海外で起業し、【500万の赤字】と【リストラ】を経験してやっと学んだ「○○がない事したらあかん」という話。
この話はセブ島で起業し、東京に撤退する事になった僕の失敗談です。
初めまして!Gongです。
早稲田を退学して、20歳で公認会計士試験に合格し、
24歳の時にプログラマに転職して、25歳で独立。
そして26歳
2013年1月にリュック1つでフィリピンのセブ島に来た。
セブ島で会社を設立し、
フィリピン人8名、日本人4名とともに
英語ゲーム事業に転換したが、(↓こんなアプリです。AndroidとiOSで出てるのでDLしてみてね。)
累計500万以上の赤字を出し
2014年7月リストラして、
開発部門をセブ島から撤退し、東京に戻る決断をしました。
同じ失敗をする人が一人でも減り、
将来の僕が二度と同じ失敗をしないように
この1年7ヶ月の反省をまとめたストーリーです。
①大人向けアプリで独立して半年、いきなりセブ島へ
会計士からプログラマに転職して半年後、
趣味で作ったちょいエロアプリが100万DLを超えるヒット作になり
それがきっかけで、アプリ制作で独立。
その半年後、以前から「これからは海外だ!」「でかい会社を作りたい!」と思っていたので、
英語ができる人材が安く雇用できるフィリピンへ視察に行く事にしたけど、
日本に戻る理由はない!とそのまま、セブに滞在。
妻と息子には実家に帰ってもらい、
ちょいエロアプリの開発をセブ島で行う事にしました。
この時点でもう○○がありませんでした。
②とりあえず、現地のプログラマ採用してみた。
てな感じで答えてた当時の僕。
セブでの生活にも慣れてきた頃、
このままではセブにきた意味がない!
早くプログラマを採用しなければ!
と焦っており、知人の紹介で、同い年のプログラマを採用しました。
幸か不幸か、彼は非常に優秀で、未経験でしたが1割言えば10割分かるそんな男でした。
そんな彼と2人でせっせと新しいちょいエロアプリを量産しました。
この時から、僕は従業員の管理が必要になりました。
この時もやはり、○○がありませんでした。
③さっそく、PEZA法人「FreCre Inc.」を設立!
プログラマの採用も終わり、一息ついた僕が次に取った行動は、会社設立でした。
フィリピンに来た理由の1つでもあるPEZA法人の作成です。
「説明しよう!PEZA法人とは」
売上の7割以上が海外向けであれば、4年間法人税・消費税が0%で、
その後も売上の5%の税金を支払うだけでいいという、経済優遇措置を受けた法人です。
普通の小さい会社は外国資本は40%に制限されますが、PEZA法人ならほぼ100%大丈夫です。
弁護士事務所に80万円近くを支払い手続を開始、
無事2013年7月頃、PEZA法人「FreCre Inc.」が誕生しました。
この時から、僕は会社の管理が必要になりました。
会計士だった僕ですが、フィリピンの未知の法制度の中
苦手な英語での弁護士事務所とのやり取りは大きな苦痛でした。
やはりこのときも全く○○がありませんでした。
④1年で社員を10人にしよう計画!
最初の社員の優秀さを見て、
これは社員が増えればドンドン開発力が上がるのでは!
と思った僕は
プログラマやデザイナ、総務経理、テスターを次々と採用していきました。
だいたいですが人員の推移を書いておきます。
2013年
2月・・・日本人1(僕)
3月・・・日本人1・フィリピン人1
4月・・・日本人3・フィリピン人1
7月・・・日本人3・フィリピン人2
9月・・・日本人3・フィリピン人4
12月・・日本人3・フィリピン人3
2014年
2月・・・日本人3・フィリピン人6
3月・・・日本人2・フィリピン人7
4月・・・日本人3・フィリピン人7
5月・・・日本人5・フィリピン人8
フィリピン人の総務経理やテスター、英語問題作成社員には
○○がありましたが、
プログラマやデザイナについては、
○○がありませんでした。
⑤ちょいエロアプリから英語ゲーム事業へ転換!
2013年8月頃、とある問題が置きました。
あの優秀なフィリピン人プログラマから
との要求を突きつけられたのです。
その当時、何度もストアから削除されており、
僕もすでに限界を感じていたのですが、
会社設立でかなりお金を使ってしまい、自転車操業状態で
なかなか決断ができない状況にいましたが、
1ヶ月くらい考え抜いた結果、
家族からの支援を受け、
英語ゲーム事業への転換を決意しました。
セブにいるメリットを役立てる事ができる。(やっぱり英語!)
世の中の人の役に立つ。(楽しく英語が勉強できたらいいじゃないか!)
