大手企業で重度のうつ病を発症し、里帰り出産の妻から離婚され、約一年間自殺願望の消えなかった僕に深い愛情で接してくれた両親のおかげで、うつ病克服専門心理カウンセラーという天職に出会えた話

大手企業で重度のうつ病を発症し、里帰り出産の妻から離婚され、約一年間自殺願望の消えなかった僕に深い愛情で接してくれた両親のおかげで、うつ病克服専門心理カウンセラーという天職に出会えた話
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・うつ病の発症

 僕は、社会人まで順風満帆だった。いじめや受験失敗などはあったけど、最終的には、第一志望の会社に入社できた。社会人になる頃には、意気揚々と胸を張って肩で風を切っていた。


 しかし、社会人になってから状況は一変した。最初は仕事も人間関係も特に問題はなく、みなと同じように、ある程度満足に社会人生活を送りながら、日々を楽しみながら暮らしていた。



 ところが、だんだん仕事の量が増え、納期を迫られ、仕事が息苦しくなってきた。製品の出荷サイクルに追われ、設計が完了しても、納品先から「ありがとう」の一言もない。

納品先
ありがとう


それどころか、やって当たり前で、品質が悪いときや、納期が遅れたときなどは、たいてい叱られた。


納品先
なんだこの仕事は!



世のため、人のためと思ってやっていた仕事にだんだん価値を見い出せなくなってくる。人間関係も、仕事が絡むとギクシャクし、先輩からは厳しい目線で見られることが多かった。仲のいい人間関係も上っ面だけ。本当に仕事仲間と呼べる人はいなかった。





 同期にはどんどん先を越され、後輩からはどんどん抜かれていく。こと仕事に関してはうだつのあがらない、落ちこぼれ社会人。人間関係もうまく回せない、トホホなピエロ。人に教えるよりも自分のことで手一杯で、毎日22時まで残業することはザラだった。会社の方針で22時以降は基本的に残業ができないので、22時で帰らされる。それでいいじゃないかと思うかもしれないが、納期が迫った出荷前は、必ず期限通りに製品を収めなければならなかった。それが残業で対応できないとなると、なんとか限られた時間内でこなさなければならなくなる。それは残業をするよりストレスだった。







 そうして会社に入ってからどんどんストレスを溜め、ついにはうつ病を発症してしまった。不安、恐怖、焦り、イライラ、全ての感情が一気に暴走を始めた。そうなったら、仕事なんかできるわけがない。このときは、東日本大震災でパニックに陥っているときで、ボランティアでもすべきはずなのに、僕はそれどころではなく、ただ流されていくだけの家や車、船などをボーッと眺めているしかなかった。


そこから僕は2度休職をし、約2年間会社を休むことになった。休職中もうつ病は安定せず、良くなったり悪くなったり、自分ではどうすることもできなかった。そうしているうちに、妻が子供がほしいというので、性欲のない僕の体を一生懸命鼓舞し、子作りに励んだ。


子供がほしい



 そしたら、2回目の愛情ですぐに子供ができてしまった。うつ病で寝たきりの生活を送っている自分の、情けない姿で、子供は健康に生まれてくるか心配だった。しかし、その心配をよそに、実家で子供を産みたいという妻の希望で、里帰り出産をすることになった。


 僕は僕で、1人でいては生活もままならないということで、実家に帰ることになった。そして、とうとう子供ができてしまった。


 それで何回か子供の顔を見に、妻のいる病院へと足を運んだ。そして、もうすぐ帰ってくるだろうという頃になって待っていると、待てど暮らせど妻は帰ってこない。「どうしたんだろう、何かあったのかな」と思っていると、いきなり、妻から僕の実家のほうに電話がかかってきて、「もうあの人とは一緒にやっていけない。離婚したい」と言われてしまった。しかも僕の母親に。その後、僕は母親に怒られ、妻も子供も戻ってこず、1人で暮らすことになった。





 それはそれは辛い気持ちだった。人生の幸福を一気に吸い取られ、人生の不幸を一心に背負ったような気分だった。結局妻は里帰り出産から戻ってこず、手紙のやり取りで離婚届を書くことになった。本当に自分の情けなさにヘドが出る。「自分はこんなにも弱い人間だったのか」と自分を恨む気持ちさえあった。



そんな僕を救ってくれたのは、両親だった。両親は怒ることはあったが、僕を病院に連れて行ってくれ、ご飯の世話をしてくれ、励ましの言葉をかけ続けてくれていた。母親は、ショッピングに連れていってくれたり、家事をしてくれたり、身の回りの世話をしてくれた。父親はドライブに連れて行ってくれたり、一緒にカラオケに連れて行ってくれたり、優しいメールで癒してくれた。





 僕は両親がいなければ、今は生きていないと思う。自分が何のために生きているかと言われれば、間違いなく両親のためと答えるだろう。うつ病になってから年賀状が一通もこない僕に、両親は無償の愛で優しく包み込んでくれた。



