非コミュ・対人恐怖症を自力で克服したときの話

昔、アフリカから日本に帰国したばかりの頃、同じ年頃の子供たちと上手につきあうことができず、まあ、お約束のようにイジメをうけてすっかりネクラ人間になりました。
その弊害としてかどうか、他人とコミュニケーションすることがものすごく難しかった時期が私にはあります。
というか、他人がね、ものすごく怖かったんですよ。一度なぞ、渋谷の人ごみを歩いているとき、周囲の人たちの目が恐ろしくなって、走って逃げ出したこともあるくらい。ほとんどパニック障害でしたね、ありゃ。
今回はそれをどうやって克服したか、という話。
まず通行人にさえ恐怖を感じるようでは、外も歩けないので、そこから改善する必要がありました。
そこで、ちょっとした訓練を自分で考え、実践してみたところ、これが思いがけずよかったんですよ。
具体的にどうやるか。
じつは、すごく簡単。
外を出歩くときは、目の焦点をどこにも合わせないようにするだけ(笑)
つまり目は開いているんだけど、ぼんやりとしか見ていない、という状態にするんです。
このとき、顔はまっすぐ前を向いたままにして、極力キョロキョロしないようにします。
もしも難しいと感じたら、地平線を意識して(街中じゃまず見られないけど、心で思い浮かべて)その地平線があるずっと遠い地点に向けて視点を固定する、と上手くいきます。
この状態で街中を歩く。
もしちょっとでも恐怖を感じたら、その場で深呼吸。
心が落ち着いたら、また歩く。この繰り返し。
あせらず、ちょっとずつ。
なれてくると、遠くの一点を見つめるというよりは、周囲全体をなんとなく目の端で捉えているんだけど、どの一点にも意識が捉われていない、という状態になります。
こう書くと、なんか武術の心得みたいな話ですが、わりと通ずる部分もあるんじゃないかと思うんですよね。
人が怖い、ということはその何者かに過剰に注意が向き、余分な精神力を消耗する、ということです。
この結果、思わずキョロキョロしたり、あるいは逆に顔を伏せながら歩いたりしがちなんですが、まずこの状態をやめる。
そして、実際にやってみるとわかるんですが、この状態で街中を歩くと、一定の確率で向こう側から歩いてくる人が、ちょっとお辞儀をしたり、目礼をしたり、あるいは逆に目を伏せたりすることがわかります。
まったく面識がないはずなのに、なぜかそうする人がけっこういるんですよ。思い当たる人、結構いるんじゃないでしょうか?
で、そういった人々の振る舞いを目の当たりにしつつ、顔を上げて歩いていると、だんだんと自分の中で自信が生まれててくるんですよね。そして、そうやって歩くことが当たり前になっていく。
こうやって小さな達成感とか、自信を積み重ねていくと、対人関係にもいい影響が出てくる。そして次のステップを踏み出すことができるようになる、という訳です。
会話の仕方とか、考え方とか、実際に自分が取り入れた方法は他にもいろいろあるんですが、とりあえず思いついた分だけ書きました。
ちなみに嫁と一緒に歩いていると、「ぼーっとして人の話を聞いていない」とよく叱られるんですよ。
どこか一点だけに捉われないための訓練、ということがなかなか理解されない、それが今の悩みのタネ。

著者の藤井 拓也さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。