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14/9/13

息子の誕生からそろそろ1年経ちます(前編)

Image by Olia Gozha

本当に怖かったよ

ボクの息子が生まれたのはちょうど1年前の晩秋

そろそろ冬を迎えるという時期に出てきてくれました

彼は最近の子どもにしてはサイズが大きくて、腹の大きくなった奥さんが苦しそうにしていたのを思い出します。

人が生まれてくる事に対して、正直なところ舐めてました

(その様子は当時、Facebookに書き込みました)

お陰で酷く怖い思いをする事になったのを、この時期にならなくても思い出します。

ただ、改めて考えると、1年という時間は決して短くはありませんし、この時間の中で奥さんと息子の3人で過ごす事が出来ている事を心底嬉しく思います。

最近、子どもについて書かれた記事がヒシヒシと自分にとって重く感じるようになってきました

それはボクが『親』になったからだと思いますが、+母親である奥さんが無事でいてくれる事が何よりも大きいのかな、とも感じております。

そんな1年前に息子が出てきた時の事を忘備録ではないですが、思い起こしながら書いてみます。


陣痛が始まったよ

ボク「具合どんなー?」

奥さん「散歩にいったんだけど、なんだかお腹いたくてさー。病院いってくるー。」

というのが当日の朝、彼女としたやりとりです。

んで、結局、出てきそうだからってんで一旦家に帰ってから再度病院へ行き、そのまま生む為の準備を寝ながら待つという事です。

ボクはと言いますと、余裕ぶっこいて仕事をしていてですね、結局、彼女の実家(県内)へ向かったのがお昼過ぎてからで、着いたのは夕刻でした。

ボク「どんなだい?」

奥さん「んー。痛いw」

みたいな会話も出来ていたので、決してどうしようもない感じではありませんでした。

…んが!しかしですね、ボクが彼女の通院していた(その時は入院ですが)個人院へ到着しまして、受付に名前を告げ、彼女の横になっている病室へいくと、苦笑いを浮かべる彼女がいました。

ボク「あれ?余裕だね…」

奥さん「まあね…。まだ余裕はあるけど、時々、メチャクチャいたい。…!っつー…」

ボク「…確かに痛そうだね。そろそろ出てくるの?」

奥さん「もう出てきてほしい…。痛い。」

…と、まぁ、こんな具合に会話をしたのです。

彼女のことを紹介しておきますと、結構な痛がりでありまして、過去にボクが彼女にストレッチをしてあげていた時も…

ボク「うわー…こりゃ大変だね。ちょっと痛くなっちゃうかもしれないけど、いい?」

奥さん「余裕っしょ。けど、あんまり痛いのイヤだ。」

ボク「…それ。」

奥さん「いたたたたたた。いたーい!いたー!やめてやめてやめて!」

…とボクのことを蹴り出したぐらいにして、痛みの閾値はかなり低い部類です。

そんなもんだから、ボクはまぁ、多分、しゃべれてるんだから平気だな、と。


初めて分娩室入ったよ!

そんなこんなしていると、彼女の痛がる間隔が短くなってきまして、いよいよだな、と。

その頃には会話も出来ない様な状態にまで追い込まれており、常に“腰のあたり”をさすられている彼女のそばに、ボクと彼女のお母さんがいました。

痛みの間隔が5分刻みから3分刻み、1分刻みなんて具合に差し迫ってきたもんだから彼女のお母さんがナースコールを使い…

お母さん「すいません!陣痛の間隔が短くなってきたんですけど!(キリッ」

ビシッと伝えましたところ、看護師さんが病室まで足を運んでくださいまして、見てみると「ほんならはいってみましょかー」的な言い方をされ、準備を始めた訳です。

いよいよか…

人生の中で分娩室に入ったことがありませんから、若干緊張しながらワクワクし始めました。

しかしですね、事前に出産を見たいとは思っておらず、ですね…

いや、だって、結構な痛がり方してる訳じゃないですか。

そこにいたところで何ができるワケでもなく、ただただそこにいるだけの存在になる訳ですよ。

んー。

…なんて悩んでいる時間なんてありませんでした。

看護師さんから「これ身につけてくださいねー」と割烹着見たいなの渡されまして、おまけに給食帽まで…!

