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14/7/27

24歳ナースが、インドでチフスになった話

Image by Olia Gozha

その年の夏、私はインド北部を東から西へ1人旅をしていた。

中国・チベットからネパールを経て陸路でインドに入国し、行く先々で迫ってくる夜這いや物乞い、野良犬や野良牛にも慣れた頃の話である。   


   悪夢の始まり                        

今もパキスタンとその国境を巡って争いの絶えないラダック地方のレーという町を目指し、その途中にある山間の町マナーリーに滞在していた。


明日にでもレー行きのバスに乗ろうとチケットを予約した日の昼下がり、突然の発熱と強い倦怠感に襲われる。

その日のうちに病院へ行き、拙い英語でインド人の女医に事情を説明し血液検査をすることに。


検査の結果を待っている間も、見慣れない華氏表示の体温計が示す数字はぐんぐん上昇していく。


ぼんやりする頭で

"ガンジス川で泳いだのがマズかったのか、それとも砂漠で失敬したヤギの乳にあたったか?"

"デング熱だったら嫌だなぁ、もしかしたらマラリアかも…"

と考えている私に、医師が言い放った病名は少し意外なものだった。


「You have Typhoid」

"Typhoid....タイフォイド?うーん、なんだっけ?

あ、Typhus !チフスだ!

でもちょっと待って、私、チフスはワクチンを打ってきたんですけど…"


どうやら私が感染したのは、ワクチン未開発の"パラチフス"という感染症らしいのだ。


実はこのパラチフスは我が国の感染症法に指定される感染症5類のうち3類に分類され、なんと狂犬病やマラリアよりも格上にランクインしている。

あのコレラと同等に危険視されている病気だったのだ。 

(ちなみに最上級の1類感染症には、かつてヨーロッパの全人口の3割が命を落としたというペスト、中央アフリカはコンゴ出身、抜群の感染力と致死率で村を地図から消し去るのが得意なエボラ出血熱、そして現在のワクチンの起源でもあり、ジェンナーとかいうマッドサイエンティストがその名を歴史に刻んだ天然痘など、錚々たるメンバーが名を連ねている。) 


検査結果をヒラヒラさせながら、医師はチフスはとてもポピュラーな病気だからと説明した。

病室に行くと、同じくチフスにかかったというイスラエル人男性がベッドに横になっていた。

チフスがポピュラー?私は日本で消化器外科病棟に勤務していたのだが、チフス患者などお目にかかったことは一度もない。


現在の日本では歴史に埋れてしまったような感染症が、ここインドでは今だに多くの人の命を奪い続けていることを実感した。


体験、インド式看護

さて、原因がわかればさっさと治療である。

刺激物の摂取は禁止、点滴による抗生物質投与と電解質補液、解熱鎮痛薬の投与がスタンダードな治療となる。(たぶん。) 


しかし、ここはインドの田舎町。

私が知っている医療の常識は通用しなかった…。


まず驚いたのは点滴ボトルの保管場所がなんとベランダ!

野鳥がボトルの上に止まりさえずっているではないか・・・。

なぜ外に置いてあるのか尋ねると、"外の方が涼しくて良いでしょ?"とニッコリ。


そしてとにかく消毒をしない。


消毒液に浸された脱脂綿はあるにはあるのだが、積極的に使われることはなく、私が"そこは消毒して!ここは消毒してからじゃないとダメ!!"と狂ったように要求し、神経質で潔癖性な日本人の代表のような扱いを受けることとなった。 

さらにはアンプル(薬液の入ったガラスの小瓶) を錆びだらけのハサミでカットする(もちろん消毒しない) 等、清潔操作に関しては挙げればきりがない。


しかし最も度肝を抜かれたのは採血である。


日本では、ゴム製のチューブ(駆血帯) で腕を縛り駆血し、血管を怒張させ針を刺すという手順が一般的だが、インド式は一味違う。

サリー姿のインド人看護師が私の腕を鷲掴みにしたかと思うと、もうひとりの看護師が腕をバチンバチン叩いた後に血管めがけてブスリ! 


ギャーーー!!


そう、まさかの徒手駆血。そんな発想があったとはさすがインド。

この方法、血管の怒張が不十分なため非常に痛い。そうでなくても非合理的すぎる。


"お願いだから、ラバーバンドで腕を縛ってくれ!もう、あなたのパンツのゴムでもなんでもいいからー!"

