好きなように生きてはいけないのか?

わたしは決断のシーンに直面している。

今の仕事をするのが、非常につらい。
自分の興味や価値観からかけ離れた仕事をしている。
性に合わないというか、なにか根本から、心と体がそれを拒否している。

そういうことで、働くこととか、生き方とか、そういうテーマの本を読みあさり、ネットサーフしたりする。
自分に都合のいい意見に出会うと、
「こんな生き方してもいいんだ!」と勇気づけられ、
厳しかったり、図星な意見にふれれば、
「やはりわたしはダメな人間だ」と卑屈になる。

こんなことを繰り返していると、ある一つのテーマにぶつかった。
人は好きなことをして生きてもいいのか?
ということ。
働くことについての本を読むと、その著者に多くある意見として、
「好きなように生きなさい。やりたいことをしなさい。」
というのがある。

しかしネットでの一般的な意見、
親、友達の身近な人たちの意見として、
「仕事はつらく苦しいもの。好きなことを仕事にすると、好きなものも楽しめなくなる。
好きなことは趣味とするか、老後に取っておくか、そのどちらかだ。」
というのがある。

大人になったら、人は好きなことをして生きてはいけないのか?
なぜ、苦しみながらも好きでもない仕事をしていかなければならないのだろう?
なぜ、仕事はつらく苦しいものでなければいけないのか?

わたしはそうは思いたくない。
仕事は楽しいものでありたい。もし、嫌々なものこそ仕事であるならば、わたしは生きていける気がしない。
なぜ、世の中にはたくさんの仕事があって、わたしたちには職業選択の自由があるのに、好きでもない、嫌なことを仕事にする必要があろうか?

「好きなことをして生きていきます」という人に、
「楽しい仕事など、あるわけない。仕事というものはすべて、つらく厳しいものなのだ」
というならば、きっとその人は、好きなことをしてこなかった人で、好きなことをして生きていくことに挑戦すらしなかった人なのだ、と思う。
もし、好きなことをしている人なら、「好きなことをして生きていきます」という人を、批判ではなく、応援するはずだと思うから。

なにがやりたいことで、どんな仕事をするとか、しないとか、そういうこと以前に、
自分はどう生きるのか
を、まず決めるべきなんだ、と思う。

わたしは、やりたいこと、好きなことに挑戦する人生にしたい。
そういう生き方をする、自分を認めたい。許したい。

そんなことを日々、ふつふつと考えている。
自分のこと、将来のこと、人生のことは、考えるのが億劫だ。
でも、これは与えられた機会なのだ、と心底思う。

悩みのないところに知恵は生まれない

って、ソクラテスも言ってた。


ただの一般人のわたしが、つれづれなるままに書いたこのような文章を、ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。

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