「記憶」 に関する検索結果

第二章 肩車の違和感

自分は母方の実家に引き取られ、母とその両親に育てられました。 はじめに母の実家に行くとき僕は少し長い間泊まるだけと聞かされていました。 泊まりはワクワクするし、少し長い泊まりだなとは思っていましたが、 幼稚園児の僕はさほど気にしていませんでした。 そして離婚と同時に妹が生まれました。 待望の妹です。 自分にも兄弟ができた喜びは当時の僕には本当に大きくて嬉しいのと同時に、幼稚園児ながら、 この小さな妹
稲生 亮生
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第一章 両親と暴力

「俺なら、私ならできる!」 そう自分を奮い立たせたことはありませんか? 誰しも、心の中でほんの少しでも、自分と自分の可能性と、未来を信じてると思うし、信じたいと思うし、信じていたと思います。 僕は学生時代、地域の狭いコミュニティーの中でもとりわけ友達も少ない、 狭い狭い世界で生きていました。 そしてこの世界の中から見るテレビの中の人たちはとてつもなく輝いてみえました。 小さな頃から憧れはあったんだと
稲生 亮生
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パニック障害の音楽家/Part-2:小学生の頃(最初の不安症状?)

☆喘息の発作・母親のパニック発作(らしきもの): 今の子供は自意識がはっきりしていそうなので、幼稚園と小学校というのの違いを把握していそうな気がしますが、私の場合、思い出してみるといつの間にか小学生になっていたような感じがします。 ただ小学校に上がるにあたって、ちょっとしたトピックスがありました。それは雑誌のモデルになった事でした。本は「主婦の友」で、同社に知り合いがいた関係での出演となったようです
安西 史孝
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純情ホスト② ダメホスト編

繋ぎでBに在籍していたスーパーおじさん軍団がBを去る頃には、徐々に新しく新人が入ってきていた。 SY社長がおじさん軍団がいる間に、気合を入れて従業員の募集や補充をしていたからであろう。 ふと気づけば、Bのホストはいつの間にか14名程になっていた。 その時期の新人達も、やはり5人中1人が3ヶ月後なんとか残っていたという様な感じに変わりはなかった。 その時期に入店した中で、2~3名を除けば、 ギリギリ顔
健二 井出
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2017年11月3日~26日 写真家 長谷川美祈さんの【Internal Notebook】写真展を開催いたします

会場はReminders Photography Stronghold Gallery 東京都墨田区東向島2-38-5(東武スカイツリーライン曳舟駅より徒歩6分・京成曳舟駅より徒歩5分)となります。 以下、フェイスブックのイベントページに公開されている内容を転載いたします。 フェイスブックのアカウントをお持ちの方はイベントページをご覧ください。 ※English text comes below ※
小川 詩織
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パニック障害の音楽家/Part-1:生まれてから〜幼稚園の頃

私が生まれたのは1958年(昭和33年)11月16日。東京タワーが完成した年でもあり、ちょうど戦後、日本の復興が成果を見せ始めた頃だったようです。父親は横浜、母親は芦屋生れで私は生まれも育ちも横浜です。 私の住んでいた東横線の駅周辺には池があって桜の木が繁っており「桃源郷のような場所」と古い文書には記載され、多くの文化人が住みついたとのことです。昔は東京に住んでいる人の避暑地として利用されていたそ
安西 史孝
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最愛のビッチな妻が死んだ 第3章

日常01 「編集者としてアドバイスするなら、あげはさんの過去を調べて書いたほうがより面白くなると思いますよ」 「僕もわかってはいますが、……まだ無理ですね」 「キタハラさんは傷つくかもしれませんが、あげはさんの過去をする知人などを取材すれば、もっと深い原稿になると思います」  この原稿を見せた友人の編集者にアドバイスを受けた。  的を射た意見だし、僕が出会う前のあげはについて知っている人に情報を得る
Kitahara Kyousuke
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最愛のビッチな妻が死んだ 序章

2月14日、バレンタインデー。世界中が愛に溢れたこの日、僕は自殺願望と絶望に包まれた。 ずっと信じていなかった「運命」や「永遠」という言葉を信じてさせてくれた最愛の妻・あげはが先立ったのである。 まだ32歳の若さであった。 彼女は双極性障害を持っており、そのせいで「30歳まで死ぬと思っていた」とよく言っていた。また周りからも「生き急いでいる」「死に急いでる」と評されていた。 自宅で行った葬儀で、参列
Kitahara Kyousuke
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障害者支援の会社で「利用者として働いていた」時の話

就労継続支援A型とはご存知でしょうか? 多分知らない方のほうが多いかと思います。 「障害者にその都道府県の最低賃金を保障して、障害者も仕事ができる」 というなんと親切な会社なのだろう。 と思うでしょう。 最近だと私の住むところの近くだけではなく、全国的に就労継続支援A型の会社が増えています。 実を言えば、私は現在、3つ目の就労継続支援A型の事業所で働いているところです。 というか、二十歳で専門学校を
宮城 ハナ
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口下手童貞少年、ナンバーワンホストになる ⑱壊滅編

