子どもにナメられることについて

「子供にナメられちゃ終わりよ」





久しぶりにその言葉を聞く。


「子供はほっといたら図に乗るから、体罰はいけないけど口は厳しくしてないと」


そういってその母親は、チンピラ顔負けの口調で、子供を叱っていた。


おどれ、何しとんじゃ、ワレといった感じで、口だけで充分体罰に値するほどじゃなかろうかと思った。


私に対しての穏やかな口調と、あまりに違っていて、少し苦笑した。




学生の頃、小学校や中学校の教師から、この言葉をよく聞いた。


多くの学校の体制は、教師が常に権力や権威を保つために、


子供にナメられないようにと配慮(?)された決まりで固められている。


校則も典型的にその意図が強く、生徒はまず「守るために守る」のだ。


多くの教師は生徒にナメられないことで、学校が安定し、


正常な教育を施すことができ、生徒を管理できると思っている。




私は教師でも保護者でもなく、教育について説得力を持って何か言う立場ではない。


ただ、このナメられないようにという言葉には、昔も今も何か引っかかる。。


周りにナメられないように、人を管理することは大切なのか。




私は、記憶によると親も教師もナメたことはない。


ただ、双方とも欠点があるのは昔から知っていた。


子供と言うだけで、明らかに下に見るような付き合い方をする


教師もいた。


そのことで腹が立つこともあっただろう。


しかし、私はそういう人をナメるというより、


深く関わらないように距離をおいたのだ。





いい子ちゃんだったんだろうか、私。


そういえば、相手からナメられてないかどうかで、


人を判断するような同級生っていたよなと思う。


そういう人は、今も心のどこかで、突っ張って生きているんだろうか。




私が人をナメないのは、人と私に共通の基準なんてないと


信じているからだと思う。


お金持ちや成功者の生き方が、私にとって本当に良いかどうかは、


私には永久にわからない。


その逆もまたしかりだ。




魅力的で素晴らしい生き方をしていると実感できる人を、


子どもはナメるわけがない思う。


銃やナイフを人が普通に持ってるような社会じゃなければ。


「すげえ大人」を子供はナメないはずだ。


こんな私でも、たくさん子供と関わって、ナメられてると感じたことはなく、


何でこいつらこんなに優しいんだろうとよく思った。


ナメられることを通り越して、ほっとけないぞコイツとか、


私のことを思われてたんじゃなかろうか。





たとえ子供にナメられても、何かが困るのだろうか。


親や教育者としての体裁を保ちたいという理由以外なら、


暴れて手に負えないとか、しつけが出来ないとかかな。


年齢にもよるけど、そういう子は早く社会に


出した方がいいように思う。


社会なら、自分の意見でやりたいようにできるので、


跳ね返りもダイレクトにやってくる。


それでも、ナメられたくないと思えばはい上がるだろうし、


甘かったと思えば、少しはしおらしくなるのではないか。




問題はナメたりする子より、いい子ちゃんとか無気力な子供の


ほうだと思う。

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