「父」 に関する検索結果

人生は前向きにしか生きれない。父の死から学んだこと。

父が自死と言われて、納得いかなかったけど自死でもそうじゃなくても、いいんだ。 要は父が亡くなったその理由には、 死にたいじゃなくて、 死ぬほど生きたかったんだとわかったんだ。 寂しさを紛らわすために様々なことをしたり、 愛を率直に示したり受け取れなくてもがいたり、 自分を責めたのだと思う。 そう、 だからこそ残された遺族は亡くなった責任をずっと持ち続けて生きていく。その生きたいを解ってあげれなかった
前島 貴子
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私の父

私の父 私の父は田舎の小さな靴屋さんを営んでいた。一番古い記憶は、たぶん近くの養鱒場にバイクに乗って連れられていったときのこと。ヘルメットも付けずに二人乗りだから、今なら犯罪だ。三歳か四歳ころのことだから、山の上の養鱒場へ上る階段が妙に高かった覚えがある。  そこで、日本に出回り始めていたコカ・コーラを飲んだのだが、薬のような味がして飲めたものではなかった。四歳くらいの子供に飲ませる父もおかしいのだ
キョウダイ セブン
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借金を残して自死した父⑤最終話

沢山の人にお金を貸して、金融会社から借金をしていた父、 父を頼りに来ていた人に会いにいきましたが、みんな知らぬ存ぜぬでお金を返すつもりも、 父が亡くなった事を悲しむ人もいませんでした。 何故父は亡くならなければいけなかったのか、 兄も私も 父の寂しさに寄り添えなかったのは事実です。 私が高2の時離婚、再婚してまた離婚した父を当時の私達兄弟は、煙たがっていました。  父は10歳くらいで実母を亡くし、そ
前島 貴子
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借金を残して自死した父④

葬儀の後、あちらこちら見知らぬ人から電話がかかってきました。それは、サラ金と言うヤクザな世界の方でした。 亡くなった事を新聞にも上げなかったのに、知人から連絡があり自死だったかと問われました。 そういう死に方は、おそらく世間ではまだゆるされないのだと痛感しました。 父が残したのは、様々な機関から多額の借金でした。 例え自死でも相手はそう簡単には許しません。 自死だからと言って借金を免れようとしても決
前島 貴子
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最愛なる吉野先生へ 初めまして編

「先生。」 吉野先生の事を初めてこう呼んだのは今から約18年前の事。吉野先生は学校や保育園の先生ではなく、児童養護施設の職員として初めて会った。 私の「担当」と名乗る児童相談所の職員と吉野先生との間に挟まり、僅か7歳という年齢でこの世の全てを拒否し、怯えた目で大人を見ている。 緑のつなぎのおじさんがお話してる。私静かにしてた方がいいのかな。 「男の人は嫌いだ…。なんで緑のつなぎをきたおじさんがいるの
高橋 未来
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借金を残して自死した父③

警察からようやく解放された父の遺体を連れて実家へ向かいましたが、急な死だったため葬儀をしてくれるお寺さんがいませんでした。 ようやく葬儀を受け付けてくれるお寺さんを見つけたのが夜8時くらいでした。 宗派は曹洞宗でした。 夜突然訪ねていきましたがお坊さんは優しく受け入れてくれました。 本当に有難かったです。 その日の父の死からはじめてようやく座ってゆっくりお茶を飲みました。 父の遺体には沢山の刺し傷が
前島 貴子
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耳が聞こえない田舎出身の女の子が大手企業の技術職を捨て、裏バイトを経て起業し、子連れ旅ブロガーになるまで~1:高校時代まで~

今でこそ 子連れ旅にっき で旅行を仕事にしたビジネスで 娘2人を連れて飛び回る生活のスタートを切っていますが ここに至るまでの過程を綴ります まずはわたしのことをわかりやすく紹介致します ********************** 耳が聞こえない障害を持ってこの世に誕生 幼稚時代、聾学校に通い言葉の訓練を受ける 小学~高校、普通学校に通う 大学、電子工学を専攻 入社前ギリギリまで入院手術を受ける
知花 薫
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借金を残して自死した父①

母との離婚後、再婚してまた離婚した父。 ある日突然亡くなった父、しかも借金を残して。 それは、ある日の昼過ぎ、当時薬店を経営していた私は配達に追われていました。配達途中薬店に帰ると店の前の酒屋さんの従業員さんが、 「お父さんのお店、一昨日から空いてないよ。なんかあったかな?」 胸騒ぎがして私は自転車を走らせ全力疾走で父が経営する飲食店に行きました。 途中何度も嫌な予感がして、 もし倒れていたら救急車
前島 貴子
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38歳中卒の女が一部上場企業にまで務めあげ不動産会社を開業決意するまでの話。

私は家を見る仕事。 不動産の仕事が大好きだ。 なぜなら、きのこが生えてた家で育ったからだと思う。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 小学一年生の入学式。 私は1人で入学式に出席した。 式が終わると、周りの子は、楽しそうに保護者と写真撮影をしている。 私は一人で帰宅しようとしたら、新しくできた友達のリカちゃんが不思議そうに言った。 『洋子ちゃん何で一人なの?』 私はこの質問は慣れっこだ。 淡々
皆藤 洋子
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あらすじ