時は少し戻るが、N美と付き合いだした12月、 Bに不穏な空気が流れだしていた。 その頃には、Rさんはとっくに飛んでいた。 Jさんはもう大学が来年で卒業という事で店を辞めて、 Mさんも単位がやばいといった理由で、Bを辞めた。 店に残っていたのは、 K野専務、R華社長、Nさん、Aさん、S君、KJさん、私の後に入ったホストが一人、新人が一人、私、他数名といった10人程度になっていた N「やってられねぇよな
健二 井出
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他者の声に耳を傾け、異なる文化に対する感性やまなざしを磨く質の養成へ-私はどのような養成を受けてきたのか?(2)―

前回は、日本語教師養成のなかで直接法の「(修正不可能な)揺るぎない確信」がなぜ刷り込まれたのかについて、私自身の養成体験について書いた。では、私はそこからなぜ離れていったのか、そして他者の声に耳を傾け、異なる文化に対する感性やまなざしを磨く質の養成へつづく、次の段階の経験について書いてみよう。 タイの大学で働いているとき、学生たちからいかに意味のあるアウトプットを引き出せるかということについて考えて
Matsui Takahiro
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「お酒飲めない物語」

ご存知の方も多いかと思いますが、私、小玉歩はお酒が飲めません。 コップに注いだビールは、3口くらい飲むと顔が真っ赤です。 そして心臓がバクバクいいだします。 お酒を飲んで気持ちが良くなるという感覚が全く理解できませんで、飲むほどに体調が悪化していくわけです。 ですから、飲み会のテンションがマックスに高いのは乾杯の瞬間。 あとは右肩下がりに、私のテンションは下がっていきます。 お酒が強い人は本当に羨ま
小玉 歩
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口下手童貞少年、ナンバーワンホストになる ⑰ ボケる!2 編

気付けば、もう12月になっていた。 店が暇で、6時頃に営業が終わった時は 店の外はまだ暗かった。 まだ外が暗い間に営業が終わる日が私は好きだった。 暗い方が本当はダサイという現実を隠してくれるような、 非現実的な気がしていたからかもしれない。 12月になった頃には私はナンバーから外れており、 少しの売上はあるが、 ナンバー圏外のダメホストであった。 だが逆にプレッシャーがないポジションの方が落ち着い
健二 井出
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第2話 初出社

2008年3月1日 スティーブジョブズが遠くアメリカの地で再発明した新しくスマートな電話は、まだ日本では発売されておらず、二つ折りの携帯電話が相も変わらずパカパカと街の雑音を彩っていた。 東京都内では、1か月前の大雪が嘘のように晴れ渡り、気温はすでに20℃を突破し、季節外れの陽気に公園の陽だまりには、朝から猫の親子が昼寝をし、その鼻先を身軽な雀がピョンピョンと飛び跳ねて行く。 そんな穏やかな雰囲気と
田中 修治
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口下手童貞少年、ナンバーワンホストになる ⑮ 脱出編

一方で、 私生活の方であったが、もう限界だった。 そのタイミングでの、 N美の登場が余計にそう思わせたのかもしれない。 電話も見れない。 電話が鳴る事がストレスになる。 電話が鳴るのはほぼ90%お客さんしかない。 出なかったら出なかったらで出ろと言われる。 さらに詮索される。 うかつな事は話せない。 ケンカになる。 ケンカといっても私が一方的に怒鳴られているだけだ。 何百万というお金をYが使ってから
健二 井出
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俺のしくじり恋愛 エピソード5

バンちゃんのしくじり恋愛実話⑤ 専門学生時代と学校よりもどちらかというと、バイト先の仲間はイベンド事の方が楽しかった記憶があります。 そのバイト先で知り合った年上の女性に対して、 気が合いすぎて楽しい時間でした! どうも会社勤めや一般の日常を送っている人とは、馬が合わないようです。 この女性も、女優を目指していて舞台などをやっており、空いた時間はバイトをしていました。 前回で登場した女性も結果キャバ
坂東 洋彰
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本当は幼少期から抱えていたパニック障害

私が自身のパニック障害に気がついたのは、夫を怒らせてしまった後 私は幼少期、アルコール依存の父に厳しく育てられてきたと思います 外食先で注文した料理を食べ切れずにいると、その日も飲んでいた父に最後まで食べることを強要されました どうにか押し込んで食べ終え、お店の外へ出た途端、目の前は真っ暗になり全身から汗が噴き出し、押し込んだ料理は全て地面に戻してしまいました 戻したところまでは記憶にありますが、そ
Y Zaki Meina
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ただひとつの命の使い方

(このストーリーは「これから肺がんを生き抜いていく人たちのために」全11話を、総集編として再編し、改題したものです。) 幸いにして肺がんを早期発見することができた僕は、右肺上葉部の摘出手術をし、今は毎月定期健診を受けています。術後1年半、今のところ転移所見はなく、闘病体験としてはささやかなものです。それでも自分にとってはいろいろと考えることもありましたので、伝えられることもあるのではないかと思い書き
松本 晃一
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街のダニからグローバルエリートへ ~グレて高校中退。警察官から「街のダニ」と罵られたチンピラがオックスフォード大学院に入るまで~

高校中退、日雇い派遣、路上スカウト、キャバクラの黒服、ホスト等を経て荒れた生活を送るも、一念発起し、渡米。 アメリカ西海岸の名門カリフォルニア大学を卒業し、グローバルコンサルティングファームで経営コンサルタントとして働き、Times世界大学ランキング1位のイギリスの名門オックスフォード大学の経営大学院でMBA(経営管理学修士)課程に入学。 人生の中で様々な「知」に触れ、成長していく軌跡。 私の人生の
竹田 譲
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