おばあちゃんの太平洋戦争

【はじめに】

日本が1945年8月14日ポツダム宣言を受諾してから69年。

1941年12月8日から続いた約4年に及んだ戦争が終わった。

日本がアメリカをはじめとする連合国と肉弾戦を行い、沖縄決戦、広島・長崎の原爆投下、関東・関西大空襲など日本が焦土と化した。日本が出した犠牲者数約350万人(推定)。

この犠牲者の1人にぼくの曾々祖母のトメばあちゃんも含まれる。



【学童集団疎開】

うちのおばあちゃん(以下、ばあちゃん)は御歳83歳。

現在も大阪で犬と一緒に暮らしている。


「だんだん、背が小そうなってきたけどウチはまだまだ元気やで〜!!こないだも骨密度が高いってお医者さんに褒められたわ〜」と昨日も言ってた強者。

そんなばあちゃんから最近、よく昔の話を聞く。



うちのばあちゃんは1931年大阪生まれ大阪育ち。

1941年太平洋戦争が勃発し日本は戦時体制に入っていった頃。。


ばあちゃんは今の港区に暮らしていた。父、母、こども4人の6人家族。ばあちゃんは当時10歳前後。

国民学校に通っていた高学年の女の子。


1944年、戦火が激しくなるにつれて児童は地方に集団で疎開をすることが国の政策として決まった。

そして、ばあちゃんも疎開をすることになった。行き先は「福井県」。


福井県は元々、ばあちゃんのお母さんが産まれた場所。(ぼくの曾祖母)

つまり、ばあちゃんにとっては身内が住んでしる場所に疎開をするようなものだった。


当時、そこにはトメばあちゃんが暮らしていた。

(ぼくの曾々祖母。ぼくのお父さんのお母さんのお母さんのお母さん。)

学童集団疎開中は、子どもたちだけで親元を離れて暮らすため心細く、夜になると大阪の方角を向いて「お母さ〜ん」と泣いたそうだ。

そんな心寂しいなか、疎開中は良くトメばあちゃんに世話になった。

トメばあちゃんは肝臓を悪くしており、歩くのもおぼつかない生活。しかし、トメばあちゃんにとって孫にあたるばあちゃんが可愛かったのだろう。時間を見つけては食事の支度や話し相手になった。





【トメばあちゃん】

疎開期間も終わり、ばあちゃんは大阪に帰阪。

1945年3月、ばあちゃん14歳。疎開から帰ってきたものの日本は敗北の一途を辿り、一時は東南アジア近海・太平洋を制圧した勢力も収縮していった。


そんな最中、トメばあちゃんが大阪に引越して来た。

福井で寝たきりに近い生活をしていたトメばあちゃん。日中は家族が仕事をするために家を空けるので、誰もいない家で過ごすことが寂しかったらしい。大阪の家では家族6人が住んでいるので、日中でも賑やかで楽しいから大阪の方がいい!と家の2階に引越しをしてきた。しかし、体の容態は悪く、病気を抱えていた肝臓周辺は腫れ、目を悪くしていたので両目をくり貫いた全盲の状態だった。


その日から家族6人と寝たきりのトメばあちゃんの生活が始まった。


ばあちゃんはトメばあちゃんの世話をよくし、よく話し相手になった。

そして時々、ばあちゃんは「1銭ちょうだい〜」とトメばあちゃんにおねだりをした。すると、腰に巻いていた腹巻きの中から大事そうに巾着を取り出し、「わかったよ〜」と言いながら爪で硬貨の表面をなぞり確かめて1銭をくれた。あめ玉が2つ買えた。



【大阪大空襲】

1945年6月頃から、一般市民を無差別に狙い街を焼け野原とする空襲が日本各地の街を襲うようになった。大阪も爆撃地だった。


毎晩のように空襲警報が鳴り響き、焼夷弾が大阪の街に降ってくる。

街はあっという間に火の海となり、建物は燃え、逃げ後れた一般市民が燃え死ぬ。という光景が当時の大阪で広がっていた。


ある夜、ばあちゃんが住んでいた港区も空襲警報が鳴り響きアメリカの爆撃機で港区の街に向かって焼夷弾を落としてきた。港区の街に火が付き、そこら中の建物が燃え始めた。

燃え上がる炎の中、逃げる準備をするばあちゃん。しかし、家族全員で逃げることは出来ない。


ばあちゃんはトメばあちゃんが寝ている2階にあがっていった。


「もう、そこまで火がきてるよ」

「おらは助からんかもしらんな。。はよう逃げえよ。」

「うん。。。」

「おらが死んだらいっつも傍で見といてやるからな。。」


そう言ってトメばあちゃんを置いて防空壕にばあちゃんは避難した。



翌日、家はなかった。

ぼくの曾々祖母のトメばあちゃんは死んだ。



【おわりに】

ぼくの曾々祖母のトメばあちゃんはアメリカに殺された。

太平洋戦争の日本の犠牲者の中にはトメばあちゃんも含まれる。


ぼくがこの世に産まれてくるずっと前の話。

こうして命のバトンが受け継がれてきたことを知った。


いったい、今の私たちにとって何をしないといけないのか。何をするべきなのか。

戦後69年の夏、改めて考える機会にしたい。


戦争で亡くなったすべての人の犠牲の上に今、私たちが生きている。

感謝。


平田智夢

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