こ、これは…

小学校のとき以来の給食帽です。

あの時は選択をしてもらい、再び学校へ持っていく時の畳まれた感じを誇りながらフックへかける瞬間。なんだか良く分かりませんが、非常に誇らしかったのを覚えています。

あの頃の給食帽はどうなっているのかな…

もう使われてないよな。

けど、使われてたらスゴいよな…。

あ、そうそう。そういえば給食で余った牛乳を配膳室でコッソリと…いや、先生がいいって言ったから飲んだっけ。

調子に乗って二本も飲んだなぁ。

けど、後々、大人になってから知るんだけど、乳糖不耐症だから、帰ってからの下痢が酷かったっけ。

ははは。

なーーんも考えてなかっ…


脱線しました。ごめんなさい。

そうそう、分娩室に入ったんでした。割烹着と給食帽を渡されてからの件でここまで引きずってしまいました。

分娩室はしきりがあり、もうひとグループが先に入っており、結構な苦しみ具合が耳に入ってきました。

当方の奥様も結構な苦しみ具合になっておりますが、中々に我が息子は出てこず。

2時間だったかな。粘ってみたものの「まだ開ききってないから出て来れない」ということで出直しだそう。

なんだか痛がっている彼女を見ていると「早くでて来てほしいな」と思ったものですがね。こればっかりは仕方ないです。

痛がりの彼女の声がですね、周りの妊婦さんたちへ”ダメージ”になるからという理由で、ちょっと離れた場所へ隔離されまして。確かに声が大きいですからね。んでもって部屋も大部屋でしたし。個室空いてなくて。仕方ないです。

んで、まぁ、夜も更けてきましたので、彼女のお母さんは自宅へ帰られまして、ボクと彼女の2人きりになりました。

もうね、やることといったらさすること。

そう、ひたすらにさすることしか出来ません。

下手に声をかけようもんなら「いーたーいー!!!!」としか返ってきませんので、ひたすらさするしかありません。

そんなことでひたすらにさすり続けて何時間でしょうかね。覚えてもいません。ひたすらに夜明けまでさすってましたから。

さすっていると落ち着く時間があるので、その隙に隣に置いてあるソファへカラダを移し、少しでも仮眠を取るという所作を繰り返していた訳ですが、夜も更け、夜中の3時15分でしたね。

さすがにボクもですね、眠気が襲ってきまして、さすっている最中に落ちてしまったんですね。

ガク!!って。

そしたら…

ボク「…サスサスサス…ガク!!(は!あぶねー。)」

奥さん「…ねぇ。」

ボク「…(は!)どうしたぁ。」

奥さん「眠たいでしょ。お母さんと変わって…」

いやいやいや!!

無理だろー!君、さっき(4時間ほど前)お母さんが帰るのを痛いって返事してたじゃないか!

んでもって今、夜中の3時だぞ!無理だろ!

ボク「ごめんごめん。さするからねー。」

「ぃぃぃぃぃぃいいいいいいたぁぁぁぁぁあああああいぃぃぃぃぃぃぃいいいいいい!」

ここから再び5時過ぎまでカクカクと若干の落ち具合を発揮しながら繰り返していましたら…

ボク「(サスサス…カクッ!)…(は!)」

奥さん「ね、ねぇ。」

ボク「どうしたー?」

奥さん「やっぱりさ、お母さんと代わって…眠そうだもん…」

二度目ーーーーー!!

さっきよりは現実的な提案ですが、それにしても常軌を逸している!

いや、今の彼女に取って、凡人の常識なんて通用しない。あるのは痛みだけだ!

そこからもなんとか盛り返していたところで、朝の9時過ぎぐらいでしたか。お母さん到着。

慰労の言葉をいただきまして、ボクは少し休憩をいただくこととなりました。

しかし!短い休憩時間でした!

すぐに彼女は再び分娩室へ入っていったのです!

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