時流に乗る。(いまはソーシャルゲームがストアの売上のほとんどを占める時代)
の3つの観点から
英語ゲーム事業に決めました。
この時から英語物語の制作が始まりました。
そして、同時に今までAndroidだけで展開してきましたが、
まともなアプリならiOSでも展開出来た方が収益が2倍になるので、
「Unity」と言う両方に向けたゲーム制作ツールの導入を決めました。
(ゲームを作るなら本当に最高のツールだと思うので、ぜひお試しあれ。無料でいけます。)
この決断は○○があり、最終的に正しかったと信じていますが
新しい技術への初めての挑戦
複雑なゲームへの初めての挑戦
英語学習事業への初めての挑戦
という難易度が高すぎる挑戦で、
ゲーム開発素人集団のFreCreに取っては相性の悪すぎる事業でした。
複雑なゲームをチームで開発するのは非常にノウハウが必要で、
僕たちに出来るはずがありませんでした。
結果として、
僕はプログラムの習得・開発にかかりきりになり、
社長業やマネジメントの一切を放棄するようになりました。
日本人社員の命を削って何とか年末には粗悪な状態でリリースする事ができましたが、
フィリピン人社員の士気はドンドン下がってゆき、
業務中のネットサーフィン等をとにかく止めさせるために
色々なルールで縛ろうとした結果、あの優秀なプログラマが
退職する事になってしまいました。
また4月から協力してくれていた、営業が得意な日本人にも
不得手なゲームバランスや英語問題の作成をさせ続け、
そのクオリティに満足できない僕との衝突の結果、
やっとiOS版もリリースし、さあ営業が必要となった2月下旬、
退職する事になってしまいました。
⑥そして7月、東京移転への決意とリストラへ
公開後、収益向上に向けて
ひたすらバージョンアップに取り組んでいました。
4月からは新たな日本人ディレクターも加わり、
彼にマネジメントを押し付けて僕はずっとプログラムをしていました。
そんな時です。
公開後、バグだらけのアプリを何とかすべく、
夜シフトで採用したテスターたち。
その時給が
プログラマより高い事を理由に
給料に関する不満が爆発しました。
昇給を認める事により、何とかその場は解決しましたが、
無断欠勤や仕事の質に対して不信感が日に日に増えてゆき、
いっこうに好転しない売上への焦りと
1年間我慢し続けて来たネットの遅さに対するストレスも頂点に達し、
明らかにイライラしながら仕事をしていました。
そんなある日
俺も開発がしたいんだ!
東京に帰って早いネット回線の中で開発として協力した方がFreCreに貢献できると思う。
ネットとか営業とか資金調達とか
やり易いと思う。
となり、2014年7月9日の今日、フィリピン人社員にレイオフの意向を伝えました。
既に転職活動中で笑顔で受け入れてくれる社員も入れば
涙を浮かべていた社員もいました。
僕の浅はかな判断のせいで、このような事態になり本当に申し訳なく、
二度と同じ失敗はしたくない。そう思いました。
最後に:○○とは
さて、皆さん○○は分かりましたか?
そう。○○とは「必要」です。
この失敗はなぜ起きたのか。
「必要」のない事業をし、
「必要」のない採用をし、
「必要」のない会社を作り、
「必要」な事業の開始が遅れ、
「必要」な時期に採用が出来ず、
「必要」なネット環境を疎かにしてしまった。
必要な事をやるなんて、当然だろ?
そんな事もできないの?馬鹿なの?死ぬの?
と思うかもしれないけど、
この2年間。本当にびっくりするくらい出来ませんでした。
必要のない事が必要のない事を生み、
ドンドン時間を取られるようになったのです。
何かを始める時、
それは本当に必要ですか?
と問いかける。
誰かを採用する時、
その人は本当に今必要ですか?
と問いかける。
必要性を感じた時、
すぐにそれを調達できるよう手筈を整える。
すごくシンプルだけどすごく大事な事だと思います。
これから僕は
僕の人生に取って必要な事業と信じた「英語物語」のために
必要なデザイナとディレクターと供に、
必要なネット環境と人脈のある東京で開発をします。
そして、
必要な英語問題作成チームとテストチーム・総務経理の皆に
フィリピン法人を託します。
一時撤退をする事なりますが、
これからも「必要」な挑戦をドンドンしていき、
日本のそして、世界の英語教育を一新すべく、
英語物語の開発にFreCre社として邁進していきますので、
どうぞ宜しくお願いいたします!
軌道に乗ったら今度は必要にかられて、セブに戻ってくるつもりです!
最後にこんな無計画な僕を支えてくれた
URG社の皆さん
フィリピンで出会った日本人・フィリピン人の皆
今までFreCreを支えてくれた仲間の皆
陰で支えてくれる妻と息子と家族の皆
こんな長文を最後まで読んで頂いた友達と読者の皆さん
本当にありがとうございます。
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