父子家庭として生きることになったのは、平成17年のことだった。 そのきっかけは、よくある夫婦の揉め事の末に決めた「離婚」だったのだが、その際二人の子供たちは僕が引き取ることになった。 理由は「私には他にやりたいことがある、だから子供の面倒は見られません」というものだった。何度かの不毛な話し合いの末、家を出ることになった妻は、その後戻ることは無かった。 突如としてわが身に降ってわいた、この「父子家庭」
明日の タケシ
9

【中学生その4】認めてもらえない悔しさ

中学二年生の後半になると周りは受験ムード一色でした。   私はというと学校では自分の視線の恐怖からあまり授業に参加できずにいました。 かといって自宅で勉強するわけでもなく、両親と兄達が寝静まった後に声優のラジオを聴きながら漫画を描くという生活を送っていました。   正直勉強は大嫌いでした。中学一年生の最初の頃不登校気味だったということもあり、数学の基礎がわからなかったため特に数学が嫌いでした。  
茶花 つばき
3

【中学生その3】はじめての本音

相変わらず一部の同級生からは陰口や汚い物扱いを受けていましたが、中学一年生の後半になると徐々に友達も増えて、休みがちだった学校にも通えるようになり部活も楽しくなってきた頃、ある不可解な現象が現れはじめました。   「自分の視線が相手に不快感を与えているのではないか?」というものです。 なるべく不快にさせないように相手の顔を見ないように会話をしていたのを覚えています。   特に授業中と給食の時間が苦痛
茶花 つばき
2

借金を残して自死した父②

今回の内容は赤裸々な描写もありますので、気分が優れない場合もあります。ご了承下さい。 パパパパと叫びながら探しました。どこにもいなくて、はっと思いついて一階の厨房を見たらそこに大の字になっていました。 その前に私は万一のことを考えて救急車を呼んでいました。 父はど素人が見ても亡くなっている事がわかりました。しかし、私はどうにか助かるかもしれないと僅かな期待を込めてお願いしますといいましたが、 亡くな
前島 貴子
24

死ぬまで逃げ切ると心に決めている話

時期は覚えている限り 8 歳位ということにしておく。   今回、どの様に誰に不当な性的犯罪行為をされたかは、ここでは記述しないことにする。   なぜどの様に誰に不当な性的犯罪行為をされたこと自体が重要でないのか。 第一に、それが今回書きたいこと、皆さんに知って欲しいことではないからだ。私の周りにいた大人達の監督責任、もっと言えば幼き私に不当な性的犯罪行為をした犯人を糾弾するつもりもない。   第二に
Yoshida Rino
8

第5話 メキシカンおばちゃんと愛を探す!【小児科ナースが天国に行った子どもたちと地球2周半、涙の奥に見えたとんでもなく輝く世界*(人生観が変わるお話)】

第4カ国目メキシコ : どんでん返しの幸せ!! メキシコの西海岸で 海ガメ保護のワークキャンプ をするために、メキシコへ飛んだ。 とにかく、可愛い雑貨に!可愛い街並みに!可愛いメキシコ人!可愛いの連続の国、メキシコ!!! 地図にも載っていない、メキシコ人ですら知らないような小さな村への行き方は、私どころか誰も知らなかった。 「ここはどこ?どうやったら行けるの?どうしたらいいの?!」 を何度も繰り返し
平 茉莉子
3

37歳からのベビーステップ

「早く隣の部屋から紐を持ってきて。あんたの首を絞めるから。」小学校に上がる前の年に、私は母からそんな頼みを聞いた。首に紐をかけられた、までの記憶があるが、その後の記憶がない。きっとあまりの恐怖に、脳が記憶をシャットアウトしてしまったのだろう。 ただ、「私は生まれてきてはいけない子だったんだ。」とその時に思った。  以前から母は神経質なところがあった。(今思えば鬱病だったと思う。)幼い私には、そんなこ
CHIHARU ABE
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けい子がたどった道3

<中学校時代> 中学1年のクラス編成って、小学校6年の担任が編成してた。うちの学年は全9クラス。40人近い生徒を9クラスに分けるから1クラス4人くらい?どんな思いで編成したのか知らないけど、なんでこいつと?って感じだったと思う。 1年4組> 真面目なクラスだったな。何せ先生が厳しかったから。埼玉の学校なのに群馬から来ていた。。。まあ埼玉に近い群馬だったからね。教科担当は体育。超細い体に長いワンレンの
溝渕 じゅりあ
4

15年間以上悩んだ自律神経失調症を1日で克服させてくれた父からの大切なプレゼント

私は中学の時に自律神経失調症を発症し、 その後、約15年以上にわたり病気と付き合ってきました。 今でこそ完全に克服し病気を患っている間、 自分自身がどのような精神状態だったのかも 忘れてしまっているほどですが、当時の私は、 「何の意味があって私は生きているんだろう?」 と言ったようなことを常に考えて生きていたように思います。 今回、その約15年の軌跡と私が体験してきたエピソードを ストーリーで綴って
倉地 加奈子
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