神様みたいな父が人間だと知ったクズの話

情けない私の話を聞いてください。

・神様みたいな父と私

私は三人兄弟の末っ子である。
父にベタ惚れな母と、鬱陶しそうにしてるけど母を大切にしている父を見て育った。
兄と姉は私と年が離れていて、私が小学校に上がる頃には、父はおじさんと呼ばれるような歳だった。
だけど、そんなことは気にならないくらいに父が大好きだった。

父は単身赴任で、休日にしか帰ってこない。
休日の父は、釣りが趣味だった。
幼い私は苦手な早起きを頑張って、父の趣味である釣りに連れていってもらっていた。
寝坊したら置いていかれる(結構寝坊してた)ので、拗ねて泣くことも多かったなあ。

そのくらいしか接点がなかったけれど、私は父が嫌いじゃなかった。

私の父は顔が良い。性格も良い。仕事だって出来る。欠点なし!(と、信じていた過去の私ww)
当然ながら自慢の父である。
運動会の時なんか、誇らしくてたまらない。見に来ているはずの父を、私は他の人に見てもらいたかった。
お父さん子だったよ、認めよう。 

突然だが、私には他の家庭で育つ子供が体験するであろう父に対する3つのことを、体験していない。

ひとつめ、反抗期や思春期の「お父さん嫌い!」。
普段会わないのにどうやって体験するのか。
(なお、父に対してはなかったが、年の離れた兄が被害にあった模様)

ふたつめ、「お父さんと結婚するー!」。
母がイチャつきすぎていた。
「あなた~!」「暑苦しい!」「しどいっ」
というようなやり取りを日常に見ていたせいか、父に対してはそんな感情を持ったことがない。
代わりに、父のような人になりたかった。

みっつめ、結婚式。
私はまだ結婚していない。
ならば何故、父に対して体験しないと断言するのかといえば、父が立ち会うことが不可能だからである。

私が中学生の頃、父が他界した。

膵臓ガンだった。
一番苦しいだなんて言われているらしい。
父がそれになったのは、小学校の五年生くらいから、だったと思う。
仕事をやめて父は入院し、みるみるうちに痩せこけていった。



・クズな私がとった行動

父が命に関わる病におかされていると知った私は、バカの癖に脳みそをフル回転させて考えた。
そして、閃いた。

「死んじゃえ!」→死ぬ
という話がよくあるが、その逆をすれば良いんじゃないか?

すぐさま行動。
バカである。

普通なら、
「大丈夫、生きられるから!」
となるのだと思う。

ところが、私は、何事もないかのように振る舞った。
「見舞いにはいかない。だってすぐ退院するから」
こういう考えで行動したのだ。

結果、前述の通り、父は死んでしまった。

中学一年生の、12月のことだったと思う。
病院の先生も諦めたそうで、ホスピス(終末期ケアを行う施設のこと)に移動していた。

アホな私は、それでも
(治るのにばっかだなー)
なんて考えていた。

3日ほど前がクリスマスで、父は私が作った下手くそなマフラーをつけてくれていた。
はじめの方に見た痩せた姿からまた更に痩せた、骨と皮だけの体。
作り物みたいな、血の気の失せた細い手。
顔の筋肉が衰えて、瞼を閉じられなくなったらしい。

それを見て、思考停止した。
後はあっという間。

開いたままの目に、医者がテープを貼って閉じようとするのだけど、しばらくするとまた開いてしまう。
そんな光景ばかり覚えている。


・人間だった父とクズ

 葬式では、ビックリするくらい大勢の人が来た。
「こんなに慕われていたんだね」
誰かわからないけど、そう言っていた気がする。
恐らく、私の知らない平日の父が頑張った証拠だったんだと思う。
でも、誇らしいとは思えなかった。
何もわからなかった。

参列者の行列が長くて、一人一人にお辞儀を返すのが大変で。
頭をあげたり下げたり、そういうからくりみたいだった。
すごくバカらしいなって思ってた。自分のことを。

父の仕事は大変だったらしい。そこそこ上の役職で、上司に色々言われることもあったらしい。
葬式で聞いた話だ。

そんなの関係なく、休日はかっこよかった。
自分の意見を持ってる人だったと思う。
誰よりも格好いいと信じてた。
神様みたいに思ってた。
でも、人間だったんだ。
いっそ、本物の神様だったらよかったのに。

そんなことばっかり考えていた。


「後で後悔するぞ」
見舞いに行かない私に、兄が言ったのを覚えている。

後悔はしていなかったけど、申し訳なくて仕方がなかった。
勝手な思い込みで行動して、父を大切に出来なかった。
父に、本当に申し訳ない。


更に発揮されるクズっぷり。
私は、それから何事にも向き合わないようになった。

「逃げてばかり」
小さい頃から家族に言われ続けていた言葉である。
うるせーよ。

父の仏壇にも未だに手を合わせていない。
顔を会わせるのが申し訳なくて、恥ずかしいのだ。

「もっとちゃんとした人間になってから」
そう思って何年経ったか。
何か変わったのか。


・最後に

ここまで読んでくださったかたがいらっしゃるかわからないけれど、ありがとうございます。お疲れ様です。

こんな滅茶苦茶で読みにくい話を書いたのには理由があります。

・意思表明?
父が病気になってからの記憶が薄い。父の死後、数年経ってから気付きました。
日記の上だけでの記憶になる前に、しっかりした人間にならなければならない。
その思いで、まずは記憶と向き合ってみることにしました。その手段が、このstorys.jpでした。

・「見舞いには行けよ!」ってこと
先日、祖母が危篤ということで急遽病院へ向かいました。
先生曰く「今夜が峠です」。
父の時は出なかった涙がぼろっぼろ零れました。
しかし、なんということでしょう。付きっきりで看病すること二日間、土色だった肌は嘘のように血色が良くなったのです。
峠よいずこ。
「寂しかったけど、孫の顔を見たら元気になった」
とのこと。
病は気からとは、よく言ったものです。
見舞いが何よりの薬になることがあるのですね。
「死んでしまうから」会いに行くのではなく、「生きてほしいから」会いに行く。これが、何より大事だと思います。

これからしっかりした人間になれたら、また何か書こうと思います。
そのときは、また読んでいただけたら嬉しいです。

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