神様はちゃんとあなたを見ていたね。

いままで、ほんとうに、いろんなことがあったね・・・

コ―ミン。わが子のように慕った少女が、今日、結婚した。

私は昔、まだ自分に子供がいない頃、本気で、一人の少女の母親になろうとした。
名前は、コ―ミン。バリ島のレギャン通りで物乞いをする9歳の少女だった。

とても汚れた衣服と、鼻につく体臭、それでも、私は、その子の瞳のまっすぐさに、とても惹かれた。そして、真剣にこの子の母親になろうと決意したのだった。

コ―ミンとの出会いは、夫の店に、コ―ミンが、物乞いに来たことから始まる。
小さな汚れた手、細く長い腕。ぼろぼろの汚れた衣服。
私は、その物乞いするコ―ミンの手をつかんで、店の中に連れて入った。
そして、店のスタッフに、ご飯を買いに行かせ、コ―ミンに、ご飯を食べさせた。

どうして、あの時私は、咄嗟にそんなことを思いついたのだろうと、今でも時々思うことがある。でも、なぜか、そうしなければならないと思った。いや、そうしてあげたいと思った。

とても、お腹がすいていたのだろう。コ―ミンは、大人でも多いそのナシチャンプル(混ぜご飯)を平気で平らげた。
帰り際に、自分には連れがあると言うので、もう一つお土産にご飯を持たせてあげると、コ―ミンは、とてもうれしそうに手を振って、かけて行った。

「絶対次の日も来ますよ」という店のスタッフの予言通り、コ―ミンは次の日も、次の日も、毎日やってきた。
そして、私も、コ―ミンを我が子同然に扱うようになるのに、そう時間はかからなかった。


やがて、私は、コ―ミンを養子にと考えるようになる。
まだ20代後半だった私には、子供がいなかった・・・この子の母親になろう。。そうしたら、この子の今の生活よりも、絶対にいい生活をさせてやれると、私は、思い込んでいた。しかし、コ―ミンは、今一緒にいるおばさんを置いて、どこにも行けないと私の誘いを断った。
そして、コ―ミンは、お店で、お風呂をするようになっても、朝にやってきては、夕方になると、どこかに帰って行った。私にとっては歯がゆい気持ちでいっぱいだった・・・

コ―ミンが、そのおばさんを慕うのには、理由があった。
5歳のころ、デンパサールで、コ―ミンの母親は、突然姿を消してしまったのだそうだ。その後、一人で母をさがしているうちに、今のおばさんに出会い、行動を共にしだしたという。

そのころのコ―ミンは、名前がなかった。あったのか、どうかも定かではないのだそうだ。コ―ミンと言う名は、その今一緒に居るおばさんが付けた名前だそうだ。
おばさんは、コ―ミンの事を本当に、自分の子供のように抱きしめてくれるという。
5歳で、母親に捨てられたコ―ミンにとって、おばさんは、本当の母親のような存在だった。

そんなころ、レギャン通りのテロ事件が勃発(2002年10月12日)。
202人の死者を出す大惨事となった。
その日、私は、お腹の中に居た子供を流産して、お店を休んでいた。
そして、皮肉にも、私の流産により、家族は、命拾いをしたことになる。

しかし、コ―ミンの連れのおばさんは、テロで被害に遭い、亡くなった。
おばさんは、足が悪く、サリクラブという爆発したディスコのすぐそばに座っていたそうだ。

夫は、現場に行き、コ―ミンだけでも、家に連れて帰ろうと試みたが、コ―ミンは、血まみれのおばさんを抱いたまま離れなかったという。

数日後、コ―ミンは、そのおばさんの身内に引き取られていった。
おばさんが死んだことで、皮肉にもおばさんの身元が分かったからだ。
おばさんは、痴呆症により、ふらふらと家を出て行ったきり7年もの間、戻ってこなかったのだそうだ。
子供たちも、母親の消息を探していたのだそうだが、最悪なことに、生きている状態での対面は出来なかった。そして、もう一つ明らかになったのは、コ―ミンと言う名前は、実はおばさんの娘さんの名前だったのだそうだ。その娘さんは、母親の意思を受け継ぎ、コ―ミンの面倒をみると、コ―ミンを養子にし田舎であるシガラジャにコ―ミンを連れて帰った。

あれから、もう、早いもので10年が経過した。コ―ミンは、今年21歳になる。
幼少期の勉強の遅れもあり、18歳で、やっと高校に進級したが、今年卒業と同時に、結婚がきまったそうだ。相手は、同じ高校の同級生。彼女がごく一般の普通の子供達と同じように、勉強ができたり普通に恋愛が出来る環境の中にいられた事が、嬉しくて仕方が無かった。彼女を引き取ってくれたおばさんの娘さんに、ここまで大きくしてもらったことを、ほんとに感謝したい気持ちです。

良かったね…。ほんとによかったね。
数日前から、そわそわして、クバヤ(民族衣装)まで新調した。
嬉しくて嬉しくて、本番当日は、ただひたすら泣きどうしでした。

あなたなら、きっと、きっと素敵な家庭を作れるよ。

だって、あなたは、今までほんとうに、親の優しさに飢えていた。
でも、それにもめげずに、他人を自分のことのように、愛してきた人だから。
私は、あのとき、たった9歳のあんな小さかったあなたから、沢山の事を教わった。
今の自分が、生かされていること・・・。
そして、今の自分が、誰かに支えられ、誰かを支えていること・・・・。
あなたが私を慕ってくれたように、私もあなたが大好きだった。
おめでとう。

ほんとにおめでとう。
世の中もまだまだ捨てたものじゃないな~。と私は、改めて感動を覚える。

我が家に、数日前、わざわざ結婚式の招待状を届けてくれた。
別に、郵便でもかまわないのに、手渡しが一番だからって、旦那様になる人と二人で、コ―ミンはやってきた。
照れくさそうに、そして、嬉しそうに・・・・。
「お母さん、神様、見てたでしょ?私、絶対、幸せになるからね。」
あなたは、帰り際に、そう私の手を握り締めたね。
その言葉から辿る記憶は、私の中に今でも鮮明に残っている。
だって、いつもあなたは言ってた。
「神様は絶対見てる。
だから感謝のお祈りは、欠かさないの。」

 今生きていることに感謝して、コ―ミンはいつもお祈りを捧げていた。
あんな不運な幼少期を送っていたにもかかわらず、「生きていることに感謝」と言い切る少女。

私は、あのとき、そんなあなたの言葉に酷く心を打たれたっけ・・・・。

ほんとだね、コ―ミン。
見てたね・・・。
長い長い間待ったけど、あなたが幸せになれるように、いつもいつも見てたね。

これほどまでに、心を温かいと感じたことはありません。
 神様、ありがとう。




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