてから〜幼稚園の頃

私が生まれたのは1958年(昭和33年)11月16日。東京タワーが完成した年でもあり、ちょうど戦後、日本の復興が成果を見せ始めた頃だったようです。父親は横浜、母親は芦屋生れで私は生まれも育ちも横浜です。 私の住んでいた東横線の駅周辺には池があって桜の木が繁っており「桃源郷のような場所」と古い文書には記載され、多くの文化人が住みついたとのことです。昔は東京に住んでいる人の避暑地として利用されていたそ
安西 史孝
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アメリカのローガン中学校は、午後2時半に真っ暗だった。

アメリカのローガン中学校は、午後2時半に真っ暗だった。    三重県の北部に「四日市高校」という高校があります。私の住んでいる「いなべ市」からは、電車で1時間半くらいの場所にあります。この付近の公立中学校は、1学年100人くらいの中学校が多いのですが、毎年5人前後しか四日市高校に合格できません。  私の塾の高校生コースは、そんな四日市高校の生徒が半数を占めています。あ、待って。威張っているんじゃない
キョウダイ セブン
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最愛のビッチな妻が死んだ 第8章

交際9日目 2月26日 今日、僕は初めて太一さんと会う。その親友のヤスシさんにも。仕事を終えた僕はあげはとともに指定された渋谷のバーへ向かった。 「後ほど」 「会うのが楽しみなのは初めてって。うれしいわ」 「今日は卒アルゲットのために電話かけまくり、久しぶりにマスゴミ仕事を……」 「マスゴミww」 「自分で認識してるけど、向いてないな~。こなせるけどw」 「あは、見てみたいな。こっそり」 「ぼち池袋
Kitahara Kyousuke
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純情ホスト① 立て直し編

ほんのり田舎育ちの少年。 夜間家に鍵をかけないような家庭だったので、 適度に人を疑うという自己防衛を 身に付けるのに時間がかかってしまっていたのかもしれない。 ホストの大半が飛んでしまった、我が職場であるホストクラブ 「B」。 ほぼ壊滅状態だったが いつまでも上の人間がその状況を静観しているはずがない・・・。 1月の末、グループ内のもう一店舗のホストクラブから、上の人間が派遣されてきた。 名前はSY
健二 井出
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第3話 荒れる海で眼鏡を回せ。

「オンデーズを再生するには、この回転すし店と同じようにならないとダメだな・・・。」 「回転すしのお店と同じにですか?」 本社のほど近くにある回転すし店。僕は、長尾貴之(現東南アジアRM)、近藤大介(現情報システムGR)と3人で、少し遅い昼食を食べながら話していた。 長尾と大ちゃんは僕が20歳の時に埼玉県の上福岡市で、小さな漫画喫茶を創業した時から一緒に仕事をしていた創業メンバーで、買収以前に経営して
田中 修治
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3回90kg→30kgダイエットで気づいた「痩せるためには、辛いことをしなくてはならない」という幻想

Kanesakuと申します。私は現在40歳で、「汚部屋」脱出、ダイエット、病気などの経験を通して心理学に出会いました。 中でも社会心理学に傾倒し、環境から作られる心や身体について研究したいと思い、働きながら大学院への進学を目指しています。現在、私は、こんな感じ↓です。 そして、昔は…… ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ こんな感じでした。 幼い頃から肥満だった私は、減量とリバウンドを繰り返し、 3回の90
Kanesaku Mariko
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写真家 長谷川美祈さんの最近のご活躍と私が勢いで世界の○○に出ちゃった話

11月の【児童虐待可視化プロジェクト写真展開催】へのカウントダウンに入っております!日程の公開までもうしばらくお待ちください。 2017年9月4日 オランダの大規模なフェスティバルUNSEEN Dummy Awardで写真家 長谷川美祈さんのInternal Notebookが最終選考に選ばれました。作品の展示は9月21日~24日までとなっております。 多くの方の目に触れる素晴らしい機会に恵まれまし
小川 詩織
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最愛のビッチな妻が死んだ 第3章

