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馬場 峻樹

元ダメバンドマンのストーリー達
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馬場 峻樹の人生のストーリー

ダメバンドマンの人生がMac一台で180度変わった話

まず最初に書いておかなければならないことが3つあります。 ・主に変わったのは思考回路であるということ ・今でも音楽を愛しているということ ・"僕の場合" はMacがきっかけだったということ それでは、本当9割・冗談1割のお話をご覧ください。 ババ シュンキ(20歳・フリーター) 一人暮らし、バンド初心者、バイク好き まったく この男は高校を卒業してから何もしていない。 バイトを点々としながら一人暮

ダメバンドマンの人生がMac一台で180度変わった話 ②

(事故の半年くらい前だろうか。いじり始めた頃のFTR223D。2000台限定モデル) バイクから投げ出された時 宙を舞うダメ男は、前方にバイクが火花を散らして飛んでいくのを見ていた。 お尻から着地したので死ななかったものの、二つの理由で動けなかった。 一つは左足が折れて力が入らなかったこと。 もう一つは  後ろに乗っていたMちゃんは…? 振り返るのが怖い。 3秒くらい固まっていただろうか… Mちゃん

ダメバンドマンの人生がMac一台で180度変わった話 ③ 完結

Appleの製品はご存知の通り、美しい。 化粧箱まで美しい。 ロックをやっていた僕には、ロックスター的な先輩がたくさんいた。彼らが口癖のように言っていた言葉がある。 ロックスター先輩 ハッタリかましながら成長しろ ロックスター先輩 セクシーじゃないやつは出しゃばるな 編集 おつむのアレなシュンキは都合よく受け取っていたので、自分がイケテルと思うならそれを信じろ!という美しい言葉だと思っていた。(今も

とある駅で出会った、ダメ高校生とダメ絵描きの12年後

まえがき 以前「 ダメバンドマンの人生がMac一台で180度変わった話 」を書きましたが、今回のストーリーはそれより前、僕が17歳のころから始まります。 ダメバンドマンですらなかった、ダメ高校生時代。 17歳の時に経験した青春を、12年後の2013年に ぶり返す なんて思ってもみなかった。そんなストーリーです。 東口の「ヒガシ」 2001年 夏 あぢぃ…制服嫌い…もう歩けない… 本当意味のない会話

とある駅で出会った、ダメ高校生とダメ絵描きの12年後 ②

毎晩何時間も話せる友達 駅につくと、さすがに夜遅いので人はまばらだった。 夜遅くにプラプラするのはとても好きだったのだが、E君がいることで少し緊張していた。夜の駅周辺をプラプラしながら、ライオン丸の家に向かう。 E君が無口だと思っていた僕は驚愕した。 エッフェル塔ってさ夏と冬で高さが変わるのしってる?っていうかさ黒ヒゲ危機一髪ってあるじゃん?あれ飛び出させた人が勝ちって説明書に書いてあんだけどw あ

とある駅で出会った、ダメ高校生とダメ絵描きの12年後 ③ 完結

その後も血液型botのフォロワーは増え続けた。 この時の僕はデザイナーだったが、アパレルの紙媒体ばかりやっていてウェブには疎かった。 Livertyでウェブに目覚める そんな僕にウェブの楽しさを教えてくれたのは  Liverty というモノづくりチームだった。 Livertyの活動の中で出会った鶴ちゃん(現 BASE 代表)の姿を見て、僕はどんどんウェブにのめり込んだ。 (Livertyに関しては

BASEだいたい一周年。一年前、目の前で起きた全てが新鮮だった話。

BASE が会社になってから1年くらい経ちました。 今では5万店舗近くのショップがオープンして、さらに成長が加速してます。 僕は今BASEに所属しているわけではないのですが、BASEのおかげで勉強になったこともたくさんあり、スタートした時を思い出したので書き留めておこうと思います。 ※このストーリーは「 ダメバンドマンの人生がMac一台で180度変わった話③ 」のラストから繋がっています。 201