 僕は時間とともに、だんだんとうつ病が回復し、会社に復職するということになった。復職の前の日まで、寝たきり生活を続けていた僕に、仕事なんかができるわけがないと思っていたが、会社に戻ると、そこには普通の日常がありふれていて、誰も僕の病気のことなど聞く人はいなかった。心配してくれる人はいたが、基本はみんなそっとしておいてくれた。それが僕は何より嬉しかった。また同時に、人間は他人のことに無関心なのだなと思った。人は、自分のことで精一杯で、他人のことまで気を使ってくれる余裕はないということがわかった。これは悪くもあるが、良くもある。





 僕は両親の愛だけで十分過ぎるほど恵まれていることがわかった。その両親のためにも生きなければならない。

 そうして、僕は社会人としてもう一度挑戦しようと思った。自分の体は自分で守り、体調が悪いときにはゆっくり休む。自分の一番の友達は、自分だということが身にしみてわかった。他人が悪いわけじゃない、自分が悪いわけでもない、自分をいかに大切にできるかが、人生を生きていく上で重要なんだということが痛いほどわかった。





 そして、父親の「やるだけやってダメなら仕方がない。そんときはそんときや」という言葉に強く励まされた。とことんやって、ダメなら仕方がない。そのときはまたそのときに考えればいい。今は力を抜きつつ、一生懸命生きる努力をすることを教えてもらった。



 そして、僕は思いついた。この辛い経験を多くの人と分かち合おうと。うつ病で辛い経験をしているのは自分だけじゃない。離婚で苦しい思いをしているのは自分だけじゃないと思い、うつ病克服専門心理カウンセラーとして人々の心を癒そうと思った。





 こんな自分にでもできることは必ずある。同じ病気、運命に翻弄されている人の光となってあげたい。そして、できることなら助けてあげたいと思ったのだ。




 それからうつ病克服専門心理カウンセラーとして活動し、毎日6~12件ほどの相談に乗っている。自分がうつ病克服専門心理カウンセラーになるなんて夢にも思わなかったが、それが人のためになるのなら、1人でもうつ病で苦しむ人を救えるならそれもいいと思ったのだ。





 これが今では僕の天職となっている。天職って何かわからずもがき苦しんだこともあったが、これこそが自分の天職なんだと思う。うつ病で自殺する人が多いこの日本で、この仕事ができて、自分は幸せなのではないだろうか。そう思うようになった。





 人は決して無駄な人は1人もいない。また、心配してくれる人も必ず1人はいる。生きることは自分のためでもあり、家族・友人のためでもある。今ここで命を絶つわけにはいかない。リラックスをしながら、懸命に生きることが自分に課せられた使命だと思う。




 今後は、この命は、人のために使っていきたい。真剣にそう考えている。人生はどこで何が起こるかわからない。ずいぶん遠回りをしてきたけど、今まで歩んだ道は決して無駄なものではなかった。カウンセラーとして人に奉仕していくことが今後の自分の人生の柱なのだと思う。


 これこそが天職かもしれない。自分にしかできないことでもある。より多くの人を救うため、日々精進していきたいと思っている。この文章が誰かに届けばと、願ってやまない。



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実家にいきなり電話がかかってきた。母親に彼女から間接的に離婚を告げられた。この時子供はまだ0歳6か月くらいだった。

自責の念に駆られ、何もかもが嫌になった。生きているのもつらくなった。とても苦しかった。

両親のマリアナ海溝のように深い愛情に支えられ、うつ病を回復することができた。両親には感謝してもしきれない。

いつか両親には恩返しがしたい。父親の約1億円の借金を自分が返したいと思っている。

約2年間の休職を経て、復職期限ギリギリの2日前に復職した。前日までは寝たきり生活を送っていた。

父親の言葉には本当に励まされた。自分は生きている意味がある。大切に思ってくれている人がいるのだと感動した。

うつ病で苦しんでいる人を一人でも多く救いたい。その一心だった。

本を数十冊出版して、世の中に貢献する。そう自分にコミットした。

うつ病にならなければこの天職はなかった。今ではうつ病になったことに感謝いている。

多くの人に、生きる勇気を与えられればと思っている。人生は深く沈むときもあれば、高くジャンプできるときもある。生あるうちは、真剣にかつ幸せに生きていきたい。

玉村 勇喜

こんにちは。 うつ病克服専門心理カウンセラーの玉村勇喜です。背景は、二冊目を出版した「うつ病を心理カウンセリングで治す本―きっと良くなる」の表紙です。興味があれば、読んでみてください。

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玉村 勇喜

こんにちは。 うつ病克服専門心理カウンセラーの玉村勇喜です。背景は、二冊目を出版した「うつ病を心理カウンセリングで治す本―きっと良くなる」の表紙です。興味があれば、読んでみてください。

玉村 勇喜

こんにちは。 うつ病克服専門心理カウンセラーの玉村勇喜です。背景は、二冊目を出版した「うつ病を心理カウンセリングで治す本―きっと良くなる」の表紙です。興味があれば、読んでみてください。

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