日常01 「編集者としてアドバイスするなら、あげはさんの過去を調べて書いたほうがより面白くなると思いますよ」 「僕もわかってはいますが、……まだ無理ですね」 「キタハラさんは傷つくかもしれませんが、あげはさんの過去をする知人などを取材すれば、もっと深い原稿になると思います」  この原稿を見せた友人の編集者にアドバイスを受けた。  的を射た意見だし、僕が出会う前のあげはについて知っている人に情報を得る
Kitahara Kyousuke
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最愛のビッチな妻が死んだ 第1章 出会い

第1章 出会い 「腕にBITCHってタトゥ入れてるおもしろい女性がいるんです。キタハラさん、絶対好きだと思うんで、今度紹介しますよ」 すべての始まりは知り合いの漫画家さんの一言からだった。 某雑誌社で働いている僕は「何か仕事の足しになればいいな」と軽い気持ちで了承した。その後、「キューティハニー」なるグループLINEが作成され、僕たちは会うためのやり取りを始めた。 なぜか、漫画家さんはあげはに僕をイ
Kitahara Kyousuke
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最愛のビッチな妻が死んだ 第4章

日常編02 【交際2日目 2月21日】 「楽しんでねーー。愛しい恋人よ」 「ありがと。気を付けて」 この日、あげはは下北沢のクラブで行われた友人のラッパーのパーティに参加。僕はライブの写真撮影だった。 酔っ払いのあげはから、実況中継のLINEがたくさん来た。 「パーティはフリー強制テキーラ。物凄くアウェイ」 「物凄くアムウェイって見えたw」 「やめろwwあむー」 「ウェ~イ」 「あむー」 「ヴェイン
Kitahara Kyousuke
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鬱で歩行すら困難だった失業者が「進撃の巨人」に感化され1人起業した話

こんにちは! 天空を目指し突き抜けるかのようにそびえ立つ巨大な大阪名物 「あべのハルカス」 が見える場所に住んでいる SYU1 といいます。 現在私は時間や場所にとらわれずパソコン一台で自由に稼ぎ大好きな音楽を趣味でやりながら ノマドロッカー というスタイルで生活しているのですが、 今日は私がそんな生活に至ったきっかけを映画風にまとめながらお伝えしていきたいと思います。 これは会社勤めをしていたごく
Syu 修
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ぼくが起業した本当の理由

小さい頃からのイイ子ちゃん症候群 ぼくは今でも、 人にいい顔をしてしまう悪い癖があります。 初対面の人に対して 自分がそれは違うんじゃないか と思ったとしても 場の空気を読んで「YESマン」になるってこと。 今思うと、この究極的に 人の目を気にしすぎる性格が 起業という選択の道へと 進むきっかけになったのかもしれません。 成績がよくないのにリーダーへの道を歩むことに 小学4年生になると、 児童会への
佐藤 勝一
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ドブネズミが90日で社長になった物語【第3章】

金で全てを失う人間。 序章→ 第1章→ 第2章→ 熊本地震で被災する一年前。当時20歳。 地元の最も信頼していた先輩に詐欺で騙された。 中学、高校と同じ学校の同じ部活の先輩。 当然のように一番可愛がってくれた先輩だ。 「久しぶり、ちょっとお願いがある。」 ある日電話が来て、困ったような感じでお願いをされた。 今まで可愛がってくれていた恩をちょっとでも返せるならと思い、喜んで引き受けた。 その一本の電
黒田 拓也
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こんにちは❤️ワールドピースチアリーダーの松本真奈美(MONA)です✨ この度、LIGHT UP NIPPON 東北100人チアのメンバーの一人として、熊本のイオンモールで、24時間テレビのコンテンツの一つとしてチアをさせていただきました。 私は大学でチアを始めましたが、大変に充実した大学生活、チア生活だったために、完璧にやりきった気持ちが強く、社会人になってまで続けようとま1ミリも思っていませんで
松本 真奈美
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地域の日本語教室だからこそできるオルタナティブな養成をめざして-私はどのような養成を受けてきたのか?(3)―

前号までで自分の養成経験をやや詳しく書いた。今号では、これらの養成経験と直接法の「(修正不可能な)揺るぎない確信」との関係、そしてそれを批判している現在の自分は何なんだろうか、ということについて書いてみたい。私自身もまだその確信をまだ非常に屈折した形で保持しているような気がするからである。 なぜこのような強固な刷り込みが行われたというと、早く一人前の日本語教師になりたいと思って勉強している期間中に、
Matsui Takahiro
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