「刺青」がダメバンドマンに与える、良いことと悪いこと。①

刺青・タトゥーと聞くと、どんな印象を受けるだろうか。 「反社会的」 「結婚とか子供どうするの?」 「温泉は?」 これを発言していくのは、結構勇気がいります。 僕は会社の代表だし、その他チームの代表でもある。 きっと僕がスーツの時は気づいてない方もいらっしゃると思います。 そのくらい "ネガティブ" の対象にしやすいのが刺青なのだと思っています。 バンドマンに限らず、刺青・タトゥーに対して色々な意見を

「こんな人は刺青・タトゥーに向いている」そんな私感を書いてみました。

「刺青」がダメバンドマンに与える、良いことと悪いこと。②

いたいイタイいたい もう何時間たっただろう?左胸が燃えるように熱い。 タトゥーはですね。結構痛いです。 どのくらい痛いかというと…そうですね…ツネられてる感じです。 爪で思いっきり。 ギューて。僕はそう感じてます。 場所によっては痛くないんで、寝ちゃったりもします。 それと和彫りも洋彫りも関係ありません。和彫りは痛いとかも意味わからん。マシンなのか手なのか、です。和彫りもマシンで入れる彫師さんたーく

「こんな人は刺青・タトゥーに向いている」そんな私感を書いてみました。

「刺青」がダメバンドマンに与える、良いことと悪いこと。③完結 〜写真だらけの最終回〜

タトゥーと上手に付き合うということは、異文化の友達と付き合うことに似ています。 前回は「後悔なんて、して当たり前。してない人は成長していない人」と書きました。 あくまでも僕がそう思うってだけなので、怒らないで。 同時にタトゥーを入れてからポジティブになったとも書きました。その理由を書いて終わりにしたいと思います。(僕とタトゥーライフなお兄さん達の写真と共に) タトゥーが助けてくれるなんて思って入れて

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強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話

学校よりもクリエイティブな1日にできるなら無理に行かなくても良い。 その後、本当に学校に行かなくなり 大検制度を使って京大に放り込まれた3兄弟は 変わった教育方針の父親の元で育ちました。 一般的な家庭なら 「早く起きろ!さっさと学校に行け!」 と育てるところでしょうが3兄弟の家庭(ホーツキ家)はその真逆。 学校に頼って勉強するのではなく、自分で勉強を組み立てろというのがその主旨でした。 小学生の僕(
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経営における「クソジーコ問題」とは

会社を 3 年半ほど運営していて、めちゃくちゃアタマを悩ませたことのひとつを「クソジーコ問題」と名づけてみました。もちろん由来は元日本代表監督のジーコ氏ですね。 ジーコが優秀な監督かどうかはサッカーに詳しくないので判断がつかないのですが、(優秀な) プレイヤーが監督 = マネジャーになった時に発生する問題について今日は書いてみたいと思います。 ◆ ありがちなミドルマネジメント不足 1 年半ほど前、僕
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あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで! こんにちは! WEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口といいます。 僕は今の仕事をはじめてまだ稼げなかったとき、2011年9月~2012年4月まで、 大阪・あいりん地区のドヤ街で暮らしていたことがあります。 (詳しい経緯は「 鬱病で半年間寝たきりだった僕が、PC1台で世界を飛び回るようになった話。 」で書いてます) そのと
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Hi-STANDARDの音楽に魅せられた中学生が15年後ライブハウスのブッキングマネージャーになった話

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ANRI設立

ANRI設立の時にお世話になった尊敬するベンチャーキャピタリストについて話そうと思う。 ANRIの名付け親IVP小林雅さん 「どうせどんなファンド名つけてもアンリって呼ばれるからアンリでいいんじゃない?」というお言葉にそのまましたがってネーミング。 小林さんは非常に明るい性格の裏で、100M級のファンドを自力で立ち上げるためにものすごい努力をされていて、その一部始終はブログに書いてある。 これが独立
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