読書感想文が何より嫌いだった自分が、アラフォーになって出版をすることになった話

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いつまでもあると思うな親と金、ないと思うな運と災難

40歳のとある冬の日のできごとでした。


STORYS.JPの中の人
小林様のストーリーに関しまして、ある出版社より書籍化の要望が来ております。もし興味がありましたらご連絡ください


いつものように仕事でクタクタになって帰宅したあと、これまたいつものようにメールボックスを開くと見慣れない人からメールが届いていた。


「え?」


「え?」


「え?」


出版?出版っていうとそのー、えーと、本を出すってこと?いわゆる書籍化ってやつ??


でも、本って、俺の本?こんな単なるイチ素人の本?そんなの売れるの?そもそも誰が買うの?


・・・・

・・・

・・


色々思うところはあったが、まずは話を聞くのはタダだろう、ということで即返信。即行動。

自分
興味があるので、まずは詳しい話を聞いてみたいです

ということで渋谷のカフェで待ち合わせをすることにしたのが2014年2月の頭の頃。


そこではSTORYS.JPの中の人、O氏と、出版社の中の人、K氏。男3人。

出版社は宝島社。出版業界では中々有名どころであるが、なぜ、自分に?という気持ちのまま、女子力あふれる完全に場違いな感じのカフェで、むさ苦しいおっさん3人。


プリントアウトされたSTORYS.JPの自分の書いたページを手にしたK氏から出版の意図、企画などを聞く。


社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話(1)


#自分で書いておきながら、最終回から3ヶ月ほど経過していたので、内容を少し忘れかけていた(汗)


そもそも、この話を書いたキッカケは個人的に「STORYS.JPがどんなサイトか知るため」に試しに書いたものであった。


だから、もちろん出版に耐えうるような内容とは思えなかったし、時間をかけて情報を収集をして推敲して校正して、リリースしたものでもなく、まさに思うがままに日記感覚で書いたものだった。


しかし3人で話しこんでいるうちに、事件当時、果たせなかった思い、そして今、日々感じていることを熱く語っている自分がいた。もし、今回、それをリベンジできるチャンスというのであれば、この話に乗っかってみるのもアリかもしれない・・・

誰のための出版なのか

ここで、二つ返事で孫さんのように「やりましょう!」といいたいのは山々だったのだが、、、、

自分
いったん考えさせて下さい


いくら時間が経っているとはいえ、当時あれだけ世間に叩かれたライブドア事件をメインテーマに置いた本だ。STORYS.JPでこそこそ書いていたのとはワケが違う。それでなくても、ネット上では日々、炎上案件のオンパレードで、時には命に関わる事件だって起きている・・・。


自分も妻子ある平凡な1人のサラリーマン。そんなリスクをとってまで、ここは踏み込むべきなのか?もしかして出版社に利用されてるのでは?

しかし・・・、何かを得るためには何かを捨てるしかない。


もう自分も40歳。これから何か成し遂げるビッグチャンスはもう多くは回ってこないかもしれない・・・。


でも、仮に自分は良くても、これは自分一人だけのストーリーではなく、堀江さんはもちろん、当時の社員、株主、もろもろの人たち全てによって紡がれたストーリーだ。

もしビリギャルであれば、「坪田先生」「さやかちゃん」「さやかちゃんママ」くらいなところが、それとこれとでは影響範囲が、桁違いに予測不能だ。。


最悪、取り上げられかたによっては自分の勤めている会社にも迷惑がかかるかもしれない・・・。


書くか、やめるか。書くか、やめるか・・・。逡巡する毎日。

誰に相談するでもなく、自分ひとりで決断するしかない・・・。


そんな折、ふと、子供時代のとある1件を思い出した。



見えない型にはめ込まれるのが嫌だった子供時代

学校の先生に言われたとおりに教科書に書いてあることを覚えて、それをテスト用紙に確実にぶつければ良い点数が取れる。そして親は安心するという予定調和な毎日。

ゲーム好きだったこともあり、算数は得意でゲーム感覚そのままに得点を競うことが、成績につながっていた。


しかし、国語の「この部分の作者の考えていることを20文字で書け」というものは子供ながら解せなかった。そこはゼロとイチのデジタルな世界じゃないだろう!と。作者が本当に考えていることなんかに紋切り型の答えなんてあるのか?と。ひねくれた子供である。


そしてその最たるものが夏休みの宿題「読書感想文」だった。



これで高い評価を得るためには先生達に好まれるそれらしいことを書く必要があるのだが、なんだか目に見えないルールに従うことを強制されるような息苦しさを覚えている。

だから、休み明けにみんなの前で発表される”優秀な感想文”にいつも違和感を感じていた。


そんな小学校時代のある日、自由に小説を書いていい、という時間があった。

つまりはオリジナルストーリーを書いていいというので、当時、3度の飯よりもゲームが好きだったのでナムコの「ゼビウス」というゲームを題材にした作文を書いた。


今思えば相当にチープなSF小説だったのだが、「自分で文字を書きおこして表現する面白さ」をこの時初めて実感した。


ネット上で発信する面白さに目覚めた大学時代

小学校時代の作文でちょっと気を良くしたくらいで直木賞や芥川賞を夢見て作家を目指すような単純な話ではなかった。

なにせ得意科目は理数系。小、中、高、大学と、それはもうコンピュータとゲーム漬けの毎日だった。


パソコン通信を始めたのが1992年。自分のホームページを大学の研究室においてあったワークステーションに初めてアップロードしたのが1995年。


そういえばホームページをアップロードするフォルダ名は「public_html


自分が作ったウェブページを世界中に対して公開するという意味だった。

インターネットさえあれば自分のようなイチ庶民にも世界中に自由に思いを発言することが許される。。。


スゴイ時代が来ている! しかし、そう思っている人はそこまで周りにはまだ多くなかった。


日記、ブログ、SNS、そして・・・

1998年春。社会人になりクレジットカードを手に入れ、プロバイダ(ASAHIネット)に契約。

アナログモデムで自分のいわゆる文字通りの「ホームページ」を作り始めた。


「対応ブラウザはネットスケープ3.0以上」とか「あなたは○番目の訪問者です」とか「リンク集」とかWeb1.0の香りがプンプンする。


誰が読むわけでもないのに、ブログもSNSも当然まだ無かったのでせっせと日記と掲示板を更新していた。


そして2004年、livedoorブログを開始。他にもはてなダイアリー、アメブロなど片っ端から手を出した。もちろんSNSにも参加。mixiのIDは16360、グリーのIDは1299。くだらない話ばかりだったが、それはそれは色々なことをフレンドに向けて発信した。


2007年4月にtwitter、2008年3月にFacebookに登録。その後はご存知の通り「共感」と「拡散」というソーシャルマジックに深くハマっていったのであった。


もうどれだけのテキストをネット上に書き散らかしたか。わからないほど、キーボードを叩いていた。



そして2013年。STORYS.JPと出会った


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