と訴えるも、全く何を言っているのかわからないといった様子で要望は却下。


何度も失敗され、穴だらけの私の腕は薬物常用者さながら。

(翼状針、サーフロー針、シリンジは滅菌パックされた米国製のものを使用。 ) 


そんないかにも発展途上国の病院だが、日本の病院に引けをとらないものが、インド人看護師達の優しさである。


"あっちもこっちも消毒して!"

"その製品は滅菌済みか、見せて!"

"筋肉注射はここに打って!!"

という私のワガママに応じてくれ、熱が上がる前の強烈な悪寒が始まると毛布を掛けに来てくれる。


記念に(?) 写真を撮ろうと誘ってくれたり、お互いに拙い英語であったが彼女たちとの何気無いやりとりや雑談にはとても癒やされた。

異国から来た住所不定無職の旅人に、こんなワガママで面倒くさい患者に、自分だったら優しくできるだろうか。


私自身、ちょっとした骨折から末期ガンまで様々な患者さん達の看護に従事し、鳴り止まないナースコールに追われながら仕事をしているが、病気がこんなにツライとは....。


"これからはもう少し優しい看護師になるから、この病気治してくださいよ…"

とヒンズーの神に頼む日々であった。


長引く闘病生活と膨らむ不安

このように、朝から夕方までは病院で点滴を行い、夜は宿に戻って眠るという通院スタイルの治療を続けたが体調は一向に良くならず、私は不安を募らせた。


腸チフスの最も恐ろしい合併症に腸穿孔というものがある。

簡単に言うとこれは腸に穴が開くことだ。

するとどうなるかといいうと、腸管の中のあらゆる細菌・常在菌及び消化液、遠回しに腸内容物と表現されるぶっちゃけうんこが腹腔内に漏れ出してしまい、エンドトキシンショックというまぁ全身に毒素が飛び散りえらいこっちゃな状態になり緊急手術しなければもれなく死亡である。


そんな事態がこのインドの田舎町でわが身に起こるなど、考えただけで失禁モノだ。

いっそそこらじゅうに自生しているマリファナでも使ってもらい、ハッピーな状態のまま殺していただきたい。


インド医学の真髄を見る

恐怖に苛まれながらの闘病は4日間続き、40℃以上の高熱と下痢、激しい関節痛に毎晩襲われた。


ジュースと水以外は一切摂ることができず、目に見えて痩せていき体力も落ちてフラフラ。

同じ病室のイスラエル人男性はすっかり良くなりいつの間にか居なくなっていた。


5日目の朝、医師は弱った私を見て


「少しなら、何かおなかに良いものを食べなさい…。あなたのためにスペシャルな食事を用意するわ」


と言ってくれた。


確かに、何か少しでも口にしないと体がもたない。

何か、消化に良いものを・・・。


そして10数分後、医師が運んできたのは、まさかのカレー。


!!!


!!?


いやいやいや、チフスになって何も食べずにきて下痢もしまくりなのに、ここでカレー?

なんで?インドだから?

インドだからカレーなの?本場なの??


とまぁ、今思い出しても文体崩壊する程の衝撃がそこにはあった。


生還、その後

カレーにトドメを刺されたこともあり、私はインドでの治療を諦めた。

マナーリーから悪路18時間の決死のバス移動の末にニューデリーに到着。


日本に帰国し成田空港から都内の感染症専門の某病院へ直行、そのまま即隔離・入院となった。


検査の結果、

私の体からは3世代セフェム耐性パラチフスという、日本への持ち込み症例は初めての強力な薬剤耐性菌が検出された。


主治医から、「すごいの持って帰ってきたね!やるね!」と言われ、照れる私。


お互い医療関係者だと、こういう時は無礼講がお約束である。


検出された菌は日本チフス研究所でVIP待遇を受け、主治医は"これ論文書かないとっ♫"と満足げに頷き、

我が国のチフス研究はまた1歩前進。


ヒトからヒトへ、国から国へ、

人類と感染症の闘いは今日も続く。


そしてインドで死に損ない、"若くして病に倒れ、惜しまれつつ逝った人"になれなかった私の旅もまた続く。


Fin.




最後まで読んでくださった方々、ありがとうございました。

この夏、海外へ渡航される方も多いと思いますが、くれぐれも病気に気をつけてくださいね!

出来るだけ予防接種は打ちましょう。

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