世界の果てまで飛ぶ、過程。

(ナイアガラ)

私はいまだにこの滝の近くで大学生をしている22歳だ。

高校で1年間米国留学をし、日本、マレーシア、米国の大学を経験。

周りには卒業して働いている友達がたくさん。焦りを感じていた頃もあった。それでもおばあさんになるまでかかっても叶えたい夢がある。

だから時間をかけてでも理解しなくてはならない社会の法則や問題が山ほどある。私は学生でいられるうちに色々なことを見出さなくちゃならない。

別に勉強好きってわけではないけれど、知らないことを知ることができる贅沢な時間を思う存分に使う予定だ。


単純なことが複雑になる

単純なことだった。

小6の時の書初めで「国際交流」と書いた。好きな言葉は「独立独歩」だった。

当時、発展途上国にスケッチブックと旅に出た女の人の写真集を読んだばかりで、日本とアメリカとヨーロッパ以外はみんな貧困に苦しんでいるんだと勝手に想像していた。

こどもだった私は世界を救うんだ、と簡単にそれを自分の夢にした。

中学生になってNGO、ボランティア、UNなど色んな組織が世界中にあることを知った。それでも貧困が存在するということも理解した。

高校生になってそろそろ海外にでないといけない、と思った。そして米国留学を1年間した。その一年間では、ホームレスに食事を作ったり、教会を通しても募金活動、ジャズバンドでの病院訪問など身近にできるボランティアをした。そこで感じたのは人を助けたという達成感よりも、こんな事じゃ根本的な問題は何も解決していないじゃないか、という不満だった。

それからだ。「ボランティアなんて自分たちが気分良くなるための行為」という考えが頭の隅に潜むようになったのは。


新しい考え

私はあまり迷いを持たないタイプだと思う。

米国留学し、人助けという行為の奥深さを私は知った。お金や物を支援しても解決はできない。お金はすぐ無くなるし、物を寄付するということは現地でそれを売って暮らしている人の生活を脅かすことにもなる。必要なのはお金や物の流れ。

「じゃあ、起業すればいっか。」

単純細胞な私の頭に感謝したいと思う。経済活動を活発にさせるということはいくらお金や物を寄付してもできないこと。仕事を増やし、一定の収入が家庭に入れば、その過程の貧困という根本的な問題は改善される。もちろん、実際に行うことは簡単なことではない。でも、強く思えば思うほど、イメージもわくし、やる気もでてくるものだ。

そして私は国際大学として最近話題の大学に入学した。


続けるための正しい選択

(ノンカイ村)

大学は楽しかった。友達も恋愛も勉強もうまくいっていた。ボランティアプログラムに参加し、英語を教えにタイやラオスの子供たちの家にホームステイしたり、中国に1か月短期留学もした。たくさんの友達が世界中にできたし、これからも仲良くしていたいなと思う友達も多くできた。

でも、楽しい雰囲気にのまれているのも自覚していた。もちろん楽しく学生生活を過ごすことはとても大切だ。同じフロアに暮らしていた仲間を思い出すと今でも本当に出会えてよかったな、と思う。

「足りない、私は起業するんだ、ビジネスを勉強するんだ」

そう思ったら止まらなくなった。すぐにでももっと勉強をしなくちゃやっていけないような環境に飛び込みたかった。もちろん、環境のせいにして甘えていると思う人がほとんどだと思う。それでも、今こうしてアメリカの大学で毎日10時間以上勉強しているのはあの時の決断のおかげ。あの時に決断できたことを良かったと実感している。

正しい選択か正しくない選択かは本人次第とは言うけれど、やっぱり正しい選択をするということは重要なんだと思う。

「石の上にも三年」とか「雨垂れ石を穿つ」とはその選択が正しいからこそ言えることで、すべてのものに言えることではない。「継続は力なり」は、苦労してでもここにいれば大きく成長できる!と自分が信じて初めて成立する力だ。ただただ我慢し、チャンスから目をそらすのとは違う。そこを見極めることで、その時の自分に正しい選択ができるのだと思う。


来馬、適応能力

APUをやめてからはマレーシアの大学に1年いた。何故マレーシアかと言われれば単純に「家族が移住したから」だ。ビジネス=米国という先入観からAmerican Degree Transfer Programという米国編入専門の学部に編入した。

今まで突っ走ってきたから息抜きにマレーシアでのんびり…なんて甘く見ていた。机で勉強する時間は日本にいたときの2倍、生活してるだけでもいろんな発見があった。それこそ毎日が学びの場だった。マレーシアは主に3つの民族から成り立つ、多民族国家で年間の祝日をみると、民族や宗教にまつわるものばかり。

宗教も言葉も見た目もまったく違う人たちがそれぞれの文化を尊重しながら生活するこの国の人たちは意味わからない自分勝手な理屈を通そうとする人が多い。それが私が最初に来た時の印象。でも、だからこそ相手がちょっと間違えようが、遅刻しようが、車傷つけようが、「Boleh boleh, tidak apa-apa」と何でもないさー大丈夫と穏やかなんだと思う。

このマレーシアでの生活で私は気持ちにも余裕を持てるようになった。多少のことじゃ動じないトラブル対応能力もついた。大げさに言えば、毎日を暮していく力、またそこに住む人たちに気難しくなるなと教えられたようなきがした。


渡米して今

(NYC)


渡米して1年がたちます。勉強量ももちろんながら、インターンシップやビジネスプラン制作など実践的なことも増えました。体重も順調に...来学期からはジムへ毎週行くから大丈夫なはず。

きっと人助けをするために起業したいなら大学行かないで今すぐすればって思う方も多いと思う。私もそう考えてた時期もあったし、私がこんな充実した生活を送っている今も、誰かが毎日を生きるために苦労していることも知っている。

人より遠回りをしているし、お金だってかかってる。口ではきれいごと言っちゃって実際は人生楽しんでんじゃんって言われることもあるかもしれない。

まず、私は確実に起業して成功させなくてはならない。適度なプレッシャーは大きな原動力だ。それは将来の私に期待して投資してくれている家族や学校、企業の方々に感謝の気持ちを表すためでもあり、私の夢を叶えることでもある。そして、自分が幸せでない限り誰かを幸せにはできない。これはきれいごとでなく事実。母の味を知らないでどうやって家庭料理をつくる?なりたい自分がわからなくてどうやって自分を磨いていく?

自分が幸せで楽しく生きていて、それを他の国のどこか知らない人にも感じてもらいたいと思うのはおかしい?

勉強すればするほど、色んな角度から見れるようになる。色んな国に行けば行くほど、違う景色を毎回見たくなる。複雑な世界を知れば知るほど、純粋だったころのシンプルでかつ一途な気持ちが全うできない。そのせいで、私はその時その時で行動や決断の基準が変わる。でもそれがいいんだ。

「人助けをしたい」という簡単な思いから、「起業する」という方法を思いつき、「大学編入」によって自分にとって正しい選択、決断をする難しさを知り、「マレーシア」で異なった環境や人の輪に対しての適応能力を身に付けた。


渡米後、今は怒涛の勉強をこなしていく。ただそれだけのこと。

将来の夢は、幸せを届けに世界の果てまで飛ぶこと。

"I don't care how long it takes me. As long as I know I'm going somewhere beautiful" -Unknown



著者のAbe Madokaさんに人生相談を申込む

著者のAbe Madokaさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。