10ヶ所転移の大腸癌から6年半経っても元気でいるワケ(2)

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翌日は午後からの診察だったので、最寄り駅のスパゲッティ屋で3人そろって食事をしてから病院に向かうことになった。こういう場合、普通は食事ものどを通らないのだろうが、私は普通どおりたらこスパゲティをたいらげた。不安というより、癌診断の翌日に予約が取れたことにありがたい気持ちのほうが強かった。
 
実はがんセンターに足を運ぶのは初めてではなかった。10年以上も前のことだったが胃の調子が悪く、近くの内科でバリウム検査をしたところ「陰があるから」と内視鏡検査を勧められたことがあった。母を胃がんで亡くしている私はてっきり癌と思い込み、入院・手術の場合を想定して下見に訪れていたのだ。

 

当時の住まいはがんセンターからバスで15分ほど。建物も新しく病院とは思えない明るく広々とした空間に驚いた記憶がある。結局,単なる胃炎でがんセンターのお世話になることはなかった。それから10年後にまさか患者として訪れる日が来ようとは・・・。
 
初診はいろいろと記入するものが多く、不安を感じる暇もなかった。午後2時を回っているせいか外来は閑散としていた。空いているのに時間が過ぎてもなかなか呼ばれなかった。こういう時はまだ呼ばれないのかというより、呼ばれたらいやだなと言う気持ちのほうが上回ってしまうものだ。要するに半分逃げ出したい気持ちになっていた。「〇〇さん、中にお入り下さい」ついに呼ばれてしまった。急に心臓が高鳴った。とりあえず1人で診察室に入ることにした。
 
ノックをして診察室に入った私は医師の顔を見た途端、凍りついた。アメリカ在住時代の知り合いで10年前に不慮の死を遂げた写真家H氏に瓜二つだったからだ。瓜二つと言うより本人そのもの。『奥さんに会わせたい!』自分が癌の診察を受けに来たことなど吹っ飛んでしまうほどの衝撃だった。

 

彼は帰国する度に我が家へ遊びに来てくれるほど親しくしていたので、その死は受け入れがたいものがあった。思わず「生きてたの?」と声をかけたくなった。顔だけでなく声もしぐさも全てそっくり。今思えばがんセンターにおける癌診断と言う耐え難い場面において、それを上回るサプライズを神様が設定してくれたとしか思えなかった。
 
「前の病院でなんと言われてきましたか?」その一言で一気に現実に引き戻された。本人にがん告知があったかどうかの確認と言うことだろう。
 
問診表に説明は家族と受けるかどうかと言う欄があり「1人で受ける」に丸をつけていたのだが、「ご家族はいらしていますか?」と聞かれ同席するように言われた。恐らく余りにも酷い状況のため、患者本人だけに説明するのでは問題ありと判断したからだろう。
 
不本意ではあったが妹と娘を呼び入れた。医師は紙に横線を引くと0、1、2,3,4と数字を書き込み「癌は0期から4期まであります」と説明した上で「あなたの癌は恐らくここまで行っています。」というと、矢印を一気に3から4の部分にまで力強く引いた。後ろに座っている妹のため息が聞こえた。

 

私は告知に驚くと言うより怒りが込み上げてきた。診察室に入ってから数分しか経っていない。指一本すら触れていないのになぜ3期から4期などと言う非情な診断を下せるものか!下血以外は全く元気なのになんで?確かに内視鏡の映像は酷かったが、それでもこの現実をすんなり受け入れる気にはなれなかった。
 
入院の予約は早く入れたほうが良いからと言われた。混んでいるので4月頭になるだろうとのこと。しかし息子の入学式がある。とりあえず入学式後にとお願いした。それまでに通院でいろいろな検査を受けること。そして、余りにも太りすぎていてこのままでは手術自体危険なのでダイエットに励むようにと厳しく言われた。

 

 

 

こんな酷い診断を受けていながら、その帰り道のことはなぜか全く記憶にない。娘や妹と言葉を交わしていたわけだが、どんなことを話したかも覚えていない。共に唖然としてしまって、無の状態だったのかもしれない。

 

 家に帰ると私は娘と共にパソコンに向かった。3年前に書いていたブログを探すためだ。雷が落ちてパソコンが壊れてしまったために放置したままになっていたブログ。いまだに残っているのか?娘に頼んで探し出してもらうことにした。

 

自分が4期の癌であるかもしれないと言われた時、人は何を思うか?自分の生きた証を残したい・・・以前に書いたブログがネット上に残っているのならそれも証になる。娘は私が何を欲してブログを探しているのか察し、真剣な表情で手早くブログを探し出したのだ。「あった~!」私は娘と手を取りあって大喜びしてしまった。本当に嬉しかった。がん告知のショックが吹っ飛ぶほどの感激だった。

 

私が大変な状況にあることを家族の中で知っているのは娘だけ。主人も息子も全く知らないのだ。彼女からすれば叔母に当たる妹には病院の待合室にいる時に「きのうは友達に電話して泣いてしまった。」と漏らしていたそうだ。しかし、私の前では暗い顔すら見せなかった。

 

娘には気の毒だったが、何分にも時期が悪過ぎた。幸いにも見た目は全く元気なので落ち込んだ素振りさえ見せなければ気付かれる事はないだろう。娘も父親の性格は良く分かっていたから「とにかくパパには内緒にした方が良い」と協力を誓ってくれた。


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